第21話 闘いの後

「俺はあんな大見得を切りながら、何の成果もあげられませんでした」


 文芸部部長はソファの窓際の辺で、腹ばいになっている。靴を脱いで、ソックスを履いた足をバタバタさせてながら。そしてその顔をばっちりとこちらに向けて、揶揄うようにそんなセリフを吐く。


 俺は入口側の二つのソファ、その間に立ってお二人と対峙していた。五十鈴は右手に座って、またお菓子に魅了されている。


「さ、りぴーとあふたみー」

 子供じみた発音で彼女は、授業でよく耳にする英語を口にする。


「……俺はあんな大見得を――」

「ストップ、ストップ! しずかっち、これ、どーおもう?」

「うーん、ちょっと感情がこもってないかなぁ」


 咎めるような口調で、さらに会計先輩はにやけ面を完全に隠せてはいない。美紅先輩とは、別のところに彼女は座っている。ピタリとストッキングに包まれた脚をやや斜めに揃えて、

 味方だと思っていたのに。この人だけは。この部の唯一の良心だと。かの暴君をうまく抑えられる切り札的存在ではなかったのか。


 しかし、現実は違った。木ノ内静香はあろうことか、今や敵側に回っている。この一生懸命頑張った後輩を労おうともせず、ただ部長と一緒になって弄り倒そうとしている。

 こんなことがあっていいのだろうか! 否、断じて否! 俺は強く反感を込めて、目をきつく細めるものの――


「おやおやぁ。この子はまーだ立場が分かっていないみたいだねえ? 君に他に選択肢はないのだよ!」

 びしっと、美紅先輩は指を突きつけてきた。

「……はあ。わかりましたよ。やります、やればいいんでしょう?」

 すうっと俺は息を吸い込むと、ありったけの演技力を込めてそのセリフを口にする。


「なぁんか、違うんだよな~」

「いや、結構せいいっぱいやったんすけど……」

「そろそろ揶揄うのやめてあげよ、美紅ちゃん。根津君はそれなりに頑張ってくれたよ」

 静香先輩って、意図せずに人を貶めるタイプなのだろうか?


「仕方ないなぁ。我が右腕が言うのなら。――まあ合格点はやろう!」

「ははぁ。ありがたき幸せ!」

 俺は恭しく片膝を立てて、こうべを垂れた。


「しっかし、どこまでもクールだねー、うちの副部長ちゃんは」

 部長さんは、一人我関せずな五十鈴に目をやる。

「終わりましたか、茶番?」


 その一言は、俺たちの浮ついた雰囲気を鎮めるのにぴったりだった。俺たち三人はどこか気まずい表情で目を白黒させる。


「……はぁ。あのなぁ、そもそもなんで俺がこんな目に遭ってんだと思う?」

「キミが自分から『俺の責任です』って申し出たからでしょ?」


 事実はそうだ。しかし、それは語弊がある。彼女にとって都合の言い方だと言えるだろう。この場合においては、結論より過程が大事なわけでありまして――


『おかー、二人とも』

『お疲れ様、根津君、美桜ちゃん。すぐお茶淹れるね』


 初めは両先輩はこう温かく迎えてくれた。大量にビラが余っているのは確認できたはずなのに、そのことについては何も言わなかった。

 だが、雲行きは五十鈴美桜という寡黙な少女によって乱される。


『あの、すみません。あんまりビラ撒けなくて……』

『いいって、いいって。時間的にちょっと難しいかなーって思ってたし』

『ほら、根津君も何か言って』


 えぇ、自分善意の協力者なんですけど……。しかし、こいつのこの涼しい気な目は有無を言わさぬ迫力があった。実際、反論してみたところで二の舞、三の舞、剣の舞……みたいな。どうなるか目に見えてる。「エッチな本」という魔法の言葉を、容赦なく振りかざしてくる。

 さらに、なんとなく先輩方がこちらを見る視線に期待を感じてしまった。すると、どうだろう。私の中の、えんたーてぃなーの血が騒ぐ。ここはいっちょボケて――


『俺の責任です! 煮るなり焼くなり蒸すなり炒めるなり、お好きに調理してください!』

『その心意気やよし! じゃあ――』

 そして、さっきのような事態が起こったのである。なんで?


「ほら、いつまでも突っ立ってないで座って、座って」


 促されるままに、俺は誰もいないところに腰を下ろした。ようやく、安堵感が胸いっぱいに広がる。すると、美紅先輩はしっかりと座り直した。しけしげと、こちらの顔を見てくる。


「……ねぇ、あたしたちどこかであったことないかな?」

 それはとてと作り物めいた可愛らしい声色だった。

「ええと、昨日とか?」

「もうっ! そういうんじゃなくて。――なぁんか、見たことあんのよねぇ、こーすけくんのこと」

「学年は違っても、同じ高校なわけだし、廊下ですれ違ったとかじゃないの?」

「いやもっと別の場所で……」


 静香先輩の声に彼女はすぐにかぶりを振った。そのまま思案顔をして、黙りこむ。それはこの快活な先輩には珍しい姿だった。

 そんな風に言われても、俺に全く心当たりはないわけで。きっと誰かと勘違いをしているとかそんなところだろう。自分で言うのもあれだが、学年を超えてまで目立つ容姿ではない。


「気のせいですよ。俺の方は見覚えありませんし」

「うーん、そうかなぁ」

「そんなことより、新歓どうするか、だよ。ねえ、美桜ちゃん?」

「はい、静香先輩に賛成です」


 五十鈴は静かに首を縦に振った。そして、菓子袋にお別れを告げる。


 こうして、夕暮れの部室にて、ぐだぐだな作戦会議が始まるのだった。





        *





 中華鍋の中で、海老が食材とダンスをしている。強火に煽られながら。ジュージューと音が鳴ると共に、香ばしい匂いが鼻をつく。換気扇の音はあまり気にならなかった。


「で、どうしてお兄ちゃんが文芸部の話なんかするの?」

「たまには愛する妹との会話を楽しみたいと思ってな」

「真面目に答える気はない、っと。まあ知ってたけど。とりあえず、その妄言はお姉ちゃんに報告しておきます」

 妹は相変わらずの塩対応である。


 瑠璃はすでに食卓で夕飯を待ちわびていた。ちらりと目をやると、高い椅子の上に体育座りをしながら、スマホを弄っているのが見えた。パーカーにホットパンツというラフな部屋着姿だ。


 海老に火が通ったのを確認して、予め用意しておいた合わせ調味料を一気に鍋の中に投入する。また一際大きな音がたった。しっかりとソースと絡み合うことを意識しながら、懸命に菜箸でかき混ぜていく。

 

 文芸部会議は、五時前には終わったので、昨日よりは早く帰宅できた。ちなみに結果はといえば、『頑張りましょう!』ということだけ。つまり、あまり有意義なものにはならなかった。

 それから着替えを済ませて、ちょっとのんびりしてからエビチリの調理を始めた。そのうちに瑠璃が帰ってきて、こうしてリビングにて妹との会話に勤しんでいる、というわけ。……姉貴は今日ゼミがあるらしくちょっと遅くなると連絡があった。


 制服から衣替えしてリビングにやってきた彼女に、開口一番俺は文芸部を知っているか訊いてみた。あいつは知らない、と答えた。色々と今日も部活を見て回ったけど、目につかなかったと付け加えてもくれた。

 ……やっぱりあんな僻地じゃダメなんじゃないか。そして、比較的部活動探しに積極的な妹が存在を知らないということは、ビラ等の周知活動にも何かしらの問題がありそう。


「……実はな、文芸部人手不足らしくって、後二人入らないと無くなっちゃうらしいんだ」

 話が進まないので、自分にしては珍しくしっかり説明することに。

「へぇ~。それはなかなか深刻……でもさ、どうしてそんな話をするのよ?」

「もしよかったら、お前が入部しないかなって。あわよくば、友達も一緒に」

 俺は火を止めた。少し待って換気扇も解雇する。


「いや、それはこの場では何とも言えないんだけど。そもそも、なにするか知らないし。――でもさ、それってお兄ちゃんには関係ないことじゃない。なんで?」

「わけあって、文芸部の新歓活動をお手伝いしているのでござる!」

「入部したの?」

「違う」

「じゃあどういう理由?」

「まあ、事の成り行きと言うか……」


 君のお兄さんはね、本屋さんでエロ本を買おうとしたんだ。で、それがバレた。よりにもよって、その店員はクラスメイト――文芸部の五十鈴さん。そんな弱みから、そういうことをしてるんだ。……なんて、絶対に言えない。

 ただでさえ、近頃、おれに対してどこか冷たいのに、それに拍車がかかる。『洗濯物一緒にするな』とか『あんたの作った料理なんか食べられない』なんて、言われたらお兄ちゃん、悲しい。


「ふうん、ま、どうでもいいんだけど。――じゃあ今度暇があったら、友達と見に行くね。部室、どこにあるの?」

 その声はどこか弾んでいるようだった。

「二階の図書室近く。ちょっとわかりづらいかもな」

「わかんなかったら、連絡する」

「……一応、放課後でもスマホの使用は禁止だからな、うちの高校」

「わかってるってば。バレないようにやるから」

 彼女は得意げな顔で持っていたスマホを突きつけると、て軽く振った。


 本当にわかっているのか。ややうんざりしながらも、俺は料理を大皿に盛りつける。そして、それをカウンターに置いた。

 瑠璃が立ち上がって、それを食卓に運ぶのを確認しながら、今度は冷蔵庫からバンバンジーサラダの入った器を三つ取り出す。それもまたエビチリと同じように扱った。


 後は姉貴が帰ってくるのを待つだけだ。スマホを確認すると、あいつからの連絡はない。でも、表示された時刻は伝えられた帰宅時間に限りなく近かった。

 そのままロックを解除して、慣れた手つきでアプリを起動する。そして近くにあった丸椅子を引き寄せて、そこに腰を落ち着けた。食卓に行かないのは、ご飯とスープをよそう時に面倒だからに他ならない。


「――ただいま」

 玄関の方から、姉貴の優しさに満ちた声が聞こえてきた。


 おかえり、と妹と一緒に返しながら、俺は炊飯ジャーの蓋を開けた。炊きあがったばかりのそれは、もくもくとした水蒸気を俺の顔に容赦なくぶつけてくるのだった――

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