第14話 未知との遭遇

 一階にある地学教室の清掃を終えて、卓と一緒に教室前まで戻ってきた。任務完了、後は帰るだけ。ただし帰るまでが学校です、が俺の座右の銘だから気は抜かない。


 今日は木曜日、昨日に続いて七時間授業の日だ。なので、いつもより一時間ほど長く学校にいる。まあ最後の授業は学年集会で、惰眠を貪ってたから体力はむしろ少し回復気味だが。


 階段を上がりきったところ、俺は一つのことに気付いた。教室前がいつもより騒がしい。気のせいではなく、確実にたむろしている奴が多いんだ。ここは深夜のコンビニか? 


「卓君、人いっぱいで怖いよぉ」

「……どう反応しろと?」

「スルー以外の方法で!」

「それが唯一にして最善策だと思うんだけどな……」


 うんざりするように首を振ると、卓は自分の鞄を掴み上げた。普通のスクールバッグと部活用のものの二つ。いつみても大変そうなことで。


 俺もまた彼の近くに置いた自分の荷物に手を伸ばしたが――


「根津君?」

 背後から変な女の声がした。


「さ、玄関まで行こうぜ、卓」

「……五十鈴がお前に話しかけてるけど」

「お前、とうとう幻聴が聞こえるようになったか。病院行くか、警察に出頭するか。好きなの選びな」


 全くうちの友人にも困ったもんだ。昨今、薬物問題が世間を騒がせているというのに。だが、俺は信じている。卓ならいつか必ず立ち上がれるって――


「勝手なこと言うな、アホ!」

 カツン、と今日は珍しく頭にチョップをいただいた。

「ほれ――」

 奴は無理矢理に俺の身体を翻させた。


「……なんだ、妖精さんかと思ったのに。さあ聖剣を抜くのです! ここからあなたの冒険が始まるわ、みたいな」

「この人は何を言っているのかしら、沼川君……」

「俺にもよーわからん。――っと、部活行かないと。じゃあな、二人とも。また明日!」

 薄情な卓君はそのまま階段方へ駆け出してしまった。


 後に残されたのは、俺とこの無口な少女。もちろん、相変わらず同級生が徘徊しているので、完全な二人きりではない。


「で、何の用だ? もしかして、告白か?」

 

 放課後女子に呼び止められると言ったら、もうこれしかない。青春の定番トレンドだ! って、誰かが言ってました。自分の意見ではないのであしからず。


「今日、委員会」

「へぇ~、そうなんだ」

「さっきの薫子先生の話、聞いてなかったの?」


 少し記憶を探ってみるものの、全く覚えがない。一時的な記憶喪失かもしれない! 実際のところは、たぶん集中力が切れてたんだろうな。帰りのホームルームというのは、おおよそ一番の障害でしかない。授業が終わって帰るだけというのに、長々とした話なんて聞いていられない。


 とにかく、ようやくこれで合点がいった。だから、こんな時間まで残っている生徒が多いんだ。みんな、さっさと帰宅したり、遊びに行ったり、部活に励んだり、したいだろうに律儀だねぇ。 


「もちろん、ちゃんと聞いてたさ。――大変だな、頑張れよ、五十鈴!」


 俺は鞄を担いで帰ろうとした。くるりと身体の向きを変えて、中央階段を視野に入れる。そのまま歩き出そうとした。


 しかし――


「キミも図書委員」


 五十鈴は俺の腕をぐっと掴んできた。上目遣いで無機質な視線を絶え間なくそそいでくる。その黒々とした瞳は果たして何を想っているのか。


「わぁーってるよ。ちょっとからかってみただけだ」

「……本気で帰ろうとしてたよね?」

「まあ、可能であれば。――ということで、サボっていいか?」

「いいと思う?」

「ああっ!」

 ぐっと親指を立てて白い歯を煌めかせる。


「じゃあ、あの話は沼川君にでも告げて――」

「はっはっは、いやぁ、楽しみだなぁ、委員会!」

「……わざとらしい」


 彼女はようやく俺を開放してくれた。珍しくあからさまにため息をついて、おまけに首を振ってと、心底呆れ切ったご様子だったけれど。


「――それでどこでやるんだ?」

「やっぱり、先生の話、聞いてなかったのね。待っててよかった」


 俺のその問いに、五十鈴はただただ目を白黒させるだけだった。





        *





 我が薫風くんぶう高校の図書館は、二階最南端にあった。入口前には、全面が黒板になっている立て看板がある。そこには本日休館と、丸みを帯びた文字で記してあった。そのせいか、扉はしっかりと閉じられている。


「ほ~、うちの高校の図書館はこんなところにあったんだなぁ」

「来たことないの?」

「ああ」

「……一年生の頃、オリエンテーションがあったと思うけど」


 五十鈴に指摘されて、少しだけ記憶が蘇った。確かにそんなこともあった気がする。国語の時間が一つ潰れた……でもその内容までは流石に浮かんでこなかった。


 彼女は躊躇いなく図書室の方に近づくと、その扉をそっと押した。休館とのたまいながら、カギはかかっていないらしい。

 それもそのはずで、今日ここで図書委員が行われるのだった。だからこうして、俺はこの女にここまで連行されてきたのである。


 中に入ると、いきなり目に入ったのは棚。正面と右手にそれぞれ置かれている。展示用のもの、だろうか。やっているのは、新入生歓迎祭というものらしい。そんな札が最上段に置いてある。中は空っぽだが。


 左手にはカウンター。机上には、パソコンも載っている。あとバーコードを読み取る機械とか。その奥に扉が見えた。「司書室」という札がかかっている。


 五十鈴はそのまま、まっすぐ進んでいった。飾り棚を避けると、閲覧スペースと思しき机と椅子の軍団が見えてきた。

 左にはずっと書架スペースが広がっている。図書館の全容は概ね、このようなものだった。うっすらと記憶の中にその姿を確認できた。


 閲覧スペースの机は長方形をしていて、それぞれ八つほど椅子が置いてある。それが展示棚の後ろにそれぞれ四つずつ並んでいた。斜め前のあいたスペースには、丸机とマガジンラックがうまい感じに配置してある。


 ぽつぽつと他の選ばれし戦士も集まっている。手前の方から、椅子がどんどんと埋まっていた。どの顔も見覚えがない。同学年のやつもいるはずなのに。


「こっち、こっち~!」


 その時、奥の方から明るい女性の声が聞こえてきた。見ると、ひとりの女生徒が立ち上がってこっちに向けて手を振っていた。茶色のショートヘアの活発そうな見た目は、この図書館の雰囲気にはそぐわない。彼女は最後のテーブルの右端にいた。残念ながら、その姿に覚えはない。


 その声に、五十鈴がピクリと反応する。どうやらこいつの知り合いらしい。彼女はすっと、そちらの方に向かって歩き出した。俺のことなど気にもせずに。


 仕方なく、ついていくことに。完全に俺はアウェー状態。癪だが、頼りにすべきはこの不愛想な女だけ。俺は溺れていて、彼女は藁だ。

 しかし、反応しなくてよかったぁ。俺は少し安堵していた。これは、あれだ。いきなり親しげに呼びかけられたら知り合いじゃなくて赤っ恥かく現象。さて、どうした名前を付けたものか。


 一番奥のテーブルには四人の男女が座っていた。右端から詰めて。男子女子、それぞれ向かい合っている。靴の色から察するに、三年生。緑のラインが入ってる。


 さっきの茶髪だけでなく、その隣の女性もまた、俺たち――五十鈴のことを微笑みながら見ていた。彼女もまた、こいつの関係者らしい。男子連中は二人で自分たちの世界に入っている。


美紅みく先輩、こんにちは」

 たおやかに五十鈴は腰を折った。

「よっす、みおっち! ――で、そっちは?」

武蔵坊弁慶むさしぼうべんけいです!」

 思い付いたまま脳裏に浮かんだ名前を告げる。


「……根津浩介君。もう一人の図書委員です」

「この人が美桜ちゃんの言ってた子かぁ。確かに変わってるね」


 眼鏡をかけた大人しそうな雰囲気の女子が俺に目を向けてきた。その黒髪は五十鈴よりかは短い。セミロングというやつだろう。


「ええと、お二人は……?」

「みおっちから聞いてない?」

 ぶんぶんと俺だけでなく、も首を振った。


「わたしたち、同じブンゲイブなの」

「ブンゲ・イブ? サンタの来る前の日」

「それはクリスマスイブ」

「禁断の果実を噛った」

「それはアダムとイブ」

「足の裏にできる固い瘤」

「それはイボ。――面白いわね、あんた。気に入ったわ!」


 なぜか茶髪先輩に誉められた。ちょっと嬉しい。そして、意味不明に手を差し伸べられた。

 淑やか二人組はかなりしらけながら、俺たちの様子を見守っている。少しこちらを見る目が痛い。


「ええと……」

「友情の握手よ。弁慶君!」

「はあ」


 困惑しながらもその手を握った。ほのかに冷たい。しかし、柔らかい感触がそこにはあった。


「はい。部員一名ゲット~!」

「……は?」

「入部届けは明日にでも、みおっち経由で渡すから」

「ちょ、ちょ、ちょっと! なんなんだ、いったい!」


 わけもわからず大声をあげたら、周りの人に睨まれました……てへへ。ハニカミながら、頭を下げる。なぜ俺がこんな目に。


「ちょっと美紅ちゃん! 根津くん、困ってるよ?」

「はい。私も強引過ぎると思います」

「しかし、みおっち、しずかっち。このまま新入部員が入らなかったら、廃部よ?」


 文芸部の方々は大層盛り上がっていらしている。一人蚊帳の外の俺は、ぼんやりと雑誌コーナーに目を向けた。当たり前だが、漫画はない。


「――っと、この話はあとあと。薫子ちゃん、来たよ」


 茶髪先輩が入口の方に顔を向けるのにつられて、俺たちもそちらを見る。そこには、あのいつも気怠げな二年二組の担任の姿があった。

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