第13話 気苦労は一周回るとどうでもよくなる

 失意のまま俺は教室に戻った。そのまま先に昼食を食べていた卓とこぶち――失礼、久米と合流。なんとなく、三人つるむようになっていた。ひとまず、友人と呼べる存在ができて一安心。

 手作り弁当を広げつつ、さっきの一幕の話は適当に誤魔化した。あ、私の弁当は幕の内弁当でもないし、ごま塩も振ってないですよ、なんちて……みたいなノリをかましたら、その場が凍り付いた。いやぁ無意識に出ちゃったか、氷結魔法(エターナルナンチャラ)。


「――はぁ。五十鈴のことが知りたい、ねえ」

 すでに食事を終えた卓は、俺の話を聞いて腕組したまま渋い顔をした。

「ていうかさ、近くにいるんだから本人に訊けばいいのに」

 あきれ顔で久米は俺の背後を覗き込む仕草をする。


 奴はさっきのことなどまるでなかったかのように、自席で一人本を読んでいた。昼食は菓子パンが二つらしかった。帰ってきた時にちらりと見えた。

 ……お腹空かないのかな、そんなんで。とても不思議に思う。俺だったら絶対無理だね。……前の席の男は二つも弁当平らげていて、そっちも信じられない。


 しかし改めて見ると、こう人を寄せ付けないというか。五十鈴美桜と言う女は、自分の世界に入り込むのが本当に上手だと思う。周りの喧騒には少しも興味を見せず、ひたすらにページを捲っている。


「そういうことじゃねえんだよ。本人が隠してるようなことを知りたいんだ」

「……おいおい、今度はストーカーの真似事か? 気持ち悪いぞ、お前」

「こういうのって、警察に通報した方が良いのかな……」

「待て待て。俺をすぐに犯罪者扱いするな。お前らの中で、俺はいったいどういう奴なんだ?」

「頭のネジが数十単位で抜けてるバカ」

「変人だけど面白い人」


 ……おかしいなぁ。まだ一週間もしてないのに。今までのクラスメイトの方々と同じような印象を述べてらっしゃる。

 まあいいんだが。自分を出した結果だし。よく言うじゃないか。負けたけど自分たちのプレーはできた、みたいな。この場合の負けは何なのだろうか……哲学である。


「はっきり言うとだな、俺は五十鈴の弱みが知りたい」

「おい、もっと物騒なんだが?」

「一応聞いておくけど、何のために?」

「念のために」

 俺はにやりと口角を上げる。


 自衛手段、というやつである。国際情勢では、頻出するワードなので、要チェックだ! ……とまあ、そんな物騒な思考は置いておこう。


 何の成果を上げることができなかったように思えるさっきの対談。しかし、実は一つだけ微妙な収穫があった。それは、五十鈴がどうも俺の「何でもしますから」発言に受けているらしい、ということ。

 それは何というか、いわゆる言葉の綾、というか、口から出まかせ、というか。とにかく、その言葉自体に意味はない。つい言っちゃった、っていうあれ。本気にする奴はあんまいないと思うのに。


 これから先いったいどんな無理難題を押し付けられることやら。となれば、こちらも切り札を揃えておく必要がある。俺の秘密は三つだから、都合三つ、か。無理じゃね?

 

 俺は思わず顔を顰(しか)めた。横目で見ると、相変わらず五十鈴はどこか冷めた表情で文学の世界に浸っている。こっちの苦労も知らずに。本当に変な女だと思う。名前しか知らない彼女にどこまで迫れるか、それが当面の課題である。


「で、どうだ?」

「知らねえなぁ。というか、仮に知ってたとしてもお前には教えん」

「なんでだよ、俺たちズッ友だろ?」

「やめろ、気持ち悪い!」


「僕の方も……そもそも、五十鈴さんの悪い話を少しも聞いたことないよ?」

「そこは晴樹に同意だな。頭脳明晰、容姿端麗、品行方正――」

「焼肉定食、五目焼きそば」

「……ボケを挟めんな。最後のは四文字じゃねえし。――とにかくあれだよ、完全無欠な美少女ってやつ」

 うんうん、ともっともらしく頷いている久米。

 

 その後もつらつらとどうでもいい情報が流れてくる。文武両道が服着て歩いてるとか。いっつもクールに振舞ってるとか。笑ってるとこ見たことないとか……って、それ悪口じゃないのか?

 主に情報源は卓。どっちがストーカーだって話だよ。本人は、部活仲間で話題になると言ってたが、本当かどうか怪しいもんだ。


 俺は一つため息をついた。つまるところ、収穫なし、というわけである。まあそこまで期待していたわけじゃあなかったけれど。二人とも、遠巻きに五十鈴のことを見て満足しているタイプの人間だしなぁ。


 もっと五十鈴について熟知している奴はいないものか……ぱっと浮かべてみても、俺の知り合いにはいないだろう。まず、女友達って言うのがいないしネ! 河童とか、ドラゴンみてえなもんだろ、それ。


 かくなる上は――


 五十鈴に話しかけようとしてやめた。本人は読書に夢中みたいだし。

 いやいやいや、本人に訊いてはいそうですか、とはならないだろうし。完全に途方に暮れた。俺の学生生活はどうなってしまうのだろう。全ては五十鈴美桜、君次第だ! みたいな状況。


 最後に残した甘い卵焼きを食べながら、その苦い思いを中和するのだった。……うん、いつも通りよくできている。俺は料理の天才かもしれない。





        *





 鍵を取り出しながら、ドアノブに手をかける。すると、扉はなんなく開いた。誰か帰ってきているのかもしれない。現在時刻は十六時くらいだし、おそらく姉貴だと思う。

 大学生の彼女は学校に行く時間も、家に帰ってくる時間も、本当にバラバラだ。その自由が本当に羨ましい。……服装の自由はいらないけど。毎日、私服考えるなんて地獄だ。ただでさえ、今も休日外に出るのも億劫なのに。


「ただいまーべらす」

「おかえりなさい、浩介君」


 案の定、奥の方から姉貴の声がした。……瑠璃だったら、ちゃんと反応してくれるんだけど。『おかえりむじんに轢かれて死ね』とか。うん、辛辣。最近とみに可愛げがなくなった。


 うちの廊下はL字型だ。その道の終着点がリビング――今はきっと姉貴に占拠されていることだろう。手前から浴室、トイレ、と並び、小さい収納部屋を挟んで俺の部屋がある。突き当りには姉妹の部屋。


「おやつあるけど、食べる?」

「……まさかまた何か作ろうとしたんじゃないだろうな?」

「買ってきたドーナツだよ。さすがにこの間警報機鳴らしたのは反省してるから、アハハ……」

 鋭く睨むと、彼女は少ししゅんとした表情をした。


 引っ越してきたばかりの話。姉貴はクッキーを作ろうとした。以前から興味があったらしい。ネットでレシピを見ながら、キッチンで格闘していた。俺と瑠璃はゲームしながら、それを見守っていたんだが……。

 すると、いきなりピーピーとヤバい音がリビングに鳴り響いた。遅れて大量の煙が向こうから迫ってくるし。慌てて彼女のもとに行くと、開け放たれた電子レンジの中に、少し焦げた白い紙が見えた。その上には、不格好な形をしたクッキーの幼体。


 以来、姉貴は基本的にはキッチンに立ち入り禁止である。例外は食器を洗う時と、炊飯器を操作するときくらい。


「じゃあ後でもらうわ」

「そう? あっ、でもお姉ちゃんそろそろ出かけなきゃだ」

「さいですか」

 その情報は至極どうでもよかった。しかし――

「……デートか?」

「ち、ち、ち、違うからぁっ! バイトです、バイト!」


 いつもこのやり取りをしているというのに、未だに姉貴は顔を真っ赤にする。これでこそ揶揄いがいがあるものだ。今日は特に感慨深いものがあった。俺の天敵いすずとは大違いだ。


 彼女は近くの学習塾で講師として働いている。中高生を教えているとか。そのせいか、しょっちゅう俺や瑠璃の勉強の面倒を見てこようとする。


「じゃあ帰りは遅いんだ」

「うん。――あっ! お米は炊いておきました!」

 誇らしげな姉に冷ややかな視線を俺は浴びせた。

「……スイッチ入ってる?」

「い、一応、見てくるね」


 自信なさげに、彼女はリビングに戻っていった。さすが前科者。大手を振って大丈夫とは言えないらしい。おっちょこちょいなところがあるくせに、普段は妙に自信満々なのが困る。


 あの時は本当に参った。メインディッシュの麻婆豆腐を作り終えて、ふと炊飯器を見たら、作動してなかったんだから。瑠璃と議論した結果、確認を怠った俺が悪いという話になった。理不尽である。


 奴が戻ってくるのを待つ理由もないので、俺は部屋に行くことに。早く荷物を置いて、制服から解放されたい。ホックや第一ボタンを開けているとはいえ、基本的には学ランは窮屈でしかない。


 手早く制服の上下をハンガーラックにかけて、部屋着代わりの中学の時の指定ジャージを身に着けた。ワイシャツと靴下は床に転がしておく。この先の闘いにはついてこれそうにないからだ。

 そのままスマホを片手にベッドにダイブした。ふぅ~、今日も疲れたわ~。布団にギュッと顔を埋める。この時間が一番の幸せだったり。


 高校に入って一年経つわけだが、疲れるもんは疲れる。今日はなおさら。昼休みの、五十鈴美桜との対決――彼女による一方的な殺戮か――が致命的だった。


 数少ない友人のつてを頼り、あいつの情報を集めようとしたが無駄だった。 まるでハンコのように、誰に聞いても同じような賞賛が返ってきた。唯一マイナスと思われるのは、すげなく告白をあしらわれた、というぐらいか。

 ということで、あの大魔王に対する有効打は未だに見つかってない。魔王殺しの剣とか落ちてないかなぁ。百八億ジンバブエドルは出す。


 だが一方で、時間を経るにつれてどうでもよくなってはきている。意味深な言葉を言い残したくせに、あいつの方から接触してくることは未だない。唯一命令されたことは依然として、図書委員になることのみ。

 たぶん向こうも冗談のつもりだったのだ。それを俺が過度に気にし過ぎた。ただそれだけの話。考えてみれば、まずいことは一つもない。約束は守られてるっぽいし。案外、優しい奴かも、あいつ。


 結局は五十鈴の動向任せ、なわけだ。何か悪質に脅して来たらその都度対処するしかない。……まあ、聞いた感じの人となり的にその心配は杞憂に終わりそうだけど。


 となると、面倒なのは委員会の仕事だ。何やるんだろう、全く知らない。そういうものとは無縁の生活を過ごしてきたから。果たして、いつから始まるのやら……。


 とにかくなんかするか。そう思ってのろのろと立ち上がると――


「押せてた~」


 扉の向こうから間の抜けた子供みたいな女の声が聞こえてきた。 


「はいはーい、すみれちゃんはえらいですね~」

「……浩介君?」


 その声はとても殺気に満ちている。扉一枚挟んでいるというのに、ひしひしと姉様の怒りが伝わってくるのだった――

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