第15話 図書委員は大変

 矢島先生に続いて、二人の男女が入ってきた。見た目からして、生徒ではない。片や、優しそうな雰囲気のおじいちゃん。もう一人は、背の低い女性。その髪型はふわふわとして短めで、色はやや明るめ。

 おそらく委員会担当の先生なんだろう。三人とはずいぶん好待遇なこって。しかし、担任以外に見覚えはなかった。


 三人はマガジンコーナーを背にして並んで立った。それで、図書室に相応しくなかった喧騒が収まる。いよいよ、会議が幕を開けるらしい。


 厄介ごとを避けてきた俺、根津浩介の人生において、委員会などは初めての経験だった。流石に少しだけ緊張する。しかし、なぜこうなったのか。エロ本を買おうとしたら図書委員になっていた。バタフライエフェクトってやつだな。


「それでは第一回定例会議を始めましょ~。とりあえず、あたしたちの自己紹介からね。――二年二組の担任で英語を教えている矢島薫子です~。みなさん、よろしくね~」

 先生がさっと頭を下げると、パチパチパチと気合の入った拍手が起こった。


 次におじいちゃん先生。名前は竹本たけもとと言って、国語の教員らしい。今年度は三年生の担当で、今年で定年。見た目通り穏やかな人みたいだ。


 そして最後――


「じゃあ潤子じゅんこちゃんも挨拶してくれるかしら~?」

「はい。――ガッコウシショの中野なかの潤子です。みなさん、半年間よろしくお願いしますね」


 ガッコウシショ……先生とは違うのだろうか? 初めて耳にした単語に俺の頭は疑問符でいっぱいになる。他にもそうした類のやつがいるようで、少しだけ部屋の雰囲気が変わった。


「彼女は図書館業務をお手伝いしてくれる職員の方です。基本的には普通の司書さんと一緒か~。実務のことでわからないことがあったら、何でも聞いてあげてくださいね~」

「ちょ、ちょっと先輩! 毎回毎回、物騒なこと言うの、やめてくださいよ!」


 キャッキャとじゃれる二人。そして、どこからともなくどっと笑いが起こった。まあ微笑ましい光景であるけども。


「さて、それじゃあ四役決めしましょうか。委員長、副委員長、書記、会計……立候補する人はいるかしら~」


 矢島先生の言葉に何人かの生徒が手を挙げた。見上げた奉仕精神だ。ただでさえ、俺は委員会に参加したことを後悔しているくらいだというのに。

 ふと、正面に座る五十鈴の姿を横目で窺う。彼女はぴんと背筋を伸ばして座ったまま。その手はきっとお膝の上だろう。委員には自ら進んで参加したけれど、彼女もまた役職に就く熱意はないらしい。


 ほどなくして、全ての幹部が決まった。すると、矢島先生は司会を決まったばかりの委員長に委ねた。三年生の女子だ。


「この度、委員長になりました。三井綾香みついあやかです。半年間、一緒に頑張りましょう」


 とてもはきはきした感じに喋る快活そうな人。前髪を上げて露わになっている額が特徴的。アーモンド形の大きな瞳は自信満々なに光っている。かなりスマートな感じがする。


 やがて、彼女の口から改めて当委員会の職務内容が説明された。すらすらとした淀みない口調は、まるでアナウンサーみたい。人はそれを意識高い系と呼ぶのかもしれない。

 主な仕事はやはり貸し出し・返却業務。後は書架の整理。他にも細かい仕事が色々と。わかりやすいのでいえば、時節に合わせて、イベントの企画なんかもやったりするらしい。委員長は文化祭を例に挙げていた。それを矢島先生が補足する。


「例年、読み聞かせをやるわね~。後は試写会とか。ねえ、大竹先生?」

「映研部が盛んだった頃は、毎年のように自主製作映画を流したものだよ」


 流石おじいちゃん。昔のことには一家言持っているらしい。その後もつらつらと、今までの歴史について語りだそうとした。


「――こほん。とにかくですね。次は、昼休み、放課後のカウンター業務の当番を決めたいです。――で、いいんですよね、矢島先生?」

「ええ。異論がなければ、各クラス一日ごとに持ち回りという形が楽だと思うわ~。……もちろん、三年生は免除。その代わり、文化祭は頑張ってね~」


 はぁ。カウンター業務ねぇ。果たして俺に務まることやら。詳しい説明はそれぞれの初日の、司書の中野さんから説明があるらしい。

 

 それよりもなによりも、その拘束時間が問題だった。昼休み、はまだいい。どうせ適当に飯食って、卓たちとだべるだけだから。

 だが、放課後は譲れない。十七時まで拘束されるとは、なんたる地獄だろうか。しかし、俺に選択権はないのだ。それでもこの時ばかりは、五十鈴のことをかなり呪った。


 ちらりと壁時計を見た。今日は果たして何時に終わることやら。……食事当番、俺じゃなくてよかった。次の話題に移る委員長の姿を見て、俺はかなり冷ややかな気持ちになるのだった。





        *





 時刻は十七時をかなりすぎている。いやぁ、実に濃厚な話し合いでしたねぇ……じゃないっ! まさか初日からこんなにかかるとは……。委員会の会議が月一で、本当によかった。

 三井先輩が話し合いの終わりを告げると、図書室の中に一気に開放感が広がった。先ほどまでの静謐な雰囲気が一気にかき消される。


「おつかれちゃーん、二人とも」


 茶髪先輩が俺と五十鈴に声をかけてきた。遅れて眼鏡先輩もこちらの方にやってくる。二人の相方はさっさと帰ってしまった。


「今日は白熱してたねー」

「仕方ないよ、初回っていつも決めることたくさんあるから」


 結局、カウンター業務当番は一日ごと交代になった。明日から、二年一組より始まる。となると、来週の月曜日は居残りだ! わあいっ! ……はあ。

 そして決めたことはもう一つ。意外と委員の業務が多岐にわたるので、グループ単位で仕事を割り振ってるらしい。

 俺は五十鈴と一緒に、イベント班になった。――もちろん、脅されてですよ? シンキングタイムに容赦なく、圧をかけてきやがった。本当は楽そうなブッカー係とかがよかったのに。保護フィルムを付けるんだって。


「……お二人は図書委員初めてじゃないんですか?」

「まあ、ほら、文芸部だから!」


 答えになっていない。困惑して、俺はただただ眉を顰めるばかり。この元気いっぱいな茶髪先輩、すてきなノリをしていると思う。しかしすみませんけど、今疲れているのだ!


「また美紅ちゃんは! 根津君、困ってるから。――わたしたちずっとそうなの。あっ、五十鈴ちゃんもよ。なんか、文芸部の伝統みたくなってるのよね」

 眼鏡先輩がそれを補足してくれた。ありがたい。


「でさ、弁慶君! さっきの部活の話なんだけど……」

「先輩。根津浩介君です」

「いいじゃん、なんでも! ――どう入部するっしょ?」

「え、いや、しませんけど……」

「どーしてさ! なんか他の部活やってんの?」

「今は帰宅部だよね、根津君」

 五十鈴に詰められて、仕方なく頷く。


「だからって、はい入部します! とはなりませんよ? そもそもどんな活動してんすか」

 正直全く興味がなかったが、まあ、社交辞令みたいなもんだ。

「おっ、よく訊いてくれたね、若人わこうどよ! 食べたり、飲んだり、書いたり、読んだり、話したり――」

「だから、美紅ちゃん! ごめんね、この子テキトーだから」


 またしても、眼鏡先輩のフォロー。この二人案外いいコンビなのかもしれない。今日知り合ったばかりなのに、息がぴったりと合っているのが伝わってくる。


「毎週火曜日と金曜日に図書室近くの文芸部室で活動してるから、よかったら見に来て? ――ほら、美紅ちゃん、そろそろ塾行かないと」

「おおっと、そうだった、しずかっち! 今日から新しい先生だから、気合入れないとだね!」

 そう言うと、先輩方は自分の荷物を持って立ち上がった。


「それでは少年少女よ、また会おう!」

「……じゃあね、美桜ちゃん、根津君」

「はい、先輩方、お気をつけて」

「ええと、お疲れさんした」


 そのままばたばたと名コンビは出て行った。そう言えば、あの二人の名前ちゃんとは聞いてなかったな、と。その後ろ姿を見ながらぼんやりと思う。


 気が付けば、図書室に残っている生徒の数は少なくなっていた。その誰もが、さっきまでの俺たちのようにおしゃべりに夢中だ。

 五十鈴に目を向けると、彼女は片づけを始めていた。俺と会話をするつもりはないらしい。まあ、それは俺も同様だが。本当に疲れたから早く帰りたい。できれば、瞬間移動したいなぁと思ったり。ここから、三十分くらい自転車漕ぐとかしんどすぎる。


 俺たちが立ち上がるタイミングは、全く一緒だった。仕方なくそのまま、並んで出口へ。一緒に近くの階段を下りていく。隣にいる女が無表情を得意とするせいで、全く気持ちが落ち着かない。

 無言のまま。沈黙とは気まずい。基本的には、黙っていると死ぬ病にかかっているから、俺は。しかし、女子に対して鮮やかな切り口は持っていなかった。


 それでも――


「どうして、俺を図書委員会に入れたんだ?」


 玄関で靴を履き替えながら、話しかけてみた。ずっと聞こうと思っていたけど、なんとなくタイミングが合わなかった。……忘れてた、ってのもあるけどネ。


「その方が都合がよかったから」

「……どういう意味だ?」


 透明なガラス戸を出たところで、彼女は立ち止まった。ゆっくりと、俺の方に身体を向けてくる。相変わらず、平然とした顔がそこにはあった。


「根津君って、私に興味ないでしょ?」

「……いや、ますます意味が分からんのだが」

「それじゃあ、私、バスだから。――また明日ね、根津君」

 彼女はそのまま、長い髪を揺らして真直ぐに歩いていった。

 

 本当に、五十鈴美桜のことはわからない。俺は少しの間、茫然とその後ろ姿を見つめていた。そんな俺の時間を再び動かしたのは――


『帰り醤油買ってきて』


 という妹様からのとても平凡なメッセージだった。

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