第20話 前途多難な放課後活動
何十枚かのビラの山を抱えて、俺と五十鈴は部室を出た。静香先輩が手掛けたというそのデザインは、わかりやすいキャッチコピーに、心がほんわかするイラスト、となかなかの力作だ。
しかし、こんな奥まった場所に部室があってはきっと誰も来ないだろうに。『あたしたちは来客を待っているから!』なんて、美紅先輩の素敵な笑顔が脳裏をよぎった。あの人、飴玉舐めてたな。
ビラ配り自体は昨日までも、朝と放課後(委員会で一日潰れたが)やっていたらしい。……まあ、その成果はあまり芳しくないようだったが。俺に目を付けたのも、魔が差した、みたいな感じらしい。
とりあえず、俺は奴を連れて校内を巡ってみることに。もう最後のチャイムが鳴ってから一時間近く経つ。果たして、一年生なんているものだろうか。不安はあったが、思い立ったが吉日。兵は神速を貴ぶ。昔の人は、よくもまあこんなに厨二ワ――かっこいい、言葉を生み出してくれたものだ。
「……ねえ、どうして手伝ってくれるの?」
南階段を上がりながら、五十鈴はおずおずと話しかけてきた。
「これで、例の件、一つはチャラにしてくれよ?」
「レイノケン?」
その声の調子は、どこか困惑しているようだった。彼女は後ろを歩いている。だから本当のところはわからない。とぼけている可能性はある。
今までの数少ない会話から、
一つの可能性としては、あえて言わせようとしているのだ。お前の罪を数えろ的なアレ。そこに今までに食ったパンの数のアレで返すとどうなるのだろうか? そして、楚の商人は最強の矛と最強の盾を本当に持っていたのだろうか? 俺には何もわからない――
「ねえ、例の件ってなにかしら?」
さっきよりは言葉が形を成していた、と思う。
「君が俺について知っている、三つの秘密のことさ」
「……根津君って、たまにかっこつけるよね。かっこ悪いのに」
悪口を言われた。先生に言いつけてやろっ。
「そういうことなら――じゃあ、エッチな本の件はちゃらにしてあげる」
「お前、いつもよくそんな恥ずかしげもなく言えるよな……」
「だって、ただの単語でしょ」
さすロボ。割り切りが凄い。
「まあでも、実際にそれを購入しようとするのはどうかと思う」
そして、容赦もなかった!
再び会話は消えて、静かな校舎を進んでいく。窓から差し込む光は少しだけオレンジ。それが退廃的な雰囲気を作り上げ、俺はどこか感傷的な気分になる。こんな時間に校舎を練り歩いているという不思議な事実のせいかもしれない。
そのまま、黙々と階段を一段一段上がっていく。そういえば、小学校の頃は、何段飛ばしで上れるか競ってたっけ。そのうちに、一気に飛び降りる遊びをして、捻挫していたアホがいた。
きっと、そんな経験は後ろにいる少女はしていないのだろうな。絶対、休み時間は教室に籠って本を読んでたタイプだ。俺のクラスメイトにもいったけな。
しかし、そんなのは俺の勝手なイメージだ。本当は、とても活発だったのかもしれない。つまり、何を言いたいのかというと、俺は五十鈴美桜という同級生について何も知らないということだ。
「なあ、なんで文芸部に入ったんだ?」
だからか、気が付けばその疑問は俺の支配下から離れていた。
「私、本が好きなの」
「……いや、知ってるけど」
四六時中本読んでるし、図書委員だし。たぶん同級生の誰に――いや、少なくとも卓と晴樹は同じこと言うと思う。
「校門のところでビラを貰ってね。やってみようかなって思った」
「何事もなかったかのように続けたな……――じゃあ元々、入る気じゃなかったんだな?」
「うん」
その後に続く言葉はなかった。こいつ一問一答が得意だと思う。基本的に短く会話するのが特技なのだろう。いつも、やれ
いつもならここで心を折るところだが、今の俺はちょっと違う。もう少しこの謎の生き物の生態を分析するつもりだった。さながら、新種の存在を目の当たりにした学者の如く!
「でも今までずっと続けてたってことは、居心地はよかったんだな」
「そうかも。とにかく、廃部にはしたくない」
「それでも、俺に部活に入れ、とは命令しないんだな」
「……どういう意味?」
「図書委員にはなれ、とは言ってきたくせに」
「あれは、ちゃんと『ほかにやりたいものがなければ』って言った。で、答えは無かったから」
なるほど。五十鈴さんの中では、あれは命令ではなかったらしい。しかし、私にしてみればですね、拒否権はなかったわけですよ。
それでも。こいつの言を信ずれば、
「それに部活は話がちょっと変わるでしょ。強制されるものじゃない」
「それって暗に委員会は強制だって認めて――」
「ません。キミの意志は確認しました」
彼女はすげなく言い放った。
「……まあ最終手段としてそうなるかもしれないけど」
ボソリと付け加えられた一言に、俺は決意を強固にするのだった。
*
四階の中央掲示板には、大量のビラが貼られていた。色々な部活のものがあるが、共通していえるのはそれが勧誘の謳い文句に満ちていること。まあ「アットホームの職場です」とか「笑顔が絶えない職場です」など、ステキなフレーズが踊っている。
それと同じようなものを今俺たちは見ていた。一階の掲示板。五十鈴曰く、この二カ所こそ新歓用に与えられた場所らしい。その辺りは生徒会執行部が取り仕切っている。
「しかしなかなかうまくいかへんなぁ」
手に持つビラの山はほとんど減っていない。ちらほら、一年生とエンカウントはするもののその頻度は疎ら。あたかもレアモンスターを探している気分だ。
しかも、渡したとしてもその反応もよろしくない。受け取ってくれたら儲けもの。基本的にはやんわりと断られるか、無視する強者までいる。全く嫌になっちゃうぜ、もうっ!
「そろそろ戻る?」
その声はどこか疲れているようだった。
「それがいいかもな」
頷くと、彼女はくるりと俺に背を向けて歩き出した。
五十鈴の甘言に乗りながらも、一方でこれからのことに思いを馳せる。そもそも始めた時間が遅かったというのはあるが、こんな調子じゃ明日――っと、来週の月曜日からどうなることやら。
ややくたびれた思いを感じつつ、俺も遅れて踵を返すと――
「おっ! コースケじゃん、何してんだ、こんなところで」
その時、後ろから少し明るげな男の声がした。振り返ると、少し離れたところに背の高いほっそりした体型の男子が立っていた。弓道着を纏い、その顔にはきやすげな笑みが宿っている。
声をかけてきたのは、
こういう可能性が頭に少しも無かった、なんて言わない。新歓時期はどの部活も必死だとなれば、これは遅かれ早かれ起きたことなのだ。
それでも、俺は少なからず動揺していた。弓道部の奴に出くわすのはやはり気まずい。それがこのように、後腐れなく部活を去ったつもりでも
後腐れなく――それは紛れのない事実だった。現にこの男は近くに歩み寄ってくる。言い澱む俺など意に介さず、彼特有の親しみのもてる笑顔をぶら下げて。そして、こちらの手元を見下ろしてきた。
「それ、ビラか? お前、どっかの部活に入ったん、だ――」
一瞬、カイトの声が止んで、その目が大きく開く。それは俺の背後の方を見ていた。あいつもワンテンポ遅れてこちらにやってきたのだ。
「って、五十鈴!? なんでお前と一緒にいるんだよ!」
驚いた表情のまま、彼は俺に視線を戻した。
「いや、これはだな――」
「やっぱりあの噂は本当だったんだな」
「うわさ?」
「ああ。おまえと五十鈴の間になんかあるって」
「そんな根も葉もない噂、誰がそんなことを!?」
「
その名前に心当たりがなくて、俺は小首を傾げた。
「コースケと同じクラスの弓道部の女子! 全くお前は相変わらずなのな」
呆れて首を振っている知り合いを前に、俺は未だにピンとこないでいた。……昔から、女子の名前は特に覚えづらい。それはこの男も知っている。
「フカマチ、フカマチ……五十鈴は知ってるか?」
「ええと、うーんと……」
なんと俺たちは、人の名前を覚えにくいという共通点を持っていたのだった!
「いやいや、コースケだけでなく五十鈴まで……」
「でぇじょーぶだ! 俺は思い出した、と思う……たぶん」
今度しっかり確認しておこう、とこっそりと決心する。
「ほんとかよ。――で、いったいどういう事態なんだ、これは?」
「文芸部のビラ配り」
答えたのは五十鈴だった。
「ブンゲイブ? お前が……?」
すると、怪訝そうな顔でカイトは俺の顔を見つめてくる。まるで、その目はお前からはもっともふさわしくないと、物語っているみたい。失礼な奴ですわね、マジで!
「手伝いだよ、手伝い!」
「……そっちの方がもっと不思議なんだが。――あっ! なるほど、二人は付き合って――」
「ない」
わ、というはみ出た部分があったが、俺と五十鈴の声はぴたりと揃った。
「いいかっ! 今後そんなろくでもないことは言わないように!」
「わぁーったってば! ……ったく、そんな怖い顔すんなよ」
まだ軽口を叩くので、俺は一睨みしておいた。
「だいたい、お前が女子と付き合うなんてあり得ないもんなぁ。しかも、五十鈴となんて。あの時だって、黙々と――」
「お前、今必修の時間じゃないのか? こんなところで油売って、部長に怒られても知らないぜ?」
しつこかったので、俺は別の脅し文句をぶつけてみる。五時までは必修といって全員参加の時間。みな、粛々と矢を放っている。不真面目なことは許されない。そして、部長は怖い人だった!
「ん。それもそうだな。――じゃあな、コースケ。たまには道場に顔出したっていいんだからな。五十鈴も今度またゆっくり話そうぜー」
そう言うと、カイトは裏玄関の方に駆けて行った。
なんだったんだ、あいつは……。そして、奴もまた
しかし、まさかそんな変な噂が立っているとは……。さてさて、どこまで出回っているのやら。そして、この余ったビラはどうするのか。一気に問題が増えた。
全てはまた来週考えるしかないか。はあ、と深いため息をついてくたびれた気分で俺は、先輩方が待ち受ける文芸部室に戻るのだった。
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