第29話 部員を集めろ! ミッション4
左右に人の圧を感じながら、俺は壁にそっともたれかかかる。相変わらず鈍器じみた看板は重い。両手で引っ掛けるようにして抱えてるが、となると今度は縁が肉に食い込んでくるわけで。周りにわからない程度に、俺は一つ軽くため息をついた。
比較的中央階段に近い位置だからか、ここはよく人が通る。だからこそ、当然、他の部活の面々もぎゅうぎゅうに集まっている。そして騒がしい。そのために、俺はなかなかの居心地の悪さを味わっていた。
しかし、周囲に気兼ねすることなく、ぐいぐいっと陣取れる辺りはさすが――
「ハイッ! そこの可愛いお嬢さんっ! 一緒に文学の世界への扉を開けて見ないか~い?」
美紅先輩はわけのわからないテンションで、今目の前を横切ろうと小柄な少女に話しかけに行った。しっかりと正面に回り込むという徹底ぶり。
「ごめんなさい、興味ないんで」
差し出されたビラすら受け取らず、少女は冷然と去っていった。俺は密かに、その一年生を五十鈴亜種と称して崇め奉ることに決めた。髪も同じくらい長いし。
とぼとぼと、部長が俺の隣に戻ってくる。さしものこの人もダメージを受けたのかもしれない。立ち止まるなり、大きくため息をついた。
「あの、大丈夫です?」
「へーき、へーき。これくらいじゃ落ち込んでられないよ! 草葉の陰からみおっちに笑われちゃうかんねっ!」
「いや、俺のクラスメイトを勝手に殺すのやめてもらえます……?」
「ナイスツッコミ!」
ばしんと強く肩を叩かれた。いたい。
なぜ俺がこの
あのやろう、今日はバイトらしい。どうりで部室に向かう際に追いかけてこなかったわけだ、と軍曹から話を聞いた時とても得心がいった。
「ホントはさー、今日って部活ないじゃん。それで、元々シフト入れてたらしいんだよね~」
「……でも新歓強化週間だったんでしょ?」
「あれ、その場のノリで決めたから!」
ぐっと、どや顔で親指を立ててくるは薫風高校三年生である。
「でも部員揃わなかったら、廃部なんですよね?」
「そだよ~」
「……計画、がばがばすぎません?」
「そこに気付くとは、やはり……天才――」
「先輩、次、次」
「ほいほいっと」
そこにタイミングよく女子集団が現れた。キャピキャピ系の五人組。どこか垢抜けた容姿、さらに一年生この時期にもかかわらず、だらしない制服の着こなし! うん、青春強者的オーラを感じる。他の連中も声をかけにくく思ったのか、抱えるビラの数は少ない。
しかし、美紅先輩は臆することなく彼女たちの方に赴く。ほんと物怖じしないな、この人。こんなに掴みどころのない人は初めてだ。浩介、びっくり!
俺はぼんやりと、文芸部部長が一年生に話しかけるのを眺めていた。二言三言、言葉が行き交っている。青春強者団はニコニコ笑顔だが、それは手応えがあるわけではないみたい。ああいう、いっつも楽しそうにしてる人種がこの世に存在することは、俺もよく知っている。
そして、やはり少し肩を落とし気味に美紅先輩は帰ってきた。青春強者団は何事もなかったかのように、俺たちの前を通過して階段を降りていく。化粧品特有の少しキツイ香りが俺の鼻を襲った。
「またしてもスカでした~」
部長はおちょくるように指をひらひらと動かす。
「四回目くらいっすか?」
「さあ。私、失敗は数えない女なので」
オヤジギャグをガンガンかましたりしたりと、本当にメンタル強いと思う。
「まあ時期も時期だからしゃーないか」
「明日で一応終わりなんでしたっけ?」
前、他でもないこの女に教わったことを思い出す。
「そそ。もう大概の人はすでに入部してるか、候補を絞ってる」
「あの二人はどうですか? 瑠璃の友達」
「感触はそれなりかな~。ただ、もうちょい見たいとは言ってたね~」
その顔が珍しく少しだけ曇った。最悪の結末を想定しているのかもしれない。誰も新入部員が入らない、という。もしそうなったら、俺はどうしようか。名義貸しはするとは言ったが……。答えが出ない気がして、俺はかぶりを振った。
もちろん、彼女たち以外に何人かの来訪者はあった。ばったばったと、成尾軍曹が新入生を部室に連れ込んだらしい。それでも、その中にも入部を即決した者はなかった。
「結構、マズくないですか、この状況」
「う~ん。先週よりは好転してるから。あの時のビラ配りの戦果は結構悲惨だったんよ。ま、だからこそ今週は『新歓特別週間』と名付けたわけだけど」
「先輩、強化、です」
「意外と細かいね、こーすけくん……」
先輩は少し微妙な表情をした。
「ともかく、そんなに苦戦してたんですか?」
言いながら、俺に声をかけるくらいだからなぁ、と思い至っていた。
「ほら、しずかっちはやる気が空回りするタイプだし。みおっちは照れ屋さんだし」
「でもあいつ、接客業やってますよね、一応。それなりに様にもなってましたよ」
「見たことあるんだ! ……じゃああの時の」
意味ありげに呟くと、美紅先輩はどこか妖しく笑う。
「どうかしました?」
「いんや、べっつに~。――みおっちはマニュアル通りに作業するのは得意だからね」
機械的に作業をこなすあいつの姿が浮かんだ。それは恐ろしいまでに違和感がない。実際、俺も何度かあいつに血が通っているのか疑ったくらいだ。恐ろしいほどに感情表現に乏しかったから。……最近は割とそんなことがないことも判明したけれど。
「ま、ともかく。気合入れて頑張んないとねー。あと一人だしっ!」
「あれ、誰か入ったんですか?」
わけがわからなくて、俺は少し首を傾げる。
答える代わりに、部長はニヤニヤしながらこちらに指を突きつけてきた。それを逆に折り曲げたくなったのは、言うまでもないだろう。
*
リビングダイニングにはとても緩やかな時間が流れていた。片隅に置かれたテレビからは、バラエティ番組の騒がしい声が流れっ放し。それがある種のBGMと化していた。
のろのろと遅い夕飯を食べている姉貴の正面に座って、俺はスマホをポチポチ弄っていた。時刻は午後十時を回っている。瑠璃はといえば、風呂場で立てこもり事件を起こしていた。奴も姉も長湯だ。だから、俺はもう先に済ませてある。
ちらりと確認すると、もうそろそろ彼女の食事も終わりそうな頃合いだった。かすかに残していた麦茶を飲み干して、俺はゆっくり席を立つ。
「そうだ。今日も木ノ内さんたちの授業だったんだよ~」
そのか細い喉が小さく震えて、姉貴は顔を上げた。
「キノウチサン? ……誰だ、それ」
「えっ! ……木ノ内静香さん。文芸部の」
姉は実の弟に対して、信じられないものでも見るような目つきをぶつけてきた。
ああ、そういえばそんな苗字だったっけ。最近めっきり耳にしないから、忘れていた。美紅先輩の苗字は、成尾、か。昨日、思い出したばかりだから、その記憶の鮮度は抜群。
空になった皿を両の掌にそれぞれ載せて、俺はキッチンに向かう。皿洗いをするためにここにいた。四六時中お姉ちゃんの近くにいたい、なんて時期はとっくの昔に終わってる。本音を言えば、さっさと一人自室でゴロゴロ、ぬくぬくしたい気分だった。
レバーを上げると、ぬるめのお湯が出てくる。最近ようやく暖かくなってきたとはいえ、冷水に長時間素肌を晒すなんて残酷なことをするには、まだちょっと早い。今持ってきた食器をさっと水にくぐらせる。
姉貴に訊くまでもなく、あの二人が今日塾だということは知っていた。部室を出る時、そんな話をしたからだ。週に一度、英語を教わっているらしい。まあ姉は文系だし、妥当なところか。その英語力がどれほどか、弟の俺にはわからないけれど。
さ解散したのは昨日より早かった。二人に用事があったのもそうだが、最後に来た一年生が帰った時刻が中途半端だったということもある。今日の客人は四名。その男女比は一対三。歴代から見ても、男子部員はあんまりいないらしい。
とりあえず、その誰も結論は『保留』だった。先輩たちはあまり気にしてなかったようだけど。何か秘策があるのか。なるようにしかならないと考えているのか。その理由はわからない。
「浩介君のこと、褒めてたよ。関係ないのに新歓手伝ってくれて、本当にありがとうって」
「ふ~ん」
洗い桶の中で遊泳させていた食器たちを、シンク内に展開していく。
「お姉ちゃんとしては、鼻高々です!」
弟の反応が存外薄かったからか、姉は声を張り上げた。
「へいへい、さいですか」
「もうっ! さっきから、なんでそんな気のない返事ばっかしなのよ」
その声には怒気が籠っている。
そう言われても反応の仕方がわからない、というか。正直、そんな話を姉にするのはこっぱずかしかった。少しだけ顔に熱を感じるのが、すっごい嫌だ。
少しの間、沈黙が広がる。テレビの音がやけに大きく聞こえた。頭の中では、姉が生徒とどんな会話をしたのかが気になっていた。自分の与り知らぬところで、話題にされているというのはどうにもくすぐったい想いがしてならない。
比較的、姉弟仲は悪くないと自負しているが、それでもあんまり自分のことを知られたくはなかった。なぜそう思うのかは、自分でもよくわからない。
「でもさ、最近の浩介君、ちょっと生き生きしてるよね」
すっかり食事を終えた姉貴がカウンターに食器を持ってきた。
「そうか? そんなことないと思うけど」
「部活辞めてから、なんかダラダラしてたから、お姉ちゃんちょっと心配だったんだよ?」
「すみませんねぇ、前世はナマケモノなもんで」
それらを回収しながら作業を始める。
実際、最近退屈していないのは事実だ。学年が上がってから、真直ぐに家に帰る日は減った。奇しくもそれは、弓道部時代と同じだ。
打ち込めるものを探していたわけでもない。早く家に帰った後の時間を持て余していたわけでもない。ただ、戸惑いを覚えていたのは事実だ。いきなり、今までやっていた日課が消えたのだから。……それを選んだのは、紛れもない自分だったけれど。
こうして毎日、文芸部の新歓を手伝うのは全く苦ではなかった。むしろ、色々なことを感じられて楽しいとも思える。だから、それは決して感謝されるような事ではない。俺にとっては単なる暇潰しでしかない。たまたま気が向いただけの、所詮その場しのぎの――
「さあて、お姉ちゃんはお勉強でもしようかな~」
そんな弟の心の機微には、彼女は気づかなかったらしい。満面の笑みを浮かべると、身体を少し伸ばしながら離れていく。大学生の毎日は楽しいのだろうか。少なくとも、姉はいつも上機嫌だ。
それはとても先のことのように思えた。もちろん、進学の意思はある。でも、俺はあんまり未来のことを考えるのは得意ではない。だって、明日が新歓活動のリミットなのに、その後のことなど全く浮かんでいない。今を過ごすのでせいいっぱいだった。あの頃からずっと――
「すみれちゃん、弁当箱出して」
「……あっ!」
揶揄るように声をかけると、姉貴は素っ頓狂な声を上げた。その光景がなんだか面白くって、俺はつい唇を緩めるのだった。
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