第63話 最後の練習
いよいよ、この土日が終われば球技大会はすぐだ。この頃になれば、一年生を含めほとんどのクラスでその練習が本格化する。元々運動部の活動が活発な我が薫風高校。校風として、こうしたスポーツ系のイベントには盛大に力を入れる。各競技の優勝チームには、景品も待っている。
それは二年一組でも変わらない。俺たちは優勝に向けて闘志を燃やしていた。だいたい先週くらいから、平日は都合のつく有志で、土日、さらに一日だけあった祝日は、チームメイト全員で練習を行った。
そして今日は――
「ストライッ、バッターアウッ! ゲームセッ!」
キャッチャーの構え通り、アウトローいっぱいにストレートを投げ込んだら、相手が見逃した。これが、五回の裏三つ目のアウト。本日の俺の失点は三。まあ及第点だろう。ちなみにチームの得点は八。
他のクラスと対外試合をしていた。うちのクラスの顔が広い奴がその約束を取り付けてきたのだ。ちなみに、日曜日の明日は恐怖のダブルヘッダーが組まれている。……さながら俺の最近の日常は、ソフトボール部じみてきた。いや、学校全体が、というべきか。
ホームベースを挟んで、相手チームと整列する。相手は二年六組。並んでいる顔によく見覚えのあるものが三つ。……三バカ、同じクラスなんだよな。俺だけが仲間外れ、悲しい。
とりあえず、誰とはなく号令をかけて、慇懃無礼に頭を下げた。そして、目の前の奴と固い握手を交わす。
そのまま自分チームが使っていたベンチに戻ろうとしたところ――
「よぉー、お疲れさん」
「おう、そっちもお疲れさん」
友成が話しかけてきた。
そして周五郎と修も俺のところにやってくる。俺はクラスの奴に断りを入れて、改めて連中に身体を向けなおした。
たまにメッセージのやり取りや通話はするが、こうして会うのは久しぶりだった。向こうは向こうで忙しくしているようだったし。
「今日のこーちゃん、すごかったね。大活躍だったじゃない」
「まあな。俺くらいの天才になればこれくらい当たり前さ」
「調子に乗るなよ、浩介。去年、お前が散々打たれまくったせいで、我々八組は敗北を喫したことを忘れてないぞ」
「……ソンナコトモアッタカモナー」
修の指摘に、俺は堪らずよそ見をする。去年、俺たちは奇跡的に準決勝まで進んだ。たまたまそこまで三年生と当たらなかったからだ。そして、その試合で初めて三年生と当たったわけだが――
いやぁ、恐ろしいほどに強かった。まさに別次元。三年生ブーストは本当にあったんだ、みたいな感想を抱いた。十点差以上ついたので、三イニングでコールド負けをした。
「なんにせよ、だ。今日は俺の大勝利には変わりがない。そこのイケメンボーイは、俺の前に三三振だしなぁ」
「うわ、すっげームカつく。あんなもん、まぐれだ、まぐれ!」
「はっはっは、何とでもいうがいい! 残念だったな、彼女にいいカッコ出来なくて!」
そして俺は友人たちから視線を外す。
少し離れたところに若瀬がいた。その周囲には二組の女子が何人か。名目上は、俺たちの応援とかなんとか。しかし、あの女の目論見が違うところにあるのは丸わかりである。
「まあ別にソフトボールが本職じゃねーし! 幻滅されるようなことは何一つねーよ」
「でも、お前が盛大に空振りした時、あの女盛大に笑ってたぞ」
「沙穂さんらしいといえば、らしいね……」
などと、同じ中学出身の女子を眺めながら、四人で盛り上がっていたら――
「何こっち見てんのよ、バカ軍団!」
その女は単身こちらに向かってきた。その足取りから明らかに怒っているのは丸わかり。俺たちは一人を除いて一斉に顔を逸らす。
「何の話? アタシの悪口とか?」
ぐいっと、若瀬は自らのカレシに詰め寄った。
「いや、ちげーよ。今日は手ひどく浩介にやられたなって話」
「ああ、それ。流石に、三三振はないわー。呆れを通り越して、みんなで笑ったわ」
あはは、と高い声を上げる若瀬に、友成は少しだけ眉を顰めた。そしてばつの悪い顔をして、頭を掻く。気の強いこの女に日頃から尻に敷かれている我が友人の姿が透けて見えた。
「仕方ねーだろ。こいつ、結構いい球投げるんだから」
「うん。去年よりも速くなってた」
「確かに。なんちゃって変化球ではなくなっていたしな」
「へー、そうなの。友成だけじゃなく、修や周ちゃんまでそう言うんだったら本当なんでしょうね。よかったじゃない、あんた。熱心に練習してきた甲斐があったわね」
「付き合わされてるだけだ、あんなもん」
俺は顔を顰めて、手を振った。
「へー、こーちゃん。今年はちゃんとクラスの練習出てるんだ。去年は結局、一週間前からしか来なかったのに。エースだったのにさ」
「なにが
「一番風車投法がうまかったのがお前だったからな。投げる球もそこまで悪くなかった」
「お褒めに与り、光栄だね」
ふんと、俺は鼻を鳴らした。正直、悪い気はしてなかった。ただの照れ隠し、そんなことこいつらにも見透かされているらしく、ただニヤニヤされた。
「あんなに部活第一主義だったお前が、今年はちゃんとクラスの練習しているなんて、俺は嬉しいよ」
「それは今も変わってないけどね。さっきの練習っての、クラスのもだけど、文芸部での話だから」
そして、若瀬が近頃の俺の課外活動の話を面白おかしくし始める。我が友人たちは、時折意味ありげな視線を俺にぶつけてきた。
「――ってわけ」
「へー、あのこーちゃんが、毎日のように女の子とソフトボールをねぇ……」
「ただの部活の付き合いだ。そんな楽しいもんじゃねえよ」
「そのわりにはみどりんもいるらしいじゃない」
一時期から顔を出すようになった、クラスメイトの弓道部の名前を若瀬は告げる。結局、いつかの土曜日、妹が何らかの企みを施した理由は不明のまま。訊いてみたら、残念そうにため息をつかれてしまった。
「俺らとしてはそこまで文芸部にいついていること自体、信じられないけどな」
「図書委員もだ。この間の貸出業務、ずいぶんと板についていたぞ」
「……お前らさぁ、二度と来るなよ。あの後、五十鈴にも司書さんにもこっぴどく怒られたんだからな」
あれはいつだったか。先月のことだったと思うが、昼休みにいきなりこの三バカが乗り込んできたのだ。そこでちょっと揉めて、図書室の平穏を乱した罪で、俺はペナルティを食らった。こうして思い出すだけで身が震える。
「でもま、いったい何がお前をそんなに変えたんだか。……いや、
「何を他人事みたいに。もとはといえば、お前らとの麻雀対決のせいじゃねえか」
「マージャン対決?」
とぼけた感じの女の声が、俺の耳に入ってきた。
「ああ。そうだ。罰ゲームでエロ本を……って、あっ!」
反射的に捉えながら、俺はすぐに失言に気が付く。三バカも、まずいという表情をしている。恐る恐る、唯一の女子を見ると、彼女はにっこりと笑っていた。
「その話、興味あるなぁ。ねぇ、とーもくん?」
若瀬の猫なで声は、俺たちの背中を震え上がらせるには十分すぎた。中学時代から馬鹿をやってきた俺たちは、いったい何度親や教師にこいつによって告げ口されたことやら……。
*
「おい、まだやるのか?」
投げ返されたボールを受け止めながら、くたびれた気持ちを少しも隠さず、俺はバッターに呼びかけた。周囲にはかなり夕闇が迫っている。さすがに五時過ぎに始めたとなれば、いくら夏とはいえどすぐに暗くなってしまう。
今日もまた、文芸部の課外活動は続いていた。フルメンバーに、弓道部の二人と元文芸部の三年生を加えた九人。もはや、一チームが完成していた。
クラス内での練習もあるというのに、それでもまだこの集団でやっているのには、確かな理由があった。それは――
「だって、まだちゃんと打ててない」
俺が相対するバッター、五十鈴美桜その人に原因があった。これまでの日々で、守に関してはまあ人並み程度にはできるようになった。フライもゴロも、送球も問題なし。本番で守るポジションは、なんとサードらしいが、大丈夫だろう。たぶん。ちなみにピッチャーは若瀬で、深町は背が高いからかファーストのようだ。
だがしかし、そこはソフトボール。守れさえすればいいということはない。球技大会に、守備専門選手の制度は無い。そう、彼女は打たなければいけないのだ。
なんだけど――
ぶるん。へなちょこスイングはボールに当たることはない。俺が放ったボールは、勢いそのままにキャッチャー(自転車)にぶつかった。そろそろ、俺の相棒も天に召しそうである。
五十鈴美桜という女子はバッティングはてんでダメなようだ。幾ら教えてもスイングはぎこちなく、バットにボールはかすりもしない。振り遅れるか、見当違いな方を振るか。
「もう一球」
力強いボールが奴から返ってくる。
「……しかしだなぁ」
もうそろそろ、俺も腕が痛くなってきた。試合を合わせて、かれこれ六七十球は投げている。明日も練習試合があるというのに。こんなんじゃ俺、本番で肩ぶっ壊しちまうよ……みたいな感じだ。
五十鈴の方に、諦める様子はない。意外と負けず嫌いな性質らしい、こいつは。そんな新しい発見はしたくなかった。
ちらりと背後に目を向ける。結構長く五十鈴の時間が続いているというのに、誰にもうんざりした様子はなかった。どうやら彼女たちはみな聖人らしい。……ただこいつが最後の番だから、気のすむまでやらせようという考えなのかもしれないが。
気を取り直して、俺は向かい合った。次の一球を最後にするつもりで。腕を勢い良く引いて、ぐるりと回す。リリースする一瞬、俺はぐっと力を緩めた。
我ながらそれはうち頃のボールだったと思う。高さもコースも文句なし。もし、今日の試合でそんな球を放っていれば、たちまちホームランを打たれただろう。そう思えるくらいに。
しかし――
「おい、なんで見逃すんだよ、絶好球じゃねえか」
五十鈴はぴくりとも動かなかった。
「手加減しないで」
「なんだよ、それは……」
五十鈴さんはプライドも高いらしい。……はあ。俺は観念して掌を上に向けて肩を竦めた。もう限界である。ここまでの七人にも本番同様に投げてきた。
だいたいにして、どいつもこいつもなぜ俺のボールを打ちたがるのか。『男子のボールを打てれば、本番も大丈夫そうじゃん』言いながら、笑顔で空振りしたのは美紅先輩だった。
ともかく――
「おい、のぞ。お前、投げろ」
呼びかけながら、俺はショートの位置につっ立っていた後輩にボールを投げた。彼女は難なくそれを受け取る。それを確認して、五十鈴の方に近づいていった。
「あいつもピッチャーやるんだから、それでいいだろ?」
「でも……」
「なんで打てないか、近くで見ててやっから」
「それならいい」
自転車選手に代わって、キャッチャーを務めることに。あんまりしないが、片膝をつくことにした。そして大きく、グラブをはめた左腕を構える。マスクは……なくてもいいだろ。そもそも家に置いてきたし。
そして、たったとのぞがマウンドに立った。何度かキャッチボールを繰り返す。その間、五十鈴にはタイミングを合わせて素振りをしてみろ、といったが、端から見ていてもぐちゃぐちゃなスイングだった。
「せんぱーい、いいですかー?」
視界の端で、こくりと五十鈴が頷いた。
のぞの投球フォームはお手本のようにきれいだった。ボールはそこそこの速さで真直ぐに向かってくる。コースはややうちより、そして少し低いが――
カキン――五十鈴の振ったバットがボールに当たったが。
「――てぇっ!」
顔に向かってきたボールを咄嗟に右腕で防いだ。肘より少し上に当たって、黄色いソフトボールが地面を転々とした。
すかさず近寄ってくるのぞ。そして、五十鈴もまた心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「だ、大丈夫ですか、浩介先輩!」
「ご、ごめんなさい、根津君……大丈夫?」
「……ああ。これくらい別に平気だ。――にしても、五十鈴。お前、わざとやってんじゃねーだろーな? ピッチャー変わった瞬間に、いきなりバットに当てだすなんて」
「……そ、そんなつもりないから。ただちょっと――」
そこまで言ったところで、彼女はいきなり顔を背けてしまった。
「なんだよ?」
「近くで見られて緊張したというか……」
「緊張したんなら、真逆の結果になりそうだけどな」
「とりあえず、大丈夫なら安心しました。でも、気を付けてくださいよ、浩介先輩」
「あいよ」
ボールを持って、のぞがマウンドに戻っていく。グローブをハメ直していると、五十鈴がまたしても俺のことを見ているのがわかった。
「気にすんなって。それより、次は前に飛ばせよ、ヘボバッター」
「……ほんとごめんね」
それは小さい声だったが、ちゃんと俺の耳には届いていた。呆気に取られている内に、彼女の顔が前を向いた。俺もまたしっかりと構えを取り直す。さっきよりも少し下がったところに。
また少し辺りは暗さを増していた。その中を、黄色い球体と銀色の棒が光り輝く。――なんていうのは、さすがに表現としては酷いな。でもなんだか突然そんなことを考えたくなったのだ。
結局、五十鈴のバットから快音は聞こえることはなかった。日が完全に落ちたので、今日のところはもう止めることに。そして、それが大会前文芸部としての最後の練習でもあった。以降は、各々のチームでの練習優先ということになっている。例えば、俺は明日ダブルヘッダーだ。……馬鹿じゃね?
黙々と道具を片付けていく。なんとなく雰囲気はもの悲しい。それは夜闇が迫っているからか、それともたんに疲れただけだからか。……あるいは、今までの日々を少しは名残惜しくは思っているのかもしれない。俺は、なんだかんだありつつも楽しかった。
「残念だったな、打てなくて」
たまたま隣り合った、五十鈴に話しかける。
「うん。ごめんなさい、散々付き合ってもらったのに」
「いいよ、気にすんな。俺も練習になったから」
投げすぎて腕はいてーけどな、と俺は薄く笑った。
「だ、大丈夫ですか?」
そこへ、帰り支度を完全に済ませた深町がやってきた。弓道部の白いウインドブレーカーはこの薄暗さの中でもよく見える。
「ああ。平気だ。半分冗談みてーなもんだから」
「でも試合の時もいっぱい投げてましたし……」
「大丈夫だって、寝りゃ治るさ。心配してくれて、ありがとな」
「い、いえ……あの、根津君。本番も頑張ってください。応援してますから!」
「おう、サンキュな」
そんな風に言われると、嬉しいと同時になんだかこっぱずかしかった。むず痒さに堪えかねて、俺は深町から視線を外す。
そこへ――
「根津君」
いきなり呼びかけられて、俺は少しびっくりした。
「なんだよ、五十鈴?」
「私、本番は打つから。――それじゃあ、二人とも。また月曜日」
最後まで平然とした表情のまま、彼女は頭を下げた。
言うだけいって、彼女は一人他のメンバーの方へ向かっていった。そして、少し言葉を交わすと公園を出て行く。
なんだったんだ、あいつは。俺と深町はちょっと呆然としながら、そのクールなクラスメイトの姿を自然と目で追っていた。
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