第30話 部員を集めろ! ミッション5

 いよいよ、放課後がやってきた。学内に鳴り響く無機質な鈴の音は、学生たちに福音をもたらす。ある者は歓喜の声を上げ、ある者は感涙に咽ぶ。薫風高校はかつてないほどの幸せに包まれていた。


「――というのは、どうだ?」

 我ながら実に文学的だと思う。自分の才能が怖いぜ。

「却下。五点」

「……それ、十点満点だよね?」

「百点」

 冷徹な悪魔は俺の言葉を容赦なく撥ね退けた。


 今日は新歓最終日となる金曜日。俺と五十鈴は早足で、文芸部の根城へと向かっていた。三階廊下は恐ろしいほどに閑散としている。チャイムと共に飛び出してきた甲斐があったというものだった。

 そのまま、南階段をぱっぱと降りる。ほんの少し前までは、この校舎にあんな場所があったことすら知らなかったのに、今となっては目を瞑っても辿り着けそうだ。


 ――ごんっ! いきなり主に左半身を中心に謎の痛みに襲われる。患部を押さえて、俺は堪らずしゃがみ込んだ。なんかめちゃくちゃに叫び出したい気分である。


「……大丈夫?」

 上から声が降ってきた。

「今見たことを忘れてくれたら、大丈夫だ」


 調子に乗って目を閉じたら、曲がり角を曲がりそこなって壁にぶつかった。恐る恐る目を開けてみると、心配そうな彼女の顔がすぐ近くにあった。


 とりあえず立ち上がろうとしたところ――


「――何してるの、二人とも?」


 そこに偶然にも知り合いが一人差し掛かってしまった。彼女は交互に俺と、自らの部活の後輩の顔を見比べる。そして怪訝そうに首を傾げた。


「静香先輩……ええと、これはその」


 クラスメイトの目線はあからさまに泳いでいる。さっきの言葉にとりあえず従ってくれるつもりみたいだ。その優しさに、全俺が涙する。……痛くて泣いてるわけじゃないんだからね!


「いえ、ちょっと靴紐が緩んでいて……」

「うちの高校の指定シューズ、紐ないよ?」

 先輩の冷静なツッコミに、俺は居た堪れない気分になるのだった。

 

 気を取り直して、ゆっくりと立ち上がることに。まだちょっと痛いし、おまけに恥ずかしいし。そんな俺のことを、静香先輩はじっと見てくる。無言の圧が凄い。もしかすると好意を持たれている、とか。


「あの先輩、急ぎましょう」

「そうね。みおちゃんの言う通り。遅くなったら、あのおちゃらけ部長に何言われることかわかんないもの」


 五十鈴のナイスパスのお陰で、何事もなかったかのように俺たちは部室に向かう。静香先輩が登場したということは、大部分の教室で帰りのホームルームが終わっているということ。それはこの二日でよく学んでいた。それが証に、背後はものすごいがやがやしている。


 目的地には、すでに美紅先輩がやってきていた。いつも思うが、この人、本当に早いな。そんなにホームルーム早く終わるんですか、試しにそう聞いたことがある。その時の答えは『世の中には知らない方が良いこともあるんだよ、ボウヤ』だった。


「ありゃ、みんな一緒だったの?」

「うん、さっき階段のところであってね」

「うわー、なんだかあたしだけ仲間外れきぶん~」

 食事時のハムスターよろしく、美紅先輩は頬を膨らませた。


「そんなバカなこと言わなくていいから」

「うわー、バカって言われたー。酷いと思わない、みおっち~?」

「いえ、妥当かと」

 向かってきた救いを求める手を、彼女はばしっと叩き落した。


 そんな無慈悲なクラスメイトの姿に、俺は思わず頬を緩める。なかなかに息が合ってるじゃねえか。ブラボー、ブラボー。心の中で、スタンディングオペレーションをしておく……あれ?


「おっと、根津浩介っ! なあに、ニヤニヤしてるんだねっ?」

 いきなり鋭い声が飛んできた。

「いいえ、なんでもありません。軍曹!」

「……また始まった」

 こそっと、会計さんがため息をつく姿が目に入った。


 部長ががらりとその雰囲気を変えたのをきっかけにして、俺たちはさっさと戦地に向かうことにした。俺のパートナーは一昨日と同じく五十鈴。成尾軍曹は『幸運を祈る!』と厳つい顔で北階段の方に向かっていった。

 今日でこの軽く人を五六人殺せそうな看板ともオサラバか。なんか感慨深いものが……やっぱねえわ。若干筋肉痛気味なのか、腕痛いし。


 沈黙のままに俺たちは四階までやってきた。ちょっと出遅れたか、あちこちでバトルが始まっている。人ごみをかき分けるようにして、俺たちは廊下を進む。

 五十鈴の力量が上がってきたこともあり、今回は結構奥の方に陣取ることに。六組と七組の間のところ。最終日だけあって、周りの連中も気合が入ってるようだった。


「根津君にファーストコンタクトをやってもらいたいんだけど……」

「なんだ、なんだ。難しい横文字つかっちゃって。五十鈴ちゃんは大人びてるわね~、とでも言って欲しいのかい?」

「……かけらも意味が分からないのだけど」


 距離感が測れてないのは、俺の方かもしれない。まだ気の置けない友人あいすべきばかたちの前でするようなノリは早いということだ。さっきの壁激突の件も、連中なら速攻SNSで拡散しただろう。

 仕切り直すようにして、俺は五十鈴の申し出を受けた。最初に話しかけるくらい別にいい。昨日、散々天才バカな先輩のやり方を見て学んできたから。むしろ望むところだ。


 遅れを取り戻すためにも頑張ろう。そう気合を入れ直したところに、早速一年生が向こうから寄ってきた。それは――


「あの五十鈴先輩! あたし、決めました。文芸部に入ります!」


 よく日焼けした肌がまぶしい彼女は、三人娘が一人、文本望海その人だった――





        *





 最高のスタートを切った文芸部一同だった。文本望海の加入により、目標まであと一人。俄然気合が入り、自然と一年生にかける声にも熱が入っていたが――


「しかし、成果は芳しくないのであった。五十鈴美桜は思う。はあ、あたし~、そろそろ飽きてきちゃったんだけど~、と」

「……根津君、やっぱりさっき頭打った時におかしくなっちゃたのね」

 可哀想なものでも見る目つきで、五十鈴さんはため息をついた。


「まあ俺の考えた文章が巧みだ――」

「稚拙」

「……だったのはおいておいておいて」

「おいてが一個多い」

「誰もろくに話聞いてくれてねえじゃねえか!」

「根津君、うるさい。静かに」

 少しだけ眉根を寄せて、彼女は自らの前に人差し指を一本立てた。


 まあ確かに今のは大声が過ぎたと思う。その証に、周りの生徒の視線がすっかりこちらに集まっていた。これ全部、五十鈴目当てだとはさすがに思えない。


 実際、他の部のやつらも暇を持て余しているようだった。上級生と一年生の間に意識の差が生まれている。一枚岩じゃないからな、薫風高校の生徒たちも。


「そもそも、話は結構聞いてもらえたと思うけど?」

 その顔がどこか得意げに見えたのは気のせいではないだろう。

「でも誰も部室には来てくれてないじゃないか」


 俺の反論に彼女は何も言葉を返さなかった。それは紛れもない事実だからだろう。端から聞いていても、五十鈴はうまく文芸部の魅力を伝えられてはいた。だから、相手も立ち止まって話を聞いていてくれたわけだと思う。

 しかし、その先には繋がらなかった。それは彼女が悪いわけじゃなく、時期が悪いんだろう。昨日、美紅先輩に聞いた話を思い出す。最終日に特殊な意味を見出すのは、勧誘する側だけなのだ。一年生の方は、今までの時間で散々吟味を繰り返してきている。


 少し気まずくなって、俺は意味もなく周囲に視線を巡らせてみた。一年生の姿はほとんどなく、暇を持て余している二三年生がだらだらと喋っているのが目に入った。


「……やっぱり、ぐっと減ってきた感があるな」

「感じ、というか、実際そうだと思うけど」


 放課後がやってきて、もう一時間近く経とうとしていた。昨日まではまだ、それでも辺りをうろついている一年生の姿はそれなりだったんだけども……。今日に関しては、その大部分が、すでに下校をしたか、自分の新しい居場所へと向かって行ってしまったのだろう。


「戻りましょうか」

「そうだな」

 五十鈴の提案に乗って、俺たちはそっとその場を離れた。


 静かに、ゆっくりと階段を降りていく。これで終わりだと思うと、なんだかどっと疲労感が襲ってきたような気がした。


「ひとまずよかった。文本さんが入ってくれたから。今日までに希望者が誰もいなかったら、と思うとちょっとぞっとするもの」

「……お前にもそういう感情があるんだな」

「どういう意味かな、根津君?」

 無表情で見つめてくる隣の席の女子に、俺は曖昧に笑うことしかできなかった。


「あと一人、どうするんだ?」

「まあ、待つしかないでしょうね。来週の活動日のどちらかに来てくれるかも」

 五十鈴の声に、落胆したところは感じられなかった。


 一人新入生を確保しているという事実が、安堵をもたらしているのかもしれない。確かに、あと一人くらいだったらふらっと誰かが来てくれそうな感はある。

 あるいは――いつかの時、こいつと交わした会話を思い出す。もしもの時は頼むかも、あの時こいつはそう言っていた。名義貸し、か。それはいくらでもするんだけれど。


「どうしたの、変な顔して」

「……そうか?」

 どんな顔だろうか。自分ではわからなかった。

「そんな心配しなくても、よく言うでしょう?――人事を尽くして天命を待て、って」

「おおっ、文芸部っぽいな」

「なによ、それ……」

 一瞬その顔が曇ったものの、すぐに彼女は真面目な顔つきに戻った。

「ねえ――」


 何か言葉を発しようとしたところ、彼女はすぐにそれを飲み込んだ。その目はもう俺には向いていない。まっすぐに前を見ている。

 二階に繋がる階段を下り終えて、ちょうど図書室が見えた辺りでのこと。あ、もちろん、左手には俺に傷を負わせた忌々しい壁がそびえ立っていますけど。


 そこに、一人の少女がいた。靴の色は一年生を示している。だからか、スカート丈は長く、その制服はとても真新しいものに見えた。どこかきょろきょろしている。何かの紙を、右手に握っていた。


「あの子――」


 たったと五十鈴はその子に駆け寄っていった。俺も慌てて後に続く。


「ねえ」

「……は、はい! すみません、怪しいものじゃないですっ!」

 びくっとしながら、一年生は謎の言葉を口にした。


 振り向いた時に、その子のことをどこかで見た覚えがあると思った。ほっそりとした色白で、少し地味な見た目――さっと記憶を探ってみる。ふと、その手に持っているのが文芸部のビラだと気が付いた。

 向こうも俺たちに見覚えがあるのか、少しはっとしたような顔で、目を丸めた。


「キミ、一昨日話を聞いてくれた子だよね?」

 すると、躊躇いがちに彼女は顎を引く。

「どうしたの? もしかして、文芸部に何か用?」

 五十鈴は優しい口調で、後輩の握る紙を指さした。


「あの、あの、私文芸部に入ろうと思うんです」


 たぶんせいいっぱいの勇気を振り絞ったんだろう。顔を上げたその少女の表情はとても必死そうだった。その目の端にはうっすらと液体が浮かんでいる。


「……ありがとう。歓迎するわ」


 副部長は一瞬虚を突かれたみたいに、まばたきを何度か繰り返した。そして短い間があった後に、にっこりとほほ笑んだ。それは、俺が初めて見る五十鈴の顔だった。

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