第28話 根津君と五十鈴さん

「――じゃあお前と五十鈴さんの間には何もないのな?」

「ああ。そうだよ。暇つぶしに手伝ってるだけだ」


 念押ししてくる押元おしもとに、俺はひらひらと手を振ってみせた。それでようやく怪訝そうに歪んだ彼の顔が元に戻る。

 全く警察の取り調べかっての。もちろん、そんな経験は私にはありませんとも。テレビで見たのです、映像作品というやつですな。

 昔は好きで、なんちゃらサスペンスを見てたものだが。それもめっきり無くなっちゃって……。最近は、普段理知的でありながらも、たまに容赦なくぶちぎれる警部が主人公のドラマくらいしか見ない。


「しかしお前もつくづく変な奴だな……。いくら暇だからって、自分と関係ない部活の新歓手伝うとか」

「一宿一飯の恩義には報いなければな」

 それは完全な嘘、というわけではなかった。

「なんだそりゃ」

 ふんと、鼻を鳴らして彼は苦笑した。


 そこは武士かよ、とか言って欲しかったり。彼と似たタイプの友成なら容赦なく、からからと笑いながら言い放ってくれるだろう。なんてったって、我々にはリアル・サムライのオサム・タグチという共通の知り合いがいるから。あいつ、いちいち言い回しが古風なのだ。


「おーっす! ……って、ユータ何してんだ、俺の席で?」


 少し妙な間が出来上がったところに、意気揚々と卓がやってきた。爽やかな笑顔を浮かべながら。ちょっとだけ汗ばみ、首からスポーツタオルをぶら下げている。


「悪い、悪い。ちょっと根津に用があってな」

「告白されたの、アタシ!」

「やめんか、朝から気色悪いっ!」

 ぱーんっ、という小気味いい音が朝の教室に響く。


 衝撃は一瞬のことで、後に残る痛みは殆どない。しゃきっとスッキリ後味なし――なんかのCMみたいだ。この技術だけは確かなものがある。ふと、去年文化祭のステージ発表で漫才を披露していた二人組がいたことを思い出した。俺たちも、テッペン獲れるかも……!


 あははっ、と豪快に笑い飛ばすと、ユータ君は立ち上がった。それじゃな、と言って彼は自分の席に戻っていく。晴樹の二つ前がその本来の居場所だ。


「で、何の話をしてたんだ?」

「うーん、そうさなぁ……」

「五十鈴さんの話だよ」


 言い淀んでいたら、晴樹に先を越された。聞いてたのか、こいつ……。さっきまで、スマホをポチポチと弄ってたみたいなのに。


「なんだそりゃ?」

「卓君は知らない? 昨日、浩介君が文芸部のビラ配ってた話」

「ほ~、そんなことが。それまたどうしてだ? ……あっ、五十鈴のこと狙って――」

「ストップ、ちょこばななっ!」

「……ここは縁日じゃないぞ」

「失礼、そこまでだ、でした。お詫びして訂正します」

 慇懃無礼に頭を下げる。


「ちなみに今のツッコミは二十三点だ」

「意外ときびしいんだね……」

 当の本人の反応は、一つ大きく鼻から息を吐きだしただけだった。


「同じことを押元にも訊かれたわけさ」

 さっさと話を元に戻すことに。


 俺が登校したのは今から十分ほど前のこと。それはいつもと変わらないことだった。そして、すでに来ていた晴樹と雑談をして時間を潰す。学年が変わって一週間以上経つとなれば、日常のリズムは確立するというものだ。

 そしてしばらくすると、あの男――押元裕太が乱入してきた。なんかこう表現すると、某格闘ゲームの挑戦者が現れました、を彷彿とさせる。そう思うのは、たぶん昨日妹にそのゲームでボコボコにされたせいだろう。


 押元は少し目つきが鋭い、きつい顔つきのイケメンだ。さらに背も高く引き締まった身体をしているから、きっと女子に人気なんだろう、と思う。今まであんまり絡んだことはない。人としてのタイプが違うから、というよりはきっかけがなかったからだが。

 そんなイケメンボーイは、我が物顔で俺の友人の椅子にどかっと座った。そして、開口一番俺に『お前、文芸部なのか?』とぶっこんできた。


 ビラ配りって、やはりそれなりに目立つらしいよ、奥さん。そこに、五十鈴美桜という学年でも屈指の美人が合わさるとなおさら人目を惹く。するとどうだろう? 隣にいる謎の男子生徒の存在もまた、みんなの注目の的になるわけだ。――わぁ、俺もそんな人気者になれたんだなぁ(棒)。

 押元も昨日あの場所にいたらしい。そして俺たちのことに気が付いた。あの人を軽く殺せそうな看板のお陰で、見事に所属する部活の名前もバレたわけである。


「いや、違うって答えたら、今度は『じゃあ五十鈴とどういう関係なんだ?』って畳みかけてきてさぁ」

「ユータのやつ、きっと五十鈴のこと狙ってんだろうな」

 卓は俺の左隣の席を一瞥しながら声を潜めた。


 それは余計な気遣いというものだ。だって、あの女まだ来てないからね。朝はビラ配り禁止されてるから、あいつは平常運転ということだろう。お菓子もまだたんまり残ってたし。


「で、実際のとこ、どうなんだ?」

 卓はニヤニヤ、晴樹は少し硬い表情をしている。

「――お前ら、口、固い?」


 ま、ちょうどいい機会かもしれないな。俺は意味ありげに笑って、二人の顔を交互に見やるのだった。





        *





 おつかれさま~、と緩みきった声を出しながら矢島先生が教室を後にする。英語の授業がたった今、終わりを迎えた。――四時間目、つまりはこれから昼休みフィーバータイムが始まるのです!


 ガタガタと、教室が一気に騒がしくなった。血気盛んな男子連中は、誰が持ってきたのか、教室後方に佇んでいたバスケットボールを手にして一気に教室を飛び出していく。民間船を見つけた海賊みたいだな。しっかりとワイシャツの袖をまくったりして、凄い張り切りよう。


 俺はゆっくりと椅子に腰を下ろすと、のろのろと弁当箱を取り出した。二段重ねのそれは、びっしりと閉じられている。俺はほかの連中とは違って早弁はしない。空腹に耐え抜くことこそ、学生の本分なのではないだろうか。私はそう思うのです。

 だからといって、中身は開けてからのお楽しみ、なんてことはない。だって、自分で作ってるからね。憧れるわぁ~、彼女が弁当を作ってきてくれるとか。そんなものはファンタジーの世界だ。……友成の小馬鹿にした笑顔が浮かんだ。


「これから部室行くんだけど、来る?」


 弁当箱を分解して縦に並べたところで、頭上から声が降ってきた。ふと見上げると、左手に五十鈴美桜がすっと立っていた。その胸には、二つの菓子パンの袋を抱きかかえている。


「新歓か?」

「ええと、どうかしら……。昨日の三人組が来るのよ。部室でお昼食べたいって」

「ほ~、物好きな奴もいるもんだな」

「その中にキミの妹もいるってこと、忘れないでね?」

 彼女は少しだけ眉間に皺を寄せると、呆れたように吐息をもらした。


「いや、俺はいいわ。部員じゃねーしな」

「そう。それじゃあね、根津君」


 平然とした様子で、文芸部女子はそのまま教室を出て行く。俺はその姿をぼんやりと見送った。遅れて、ばっちりと髪型を決めた男子がその後に続いたのが視界に入った。

 何事もなかったように、俺は自分の手元に視線を戻した。耐え難い空腹感に襲われている。パッパッと弁当の封印を解くことにした。


「お前って、意外と五十鈴と仲いいよな」

 目の前のサッカー小僧がくるりとこちらを向いた。

「寝言は寝て言いな、卓君。脅す者と脅される者の関係ですぜ、僕ら」

「それは浩介君の被害妄想だと思うけど……。五十鈴さんがそんな悪い人には思えないよ?」

 晴樹は顔だけこちらを向けてきた。


 朝、この二人には俺とあの女の隠された繋がりについて説明した。奴らは俺がエロ本を買おうとした、という事実にはあまり衝撃を受けなかった。食いつきがよかったのは、学校近くの本屋であいつがバイトをしているという話だった。今度行ってみるか、と卓は楽しそうにしていた。

 それでも、弱みを握られているから俺はあいつに頭が上がらない。そのことに、二人は納得がいったようだった。これまでも、何度か変な光景を目の当たりにしていたからだろう。ビラ配りの一見もそれで片付けた。……それでも、彼女の聖人像は壊れなかったようだが。


「しかし実際に、俺は図書委員をやっている。それがどういうことか、わかるかね?」

「お前が忖度をした、ということだろう」

 うんうんと卓球部員も頷いている。

「まったく難しい言葉つかっちゃって……。やあねぇ、最近の若い子は!」

「いったいどこの立場からのコメントなのさ」

「やめとけ、晴樹。真面目に相手するだけ時間の無駄だ」

 そう言うと、卓は自分の口の中にご飯の塊を詰め込み始めた。


 とんでもない言い草だな。軽くムッとしながらも、俺は唐揚げを一つ摘まんでかじりつく。揚げ物にチャレンジしたことはないから、今度やってみようかな、と思う。料理を初めてそれなりに経つが、なかなかにハマりつつあるのだった。


「でも、浩介君が羨ましいよ。あんなに五十鈴さんと話せて」

「……そうか? 別にお前も話しかければいいじゃん」

「いやいや、なかなか難しいと思うぜ? 俺隣の席だけど、事務的な会話しかできねーもん」

「ほら、いつも本読んでるから、なんとなく近寄りがたい、というかさ……」


 昼休みはもちろん、授業間の短い休み時間すら、五十鈴は確かに読書に夢中だった。周りのクラスメイトと話している姿を、あんまり見たことがないような気はする。もちろん、いつも観察しているわけではないから、実際のところは不明だが。

 あいつも別に、人と話すのが嫌いじゃないと思うんだよな。昨日の放課後も、結局最後までしっかりと瑠璃たちと談笑してたし。今も、粛々と部室に向かっていった。


 この二人みたく五十鈴の隠れファンは多いんだろう。朝の押元のように。でも彼らがマドンナに近寄ることはあまりない。塩対応に心が折れるのかもしれない。それでも、あの美貌で許されてる感はある。

 案外中身まで、完璧美少女ではないんだけどな。それは大やけに知られてないらしい。部内限定の顔なのだろう。あそこに同学年がいないから、広まっていないのか。でも一人くらい、親しい女子くらいいそうだが――


 ふと顔を上げると、怪訝そうな顔をしている友人と目が合った。慌てて取り繕うように、微妙な笑みを浮かべる。


「……俺のことが気になるのか?」

「それこそ、寝言は寝て言え、だろ」

 呆れたように卓はかぶりを振った。


 彼を茶化しながらも、俺はその質問を自分に向けていた。もちろん、の前に置く名前はあの物静かなクール少女に変えておく。なぜ気になるのか。きっと不思議で満ち溢れているからだろうな。あっけないほど、答えは簡単に出た。ミステリーとか、結構好きなのだ、こう見えて。


 ちょっと落ち着いたので、食事を再開することに。ふと教室を見渡すと、女子たちが何グループか分裂しているのがわかった。そして、五十鈴の前の席の女子もいない。

 男子の方はバスケに出かけて行った戦士たちを除き、だいたい自席で周りのやつと話している。あるいはスマホを弄ったり。……いつのまにか、さっき教室を出て行った押元が戻ってきていた。

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