第42話 いつもと違う部活動
「ふうん、何も変わってないのね」
ぐるりと室内を見渡すと、とても退屈そうに三井先輩は呟いた。
今日は四時間授業だった。掃除を済ませて、のんびりと来たら一時近くになっていた。そこから、ぼちぼちと他の部員が現れて、最後にやってきたのがこの人だった。
「そりゃまだ二カ月くらいだもの。そんなに簡単には変わらないってば~」
「それもそうか。――ありがとね、静香」
ふっと微かに唇を緩めると、彼女は置かれたばかりの湯飲みに手を付けた。
三井先輩は一人で座っている。入り口側のソファ、そこが彼女の定位置だった。そして残りの三辺に、学年を揃えて現役文芸部員が二人ずつ座っている。テーブルの上には、この間補充したばかりの菓子。
「あ、あの!」
「うん? あなた、初めて見る子ね。図書委員、じゃなかったわよね?」
唇近くに人差し指を当てながら、図書委員長は困惑した表情を浮かべた。
「はい。文本望海、と言います。よろしくお願いします」
「ええ、よろしく。聞いてるかもしれないけれど、三年の三井綾香。この間まで、部員だった者よ。ごめんなさいね、お邪魔してしまって」
「いえ、そんな……お会いできて、光栄です!」
文本はどこか緊張しているようだった。珍しく背筋を伸ばして、しっかりした姿勢で座っている。さらに足はぴたりと揃えてあった。借りてきた猫、というやつだな、これは。
相手は妖怪猫かぶり、ちょうどいいかもしれない。……もちろん、今はおそらく素で猫はどこにもいないが。というか、委員長モードの方がとっつきやすいよな、とは思う。この身体を強張らせた後輩に、ほんのわずかばかり同情した。
「それで三井先輩は何の用事なんですか?」
どうやら話は、こいつにはいってなかったらしい。
「本を読みに来たのよ」
彼女は、片隅のパイプ椅子に積まれた本の山をすっと指さした。
それはこの間、矢島先生が借りてきてくれたものだ。文芸部が推した読み聞かせの候補たち。その話を昨日の書記係から聞いたから、この少し気難しそうな委員長さんはわざわざここに来ることにした。
『でも本当は、今の部の様子が見たかったのかもね』
昨日のファミレスまでの道中、静香先輩は俺にだけ小声で話してくれた。どこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら。
俺にしてみれば、用件だけ伝えてさっさと委員会室を出て行った姿を目の当たりにしているので、にわかには信じられない話だけど。でも付き合いの長さが、きっと見る目を変えるのだろう。
そっと三井先輩の様子を窺ってみる。どかっと背もたれに寄りかかって腕組みをしながら、どこか遠い目をしていた。その眼差しはテーブルに注がれている。
前も思ったが、こうむすっと黙っているとかなりきつい印象を受けた。表現を変えれば、大人びた、落ち着きのある美人、だろうか。よくわかんないけど。委員会の時は笑顔が標準装備だから、どこか親しみやすい雰囲気を感じさせた。
今はと言えば、その見た目同様、内面の勝気さも顕わになっている。それでも、美紅先輩たちと合わせると、なんだかバランスのいいように思えた。
「なに、根津浩介君?」
「いえ、別に……。委員会の時と雰囲気が違うなーって」
フルネームで呼ばれたことに背筋を伸ばしつつ、俺は愛想笑いを浮かべた。
「ああ、そういうこと。――それは失礼しましたね、根津くん?」
三井委員長は嘘っぽく笑った。そして、顔をわざとらしく、ちょっと傾ける。あの優しそうな図書委員長の姿がそこにはあった。
「……文芸部って、変な奴しかいないな」
呆れながら、俺は隣の変人にひそひそ声で話しかけた。
「それはキミが言えたことじゃないと思う」
「そうだな。そのセリフ、お前に返すよ」
堪らず俺はゆっくりとかぶりを振る。話した相手を間違えた。ちょっと不服そうに眉根を寄せた奴を見て、なおさらそう思う。いかにもその顔は、どういう意味と主張しているようだった。
「――と、いうことで。私はただの
独特な言い回しに加えて、彼女は意味ありげに笑った。
「ほいほい、では遠慮なく。――と、その前にご飯タイムにしない?」
ぐ~、と誰かの――いや、美紅先輩のお腹が大きく鳴った。彼女はおなかに手を当てながら、ぺろりと舌を出してみせた。
実にタイミングがいいこって。思わず苦い顔になりながら肩を竦める。壁時計が示す時間は、いつもなら昼休み真っ盛りの時間帯だ。
「アンタはいちいち締まらないわね、本当に……」
「まあ、それが美紅ちゃんだから。仕方ないよ、綾香ちゃん」
「私も強くそう思います」
「ちょっとどーいう意味かな、そこっ!」
昔馴染みの部員に揶揄されて、彼女は少し顔を赤らめた。
「でも部長の言う通りです。アタシもすっごくお腹減りました! ねっ、詩音?」
「うん、そうだね。……実はずっと隣でごろごろと音してて――」
「ちょ、ちょっとそれは言わないでよ~」
ついには同タイプの一年生まで槍玉にあげられて、室内は朗らかな笑い声に包まれた。さっきまでの、どこか微妙な雰囲気は一気に吹き飛んだ気がする。
「……はあ」
そんな中、一人三井先輩は席を立った。
「あれ、あややはご飯食べないの?」
「あやや、言わない。――ここに来る前に済ませてきたもの」
載せられた本を手に抱えながら、彼女はゆっくりパイプ椅子に腰を下ろした。
やがて、俺たちは思い思いの昼飯をテーブルの上に広げていった。邪魔なものは、窓際の物置代わりのデスクに追いやった。部長机、らしいが、使われているところを一度も見たことがない。
「そういえば、こーすけ君は初めてだね~」
「何がです?」
「知らない? わたしたち、普段からよく一緒に部室でお昼食べてるんだよ」
「――ああ、いつも昼休みにこいつがうきうきで出て行くやつですね」
「……そんなことない」
同級生の横顔が少しだけ強張ったのがわかった。
「それ、先輩の手作りなんですよね? 瑠璃から聞きましたよ、毎日用意してるって」
元気が取り柄の後輩が、俺の弁当包みを指さした。
「ああ。悲しいことにな」
言いながら、ぱかっと弁当箱を解体する。
「へ~、大したものだねぇ。意外と、家庭的なんだ」
「おい、三田村。頷いてんの、しっかり見えてるからな?」
「ひっ、ひぅ! ご、ごめんなさい……」
「ちょっと! 詩音を脅かさないでくださいよ~」
そして五十鈴にもしっかり睨まれた。
軽く居心地の悪さを覚えながら、俺はちらりと先輩に目を向ける。いつの間にか、彼女は一人静かに児童書を読み始めていた。まるでこっちの喧騒を、拒絶するように――
*
食後特有の眠気を必死に堪えながら、俺はひたすらに文字を追っていた。決して本を読んでいるわけではない。それが証に、内容は先ほどから全く頭に入ってきていない。いったい何度、視線を無意味に錯綜させたことやら。
このひっそりとした静寂にも原因があると思う。文芸部室がここまで静かだったことは、少なくとも俺の知る限りでは初めてのことだ。……活動内容からして、これが本来あるべき姿だというのは、不毛な感想だ。……と思いたい。
『このテーブルね。高さ、調整できるの』
その低さに困り果てていた一年生ズに、自慢するような調子で、そんな衝撃の事実を美紅先輩は明かした。そして、古参部員となぜか三井先輩にまで声をかけて、テーブルの高さを調整した。膝元くらいだったものが、今では胸元辺りまで迫っている。
なぜそうしたかと言えば――掲げるようにして持っていた本を下げ、重たくなっている瞼を無理矢理上げた。目に入ってきたのは、テーブルに広げられたノートやプリントの類。
相変わらず、部会は早く終わった。今日の連絡事項は二つ。昨日リストアップされた本を次回の部会までにちゃんと読むこと。そして、その次の部活動は再来週の金曜日(テストの煽りを受けて)ということ。
そして訪れるフリータイム。定期テストを間近に控えた学生たち。導き出される結論は一つ。そう、お勉強の時間だ!
ゆえに静か、なのである。あの美紅先輩すら、黙ってひたすらにペンを動かしていた。あの使われていなかった部長デスクに座って。
その正面に他教室から持ってきた椅子を置いて、静香先輩が眼鏡の奥を光らせている。こちらから顔は見えないが、それは想像だが。とにかく監視しているのは確か。余裕があるのか、読書をしながらだった。
そして残る三人が、各ソファに別々に座っている。あの図書委員長は、変わらず今も隅っこで読書に集中していた。
「先輩、暇なんですか?」
そんな風に眺めていたら、右隣からお声がかかった。
「いきなりだな。煽りから入るのはやめような」
「そんなつもりじゃないです。ちょっとわかんないとこ、あるんですけど」
そう言うと、文本はすっとプリントをこちらの方にスライドさせてきた。
ちらりと目をやると、英語のプリントらしい。問題内容からして、英語表現か。……この時期の英文法のどこに難しい要素があったかな、とちょっと顔を
「時制の一致、ってのがよくわかんなくて」
「――ああ、それか。確かに難しいよな」
話を聞いて、俺はすぐに納得した。
「でも三田村に訊きゃいいだろ?」
「もう訊きましたってば」
「……はい。でも、私もちょっとわかんなくて」
この部の中で一番物静かな少女は、少し浮かない顔をしてこちらを見てきた。
「なるほどな。オッケー、オッケー。――紙とペンあるか?」
「これ使ってください」
すっと三田村が手際よくそれらをよこしてくれた。
その一枚の白い紙に、単純な例文と簡単な図式を書き込んだ。それを元に、懇切丁寧に二人に解説をしていく。若干声のボリュームは抑えながら。それでも、この静謐とした空間の中に自分の声だけが響くのを意識すると、少しだけ気恥ずかしくなった。……弓道部時代の
三田村の方は物分かりが良いらしい。すぐにその顔の曇りは晴れていった。だが、もう一人の方はまだぴんと来ていないのか、相変わらずしかめっ面を崩さない。
そのまま粘ってもいいのだが――
「三田村、あとお前が説明してやんな」
「えっ! わ、私ですか!?」
「ああ。わかったんだろ、今ので」
「そ、そうですけど。……でも、なんとなくですよ?」
彼女の眉毛はすっかり八の字気味になっている。
「それでいいって。困ったら、助けてやっから」
「だったら先輩が――」
「人に教えた方が理解力が増す、って、姉貴が言っててな」
俺は優しく微笑みかけた。
実はこの英語の話は、俺が姉貴に押し付けられたものだった。去年の今時期、自分の部屋で勉強してきたらやつが乱入してきた。そして『頑張る弟君を、お姉ちゃんが優しく導いてあげましょう』とか言い出して、一人勝手に解説授業を始めてくれたのだ。
その後に、三バカプラス若瀬と勉強会をすることになり、今日と全く同じことを彼らに披露したのだった。我ながら、よく覚えていたものだ、とびっくりする。
たどたどしい口調ながら、三田村は友人に説明し始めた。俺の資料をより噛み砕きながら、時に自分の私見を挟めながら。
相手が同学年だからか、文本もはっきりと疑問点を突きつけた。大抵は、三田村がすらすらと答えた。しかし時には、二人で話し込んだり、あるいはこちらに助け船を求めてきたり。
「――なるほどっ! よくわかったよ!」
数分の果て、ようやくこの後輩女子にいつもの元気が戻った。
「望海ちゃん、ちょっとうるさいよー」
そして奥の方から窘める声が聞こえてきた。
「しずかっち、キビシー!」
「あなたは黙ってやる!」
それが合図だったかのように、二人はまた黙々と自分たちの勉強に戻った。一応感謝しているのか、ちゃんと俺に会釈をしてから。ちょっとだけくすぐったかった。
「――大したものね、根津君」
読書に戻ろうとしたら、右隣の方から声が聞こえてきた。いつから見ていたのか。五十鈴がばっちりと俺のことを見ていた。その瞳は、何を考えているかはわからない。
「悪い、邪魔になったか?」
「ううん、大丈夫。気になっただけ」
「それを邪魔っていうんじゃ……」
言いながらも、相手の顔に悪意がないのはわかっていた。
ともかく、今度こそ眠気との闘いに赴こうと思ったら――
「あの、私も質問いいかしら?」
「学年一位様に教えることはないと思うんだけど?」
「もうそんなことないもの。……数学が」
彼女はぐっと眉を
五十鈴は手元の大きなプリントを摘まみ上げた。そして、ひらひらさせる。それは、昨夜俺がやっていたものと全く同じものだった――
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