第19話 一転攻勢
「マーチにする? 山にする? それとも、最後までチョコたっぷり?」
「へ?」
「お菓子の話だよ。好きなの食べていいからね。――はい、どうぞ」
突然の問いかけにやや面食らっていると、木ノ内先輩がお茶を出してくれた。目の前に置かれた湯飲みからは、白い湯気がぽかぽかと浮かんでいる。……魚編に危ないっていったいなんて読むんだろう。
しかし、お湯なんてどこにあるんだろうか。ぐるりと狭い室内を見渡した。すると、窓辺に置かれた小棚の上に白いケトルが置いてあるのが見えた。なかなかいい装備が揃ってるじゃないか、この部屋……。どこぞの弓道場とは大違いだ。
座る位置の関係で、五十鈴の姿が見えた。彼女はくすりともせずに、袋の中を漁っている。やがて、カラフルな丸い粒状チョコレートの小袋を二つほど手元に持ってきた。。そのまま封を開けて、パクパクと無表情に口に運んでいる。
「みおっちはホントそれ好きだねー。――で、どうする、若者よ?」
「じゃあ里で」
「うっわー、こーすけくんそっち派かー。見損なったぜ、べいべー」
と言いながらも、彼女はタケノコ型クッキー菓子のパックをくれた。
「残念だったね、美紅ちゃん。いつでも、こちらの軍門に下ってくれてもいいんだよー?」
ニヤニヤと静香先輩が微笑んでいる。
「……くっ! この成尾美紅、例え一人でもこの
先輩は震える左でを押さえながら、一人張り切っていた。うん、やっぱり波長が合う気がする。ただし、私もまた里を出ることはないでしょう。
その辺り懇々と諭したいところだが、たぶん太陽が沈みそして再び蘇るくらいの時間はかかる。なので、朝からずっと気になっていた別の話題を繰り出すことにした。
「やっぱり、先輩、苗字は成尾って言うんですね」
「そうよー……って、そうか。昨日、自己紹介しなかったっけ。でも、どうしてあたしの名前を? ……はっ! まさか、あたしのファン?」
「美紅ちゃん、うるさい。――あれでしょ、お姉さんに聞いた」
「はい。昨日はうちのダメ姉がご面倒をかけました」
一つ頷いて、俺はぺこりと深く頭を下げた。
「いや、あの、お世話になったのはわたしたちの方で……お姉さん凄いね、教え方とても分かりやすかった。ねっ、美紅ちゃん」
「まー確かに。おまけにとびきり可愛いし。――それにしても、みおっち、黙々と食べてるね……。それはそれで愛くるしいんだけど、そろそろ会話に交ったら?」
「……んっ。――へー、根津君、お姉さんもいるのね」
可愛らしく喉を鳴らすと、彼女はこちらに顔を向けた。
「心底興味なさそうだな、お前。もう二袋目にてぇつけてるし」
すでにその視線は手元に戻っていた。
「ごめんね。基本的に美桜ちゃん、不愛想だから。――もってことは、他にご兄弟がいるの?」
「ええ、妹が。うちの高校の一年せ――」
「よしっ! これで問題解決だ!」
その時、成尾先輩は大きく手を叩くと、勢いよく立ち上がった。ぱさっと、肩口くらいの短い茶髪が揺れる。その目はキラキラと輝いていた。この人、意外と背が高いよなぁ、と突拍子もない感想を抱く。
「あの、美紅ちゃん?」
「しずかっち。我が文芸部存続のため、あと必要な部員は何人だい?」
「二人だね」
「兄と妹、何人いる?」
「なにそのナゾナゾみたいなの……この場合は二人、かな」
「ほら、答えが出た! ――ということで、兄妹そろってようこそ、文芸部へ!」
成尾先輩は夢と希望に満ち溢れた笑顔でこちらに手を差し伸べる。
「……いや、あの、盛り上がってるところ悪いんですけど、妹はともかく俺は入りませんよ?」
「えっ! そ、そんな、昨日私の部屋で約束したじゃない! あれは嘘だったって言うのっ! 酷いわっ!」
「いや、質の悪い昼ドラじゃないんだから……」
「わりいな、お前とのことは
「根津君も悪乗りしないで? ちょっと、美桜ちゃん、手伝ってよぉ~」
「……ふぇるふん、ほひふひへ?」
「何言ってんのか、全くわかんねーから。ニュアンスはわかるが、とりあえず飲み込め」
見事、部室の中にカオスな雰囲気が出来上がっていた!
*
とりあえず、静香先輩(本人に名前で呼んでいいって言われた。美紅先輩も同様)の手によって、部室に平穏は取り戻された。やはり、眼鏡をかけているような女子は強いな。改めてそう思う。今日のポニーテール姿もなかなかにグッド。ザ・優等生って感じだ。どこぞのただクールなだけの奴とは違う。
席替えが行われ、テーブルを挟んで三年生対二年生の構図が出来上がっている。机の上も簡単にだが整理された。お菓子袋は戸棚の中にその居場所を変えた。
「――それで、昨日あんなことを」
改めて、俺はこの文芸部が置かれている状況について聞かされた。月末までに部員が五人揃わなければ廃部! とのことらしい。
「そそっ。予算、限られてるからねー。あの新生徒会長、中々の手練れよ」
顔を険しくして美紅先輩は語るが、俺はその人物についてよく知らなかった。
「まあ、校則にも規定があることだから、生徒会長だけが悪いわけじゃないけどじゃない」
「でも月末っていうのは急ですね……」
「来月中旬に生徒総会があるでしょう? そこで最終決定が行われるのよ」
「だったら、その前でも――」
「日々の宿題とは違うのだよ、根津君! ほら、相応の資料を準備する必要、あるしさー」
腕組みをしながら、うんうんと深く美紅先輩は頷いている。
それであんなに必死だったわけか。こんなただ図書委員で一緒だっただけの俺にまで声かけて。見知らぬ、
きっとこの人たちにとって、文芸部は大事な場所なんだろうな。……簡単に手放してしまった俺とはわけが違う。少しだけほろ苦さを感じた。
だから――
「そういうことなら、名義貸しくらいならしますけど……」
「……うーん、ありがたいんだけど、それじゃあダメなのよねー。ちゃんと続けてくれないと、あたしたちが卒業したら、みおっち、一人になっちゃうじゃん」
美紅先輩は少しだけ寂しそうな顔をした。
「……だったら、そもそも俺では不適では?」
「えっ? 仲いいんでしょ、二人。一緒に図書委員やるくらいだし」
脅されてなんすよ、それ、と心の中で反論しておく。
「美桜ちゃん、たまに根津君のこと話すし」
静香先輩の一言に、俺は怪訝そうな顔をしてクラスメイトの方を見た。
「何の話したんだ、お前」
「とても変な男子が隣の人なんですって。半ば、愚痴気味に」
「そんな迷惑かけたか?」
「――それよりも、美紅先輩。私は一人でもやっていけますから」
俺の質問は黙殺し、毅然とした表情で、五十鈴は反論した。
「そうかもだけど。来年に結論先延ばしにするだけだしね。それにもっと大変になっちゃう」
「そそ。部長としては――」
「えっ!」
意外な言葉がこの茶髪の三年生から飛び出て、思わず変な声が出た。
「……ちょっと。ナニカナー、その失礼な反応はー?」
ジト目で部長(仮)は睨んでくる。
「てっきり静香先輩がそうかと……」
「わたしは会計。美桜ちゃんは副部長よ」
「……それでよく今日までもってきましたね」
「まあ大した活動はしてないから、美紅ちゃんでも大丈夫!」
「ちょっとしずかっちまで!?」
「そもそも実質的には静香先輩が部長みたいなものですし」
また一人、攻勢側に加わる。
「うわっ、みおっちも! ――いいもん、いいもん。だったら、部長なんてやめてやる! 勝手にやればいいよ。あたしは、必死にこの部活の行く末を想ってるというのにさ!」
「ごめんってば、美紅ちゃん。いじけないで。誰よりも美紅ちゃんが部長として頑張っているのは、ちゃんとわかってるからね」
静香先輩は、わざとらしくむせび泣く同級生の少女の身体を軽く抱き寄せた。よしよしと甘い声で、その頭を撫でている。
何か白い花が辺りに咲きだしたような錯覚に陥った。一言で言えば、尊いってやつかもしれない。周五郎がここにいれば、たちまちにそれについて懇切丁寧に語ってくれることだろう。
「ともかくだね。部長としては、是非ともこの問題を解決せねばならない!」
やがてメンタルが回復した美紅先輩はばしんと机を強く叩いて立ち上がった。まるで政治家の演説だな。部員たちがパラパラとした拍手を贈ったので、俺もそれに倣った。
「で、最後に聞くけど、正式に仲間になる気はないかい、ボウヤ?」
「……申し訳ないですけど、俺、もう部活をやる気はないんで」
「そっか。ごめんね。無理言って」
「なにかあったの? ――って、こんなこと訊くべきじゃないよね、ごめんなさい」
「いえ、いいんです。単純に、放課後は自由に過ごしだいってだけですよ。帰宅部って、結構楽しいんですから!」
俺はせいいっぱいの明るさを言葉に載せた。おまけに胸も張る。少しだけその場の空気が和んだ気がした。ただ、五十鈴だけは相変わらずくすりともしなかったけど。
「ふぅ。あてが外れちゃったかぁ。まっ、来週からシンカン頑張るしかないね」
「神に祈るんですか?」
「そうそう。汝の罪を神に告白せよ――って、違う! 新入生勧誘活動!」
美紅先輩はノリツッコミもいける口らしい。
「ああー、そっちですか」
「そっちしかないと思うけどね……」
そして、やはり静香先輩は常識人っぽい。
「はぁ、わたしあんまり自信ないなぁ」
「でも頑張るしかないよ!」
「美紅ちゃんはいいよ。人見知りしないし。わたしはちょっと……。美桜ちゃんはどう?」
「私は……どうなんでしょう」
少しためた後に、彼女は首を傾げた。
そのどこかずれた回答に、思わず身体の力が抜けた。こいつが、とっつきやすい笑みを浮かべて一年生に話しかけている図は残念ながら浮かばない。
「でも、こいつはともかく、静香先輩は俺とはちゃんと話せてますよね?」
「うーん、たぶん、根津君が話しやすい雰囲気纏ってるからかな。あと、ちょっと美紅ちゃんに似てるし」
「後半はそれ、褒めてないですよね……」
「どーいう意味だね、こーすけくん!」
「まさかあの美紅先輩と似ているだなんて、身に余る光栄でございます、軍曹!」
背筋を伸ばして、びしっと敬礼をかますと、ようやく先輩の怒りは鎮まった。
確かにこのメンバーだと前途多難そうだ。文芸部っていう、いかにも人を選びそうな感じだし。こういうことがなかったら、俺も近寄りもしなかっただろう。
まあしかし、もう用は済んだわけだから、これ以上俺がここにいる必要はない。そのまま立ち上がって、さよならという魔法の言葉を吐けば、解放される。
しかし、その時、俺は天啓を得いた。五十鈴に抗うための切り札。それがなかったから、こんな場所に俺はいるわけで――
「……よかったら、俺、手伝いましょうか?」
それは完全に打算からのはずだったが、実際のところ、すげなく勧誘を断ってしまった負い目もあったかもしれない。とにかく、その言葉は淀みなく俺の口から出ていた――
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