幕間話その10 熱い夏の夜

「た、大変です! 五十鈴さんがいません!」


 人の波に呑まれてノロノロ進んでいたら、いきなり後ろから腕を引っ張られた。思わぬことに、身体がびくっとしてしまう。


 振り返ると、声の主はひどい困惑顔。目を伏せて、どこか申し訳なさそうにも見える。

 確かに、その横にはいるはずの人間はいなかった。


「…………えぇ」


 心底げんなりする。

 あの女、これで何度目だと……。

 いなくなるときは言ってから。なんて、子どもにだけ適用する呪文だと思ってたのに。


 一応、辺りを見回すがその姿は見当たらない。これだけの人だかりだ。そもそもよくわからないというのが本音。


「放っておこう。あいつももういい大人だ」

「え、ええっ!?」


 周囲から視線が軽く集まるくらいの驚きぶり。道のわきに寄ったとはいえ、すぐ近くの人通りは激しいままなのである。


 そんなに意外なことを言っただろうか、俺。まあ、元々このクラスメイトはこんな感じがデフォな気もする。


「と、ということは、根津君と二人きり……けど五十鈴さんのことも気になるし。でも、こんなチャンスは……」

「……やっぱり探しに戻るか」


 頭を悩ませ始めた深町が気の毒になって、さっきの提案を取り下げる。正直に言うと、かなり面倒くさい。


 まあ、深町の方もすごい勢いで頷いているし、これでよかったのか。きっとクラスメイトのことが心配なのだろう、たぶん。


 絶対にはぐれないように気を付けながら来た道を戻る。これで、俺と深町まで離れ離れになったら、もはやただの笑い話だ。

 しかし、この圧の中で動き回るのは、ホントしんどい。あの妖怪無口女め、余計な手間を掛けさせやがって。


 幸い、完全に疲弊しきる前に探し人は見つかった。


「お前……こんなとこにいたのか。ったく、どれだけ探したと思って」


 近づきながら声をかけると、印象深いシルエットがこちらを向いた。

 さすがのこいつも、少しは不安だったらしい。俺たちだとわかると、どこか雰囲気が安堵したものへと変わった。ほんのわずかにだが、表情が緩んでいる。めいびー。


「まあまあ、根津君。すぐに見つかってよかったじゃないですか。大丈夫、五十鈴さん?」

「ええ、平気。ごめんなさい、二人とも。心配かけて」


 丁寧に腰が折れると、よく目立つあの黒髪が大きく揺れた。相変わらず、こういう所作は綺麗だ。


 こう素直に謝られれば、先ほどまでの憤りも鎮まるというもの。珍しいものが見れた、ということでここは無理やりに納得を付ける。


 それでもまあ、文句のひとつやふたつは言いたいわけで。


「で、なんでぼさっと突っ立ってたんだ。すぐに追いかけてくりゃよかったろ」

「迷子になったときはね、その場を動いてはいけないのよ」

「……その自覚はあったんすね。ってか、お前はいったいいくつだ」

「十六だけれど」

 さも当然、と首を傾げる迷子女。

「あ、五十鈴さん誕生日はまだなんだ~」

「とりあえず、その感想は確実に間違っていると思うぞ」


 なんか、意外とほんわかしたとこあるんだな、深町って。

 続けざまに、クラスメイトの意外な一面が知れるとは。まあだからなんだ、という話ではある。


 ひと段落したところで、俺はすぐそばにある屋台をちらりと見上げた。

 射的——店の奥には、ひな壇……でいいのか、こういうの。ともかく、棚があっていろいろな景品が並んでいる。


「もしかしてさ、お前これやりたいのか」

「うん」


 こくりと頷く十六歳の女の子。こいつのファンクラブ会員は、こういうのを奥ゆかしくて素敵、などと表現するのかもしれない。

 個人的には、もう少し何かあってもいいと思う。時々本当に意思疎通できているか、不安になる。


「射的かぁ。あんまり自信ないかもです」

「そうなの? 深町さん、弓道部なのに意外ね」

「お前、何か盛大に勘違いをしてないか?」

「そうかしら?それこそまさに、日々でしょう?」


 なるほど、まあ一理はある。その意味では、弓道もまた射的だ。五十鈴ちゃんはなかなか賢いことを言う。


 ただ、道具が大違いなわけだが。むしろそこが一番の問題で、競技の本質ではないだろうか。

 だからこそ——


「お前の意見は的を射ていないけどな!」


 …………見事に場が静まり返った。一瞬、祭りの会場から全ての音が消えた。少なくとも、俺にはそう感じられた。

 文芸部員の凍てつくほどの無表情も、弓道部員の何とも言えない表情も、どちらも違ったベクトルで恐ろしい。

 

「あ、あはは。それはまあ、いつも狙っているのよりは近いですけどね」

「ということで、ぜひ二人に手本を見せて欲しいのだけれど」


 どうやら、俺の発言は抹消されたようだ。

 それはきっとこいつらのやさしさ……ということにしておこう。これ以上、思い出すことすら辛い。


「なんだよ、それ。俺は別にやりたくねーよ」

「もしかして、五十鈴さん初めて?」

「いえ、なんどかあるわ。あっちにいたとき、弟妹たちにせがまれて」

「じゃあ問題ないだろ。ほら、さっさとやんな」


 トン、と軽く五十鈴の背中を手で押してやる。

 そもそも、俺たちを待っている間にやっていて欲しかった。


 だが、奴は店のおっさんに話しかけようとしない。この期に及んで未だに悩んでいるらしい。

 こんないじらしいキャラだったか、こいつは。


「……嬢ちゃん、どうした。やらんのかい?」

 やがて、おっさんの方も不審にに思ったようだ。

「いえ、あの」

「やります、やります。いくらっすか」


 埒が明かないので、割り込むことに。

 おっさんの提示した料金を速やかに払って、おもちゃの銃を受け取る。


「ちょっと、根津君!」


 強引過ぎたらしい。声を荒らげられてしまった。これこそ本当に珍しい……って、もういいわ、このシリーズ。


「なんだよ、やりたかったんだろ?」

「そうだけど。でも私、あんまり自信が……」

「大丈夫だって。まず狙いやすいもの狙いな。ほら、あれとか」


 手ごろな的を指さした。あのキャラメルなんか、一回目とすれば妥当だと思う。

 

 それでようやく決心がついたようだ。

 五十鈴はどこか不安げな様子で、的前に立った。台に肘をついて、静かにおもちゃの銃を構える。


「何かこっちまでドキドキしますね……」

「んな大げさな」


 深町と一緒に、奴の撃ち始めを待つ。

 なかなかサマになっているが——


 カチッ、すかっ。

 放たれた弾は、見事に虚空を通過した。


「……ぷっ」

「今笑ったでしょ」


 すごい速さで、五十鈴が振り返った。目を細めて、明らかにこちらを睨んでいる。


「別に」

「い、意外と難しいから仕方ないですって。たぶん、あたしだって同じことしちゃうと思うし」

「……励ましは不要よ、深町さん」


 唇を噛んで、かなり悔しそうなノーコン少女。地面見つめて、いじいじと指を動かし続けている。

 これだけ見れば、こいつが普段クールキャラで名を売っているとは誰も思わないだろう。


 なるほど、確かに躊躇するわけだ。

 絶望的なまでにセンスがない。まるで、見えない不思議な力が働いたかのようなハズレ具合。


「……今度は根津君がやってみて」

「えー、まあいいけどな」


 弾が無駄になるのはわかったので、代わってやることに。


「こういうの得意なんですか?」

「それはわからんが、小生意気な妹によく頼まれたからな」


 正確に言えば、あの頃はまだ素直で純粋だった。

 今じゃ見る影もないが。お兄ちゃんは悲しい。ついでに、お姉ちゃんも——いや、奴の方こそ強く思っているはず。


 射的代のところに立って、五十鈴と同じように構えて一つ大きく息を吸い込む。こんなもの、弓道を経験した今では大したことはない……というのは言い過ぎか。


 とりあえず、狙いは一番の大物——


 カチッ、ぽすんっ。


「へへっ、あんちゃん。倒れなきゃ無効だぜ」

「……そんなことわかってるわいっ!」


 熊のぬいぐるみの脳天にぶち当たったが、奴はうんともすんとも言わなかった。


 こうなると、封印したはずの勝負師の魂が疼いてしまう。


「おっさん、もう一回だ!」




      ※




「お前、本当にアホだな」


 その声は心底呆れかえっていた。


「あの、一応自分あなたの兄なんですけど」

「そうだね、ホント信じられないよ。こんなのがあたしの兄なんて」


 花火大会の帰り道。

 深町から事の経緯を聞いた我が妹は、盛大に怒り狂っていた。


「まあまあ瑠璃、そんな怒ることないっしょ」

「あるの! のぞは黙ってて! また無駄遣いして。おねえちゃん、ぶち切れるよ。春休みもそれで、揉めてたよね」


 基本おおらかな菫姉だが、こと金と勉学のこととなると話は別だ。一家を預かる長女としての自覚は大いにあるらしい。

 ちなみに、こうして怒っている姿は、これまた姉そっくりである。


「……お前が黙ってれば問題ねえよ」

「じゃあ口止め料」

「鬼か、お前は。もう無一文だわ」


 あの射的は強敵だった。というか、倒れないようになってたんじゃねえか、あれ。おっさんめ、次あったら覚えていろよ。


「というか、翠先輩も翠先輩だよ」


 なぜか妹の怒りは、部活の先輩へと向かった。

 なんだか申し訳ないな。二重の意味で。


「ええっ、どうしてあたし」

「せっかく一緒に回れたのに、そんなんでよかったんですか!」

「ちょ、ちょっとストップ! 静かに、静かに」


 控えめなクラスメイトが大きな声を出す。

 そして、そのまま二人して歩くスピードを緩めてしまった。


 とりあえず、瑠璃うるさいのがいなくなったのは喜ばしい。


「やっぱり少しお金出しましょうか」


 ずっと隣にいたから、五十鈴にはしっかり聞かれてしまったようだ。

 心配そうにこちらを覗き込んでくる。その右手には、今日何度も見た可愛らしい財布。


「いいって、やめてくれ。ホント、惨めになるだけだから」

「でも……」


 そもそも、こいつのために射的をやったわけじゃない。

 あれは男と男の真剣勝負……いや、俺が意地を張ってしまっただけか。ホント、ムキになりすぎた。

 今は少し後悔しております……。


「あれはあれで楽しかったから! ねえ、五十鈴さん」


 タイミングよく、深町が追い付いてきた。

 よほど早歩きだったらしい。その顔は少し赤らんでいる。


「え? 何の話?」

「根津君と一緒にお祭り回った話です」

「ああ、うん。それは確かに楽しかったわね」

「ほら」


 得意げな顔で、深町が後ろの方に顔を向けた。

 目で追うと、その先にはふくれっ面の妹の姿が。何かが不満げなご様子だ。


「ホント? だって結局こいつ、何もゲットできなかったんですよね。マジださい」

「こいつはやめような、瑠璃ちゃん。できればださいも」

「ううん、そんなことないよ。ほらこれ」


 深町がどこからかゴソゴソと何かを取り出す。五十鈴もまた、それに続いた。

 二人が手に取ったのは、小さなクマのぬいぐるみのキーホルダーだった。

 あまりにも不憫に思ったらしい。最後の挑戦のあと、おっさんがそれをくれた。……が、そんなことであの大物の件は水には流さん!


「なーんだ、お兄ちゃんもやることやってんじゃん」

「何言ってんだ、お前……」


 怒ったり喜んだり、我が妹ながら意味不明だな。

 こんなのの相手をさせられている深町が少し可哀そうだ——と、そのはにかんだ横顔を見て思うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る