第105話 前触れ
薫風高校の学校祭は二日制だ。一日目は学内限定の催し。二日目が模擬店など、学外向けへの展示。夜には花火。まあオーソドックスな構成だと思う。
「おーし、いっかい休憩~」
グループリーダーの掛け声で練習が中断する。
手ごろな壁にもたれて一息つく。さすがに少し疲れた。本当に最近は運動不足を痛感することが多い。
いよいよ、学祭本番は来週に迫った。準備も本格化して、ダンスの練習が連日のようにあった。今も廊下のあちこちから、様々な音楽が聞こえてくる。
「おい、根津。聞いたか?」
身体を休めていると、裕太が近づいてきた。同じグループのメンバーだ。あと、晴樹も一緒。向こうで灰のように燃え尽きている。
「スーパーの特売のことか。今日はアツいよな」
「ちげーよ。主婦か」
みたいなもんだわ、と心の中で返しておく。一応、食卓の中心を担っていますので。
食費が安く済むに越したことはない。節約すると、小遣いが増える。そんな幸せシステム。
あしらったつもりだったが、裕太がぐいっと一歩踏み込んできた。それこそ、耳寄り情報を持ってきたくらいの勢いで。
「女子たち今、メイド服の試着してんだってよ」
「へー」
「くぅ、早く見てみたいよなぁ。五十鈴さんのメイド服姿!」
「そーですねー」
少しでも期待した俺が損した。というか、押元裕太という人物のことを見誤っていた。こいつは、こういう奴だった。
少し呆れながら、置いておいた水筒を持ち上げた。
「なんだよお前、興味なしかよ。みんなその話題で持ちきりだぜ?」
「青春してんなぁ……おじさんはもうへとへとで」
「体力ねえな。球技大会ではあんなに張り切ってたくせに」
「ソフトボールは別腹よ。――飲み物買ってくる」
水筒を再びその場に置いて、俺は一階にある自販機へと向かった。
校舎の至る所で、学祭への熱が高まっている。それは、いつも文芸部室で感じる賑わいとは気色が違っていた。
ダンスは全学年で必須の出し物だが、模擬店は違う。内容は各クラスに委ねられている。それこそ、のぞのクラスのようにお化け屋敷ともなれば、事前準備はそれなりに大変だ。
幸い、うちのクラスはそんなことないが。必要な作業は授業が潰れる準備期間で事足りる……もっとも、当日が地獄のように忙しそうだけど。
買ったのはここでしか見ないスポドリ。一口飲んでから、ゆっくりと練習場へと戻る。
「根津君?」
階段を上がろうとしたところ、声を掛けられた。
振り返ると、案の定五十鈴が立っていた。さすがに、その声を聞き間違えることはない。
何かいつもと違う……すぐに、髪が巻かれていることに気が付いた。今朝家を出るときはそんなことはなかったはず。
ふと、裕太の言葉が脳裏を過る。五十鈴はもう、試着を済ませた後なのか。これからなのか。
「なにしてんだ、こんなところで」
「気分転換。そっちはダンスの練習中じゃなかったの」
「休憩中」
買ったばかりのペットボトルをこれ見よがしに突き付けた。
部室以外の場所で、学校でこいつと話すのは久しぶりだ。だからだろうか、なんか妙に気まずく感じるのは。
何か話した方がいいのだろうか。当たり障りのない話題はいくらでも思いつくが、どれも取って付けたようで。
まあ別に無理して話すこともないか。今更、沈黙を気にするような間柄じゃない。元来、五十鈴ちゃんは無口なのだし。
そう思っていたら――
「あ、美桜、ここにいたんだ」
五十鈴の背後から、やや着崩した制服姿の女子がやってきた。
すぐに俺のことにも気が付いて。一気に仏頂面になる。
「って、根津も一緒か。アンタ、なに。サボリ?」
「あのな、飲み物買いに行ってただけだ。人をそんな協調性の無い奴みたいに言わないでくれ」
「ないでしょ」
「あるわいっ!」
若瀬のやつ、人のことを何だと思っているだか。付き合いが長いとはいえ、容赦がなさすぎる。
そんな風に攻撃的コミュニケーションをとっていたら、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
「ほら、美桜にも笑われてる。どうなの? こいつ、文芸部で迷惑かけてない?」
「ううん、そんなことない。ちゃんとやってるわ」
「しっかし、いまだに信じられないのよねー、アンタが文芸部に入った、なんて」
「俺だって驚いてるからな!」
「なんで自慢げなのよ……」
若瀬はがっくりと肩を落とした。うんざりしたようにしばらく首を振っていたが、やがて俺と五十鈴の顔を見比べ出す。
「ちょっと」
腕を引っ張られた。ついてこいと無言のうちに察して、その場を離れることに。
五十鈴からはだいぶ離れたところで、若瀬が止まった。
「……はっきり訊くけど、美桜とはどうなの? アンタ、美桜のこと好きなの?」
「は?」
全くそんなこと言われるとは思ってなくて、思わずまじまじと相手の顔を見つめた。本気で尋ねているらしい。やや表情が硬い。
こんなデリケートな話題をよく躊躇いなくできるもんだ。そこだけは感心する。昔から、思い切りだけはいい。
「ともく――友成が言ってたのよ。『あいつ、絶対美桜ちゃん目当てで文芸部は言ったぜ』って」
「あの野郎……ふざけたことを」
「いや、冗談だってのはわかってたけど、ほら、お祭りの日の件もあるしさ。さっきだって、なんかいい雰囲気だったし」
「それはお前の眼が節穴だけだ」
「それはすみませんでしたねっ!」
お得意のキレ芸を披露してきた。全く、情緒不安定なやつめ……。理不尽じゃないから別にいいけど。
若瀬はしばらくムスッとした顔で睨んできた。だが徐々に、平静を取り戻していく。
「で、実際のところはどうなのよ」
「……いや、別にそれは」
「やっぱいい。やめる。どうかしてた、あたし。ったく、ともくんのせいだ」
「意味わかんなすぎるだろ……」
「それはごめんね! まああれよ、付き合いの長い奴がらしくない行動を取り始めたから気になっただけよ」
「とんでもない気まぐれだな」
若瀬の言いたいこともなんとなくわかる。俺だって、こいつが友成と付き合いだしたときは意外過ぎて気になった。単純な好奇心から。
とりあえず、何事もなかったかのように二人して戻る。
ご丁寧にも、五十鈴さんは階段の近くで待っていてくれていた。手持ち無沙汰に、スマホを弄っている。
先ほどの若瀬の不用意な発言のせいで、妙な緊張を覚えてしまう。もはや、普通に違うルートから帰ればよかった。
「そういえば、美桜。さっきはごめんね。みんな、ちょっとはしゃぎすぎた」
「ううん、平気。あんな風にしてもらって、ちょっと楽しかった」
「そう。だったらよかったけど……嫌だったら言ってね」
何か揉め事でもあったんだろうか。気にはなるが、五十鈴の反応からして大したことはなさそうだ。さっきの発言が、その場を取り繕ってのものとは思えない。それくらいは、ここまでの付き合いでわかるようになってきた。
「なんだよ、もしかしてお前が率先して五十鈴のことを虐めてたのか? 昔からそういうとこあるもんなぁ、若瀬さんは」
「ありもしないこと言わないでもらえます!? 美桜が信じちゃうでしょ」
「あのね、沙穂さん。私、そこまで単純じゃないから。それに、この人の言うことのほとんどはテキトーだってわかってるし」
「言われてやんのー」
ぷぷぷ、と無茶苦茶に煽り笑いされた。友成に言わせれば、こういうところが若瀬のいいところらしい。どうかしてると思う。
それにしたって、五十鈴のその言い分はひどい。いったい誰がいつもテキトー発言をしていると。どこぞの部長殿じゃあるまいし。
「――っと、そろそろあたしたち戻るわ」
「メイド服の試着やってんだっけ。大変そうだな」
「よく知ってるわね。興味ないと思ってた」
「色々教えてくれる友達がいるもんで」
「へーそう。よかったじゃない――いこっ、美桜」
「うん。――またね、根津君。ダンスの練習、頑張って」
「……ああ」
仲良さそうに去っていく姿をぼんやりと見送る。意外とあの二人は気が合うらしい。ともかく、文芸部では見ない新鮮な様子ではあった。
その後戻ったときには、すでにダンスの練習は再開していた。遅れた罰として、たいそう
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