第38話 穏やかな部活動
「――へえ。それはまあ、面白いことになってるんだねぇ」
美紅先輩の声はどこまでも退屈そうだった。それがあまりにも予想していたものとかけ離れすぎていて、俺はだいぶ拍子抜けしてしまった。てっきりこの賑やかしが得意な最上級生は、俺たちのことを盛大に揶揄うと思っていたのに。
週初めの部会。特に話し合うべき議題もなく、早々にフリータイムに移っていた。五十鈴は一生懸命スマホをポチポチしている。話によればネット小説を書いてるらしいが、タイトルはもちろんペンネームさえ教えてくれない。だから、それについて俺は全く知らないのだった。
静香先輩と三田村は何かを熱く語り合っている。二人の趣向は非常に似通っているらしく、意外と気が合うみたい。特に先輩の方なんか、初めて知った時には目をギラギラと輝かせていた。
そして余り物の俺たち三人は、適当にだべることが多い。話の種になれば、と俺は五十鈴とのツーショット写真が出回っていることを面白おかしく話したのだが。
「なんかイマイチな反応っすね、先輩……」
「そりゃあねえ。本人からのタレコミとなると、おちょくりがいがないじゃない」
「わかる、わかる~。というわけで、根津先輩、違う話!」
「文本まで……」
そんなポンポンと面白そうな話が浮かぶほど、俺は楽しい人生を送っているわけじゃあないんだけど。必死に頭を悩ますものの、かけらも思い浮かばず。
眉根を寄せたまま、俺は力なくかぶりを振った。そして強く息を吐き出してみる。
「うわー、つまんない人生送ってますねー」
「辛辣すぎない、文本さん?」
「瑠璃から厳しくするよう言われてるから」
「いやぁ、微笑ましくて、先輩としては嬉しい限りだよぉ」
ずずずと、彼女は湯飲みを啜ると、にがっと少し顔を顰めた。
微笑ましいねぇ……。俺の心は冷え冷えなんだが。後輩との交流って、もっと心温まるものだと思うんだけどなぁ、俺は。ひたすらに悲しい。
「じゃあ仕方ないから、もう少し掘り下げてあげましょっか?」
「いや、そんな哀れんだ感じに言われても……」
「可哀想な先輩に手を差し伸べようって言ってるのに、なんです、その物言いは!」
「お前、本当に苛烈な性格してんのな……」
このめちゃくちゃな感じ、どうりで美紅先輩と馬が合うわけだ。
ちらりと、助け船を出してくれそうな大人しい二人組みに目を向けてみる。しかし、その会話の勢いは激しい。三田村なんかヒートアップし過ぎて、とても早口になっている。その横顔はとても生き生きとして見えた。
同級生は何も変わらず。ものすごい速さでフリック入力を繰り返している。こいつも一応の当事者のはずなのに。……そして、この噂のことをこいつは知っているのだろうか。そのことについて、少なくとも俺から話をしたことはない。
「ねえ、その写真とかないんですー?」
「ん、ああ。一応ある」
お節介な悪縁の女子が送り付けてきたのだった。それを表示したスマホの画面を二人に向けて突き出した。彼女たちはちょっと身体を前にずらす。
「ふむふむ、確かにこれはどうみても、こーすけ君とみおっちだ」
「肩を寄せ合って恋人みたい……というのは微妙ですけど。すごいアンバランスな二人ですね」
「そりゃあ悪うございました」
「いや、いじけないでくださいよ。あれです、服装が……ジャージ姿の怪しい男と制服女子って。ねぇ?」
そう言うと、失礼な後輩は、これまた失礼な先輩と顔を見合わせた。
確かにそれは俺も思った。そして、盛大にクラスで席が近い女子連中に馬鹿にされ済みだ。まさかこんなことで、俺の恥をかくとは。こんなことなら、俗にいうおしゃれでもすればよかったか。クローゼットの中身を思い浮かべても、得られたのは虚無だけだった。
なおもキャーキャーと盛り上がるウザコンビを前に、俺は完全に蚊帳の外の気分を味わっていた。ソファに深々と座り直して、カップを傾ける。クリーム色の甘い液体が喉を過ぎていく。
「それにしてもばっちり撮れてるねー。ここまで来ると、見事の一言!」
「ねえねえ、美桜先輩。美桜先輩はこれ、見ましたー?」
すると、文本は俺のスマホを五十鈴に向かって突きつけた。熱心に作業をしていた彼女は、一瞬ぴたりとその動きを止めると、おもむろに視線を上げる。しかしその表情は澄ましたまま。
「――あら、私」
「そ、みおっち」
「きれいに映ってるわね」
事実を指摘しただけの単純な口調。
「いやぁ美桜先輩は後ろ姿だけでも美しいですねぇ」
「どうしたのこれ?」
その顔は俺の方を向いていた。どこかこちらを疑ったような感じなのはどういうことなのだろう。ともかく、やはりこいつは噂については、露も知らなかったらしい。手短にだが、説明してやることに。
「俺とお前って付き合ってるらしいぜ」
「へぇ、そう。知らなかった」
「な。俺もだ」
「ねえ、美紅ちゃん先輩。根津先輩もそうだけど、美桜先輩も相当ズレてるよね」
「その意味ではお似合いだと――」
「喧しいですよ、先輩」
凍てつくような冷たい目線が、今度は文芸部部長の方に向けられた。
「……誰かが一昨日俺たちのことを見かけたらしい。そしてパシャっと」
「妙な偶然もあったものねぇ」
しらっとした表情で、彼女は何でもないことのように言い放った。
「ま、この街は駅前ぐらいしか遊び場がないしな」
興味を無くしたらしく、五十鈴は再び目線を自らのスマホに戻す。そしてスーッと、気合を入れるかのように、一つ呼吸をすると、再び高速で指を動かしていく。
俺は後輩からスマホを奪い返すと、すぐさま制服のポケットに収めた。これで話を
終えようと思った。二人に向きなおして、何か別の話を切り出そうとしたところ――
「いつ来てもここは賑やかねー」
突然扉が開いて、のほほんとした声が聞こえてきた。見ると、入口には我が文芸部の顧問で二年二組の担任でもある矢島先生が現れた。その手には大きな紙袋をぶら提げている。
待ってましたとのたまりながら、美紅先輩はぱちりと指を鳴らして立ち上がった。部室の中の空気が、一瞬だけ引き締まったような気がする。
*
児童文学とはいえ、ニ十冊近くもあると、短時間の内に読むのは不可能だった。何より、俺は普段から読書をする習慣がないので、そのスピードの遅いこと、遅いこと。
とにかく、ようやく読み終わった三冊目をパタッと閉じた。目がしょぼしょぼしていたので、きつくまばたきを繰り返す。最後の一回の際には、軽く鼻の付け根を揉んだ。
同じように苦戦している文本を横目に見ながら、涼しい顔をして、ぺらぺらと本のページを捲っている他四名に内心舌を巻く。これぞ文芸部のあるべき姿ともいえる。
いよいよ明後日に差し迫った、朗読会に向けた追加の会議。それに向けて、この間の日曜日に町に繰り出したわけだが、今日もまたそれにまつわる作業をこなしていた。
そう、我ら文芸部が総力を挙げてリストアップした本の読み合いである。テーブルの上には、またしても書物の山ができていた。
それを持ち込んできた顧問の先生は、部屋の隅に置いてあるパイプ椅子に座っている。彼女もまた、一応文芸部セレクションに目を通しているようだった。ちなみにそれらは、彼女が市内の図書館で借りてきた者である。美紅先輩が頼んだらしい……部長らしいことたまにはするんだ、と思ったのは秘密だ。
意外と疲れを感じていて、身体が糖分を欲している。ふと、お盆に手を伸ばしてみるが見事に宙を掠っただけ。そこには何も載っていない。気恥ずかしさを誤魔化すように、ゆったりとした動作で顔を上げると、文本とばっちり目が合ってしまった。
「もうないですよ」
「みたいだな」
見りゃわかる、という言葉は飲み込んだ。
「じゃなくって、買い置きもほぼ空です」
「マジで?」
俺は思わず目を丸くした。後ろ手に戸棚の扉を開けて、ぐっと身体を捻る。確かに、あれだけあったと思われていた菓子類は、見事にその姿を消していた。
「あらら、そろそろ買いに行かないと」
「いつもはどうしてるんですか?」
三田村のか細い瞳が先輩陣の間を交錯する。
「私が」
すかさず、すっと五十鈴が手を挙げた。
「なぁんか、いつの間にかそうなっちゃってるんだよね~」
「今までは唯一の年下だから、気を遣ってくれてたんでしょ」
「そういうわけでは」
ふるふると彼女は軽く頭を振った。
ぶっきらぼうな口調だったが、その頬に少し赤みがさしたのが見えた。どうやら少し照れているらしい。ちょっとずつだが、この感情表現の乏しい少女について、その起伏がわかってきた気がする。
「みんな~、お菓子の話もいいけど、ちゃんと真面目に読んだの~?」
「そういう薫子先生は少しうとうとしてたみたいですけど」
「……お、大人には色々あるのです。相変わらず、静香ちゃんは目ざといわねぇ」
先生は、苦い顔でかぶりを振った。そしてわざとらしく咳払いをする。そんなあからさまな反応に、部室内がすぐに笑い声に包まれた。
「まあしかし、薫子ちゃんの言うことにも一理はあるねぇ。結構な分量があるから、明日の昼休みとか、放課後も時間がある時に、読まないとダメかも。それと、持って帰りたい人いる?」
美紅先輩はまたしても部長らしいことをしていた。真面目な顔をして、ぐるりと室内を見渡す。漏れなく部員全員が手を挙げたので、俺もつられて右腕を天へと伸ばした。
例の推理小説もあるというのに、夜を徹するしかないのかもしれない。一瞬物騒なことを考えたが、すぐに集中力が持たないと思って、首を振った。
「大丈夫だと思うけど、無くさないでよ~。あと、汚さないように!」
「そんな子どもじゃないんですから……」
「根津君、呆れているようだけど、あなたが一番怪しいんだよ~?」
俺はこの担任にどんな迷惑をかけたというのか。そんなにいやそうな顔をしなくともいいと思う。ちょっとこの間、よれよれのプリントを提出したくらいじゃないか……たぶん。少なくとも心当たりは一つしかなかった。
そのままの流れで、本日の部活動が終わった。パラパラと後片付けを手分けして始める。矢島先生は、颯爽と部室を出て行ってしまった。
「そうだ、さっきの話だけど」
「さっき?」
「買い出しよ。どうする?」
先輩方がさっと言葉を交わしている。
「いいですよ、先輩。私、パパっと行ってきますから」
「そう? じゃあお願いね。――こーすけ君、悪いけど手伝ったげて」
「それは問題ないですけど、でもどうして俺が?」
「一年目だし、帰り道でしょ?」
もっともらしい答えに、俺はちょっとだけ驚いた。
「ま、今後は一年生ズに頼むかもしれないけどね~」
「もうそんなの、全然やりますよ! ねっ、詩音?」
うんと、名前を呼ばれた少女は控えめに頷く。
「ともかく決まりね。お金は後で渡すから」
「はい、わかりました。――ということで、根津君。よろしく」
「あいよ」
後で、瑠璃に連絡しておくか。今日の食事当番はあいつだし。何か必要なものがあるかもしれない。
そんな感じで、俺たちは部室を後にするのだった――
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