第18話 闇への誘い

「はよー、晴樹」


 右隣の男子生徒と朝のあいさつを交わす。挨拶とはすばらしい。全ての人間関係の始まりだ。あいさつをないがしろにするものあいさつに泣く。それすなわち、いにしえの時代から変わらない真理。


「卓球部は朝練とかないのか?」

「大会前とかはあるよ。でも普段はフリーだね」

「へえ。やっぱり千本ノックとかするのか?」

「ええと、一応内容聞いておこうかな……」

「文字通り、千球のピンポン玉が一挙に襲い掛かってくるんだ!」

「それ、何の練習になるの……?」

「反射神経とか?」

「とかってなにさ」


 卓球少年はとても気の毒そうな顔をした。そのまま口を一文字に結んで、首を左右に振る。ため息をつきながら、そのヘルメットチックな髪に触れた。


 意外と面白いと思ったんだけどなぁ。目の前に迫るは無数の白とオレンジの小球。それをよけたり打ち返したりして、敵を倒そう。時折、混ざる鉄球には気を付けろ! ダメージを食らうぞ、みたいな。


 その後も適当な雑談をする。俺たち高校生にとって、そのテーマは取るに足らないものだ。俺とこの少年はやっているスマホゲームが一緒だから、それについて盛り上がっていた。どうして、ガチャ文化は生まれたのだろう? 俺はまた昨日も爆死した。呪詛を口からえいえ――延々と吐き続けた。


「あ、五十鈴さんだ。今日は早いんだね」

 途中、話し相手が前方の入口の方に顔を向ける。


 横目で見ると、昨日スーパーで見たのと変わらない姿で奴はこちらに向かってきている。今日は体育があるから、ジャージバッグをぶら下げていた。

 その流れで時計に目をやった。まだ分針は文字盤の五には触れていない。いつもあいつはギリギリに来るから、確かに晴樹の言う通りだと言える。こいつもそれを知っているということか。


「やっぱりお前も、イスズマニアなのな」

「なにそれ?」

「沼川卓のように五十鈴美桜に夢中な男を指す。俺の見立てでは、少なくともこのクラスに十五人存在する」

「それ、自分以外の男子って言いたいんだよね。そして、卓君が聞いたらまた怒られるよ?」

「でいじょぶだ、サッカーボールがある!」

「もう意味わかんないし」

 彼は目を白黒させながら苦笑する。


「おはよう、根津君」


 そこにタイミングよく、五十鈴が話しかけてきた。いつの間にか席について、ちゃんとこちらに身体を向けている。その脚はぴったりと閉じられていた。相変わらず、その瞳はどこまでも冷めて見えた。


 俺はどう言葉を返していいものか、悩んでいた。こうして向こうから話しかけてきたことは何度かある。しかし、そのどれもが厄介ごとを押し付けてくるものだった。


「お、おはようございます、五十鈴さん!」

「ええ、おはよう。ええと、あなたはたしか……」


 五十鈴は顎に手を当てて少し首を傾げた。ぐっと眉間に皺が寄る。目線は情報の方を彷徨い続けていた。


 途端微妙な間が出来上がるがすぐに――


「あ、ええと、久米です。よろしくお願いします」

 ぺこりと晴樹は頭を下げた。

「……ごめんなさい、私、人の名前を覚えるのって苦手で。ええと、く、く――」

「こぶちざわ」

 またしても困っているので、俺は助け船を出してやることにした。


「そう、こぶちざわくん! ……あれ?」

 一瞬声を大にしたものの、すぐに不思議そうになった。

「いや違うから、久米だってっ! っていうか、それまだ続いてたんだ!?」

「ああ、お前の真名まな――言うなれば、魂に紐づけられし名前だからな」

「そうなの?」

 少し目を見開いて五十鈴は、小淵沢(真)の方を見た。

「違います! なにそのスピリチュアルな感じ! ――はあ。いいよ。どうせ僕は、影薄いんだぁ」

「そんないじけるなって。だったらいっその事、パープルモヒカンでひゃっはーとかいいとかどうよ」

「やだよ、そんな世紀末!」


 と、無理矢理にオチをつけたところで――


「おはようございます、五十鈴さん。今日もご機嫌麗しいようで」

 五十鈴にしっかりと向かいなおす。下手に出る作戦決行だ。


「キミ、そんな丁寧な性格だったっけ? ――まあいいか。放課後、時間ある?」

「デートのさそ――」

「久米君。この人に関して面白い話が――」

「ええと、何の御用でしょうか、五十鈴さま?」

 こいつの前では軽口一つすら満足に叩けないな……。

「前から思ってたけど、浩介君って、なんでそんなに五十鈴さんに対して及び腰なの?」


 二度もエロ本購入をこいつに阻止されてるからだよ、とは口が裂けても言えなかった。曖昧に笑ってごまかす。でへへ。

 ……晴樹がそういうってことは、卓も何かに勘づいているかもなぁ。そろそろ、この二人には話してもいいかもしれない。それなりに仲良くなったし。


「文芸部、今日活動あるんだけど、美紅先輩がキミを連れて来いって」

「……どうせ拒否権はないんだろ?」

 流石に三つも秘密を抱えていると、観念した。

「そんなこともないけれど」

「いいよ、別に。ただし、今日は食事当番だから長居はしないからな」

「ええ、わかった」


 それだけ言うと、彼女は身体の姿勢を前に向けた。そして机の中から文庫本を取り出す。これ以上俺に用はないらしい。


「ブンゲイブ?」

「知らないのか、晴樹。……いいか、文芸部とはこの高校の闇の部活の一種で、学校中の思想を一つに統一しようと――」

「あの、五十鈴さんが君のこと見てるけど?」


 意外と、意識は集中しきってなかったらしい。失敗したなぁと思いながら、俺は昨日の顛末を晴樹に話してやった。途中で加わってきた卓と二人、話を聞き終わるとものすごく羨ましがってきた。





        *





 昨日と同じで、掃除から戻ってきた俺を五十鈴美桜は律儀に待ち構えていた。こうなると、約束を違うわけにはいかず、大人しく五十鈴に従って文芸部室なる場所に行くことに。


 放課後になって、しばらく経つからか人通りは少ない。中央階段を下りて、二階の廊下を進む。三年生の教室にはちょっとずつ居残り勉強をしている者が見えた。まだ四月だというのに、しっかりと意識は受験に向いているのかもしれない。だから、三階とは違ってとても静かだった。……無論、この階に存在する職員室の影響も少なくないだろうが。


「なぁ。俺を連れてくるように頼まれたのはいつなんだ?」

 隣を歩く黒髪長髪少女に話しかける。

「今朝。部室に買い置きしたお菓子を置きに行った時に」

 きっとそれでいつもより朝早かったのだろう。一つ謎が解けて嬉しくなる。


「それで、昨日のあの買い物か。てっきり、全部自分で食べるのかと思ってた

「ううん。私、家では食べないから、そういうの」

 彼女は小さくかぶりを振った。


 ほー、今時よくもまあこんな古風な学生がいたもんだ。……実は一人だけ、同じような奴を知っているけど。田口修――父親が剣道の師範をやっていて、そのせいか結構厳格ならしい。あいつ自身も、一応うちの高校の剣道部に入ってる。塾との両立は大変みたい。


 それ以上会話の続け方がわからなくなって、俺は黙り込んだ。それなりに話すようにはなったが、相変わらず緊張感は抜けない。どこかで、こいつのことを警戒しているんだ。彼女はあまりにも多く俺の弱点を知りすぎているから。


 やがて、図書室前まで来た。傍らに立つ黒板には、昨日とは違う営業中という文字。さらにそこには――


「……これは、キツネか?」

「いいえ、きっとカンガルー」


 とにかく味のある動物のイラストがいくつか書いてあった。中には不純物が混じっている気がするが、見なかったことにしよう。

 看板をスルーして、俺たちは右に折れた。細い通路があって、突き当りの少し手前、その右側に扉が付いている。上部には〈文芸部室〉なる札がかかっていた。


「ここよ」

「見ればわかる」


 いつもの意趣返しのつもりだったが、あいつがどう受け止めたのかは不明だった。その横顔はピクリともしない。そのまますっとノブを回してドアを押した。


「お疲れ様です」

「おつかれちゃーん、みおっち!」

 入室するなり、元気いっぱいな甲高い声が浴びせられた。


 そこは小さな四角い部屋だった。壁にはびっしりと本棚が置かれている。中央では丸いテーブルを、クリーム色の低いソファがこの字型に囲んでいた。

 入口から、そこに座る二人の姿はばっちりと確認できた。昨日の茶髪先輩と眼鏡先輩。お互い別々の辺にいる。姉貴の言を信じれば、成尾美紅と木ノ内静香というお名前なのだろう。

 木ノ内先輩(仮)は背筋をピンと伸ばしていた。対照的に、成尾先輩(仮)は少しだらしない――はっきり言ってだらしない格好で座面に乗っている。


「おっと、ちゃんと来たね~、こーすけくん!」

 俺の姿を認めると、その活発そうな先輩は目を丸くした。

「ごめんね、なんかこの子が無理言って……でもありがとう、根津君」

「はあ、どうもです」

 俺は曖昧にお辞儀をした。


「ほらほら~、いつまでもそんなとこいないで。こっちおいでよ、お菓子もたくさんあるよ~!」


 成尾先輩は机上の白いビニール袋をガサガサと触る。それはよく行くスーパーのレジ袋。そして、中からいくつかのチョコレート菓子を取り出した。


 五十鈴に倣って、俺も奥へと進んでいく。そして、なんとなく彼女の隣に腰を下ろした。ちょっとだけ、彼女は横にずれた。

 

 部屋に充満するいい香りがどうにも俺の心を落ち着かなくさせる。


「さて、ようこそ、文芸部へ! 心の底から歓迎するよ!」


 成尾先輩はそれっぽく、姿勢を正した。その顔には晴れやかな笑みが広がっている。


 それを眺めながら、俺はどうこの局面を乗り越えたものかと、必死に頭を働かせるのだった――

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