第104話 作品群

 今日の文芸部室はわくわくに満ちていた。中でも、美紅先輩の様子が尋常ではない……いや、いつものことか。


「ふっふっふ、レディースアンドジェントルメン!」


「美紅ちゃん、男の子は根津君だけ」


「ちょっとー! しずかっち、水を差さないでよー!」


「部長、早く話を進めてください」


「みおっちもキビシーなぁ……まあわかる。わかるぜ、その気持ち。楽しみで仕方ないんだよね!」


 三役が見事に暴れている。正確に言えば、一人の暴走を二人で止めているわけだが。

 これぞ文芸部って感じがして、なんだかこの光景はとても好きだ。本当に最近見ていなかったから尚更だ。


 とはいえ、初めからフルスロットルすぎやしないか。軽い頭痛を覚えていることもまた事実。

 そっと目頭を手で覆い、指で眉尻を押す。期末テスト明けのこの身で、いったいどこまで耐えることができるのか。


「浩介先輩、そんなことしてたら怒られますよ」


「いや、今さらこんなこと気にしないだろ」


「でも、この調子だとどうでしょう」


 一年生ズも異変を感じているらしい。

 そう今日の部長はやたらとテンションが高い。ずっと部活に来れてなかった鬱憤が溜まっているのか――


「へい、そこ! 勝手にイチャイチャしない! 特にこーすけ君は、みおっちというものがありなが、ら」


 突然、美紅先輩がフリーズした。不自然に言葉を切ったかと思えば、そのまま口は開けたまま。その顔はかなり怯えている。

 視線の先には、文芸部副部長の姿があった。澄ました表情は、先輩の反応がわかるほどぞっとするものがある。


「何です、その言い方。部長、意図を説明していただいても」


 淡々とした言い方がとても怖い。

 あれだけ賑やかだった部室の雰囲気が一気に凍り付いた。物理的にも少し寒い。もっともこれは、もう十月が近いからかもだけど。


「あの、すみませんでした。美桜さん」


 とりあえず、その真摯な謝罪によって場は収まった。

 受け入れた五十鈴さんの笑顔はとても素敵だった。もう二度と見たくないと思えるほどに。


「えー、ということでね、これ部誌出来上がったやつです。こーすけ君、運んでもらえるかな」


「へいへい」


 今日の主役は、始まりからずっと部長机の上にいた。手頃な大きさの段ボール箱は妙な存在感をお持ちだ。

 

 頼まれて持ち上げてみると、結構重い。これが三つもあるというのだから、心底うんざりする。


「手伝う?」


「いいよ。箸より重いもの持ったことないだろ、お前」


「瑠璃さんとの買い出しでの荷物がかり、あたしなのだけれど」


 おそらく、五十鈴の方から言い出したんだなとは想像がつく。瑠璃もちゃんとお客人の扱いは心得ている……そう思いたい。


 どんどんどん、と三つソファ前のテーブルに積み上げたところで、先輩方がやってきた。


「じゃじゃーん」


 手頃な一箱を開封して、部長が中から冊子を一つ取り出した。これみよがしに掲げる顔はとても自慢げ。


 黄色い表紙には、今年のタイトル「新風」が上の方に記されていた。中央の挿絵は三田村が担当。素人目にも、その幾何学模様に高い芸術性を感じる。


 とりあえず、求められるままに歓声と拍手を送る。そして、部員それぞれが部誌を受け取った。さながら、卒業式みたく大げさに馬鹿丁寧に。


「なんだかあれですね。カンムヨー!」


「望海ちゃん、感無量だよ」


「そうそう、それそれ。詩音は物知りだなー」


「そんなのも知らないでよく文芸部を名乗れるよな」


「浩介先輩にだけは言われたくないんですけど!」


「まあまあ。そこ揉めないの」


 静香先輩の優しげな声が飛んできて、俺とのぞは声を揃えて間延びした返事をした。本当、包容力に溢れる人だと思う。


 仕上がりチェックという名目で、それぞれが部誌を読み始めていく。


 美紅先輩は文芸部に纏わるエッセイ。部長らしい仕事ぶりに、俺はしばらくぶりに尊敬の念を抱いた。

 静香先輩は例年通りラブロマンス。実は三部作だったという超大作っぷり。読み終えた三田村が、早口限界オタクと化していた。

 のぞは旅行記。夏休みにちょくちょく日帰りであちこち巡っていたようだ。そこでの体験や感想がよくまとめられている。行動的なあいつらしい作品だ。

 三田村は書評。自分の好きな小説や漫画について熱く述べている。ジャンルに偏りはあるものの、読んでみようと思える巧みな文章だった。


 そして――


「どうしたの、根津君」


 五十鈴の作品を読み終えた俺は、複雑な思いで作者の方を見た。

 だが、向こうはどこまでも平然としている。あまりの態度に、俺の方に問題があるんじゃないかと錯覚できるほど。


「そんな反応を示せるお前に本当に憧れるよ」


「そんな、ちょっと恥ずかしい」


「皮肉だからな」


「そう。残念」


 この女、果たしてトボけているのか……。というか、せめて表情とセリフは合わせて欲しい。お得意の伝統芸だな、まったく。

 

 五十鈴の今年の作品は、とある三姉弟の話だった。三人が家庭で繰り広げるドタバタ劇……どう見ても、我々根津三姉弟のことである。著作権はどこへ行った。いや、肖像権だったか?


「でも、フィクションだから」


 そんな苦情を言っても、五十鈴さんは少しも狼狽えない。やはり平静状態で、とても便利な言葉を振りかざしてきた。


「モデルにしたのは認めるのな」


「うん。最近一番興味のあるテーマだったから」


「……せめてアイディア料ぐらい払えよ」


「一応、菫さんには断ったんだけど」


「あの馬鹿姉は……!」


 通りで、妙に心当たりのある過去話まで書かれていると思ったら。許可を出すに飽き足らず、人の恥ずかしい昔話まで伝えたというのか……。


「ホント、浩介先輩と美桜先輩って仲いいよね」


「ちょ、ちょっと望海ちゃん。声大きいよ。こういうのは黙って静かに――」


「三田村の方が声デカイからな。覗き見宣言も聞こえてるぞ」


 こういう大人しいタイプが一番危険だ。真っ赤になる控えめ後輩の顔を見ながら、改めて気を引き締める。


「でも、浩介君。そんなこと言ったら、あなたこそこの場にいる全員にアイディア料を払わないといけないと思うけどなー」


「あ、それは思いました。これ、もろにうちの部の話ですよね」


「タイトルも『ようこそ、文芸部へ』だしねぇ」


「……フィクションですので」


「五十鈴先輩と同じこと言ってる……」


 五十鈴以外の部員全員から、見事に集中砲火を喰らった。人を呪わば穴二つ……は使い方があってるのだろうか。


「だぁーっ! しょうがねえだろ、俺が面白おかしく書ける話題なんて、これしかなかったんだよ!」


「いや、別にそもそも面白おかしさはいらないのだけれどね……」


 珍しく部長の方から冷静なツッコミが飛んできた。普段、面白おかしさの権化みたいな人なくせに。


 再びまた静かな時間が部室にやってくる。

 途中になっていた読書を再開する。現役部員の原稿が終わると、OBOGの寄稿コーナーが始まった。これがあるからこそ、結構ボリュームがある。


「当日はこれを配布するわけですよね。それ以外には何もしないんですか?」


「まあ、この人数だとそれが限界さ。代わりばんこに部室番するだけでも大変だしねぇ。クラスの模擬店もあるだろうし」


「あー、そうだった。うち、お化け屋敷やるんですよ。それが結構大変そうで―。先輩方はなにをするんです?」


 のぞの好奇心に満ちた大きな目がこちらを向いた。

 ちらりとクラスメイトを見るが、答えてくれる気はないらしい。不思議そうな顔で見つめ返されてしまった。


「メイド喫茶。五十鈴のメイド姿をウリにするんだと」


「……そうだったの?」


「なんで当人が知らないんだ……。実行委員の奴が息巻いてたぞ。まあ、半分冗談だと思うが」


 実際のところは、メイド服可愛いよねーというノリ。それと、一部の男子連中にも着させようという悪ノリ。実はなかなかイカれたクラスということを、俺は最近思い知らされた。


「へー、メイド姿の美桜ちゃんかぁ。アリだね!」


「静香先輩もそう思いますか! いつもはクールな五十鈴先輩が、ややぶっきらぼうに『お帰りなさいませ』だなんて、ギャップが……!」


「三田村、キャラ崩壊」


 一応窘めてみるが、止まる気はなさそうだ。似たような趣向を持つ先輩と意気投合している。


 そんな風に槍玉にあげられればさすがのこいつも――様子を窺うも、照れた様子のひとつもない。ただ微笑ましそうに、二人を眺めるだけ。


「浩介先輩、鼻の下伸びてますよ?」


「伸びてねーよ」


「えー、美桜先輩の方見てメイド姿を想像してたんじゃないんですかー?」


「そうなの?」


「もし鼻の下が伸びてたらそうだろうな」


「うわー、最低」


「あの、俺の話聞いてます?」


「でも、なんか嬉しそうな顔してましたよ」


 あらぬ言いがかりをつけられたときのように、即座に否定はできなかった。

 文芸部でいつも通りに過ごす姿を見て、なんだか安心感を覚えたのだ。それで、ちょっと表情が変になっていたのかもしれない。


 黙っていると、五十鈴が妙な顔でこちらを見ていることに気がついた。


「あの、違うからな。断じて、俺はお前のメイド姿なんて想像してないからな」


「こーすけ君、それはそれで最低な発言ですぜ?」


 だからなんで、この人はさっきからまともなことしか言わないんだ。

 今こそ、はっちゃける場面じゃないか。部会が始まる瞬間の姿を取り戻して欲しいと切に願うのだった。

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