第69話 浮かれる人々

「沙穂ちゃん! こんにちは……えと、こんばんは、か」

「はぁい、こんばんは、みどりん~。美桜ちゃんもこんばんは」

「こんばんは、若瀬さん」


 フリーズする俺をよそに、五十鈴たちはすんなり後ろを振り返る。すぐに楽しげに言葉を交わす声が聞こえてきた。


 思った通り、声を掛けてきた女の方は若瀬沙穂だった。となると、やはり男の方は――


「おいおい、浩介君? いつまで無視するつもりなんだい?」


 後ろから、がっつり肩を組まれた。すぐ真横にそいつの顔が来る。やや茶色がかった髪は、今日もばっちり決まっている。昔から女子人気の高い爽やか系イケメン。

 ……まあこういうこともあるだろう。地元最大級の花火大会、当然同じ学校の奴に会う確率は高い。しかしそこはそれ。この根津浩介、そんなに知り合いはいないのだ。…………いないのだが。


 とりあえず、イケメンの腕の中から逃れる。くるりと身体を反転させて、改めて奴と向かい合うことに。その肩越しに、沙穂の姿をはっきり視認。このカップルもまた、夏祭り気分真っ盛りの格好をしていた。

 

 ええ。もちろんわかっていましたとも。十中八九、この二人だってことは。でも少しくらい希望を抱いてもいいじゃない。淡い期待という奴だ。こいつらじゃなかったらどんなによかったことか。


「浩介君? 知りませんねぇ。人違いじゃあ、ありませんか?」

「お前、それは無理あるって」

「…………よしんば私が浩介だとしても、キミのことなんか知らないなぁ」


 とにかく白を切る。それが俺のできる最大限。というか、向こうも察してくれてもいいじゃない。長い付き合いなんだもの。


 イケメンボーイはあからさまなため息をついた。そしてこれまたわざとらしい悲しそうな表情を浮かべる。そんなに演技が好きなら、俳優にでもなればいいのに。少なくとも、外見は問題ない。


「俺は悲しいよ、浩介。お前のこと、親友だと思ってたのに。どうしてそこまで他人のふりをするんだよ」

「ふりとかじゃなくて、実際他人だろ。名無しのイケメンさんや」

「俺が親友のことを見間違うわけないだろ! ――ってか、そろそろやめないか、このノリ。疲れてきた」

「そーだな。じゃあ見なかったことにしてもらえるか?」

「いや、俺の方はよくても、向こうは無理だろ」


 微妙な表情を浮かべて、友成は後方にちらりと顔を向けた。同じクラスでもある三人の女子たちが、和やかに話している姿がそこにはあった。厳密にいうと、五十鈴はどうやら聞き役に徹しているらしいが。


 ……ある種見つかったのがこの二人でよかったかもしれない。あらぬ噂を立てられずに済むだろう。さっきと、考え方が百八十度ほど変わっている気がするが、それは気の迷いだ。


 自分が噂になることを気にするなんて、自意識過剰だろうか。いや、違う。少なくとも五十鈴の方は学年でも俄然有名人。

 深町だって、校内一二を争う部員数を抱える弓道部に属している。薫風高生の興味を駆り立てるのには、あまりある……と思う。


 まあそういうこと関係なしに、単純に知り合いと顔を合わせるのは気まずいわけなんだけども。


「にしても、あの根津浩介が女子と――しかも二人も連れて、祭りに遊びに来るとはねぇ。人って、変わるものだな、とか修ならしみじみ言いそうだ」

「お前らと一緒にするなよ。こっちは部活動の一環だ」


 その言葉に友成は目を丸くした。そのまま信じられないっといった感じに、表情が変わっていく。

 その気持ちは俺にもよく理解できた。同じ立場だったら、耳を疑った。下手なごまかしを、とさえ思うだろう。


「……ここお祭り会場だぞ? お前、文芸部だよな。いったい何の関係が?」k

「色々あるんだよ、こっちにも。前にも話したろ、この間なんかソフトボールの練習してたぞ、俺たち」

「わけがわからん」

 顔を歪ませて、彼は素早くかぶりを振った。


 それはこっちのセリフだ。美紅先輩の思い付きは、いつも突拍子がなくて意味不明。あの人、仮にも受験生だよな。……やめよう、考えてはいけないことな気がする。そもそもそれを言ったら、あやや先輩と静香先輩もいるわけだし。


 ちょっとの間、目を強く瞑っていた友成だったが、ふとまたもや後方に視線を移した。その顔に段々と、いやらしい類の笑みが宿っていく。


「五十鈴美桜が超美人なのは相変わらずだが、ショートヘアの方もいいな! 五十鈴とは逆に可愛い系って感じか。背高いのに童顔ってギャップがまたなかなか——」


 一人盛り上がる友成大先生。こいつは昔から女好きだ。やれ誰々が可愛いだの、実はクラスのあいつが本当は、だの、そうした話に目がない。

 だが、それは口だけである。若瀬と付き合う前から、こいつが女子と親しく話しているのはほとんど見たことがない。押本とは違うベクトルの残念さの持ち主だった。

 そういえば、押本といえば、五十鈴への花火の誘いはどうだったんだろう。……いや、結果は火を見るより明らか感はあるけど。


「——で、浩介。お前はどっちがタイプなんだ?」


 世の無常さをしみじみと感じ取っていたら、また友成が俺の肩に腕を回してきた。迫ってきた顔には、こちらを揶揄するような笑みがばっちりと張り付いている。


 ただひたすらに鬱陶しい。冗談交じりなのはわかっていても、軽くあしらうのすら面倒くさい。絶対、この後も一筋縄ではいかないだろう予想がつく。


「――沙穂さーん、お前の彼氏、五十鈴と深町の方が気になるとか言い出したぞー!」

「おい、バカやめ――」

「なんですってぇっ!」


 友成が制止する声はあと一歩遅かった。目論見通り、奴の彼女はすごい形相でこちらに近づいてくる。俺は恭しい仕草で、大げさに道を譲ってやった。


「あんたねぇっ!」

「誤解だ、誤解」


 猛然と詰め寄る若瀬。それにたじたじになることしかできない友成。とても見覚えのある光景だ。少しだけ、胸がすっきりする。

 だが、気を抜いてはいけない。バカップルの行きつく先は、嫌というほどわかっている。俺はすかさず、やや呆気に取られている深町の方へと向かっていった。


「さ、行こうぜ。そろそろいい時間だろ」

「えっ、でも……」深町は気にする素振りを見せた。「いいんですか?」

「あれは実際のところ、ただイチャついてるだけだ」

「イ、イチャついて……!」


 深町はそのまま黙りこむと、一度俺の顔を見てからすぐに下を向いてしまった。その顔が仄かに赤く見えるのは、会場の灯りのせいではないと思う。こういうのを、純情というのだろうか。

 フリーズしてしまった同級生に唖然としながらも、もう一人のクラスメイトに話しかける。ちょっと気になっていることがあった。


「お前、なんだそれ?」


 五十鈴の右手には小分けのビニール袋が。その中には、たこ焼きみたいな黄土色の物体がゴロゴロと入っている。

 空いた方の手には、プラスチックの棒。先端が尖り、先程から袋の中の物体を口元に運ぶのに大いに役立っていた。


「ベビーカステラ。美味しいよ。食べる?」

 すかさず、カステラが刺さった棒を彼女は差し出してきた。

「…………いや、別にいらねえ」

「そう」


 一度は俺に向けられたベビーカステラ。すぐにそれは、買い主の口の中へと吸い込まれて行った。何を見せられているんだ、俺は……。

 五十鈴は次に、深町の方へと顔を向ける。同じようにベビーカステラを突きつける。さながら、よく道端にいるティッシュ配りの人のように。


「深町さんは、どうする?」

「い、いえ、私はその、あの、そういうつもりじゃ……」

 真っ赤になって、深町は首を左右に振った。

「? ベビーカステラ、食べない?」

「え? ――あ、ああ、カステラ………………えっと、じゃあ貰ってもいいですか?」


 ちょっとした間があって、深町は慌てた様子で言葉を絞り出した。さっき一瞬、素っ頓狂な声を上げて、呆然としていたのは、未だ俺の頭に強く残っている。今はとりあえず、恥ずかしそうなのは伝わってきた。

 だが、クラスメイトのそんな様子を、五十鈴はまったく気にならなかったらしい。こくりと頷くと、持っていたプラ串を差し出した。


「あ、おいしいっ!」

「ね、そうでしょ」


 なぜ五十鈴が得意げなのか。それはおいておいて。こいつにちょっと変なところがあるのは、今に始まったことじゃない。

 それよりも——


「深町は一体何を考えていたのか。気になる。だが、確かめてはいけないような……。それはあたかもパンダの箱のようで。俺はジレンマに身を焦がされていた。みたいな」

「パンドラよ、根津君」

「知ってるって。ボケただけだ」

「まったく面白くなかった」

「素直な感想ありがとう」

「どういたしまして」


 こいつ、ほんとイイ性格してるな。うんざりした気持ちで、その綺麗な顔を睨みつけてやった。……まったく効果はなかったけども。


「ということで、深町。お前はどんな勘違いを――」

「き、聞かないでください! 忘れてください!」


 普段のおっとりした深町の雰囲気からは考えられない迫力。なんなんだ、いったい……と思いながら流石にそれ以上追求する気にはなれない。


 そんなくだらないやり取りをしていると、背後から強く幸せオーラを感じる。どう考えても、ここにいるのは得策じゃない。俺は二人を急き立てて、逃げるようにして近くの人ごみへと飛び込んだ。





        *





 お祭り会場を抜けて、俺たちは待ち合わせ場所である公園入口へ到着した。とある要因で駆け足になったせいで、人だかりを抜けるのにとても苦労した。

 もうすっかり夜になっていた。それでも真っ暗ということはない。街灯が辺りを十分に照らしている。昼間あれだけ感じた暑さも、今ではだいぶマシになっていた。


 思っていたよりも、周辺に人の姿は少ない。おかげですぐに文芸部とゆかいな仲間たちは発見できた。


「おーおー、やっときたかい、二年生チーム! 遅いぜぇ」

「すみません」


 嘘っぽく怒り出す美紅先輩に対して、半笑いでちょこんと頭を下げる。顔を上げてすぐに、すかさず俺は遅れた元凶の方を横目でにらんだ。


「こいつのせいで道に迷って、余計に時間食って」

「美桜、あなたまだ方向音痴は治ってないのね」

 元文芸部の先輩は、気の毒そうな表情を浮かべてかぶりを振る。


 本当ならば、来た道を折り返すだけの簡単な仕事だったはずなのに。テキトーに屋台を見て回ったせいで、すっかりどこを通ったかはわからず。俺だけでなく、深町もまたあまり覚えてなくて、なぜか五十鈴だけが自信満々だった。

 五十鈴の特殊能力ほうこうおんちは完全に忘れていた。だから頼った、彼女を。結果、なぜか公園の裏側に出てしまった。

 結論、俺はもう二度とナビゲートに関して五十鈴に頼ることはないだろう。今日この日の徒労を、決して忘れはしない——


「まあ何はともあれ。こうしてこのメンバー全員と無事に顔を合わせることができたのは、本当に——」

「はいはい、そういうのはいいからね。ほら、早くいかないと始まっちゃう!」


 静香先輩が部長のご高説を容赦なく遮った。そして彼女の浴衣の袖をガッツリと引っ張って歩き出す。

 俺たちもぞろぞろとその後ろに従った。ここから河川敷まではちょっと距離があった。視界の先では、ほぼ浴衣姿の行列が縦に伸びているのが見えた。思わずげんなりしてしまう。


「み〜ど〜りせんぱいっ! ちょっとこちらへ」


 祭りの時同様、俺たちは自然と同学年同士で横並びになった。だが、歩き始めてすぐ、弓道部のクラスメイトは後ろの方に吸い込まれていった。

 前を歩く先輩方は楽しそうにお喋り中。後ろからは、のぞの元気のいい声が時折爆発的に聞こえてくる。ただ、俺と五十鈴だけがこの隊列の中で無言だった。

 ……気まずい。ちらりと奴の横顔を窺うが、いつも通りの済ました表情。


「お前は二回目なのか?」

 結局、俺は沈黙に耐えることができなかった。

「何の話?」

 五十鈴はちらりとこちらに顔を向けると、ちょっとだけ首を傾げた。

 

「この花火大会だよ。去年も来たんだよな?」

「うん。でも二度目じゃないわ。子どもの頃に、何回か来たことある。おばあちゃん、昔からこの街に住んでるから」

「ああ、なるほど」


 夏休みにおじいちゃんおばあちゃんのところに遊びに行く、というのは小学生あるあるだな。休み明けそんな話で盛り上がった記憶が微かにある。

 もっともうちの場合は、父方も母方もこの街に住んでいる。だから、余所行き気分は一度も味わった覚えはない。


「根津君はどうなの? ずっとこの街に住んでるんなら、やっぱり毎年のように来るの?」

「お前と同じだよ。子どもの頃に、後ろのこうるさい――」

 蹴られた。

「超絶かわいいいも――」

 殴られた。

「家族で、って感じだ」

「大丈夫? 結構な音してたけど」


 それは心配しているというより、揶揄っているようだった。その証拠に、五十鈴の顔には呆れたような笑みが浮かんでいる。


 そんな風に他愛のない話をしていると、ようやく土手が見えてきた。目の前にある石段を上れば、もうそこは終着点である。

 しかし――


「いやぁ参ったね、これは!」


 下からでも、土手の上が人でごった返しになっているのが見えた。とてもではないが、近くに見物できるようなスペースはない。

 まあわかっていたことではあるけれど。その大集団を目の当たりにすると、帰りたくなってきた。でも美紅先輩が臆せず進んでいくので、ついていく以外選択肢はない。


 人並みを強引にかき分けて、俺たちが足を止めることになったのは、土手のかなり端っこの方。それでもなお、周りには大勢の人間が立ち並んでいる。

 人々の熱気や騒がしさに身を任せながら、俺はただひたすらに夜空に花火が打ちあがるのを待つ。ちょっとワクワクしているのが、自分でも意外だった。こんなイベント、まるで興味が無かったはずなのに……


 そしてその時はやってきた!

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