第68話 前途多難な花火大会

 全く何がどうなっているのか、わからない。俺たちは文芸部の一年生ズを待っていたはず。だが、やってきたのは、その二人プラスアルファ。

 だが、唖然としているのは俺だけだった。先についていた、俺以外の三人は平然とした様子で現実を受け止めている。すでに連絡を受けていた、ということだろうか。なんとなく、蚊帳の外感を感じる。


 ……まあ、そんなに気にするようなことでもないか。部外者なら、一人もうすでにいる。文芸部花火大会見学ツアーというお題目だが、その体裁は見事に崩れている。

 そもそも、うち一人は部員……それも副部長という権力者。やってきたことを咎める理由は、少しも

存在しないわけである。


 それでも、俺の中に疑問点――ツッコミどころは尽きないわけで。


「五十鈴、お前、来ないはずじゃなかったのか」

「うん。そのつもりだったのだけれど――」

 彼女にしては珍しく、少し困ったような顔をした。

 

 文芸部みんなで花火大会に行こう。部長の突然すぎる提案に難色を示したのは、俺だけではなかった。


 祖母の体調があまりよくない、と五十鈴は言った。本当は学校や部活だって休むつもりだったらしい。それでも祖母本人が大丈夫だと言うので、投稿してきたとのこと。


 さすがの美紅先輩も、それには引き下がった。気遣うような笑みを浮かべると、そのまま五十鈴を家に帰したわけである。


 ちなみに俺の方は、これは文芸部の恒例行事。このことについて、感想文を書いてもらう。部誌原稿を書くのにいい練習になる。という無茶苦茶な理屈の前に、屈せざるをえなかった。どこまでも弱い私、情けない……


 ともかく、それがどうして彼女はここにいるのか。しかも気合の入った紺色の浴衣姿で。花火大会にはしゃぐとか、そんなキャラじゃないだろうに。


「おばあちゃんが行きなさいって。去年のことを覚えていたみたい」

「はあ。なるほどなぁ」優しいおばあちゃんじゃないか、とちょっと心がほっこりする。「……で、その格好は?」

「だって花火大会でしょう」

 もっともらしい顔で返された。


 どうやらいつの間にか、日本の常識は変わっていたらしい。花火大会には浴衣を着用すること……その割には、そうじゃない格好の連中も目に付くけど。


 とりあえず、副部長に関する疑問は氷解した。続いて、談笑を決め込んでいる彼女たちの方に身体を向けなおす。こちらの方が大問題だ。


「おい、そこのちんちくりん」

「誰が、ちんちくりんよ、バカ!」


 ……どうやら向こうは徹底抗戦の姿勢らしい。俺としては一向に構わないが、生憎ここは地下鉄駅構内。大規模イベントのせいで、通行人の数も著しい。俺にだって、理性はある。


「……今のは俺が悪かった。ごめんな」

「お兄ちゃんにしては素直だね。いつもそうだったらいいのに」


 勝ち誇った表情を浮かべる妹。調子に乗りやがって、来週の月曜日を楽しみにしておくことだ。俺が食事当番……覚えてられるだろうか。

 ムカつく気持ちを押さえながら、俺はにっこりと笑みを浮かべた。


「それで、瑠璃さん。それと深町さん。お二方がどうしてここにいらっしゃるわけですの?」

「……気持ち悪いなぁ」大きくため息をついて、瑠璃は首を左右に振る。「五十鈴さんも言ってたじゃない、花火大会だからだよ」


 そんな返しをされると、俺の方も固まることしかできない。まさか、質問の意味がわからなかったわけではないだろうに。十五年も一緒にいるのだ、行間を察してくれてもいいじゃない。


「……偶然一緒になったとでも言う気か?」

 俺は疑るように、妹の顔を睨む。

「そうだよ。お兄ちゃんは納得してくれそうにないみたいだけど」

 しかし、奴は力強く睨み返してきた。


 じりじりと睨み合いながら、俺はこいつに一緒についてきたであろう、同級生に目を向けた。白い浴衣は、なんとなく彼女のイメージとぴったり合う。


「……深町、本当のところは?」

 俺の問いに、彼女は少しだけ直属の後輩を気にかけた。

「瑠璃が一緒に行こうって誘ってきたんです。文芸部のみなさんも来るからって」

「あたし、瑠璃から連絡受けました!」

 そして予期せぬ方向からの援護射撃。


 全くもって、確信犯――一説によると誤用らしいが――である。再び瑠璃の方を見るが、俺の方は心底うんざりした気分になっていた。

 来るというなら、一言教えてくれてもいいのに。姉貴も含めて、俺が文芸部の連中と花火大会に行くことは連絡済みだった。


「――だ、そうですけど?」

「もーっ! 翠先輩ものぞもどうして、ネタバラシしちゃうかな」

「別に二人は悪くないだろ……」


 なんともまあ、浅はかというか。我が妹ながら心底呆れた。


「もう一個、一応訊いとくがそれはどうしたんだ?」

「…………ああ、浴衣? お姉ちゃんにこの間、買ってもらった。テスト頑張ったからって」

「なにその、あからさまなえこひいきは」

「えっ、お兄ちゃんも浴衣欲しかったの!?」


 そういうことじゃないんだよなぁ。テストの結果によるご褒美制度なんて初耳……あの人、本当に瑠璃には甘いところがある。だから羨ましいとかじゃなくて、今度は姉貴に対して残念な気持ちになっていた。


 明かされた兄妹格差にやや愕然としながらも、俺はくるりと後ろを振り返った。文芸部古参の面々が、好き勝手に話し込んでいる。だが、俺が顔を向けると同時に、それはピタリと止んだ。


「おっ、話は終わった? じゃあみんな揃ったことだし、行こうか」

「……美紅先輩、予め知ってたんですね」

「まあね~。妹ちゃんから直々に連絡をもらって」


 ほんと、穴だらけじゃないか。瑠璃のやつ、どうやってはぐらかすつもりだったんだか。ぜひとも聞いてみたい話ではある。

 妹の行動に愕然としていると、深町がこちらの方にやってきた。その背後では、一年生が楽しそうにお喋りに興じている。


「あの、成尾先輩。よかったんですか、私と瑠璃がお邪魔しちゃって……」

「ベツニダイジョブヨー。二人はほら、一緒にソフトボールした仲だし。それに深町ちゃんの方は、この間勧誘もしたからいっかなって。――で、どうかな、深町ちゃん。入部する気になった?」


 ぐいっと迫る部長。対して、弓道部女子は一歩身を退く。彼女の顔には戸惑いの色が浮かんでいる。


「……も、もう少しだけ考えてみてもいいですか?」

「うん、もちろんだよ! じゃあ今日はあれだね、体験入部!」

「ちゃんとした部の活動じゃないけどね……」

 静香先輩が気の毒そうな顔でかぶりを振った。


「あんた、節操無いわねぇ」

「どうしてそこで俺を見るんですか?」

「あら、そのつもりはなかったのだけれど? 何か心当たりでもあるというのかしら?」


 自分がこの部にふさわしくない類の人間だ、という自覚はちゃんとある。それでも、今こうしてここにいるのだから、その責務はしっかり果たそうと思っているわけで。具体的には部誌を頑張る……割には未だ頭の中の原稿用紙は白紙のまま。

 今日の体験を基に記す感想文は果たしてその助けになるのか。その始まりを前にして、不安しかないんですけど……


「そろそろ行きましょうか。出店を見て回る時間、なくなっちゃうしね」


 この場を治めたのは、心優しき静香先輩だった。





        *





 今の状況を気まずい、と感じてしまうのは、やはり二人に悪いことなのだろうか。いや、しかし……なんとなく、すれ違う人みんな(特に男)が俺のことを強く睨んでいる気がする。それが、すっごい気になるのだよ。


『見事に各学年三人ずつ……! これはちょうどいいね。学年ごとに、お祭りを見て回ろー』

『いや、しかしですね、部長。俺としては――』

『えーなになに? このままあたしたち八人のうら若い乙女を侍らせたいって? もう、こーすけ君ってば意外と大胆だねぃー』

『うわー、お兄ちゃん。さいってー! お姉ちゃんに、報告しなくちゃ!』


 あわや濡れ衣を着せられそうな寸前まで行って、俺は仕方なく美紅先輩のろくでもない思い付きを受け入れた。美紅瑠璃タッグは意外と手強いということを、記憶に深く刻み込んでおかねば。、


 遮られてしまったものの、俺は時間が来るまで河川敷でボーっと突っ立てる方がよかった。無論一人で。大勢のリア充軍団に囲まれながら……拷問だな、これ。

 そういう地獄を鑑みれば、今の状況はまるで楽園……なんて、すぐに考えを切り替えることはできなくて。結局は、微妙な思いで、道を歩いているわけである。


 断っておくけど、決して二人と一緒に歩くのが嫌なわけじゃない。よく話す仲だし、普通の女子に対するような苦手意識はまるでない。


「へー、金魚すくいもあるんですねー」


 深町が屋台の前で足を止めた。水の入った、大きな四角い容器の中で、赤い魚がすいすいと泳いでいる。自分たちがレクリエーションの道具にされてるとも知らずに。


 会場近くにある大きな公園内には、露店がたくさん並んでいる。右側の屋台は深町、左側は五十鈴。そう、俺はサンドイッチ状態になっている。それもまた、気まずい要因その二。


「いや、知らないからこそ、こんなに幸せそうなのかもな」

「どうしたの、根津君。頭でも打った?」

「……辛辣すぎないかい、五十鈴さんや」


 さっき思ったことを口にしたら、不思議そうな目を向けられてしまった。どうしてこう、文芸部的モノローグを入れると、誰もが拒否反応を示すのだろう? 根本的に、創作活動に向いてないのかもしれない。ちょっとヘコむ。


「どうする、深町。やってみるか?」

「ああ、いえ……なんだか懐かしいなーって見てるだけですから」

 遠巻きに屋台を眺めながら、深町はふるふると首を横に振った。

「…………一応、お前にも訊いとくけど、どうする?」

「うちには、ネコちゃんがいるから」

「五十鈴さん、ネコさんを飼ってるんですか?」

「うん。黒くて、小さい子。とっても可愛い」


 金魚を前にして始まる猫トーク。もし、彼ら彼女らが言葉を理解するなら、恐ろしさのあまり震え上がっていることだろう。


 しかし猫、猫かぁ。別に五十鈴がペットを買っていること自体、不思議なことはない。だが、その溺愛っぷりが伺えるというか。今話している表情も、普段の二倍マシで楽しげ。そしてまさかの『ちゃん』付けときた。さっきは一瞬耳を疑ったぞ、実際。

 猫派は、実はとても身近なところにいる。今のマンションを決めた一番の理由は通学に便利なため。だが、第二にはペット可。まあその目論見は現在進行形で叶っていないけれど。


「見てください、これがうちの子で〜」


 ガールズトークは続いている。俺は変わらず蚊帳の外。漂ってくる会話の断片を、ぼんやり聞き集めていた。


「根津くんは」深町の顔がいきなりこちらを向いた。「なにか飼ってます?」

「ん、そうだな……ルリとスミレっていうどう猛な魔獣なら飼ってるな」


 口にしてからすぐに後悔した。目にも留まらぬ速さで、空気が一気に凍りついた。これを専門用語で、スベるという。


「兄妹を動物扱いするのは、どうかなと思う」

「その射殺すような冷たい目つきをやめてくれ。お前の場合、洒落になってない」

「悪質な洒落を言ったのは、キミの方でしょう」


 五十鈴の唇の端が曲がる。どこか勝ち誇ったように見える彼女に、俺は返す言葉が見つからなかった。


 金魚すくい屋の前での一悶着を終えて、俺たちは再び人の流れに身を任せる。花火の時間が近づくにつれて、その激しさは増していく。こうして歩いているのが、少し窮屈に感じるほどに。

 


「今度はわたあめか……」


 無表情に雲上の砂糖に齧りつく部活仲間を、俺はうんざりした気持ちで眺める。ついさっきはクレープを食べていた。その前はりんご飴。

 なんだかんだありつつ、五十鈴もしっかりこの雰囲気を楽しんでいるようだった。そのバランスが偏っていることには、口出ししないでおくが。


「五十鈴さんって、そんなに甘いものが好きなんですね。なんだか意外です」

「そうか? いつも菓子パン食ってるし、部室の菓子もあらかた食い尽くすぞ」

「そんなことない」

「……でも、その割にスタイルは」


 深町は激しくショックを受けているようだった。俺は気づかない振りをして、甘党ガールがわたあめを食べ終わるのを待つ。


 そろそろ、河川敷に向かうべき頃合いかもしれない。五十鈴の食道楽ももはやここまで。さながら、そのふわふわは最後の晩餐というわけだ。


「ん、やっぱり浩介じゃねえか。何してんだ、こんなとこで」


 くだらないことを考えていたら、突然後ろから声を掛けられた。かなりドキッとしたのは、その声の主がすぐにわかったからで――


「あら、ホント。しかも美桜ちゃんとみどりんも一緒とか、全くどうなってるわけよ?」


 続いて、いて当然のはずの人物の声まで聞こえてきて、俺はたちまち逃げ出したくなった。

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