第50話 気になるお年頃

「マジで?」

 俺は目の前に立つ少女の顔を、信じられない思いで見つめた。

「まじで」


 こくりと、その少女――五十鈴美桜は頷いた。とても真面目腐った表情。ともすれば、不愛想といってもいいくらいに、そこにはなんの面白みはない。その手に握られている割りばしの先端には、dという字が書いてあった。

 ちらりと、俺は自分の持っている棒の先端を見る。何度も確認したその文字は、D。つまり、俺とこの女がペアだということを如実に表している。


 ふと俺は周りに目をやった。二人組がしっかりと三つ出来上がっている。やはり、俺の相方は五十鈴らしい。

 一人余った人間が教室前方に突っ立っているが、あの人はそもそも勘定に入っていない。イベント班のメンバーではなく、委員長としてこの場を取りまとめているだけなのだ。

 ようやく事実の確認が終わり、俺は一つ大きくため息をついた。まさかこいつと一緒とは……。先行きについて、漠然とした不安を感じる。


「なに、その反応。嫌なの?」

「……そうじゃねえけどなぁ。――お前の方こそ、どうなんだよ?」

「別に何とも」

 その表情はピクリとも変わらない。


 ここは一階にある多目的室。今日の委員会――もとい、イベント班会議の目的は、読み聞かせ用の本の決定だ。それはつい先ほど終わった。候補作の中から意見をぶつけ合って、見事十二の選ばれし戦士が誕生した。そして、どの小学校でどの本の使うかも割り振った。

 そして残った作業は人員配置。八人いるイベント班の面々を、四つの小学校にわける。そしたら、四つのペアができるというのは、単純な割り算だろう。公平を期すためにくじ引きで決めた。


 俺と五十鈴が一緒になるなんて、ぱっと計算してみてもあまり高い確率とはいえない。残り物には福があると、最後まで待ったのがよくなかったのかも。


「確認もすんだみたいですね。皆さん、席に戻っていただけますか?」

 広い室内に、よく通る三井委員長の声が響いた。


 賑やかだった部屋の中が、落ち着きを取り戻す。ぞろぞろと、イベント班の仲間たちが自分の席に戻っていく。俺もまた、五十鈴の顔をやるせない気持ちで一瞥してから、後に続いた。

 その彼女はといえば、能面を付けたままにつかつかと歩いていく。通路を真直ぐに進み、一つも折れずに前方のゾーンへ。そしてゆっくりとこちらを向く。奴が今日の書記係だった。


 その後ホワイトボードに、たった今出来上がったばかりの二人組が記されていく。五十鈴ちゃんは字がきれいだねぇ、と俺はとても冷ややかな気持ちで頬杖を突きながらそれを眺めていた。

 そして、また一つ驚いたことがあった。文芸部で一緒になっているのは、俺たちしかいないらしい。他の三人は見事にバラバラ。もはや何も言うことはなかった。


「残りのメンバーについては、次回の委員会の時に決めましょう。皆さんには、その時までにしっかりと準備をしていただければ、と」

 三井先輩は相変わらず完璧すぎる微笑みを浮かべた。


 そして委員長が顧問の方を見る。すぐに矢島先生は首を左右に振った。前回と同じだ。この人は始まりの挨拶時以外は喋らない。話し合いが始まれば、ただニコニコと笑うだけの像と化す。

 それが終了の儀式でもあった。委員長が改めて会議の終わりを宣言する。下々の者が復唱を行い、バラバラと席を立っていく。


「いや~、やっと終わったねぇ」

 こちらを振り返る美紅先輩の声にはとても実感が籠っていた。

「ですねぇ、さすがに疲れましたよ……」

「浩介君、結構頑張ってたね。色々と意見言ったりしてさ」

「はい。先輩が発言してくれるから、わたしも意見しやすかったです」

「いや、そんな大したことじゃあ」


 そう言われると、俺はひたすらにくすぐたかった。仄かに顔が熱くなるのを感じながら、顔を逸らす。前方で会議の司会者と書記そしてオブザーバーと、三者が何やら言葉を交わしているのが目に入った。その中の一人の表情が平常時と違って柔らかいことを、俺は意外に思った。


「帰りどーする、こーすけ君?」

「帰り?」

 ボケーっと眺めているところ話しかけられて、ドキッとながらも視線を戻す。

「うん。またご飯どうかなって」

 三田村が小動物みたく、細かく頷いている。

「嬉しいですけど、今日はやめておきます。金欠なんで」

「そっかー。それなら仕方ないなー。――みおっちは?」

 

 残念そうに言った後、美紅先輩が顔を横に向けた。見ると、ちょうどよく五十鈴が戻ってきているところだった。話はもう終わったらしい。


「何の話ですか?」

 当然聞いているわけもなく、同じ話を静香先輩が繰り返す。

「これ、あるので」


 そういうと彼女はごそごそと鞄を漁り始めた。やがて取り出してきたのは、いつも通り菓子パンの袋。そのまま封を開ける。


「……マイペースだねぇ、この子は」

「美桜ちゃん。綾香ちゃんは?」

 先輩の指摘に室内をぐるりと見渡すと、確かに三井先輩の姿は見当たらない。

「んっ――帰りました。模試の勉強するらしいです」

「……勉強家だねぇ、あの子は」

「さっきからなんなの、美紅ちゃん」

「模試……そっか、三年生の先輩たちは色々と大変なんですね。いつあるんですか?」

「明日ダヨー」

 

 それはどこまでもお気楽な言い方だった。とても他人事じみている。隣にいるもう一人の三年生もかなり呆れているようだ。

 そのやり取りを横目に、俺は帰り支度を進める。同級生がパンを食べ終えるのを待っているつもりは毛頭なかった。


「じゃあ俺、そろそろ」

 言いながら腰を浮かす。

「うん。お疲れさん。また明日ねー」


 部長に続いて、会計、平部員ともあいさつを交わす。副部長殿はちらりとこちらを見ただけだった。しかし、そのままその後ろを通ろうとした時――


「待って」

 なぜか呼び止められて、俺は足を止めた。

「なんだよ?」

「根津君も今日バスでしょ。一緒に帰らない?」

「……はい?」


 五十鈴美桜の口から紡がれたのは、全く予想だにしていない言葉だった。あまりのことの拍子抜けをして、全身に脱力感を覚える。

 しげしげとその顔を見つめるが、とても冗談を言っている風ではない。俺は顔をしかめてぽかんと口を開けたまま、ただひたすらに立ち尽くすしかなかった。





        *





 あれだけ降っていた雨はすっかり上がっていた。しかし、その痕跡は地面のあちこちに残っている。それに、すっきりと晴れ渡っているわけではなかった。空では変わらず、灰色の雲が我が物顔で居座っていた。

 バス停の近くで俺たちは足を止めた。そこに並んでいる人間は、他に誰もいなかった。五十鈴が時刻表を覗き込む。


「すぐ来るのか?」

 その後ろ姿に声をかけた。

「あと五分くらい」

「そっか」


 顔を正面に戻す。目の前は幹線道路。この昼下がりでも、それなりに交通量はある。やかましい音を立てながら、次々に車が目の前を横切っていく。

 それをぼんやりと眺めながら、俺は一つ大きく息を吐いた。なぜ隣の女は、一緒に帰ろうと誘ってきたのか。その理由は今に至るまで不明だ。

 そのくせ、ここまでの道中、意欲的に言葉を交わしたわけでもない。それがますます謎を深めるのだった。


「ねえ。さっきの話だけど」

「さっき? お前と何かを話した覚えがないんだが?」

「読み聞かせのペアの話」

 すると、彼女がこちらに顔を向けてきた。

「本当はどうなの? 私と一緒なのが、嫌だった?」

「……あの時も言ったじゃねーか。別にそういうわけじゃない。ただ――」


 俺は先を続けるのを躊躇った。視線を再び正面に戻す。傘を持っていなければ、そのまま腕を組みたい気分だった。


「ただ?」

 彼女は首を傾げて続きを促してくる。

「気まずかっただけだよ」

「どうして?」


 彼女に訊かれても、すぐに答えは出なかった。自分のことなのに、そう思った理由が全くわからなかった。ただ嫌だったわけではないことだけは、確かなのだ。

 だから結局「さあな」と吐き捨てるようにこぼした。納得がいかなかったのか、彼女は何度かまばたきを繰り返した。だが、最後にはふうんと鼻を鳴らすに終わった。


「やけに気にするんだな」

「逆の立場になってみて。ペアが決まった途端、大きなため息をつかれたのよ? ……それってとっても不愉快じゃない?」

 その目が少しだけ細まった。

「怒ってますか、五十鈴さん?」

「別に」

 素っ気なく言って、彼女の顔が前を向く。


 それ以上、奴が話しかけてくることはなかった。……どうやら文句を言うためだけに、俺を誘ったらしい。心の中でそっと安堵する。何に動揺していたか、それもまた不明だったが。


 やがてバスがやってきた。まず五十鈴が乗り込んで、ICカードで音を鳴らす。俺も素早く後に続いた。車内は、今朝とは違いガラガラ――というか、無人だった。

 にもかかわらず、彼女はなぜかすぐそばの二人掛けの椅子に座った。無視して、俺は一人用の座席に向かおうとするが――


「こっち、座らないの?」

 ポンポンと、自分の隣のシートを叩く五十鈴美桜。

「だって、いっぱい空いてるぞ」

「……嫌なの?」

 彼女は真顔のまま、首を傾げた。


 俺は少し逡巡した。これが男連中相手なら、遠慮なくその隣に腰かける。あるいは、急を要するような必要性があればやぶさかではない。

 だが、今は違う。わざわざこいつの隣に座って、窮屈な思いをすることはない。そもそも相手の狙いがわからな過ぎて、あまりにも不気味。


 そのまま突っ立っていると、身体が少し揺れた。バスが動き出していた。となると、どこかに腰を落ち着けたいわけで。


 結局、俺は彼女とは反対側の二人用の座席に座った。だが――


「……なぜこうなる?」

「迷惑だったかしら?」


 すかさず向こうの方が、わざわざ俺の隣にやって来た。少しも怯んだ様子を見せず、ぐっと腰を下ろしてくる。互いの肩が結構がっつりと触れ合う。

 こうなると、俺にはどうしようもない。居心地が悪く、身体をがっつり窓側に寄せた。それでも、すぐ横に五十鈴がいる、という違和感はなくならない。薄まりもしない。むしろ、ずっと意識してしまうような気さえする。


「で、どういうおつもりで? ……はっ! まさか俺のファンだとか?」

「エロ本、盗撮、覗き……私の中のあなたの好感度はとっくに地に落ちているけれど」


 とても冗談めかして言ったら、思いの外強い言葉が返ってきた。その口元には、小馬鹿にするような冷ややかな笑みが浮かんでいる。

 俺はわざとらしく傷ついたような表情を作った。そして両手を小さく広げて、軽く肩をすくめた。


「そんなくだらないことはおいておいて。――訊きたいことがあるの」

 彼女の顔が真顔に戻った。

「訊きたいこと、ねぇ。スリーサイズとか? 悪いが――」

 軽口を叩こうとしたら、きつく睨まれた。


「怖い顔するなよ。でも、さっきのモグモグタイムでもよかったじゃねえか」

 この女は長い時間をかけて、菓子パンを二つ腹に詰めていたのである。

「他に人がいたら話しづらいかなって」

「……内容はよくわからないが、配慮してくれてありがとう」

 慇懃無礼に頭を下げると、またしても彼女の顔が険しくなった。


 やや間があって、彼女が背筋をピンと伸ばした。そして一つ大きく息を吸った。その横顔はとても真剣なものに見えた。何か決心をしたらしい。


「弓道部に未練があるの?」

「――はい?」

「最近、深町さんとよく話しているし。今日だって応援がどうとか」


 本日二度目の予想外発言。俺はぐっと眉間に皺を寄せて、まばたきを何度か繰り返す。口をしっかりと一文字に結んで、荒っぽく呼吸した。

 彼女の言うことは全くの事実無根……ちょっと違うか。とにかく、どうしてこんなことを言い始めたのか、全く理解ができなかった。飛躍し過ぎだ。

 しかし、自分の中では答えが出ていることではあった。困惑しながらも、俺は否定の言葉を口にする。


「ないよ、ないない。百パー、ない」

「本当?」

 なおも心配そうに彼女は俺の顔を覗き込んできた。

「嘘言ってどうすんだよ。――第一仮にそうだったとして、何か困ることがあるのか?」

 なにはどうあれ、こいつには関係のない話のはずだ。


「部活からいなくなったら困る」

「え?」

「頭数が足りなくなっちゃう。だから、せめて兼部を――」

「大丈夫だって。そんなことない。弓道部に戻るつもりは一切ないから」


 一瞬五十鈴が思い詰めたような表情で意味深なことを言うから、ドキッとしてしまった。彼女の心配もわからないでもないが、それは全くの杞憂だ。安心させるように、俺は少し大げさに笑いかけた。


 すると、五十鈴がぐっと俺の顔を見つめてきた。かなり恥ずかしかったが、俺もまた彼女の瞳を見返した。俺の真意を深く探るような、鋭い光がそこにはあった。


 時間が止まったような感覚――どれくらい経っただろうか。不意にバスが止まった。アナウンスはなかったから、赤信号に引っかかったらしい。


「だったらいいけど」


 それが合図だったように、五十鈴はぷいっと顔を逸らした。そしてすっと立ち上がると、そのまま最初にいた座席に戻っていく。すっかりいつものクールな姿に戻っていた。


 なんだったんだ、あいつは。居ずまいを正しながら考える。知り合ってからおよそ二カ月。しかし一向に、俺はあのクラスメイトのことがわからない。

 そっとその様子を窺うと、彼女はスマホを一生懸命に弄り始めていた。きっと件の執筆活動に勤しんでいるんだろう。指の動きでなんとなく想像がついた。

 彼女がどんな物語を書いているか。あるいは、書いてきたか。それもまた、数あるうちの謎の一つだ。果たしてそれを知る機会は訪れるのだろうか。


 気が付くと、バスは再び動き出していた。

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