第39話 募る気掛かり
スーパーの駐輪場に自転車を置いて、すたすたと五十鈴のもとに向かう。奴は今、近くのベンチでスマホを熱心に操作している。走ってくる時に、その姿をちらりと見ていた。
その目の前に立ち止まる。しかし、なおもその手の動きはとまらない。つんと澄ました表情で、絶え間なく自らの文明の利器と睨めっこをしている。ちょっとだけ、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。教室内の彼女の様子とピタッと重なる。こんなんだから、学年一の美少女と噂されながらも、いまいち一人で過ごすことが多いのだろう……などと勝手な感想を浮かべる。
「なにしてんだ?」
声をかけると、その華奢な身体がびくっと震えた。
「……び、びっくりした」
珍しく彼女は動揺しているようだった。その形の良い瞳が大きく丸みを帯びている。右手がそっと、胸元に当てられた。どうやら本当に俺がいることには気づいていなかったらしい。
「キミを待ってたんだけど?」
その顔が少し心外そうに歪んだ。
「……そーですね。実に当たり前のことだった。――結構待ったか?」
かぶりを振りながら、俺は誤魔化すように次の言葉を吐きだした。
「五分、十分くらい」
その語尾は上がっていた。
急いできたつもりだが、そこはバス。流石に敵わなかったか。残念な思いを込めて唇を突き出した。そして、顔の前で手を合わせて謝罪の言葉を口にする。
それを無表情で受け取った後、彼女はちょっとだけスマホを操作して、それを膝に置いていた鞄にしまった。そのまま、すっと立ち上がる。
「行きましょうか」
「そうだな」
先を歩く彼女の少し後ろに俺はついた。
入り口に近づくにつれて、軽快な音楽が耳に届いてくる。うんざりするほど聞いたメロディ。口ずさもうと思えばできるが、それをしたところで同級生に白い目で見られるだけなので自重した。こいつの塩対応は、割と心をへし折る威力がある。
「俺持つよ」
「そう。ありがとう」
五十鈴の手からカゴを奪った。カートを使おうか、と思ったがやめた。どうせそんなに重たいものを買う予定はない。さっき確認したら、まだ
沈黙のまま、お菓子売り場へ。三列に及んでいる。子供向け、甘いもの系、しょっぱいもの系、大まかに分けるとそんな感じ。
「ええと――」
うわ言のように何かを呟きながら、軽快に商品を選んでいく五十鈴美桜。その動きに迷いはない。熟練の職人を思わせる。俺は唖然としながら、それを見守っていった。
カゴの中には、よく見覚えのあるパッケージが増殖していく。どれも部室にあったものだ。ここまで異物は一つもない。もちろん、不足も。……全部覚えてんのかな、こいつ。だとすれば、おそるべき記憶力!
「根津君、何か欲しいものはない?」
物言わぬ仲間を哀れに思ったのか、突然彼女はこちらを振り返った。
「うーん、そうさなぁ」
気を遣ってもらったのはありがたいが、特に目についたものはない。
そのまま歩いていると、やがて玩具菓子のコーナーに差し掛かった。童心に帰る想いで、陳列棚に注意を払ってみる。子どもの頃の懐かしさが蘇ると同時に、こんなものがあるのか、と少し感心した。
すると――
「ふうん。こんなものまであるの」
彼女はとても不思議そうな顔で、スーパー特有の子ども騙しなおもちゃを手に取った。
「子どもの時、買ってもらわなかったか?」
水鉄砲とか、手錠とか、ブーメランとか、それらは果たしてどこにいったんだか。
「ううん」
かぶりを振ると、彼女の長い髪が揺れる。
よほど厳格に育てられてきたのか。そういえば、お菓子もほとんど食べてこなかったというし。……その反動が、部室での暴食に表れている気がするが。そして、今も興味深そうに目をきょろきょろさせている。なんだか、意外な一面を知った気分だ。
当たり前だが、部費でそんなものを買うわけにもいかず、程なくして俺たちはその場を後にした。残る売り場を巡って、買い物カゴを満たしていく。全てが終わる頃、彼女はもう一度俺の意見を求めてきた。
「何か見つかった?」
「うん、いや、そうだな……」
口元に手を当てて、考え込む仕草をする。
「エッチな本なら自腹にしてね」
俺はその言葉に面食らった。ぱちぱちとまばたきを繰り返して、まじまじとクラスメイトのその美しい顔を眺める。ちょっとからかうような雰囲気がそこにはあった。
「質の悪い冗談だな……。そもそもこんなところに売ってるわけないじゃないか」
「そうなの? やっぱり詳しいのね」
「あの、人をエロ本購入博士みたいにいうの、やめてもらえます?」
「そんなこと思ってないわ、被害妄想よ」
すると、五十鈴は口角を少しだけ上げた。やはり悪戯っぽい仕草だった。
「で、どう?」
「これでいいんじゃないか?」
「ホント? 不満はないかしら?」
「ああ、別に……」
「いつも同じものしか買わないから、たまには違う方がいいかな、とも思ったんだけど。杞憂だったみたいね」
そういうことなら訊く相手が間違っていると思う。まず俺は部員歴が短いし、そして、菓子に目がないスイーツ系男子でもない。
ともかく、任務を終えて俺たちはレジに向かうことに。その前に、俺はポケットからスマホを取り出す。やはり連絡はなかった。悪友たちからのろくでもないメッセージはあったが。
「またスマホ見てる……」
「俺が来るまでずっと弄ってたやつに言われたかねーよ」
「時間を有効活用してたのよ」
「俺も、用事を有効活用してたのさ」
真似してみたら、彼女はちょこんと首を傾げた。
「妹になんか買ってくるものはないかを聞いたんだ」
「――ああ。キミと妹さんで食事当番をしてるんだっけ」
「覚えていてもらえて光栄だね。――お前んところは、おばあちゃんが用意してくれるのか?」
「ええ。でも本当は……」
その時、彼女の顔が珍しく曇った……いや、厳密にいえば、俺に対してはよくそんな顔をするのだが。でもとにかく、今回はそんなおかしな真似はしていないはず、
何かあるのかもしれない――だが、俺は結局気付かないふりをした。そうか、とだけぶっきらぼうに言って、先にレジに向かって歩き出す。その後は当り障りのない言葉を少し交わして、店の前で解散となった。
*
「ただいまー」
玄関の方から、底なし沼のように明るい声が聞こえてきた。声真似をしていなければ、それは間違いなく根津家次女のものだろう。読んでいた本を閉じてそれを持って、俺は部屋を出た。
「おかえり、遅かったんだな」
「うん、残ってたから。すぐにご飯の用意するね」
すると彼女は手に持っていたスーパーの袋を掲げて見せた。
大きなロゴのせいで見えづらいが、中には総菜らしきパックがいくつか入っている。まあ、この時間ならわざわざ作るのも面倒だろう。時刻は七時を過ぎていた。
手を伸ばして、それを妹から受け取った。中身は俺の思った通り。かさかさという音を立てながら、リビングに向かって歩いていく。
「頼んでくれれば、買ってきたのに」
「だって気付いたの、学校出る前だもん」
「そういうこと」
意外と単純な答えにちょっと拍子抜けしながらも、ドアを開けた。キッチンの入口に袋を置いて、そのまま食卓の一角を占拠する。
がさごそという音と、冷蔵庫の扉を開け閉めする音が、交互に起こる。そして「あれー」という間の抜けた声がダイニングに飛んできた。
「どうした?」
「お兄ちゃん、スーパーに何の用だったの?」
「は、なんだよ、いきなり」
俺はちらりと、妹の方に視線をやった。
「だって、冷蔵庫の中、増えてないから」
「お前、逐一中身をチェックしてるのか?」
「こんなにスカスカだったら、すぐわかるでしょ」
見せびらかすように、彼女は大きく扉を開けた。
確かに、そんなに物は入っていない。それでも朝見た時よりは増えているように見えた。瑠璃が何かを入れたのだろう。
しかし――
「冷凍庫に入れた可能性もあるだろ?」
「……あ、そっか。冷食買い足したのね」
一人で彼女は納得したように繰り返し頷いている。
「ま、それもちがうけどな」
「なんなのよ……」
苦い顔して、彼女は扉を閉めた。
「文芸部の買い出しさ」
「あそこに本屋は無かったと思うけど」
「菓子だよ、菓子!」
「ああ、そういうこと。あの部室、いっぱいあったもんね。――で、お土産は?」
「ねーよ、んなもん」
「ケチッ! お姉ちゃんに言いつけてやる!」
「どーぞ、ご自由に。でも向こうも困るだけだと思うぞ」
肩を竦めて、俺はくるりと姿勢を変えた。
部屋着のポケットに無造作に突っ込んでいた文庫本を取り出す。とっくに事件は起きていた。今はどんどんと謎が積みあがっている段階だった。比較的スラスラと手が進む。
「もしかして五十鈴さんと一緒だったの?」
「ああ、そうだけど。何か問題でも?」
「いや、べっつにー。そういえば、二年の先輩たちもなんか噂してたよ? 二人、デキてるんじゃないかって」
「……そこまで出回ってるのか。クラスの中だけの話だと思ったのに」
実際、三バカにも愚痴交じりに話してみたが、そんなことは知らないようだった。まあ、友成以外は、学校の事情に薄いから参考にならないが。まあ例の超絶リア充が知らないということで、安心したものだけど。……どうやら、若瀬はそれを話題にしなかったらしい。
果たして、誰がその噂を弓道部に持ち込んだのやら。少なくとも、うちのクラスに部員は……男子部員はいないはずだ。まあ、どこで誰が繋がっているかは、わかったものじゃないけども。
「で、実際どーなの?」
「文本から聞いてないのか?」
「えっ! ということは、もしかして――」
「聞いてないんだったら、それが答えだ。何かあるんだったら、すぐ話してるはずだろ?」
「なんだ、そういうこと……というか、なんでそんなに回りくどいの? 推理小説を意識してるの? すっごいダサいよ?」
好奇心をへし折ったせいか、瑠璃は畳みかけるように冷やかしてきやがった。きっとその顔は耳までたっぷり真っ赤なのだろう。確認してみたところで、また激昂するだけだろう。
触らぬ神に祟りなし。そのまま、放っておくことにして、俺はまた読書に集中することに。今日はこの後、部室から持ち出してきた児童書を読む必要があるのでその前哨戦のつもりだった。
やがて部屋の中に、いい香りが充満していく。空腹感を覚えると同時に、段々集中力が切れていく。……やっぱり、俺には読書は向かないらしい。いついかなる時も集中している、あの文学少女のことを俺は改めて強く尊敬するのだった。
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