第25話 部員を集めろ! ミッション1
まだがやがやしている教室を、俺は真っ先に飛び出した。卓にも、晴樹にも目もくれず。あっ、一応挨拶は投げつけたのでご心配なく。返事は知らない。たぶん、一時的に音速を超えたのでしょう。
やはりチャイムが鳴りたてだと、廊下には人の姿が全く無かった。どこもフライングは許されていない、ということか。あの矢島先生ですら『鐘がなるまで出ちゃダメよ~』と言ってくるくらいだった。そもそも、他の教室はまだ終わってないっぽい。
『では帰りのホームルームが終わったらすぐに集まること。遅れた者は置いていく!』
昨日の帰る間際のこと。美紅先輩からはいつもの緩さはすっかり引っ込んでいた。わざとらしいまでに眉間に皺を刻み込み、腕を組んで仁王立ちをしていた。しっかりと、低い厳かな声色まで作って。俺はそれを密に、成尾軍曹と呼んで畏怖することにした。
大手を振って新歓活動ができるのは、今週の金曜日までらしい。それ以降、校内でそんな素振りを見せればたちまちに処罰。薫風高校きってのアトラクション施設――生徒指導室にぶち込まれる、とおどろおどろしい感じに成尾軍曹は教えてくれた。
「待って、根津君」
後ろから声がした。その透き通るような声は、相変わらずどこか冷たい感じがする。やや控えめな声量。しかし廊下が静かだから、しっかりと俺の耳にまで届いていた。
それでも俺は歩みを緩めることはしない。目的地は同じわけだから、一緒に向かうことには何の問題もない。それはわかっているが、なんとなく彼女の言葉に従うのが
「待って」
「待てと言われて待ったら、警察はいらない」
「色々混じってる」
三言目はすぐ隣から聞こえてきた。
当たり前だが廊下を爆走するわけにはいかない。すると、歩く速度はたかが知れてくるというもの。であれば、女の足でも容易く俺に追いつける。それでも、廊下早歩きコンクールというものがあれば、五十鈴は結構いい線行くんじゃないかと思う。
俺たちは隣り合ったまま、比較的早い足さばきで最初の分岐点に到達した。今回は中央階段を降りて、二階の廊下を駆け抜けるルートを選ぶことに。どちらともなく進路を変える。
しかしいつも思うのは、いちいち向こうまで移動するのが面倒くさい。うちの高校、やたらめったら廊下が長いのだ。設計者の悪意をそこはかとなく感じる。全日本廊下雑巾がけ選手権大会の会場はここが相応しいだろうな。
三年生の教室のほとんどで、ホームルームは終わっているようだった。学生生活三年目ともなれば、連絡事項が減るということか。あるいは、タイプ・ヤジマの教員が多いのかもしれない。
「先輩たち、もう来てるかな?」
「さあ」
見知らぬ教室の前を通りながら、五十鈴に話しかけてみた。いつも通り反応は鈍い。居心地の悪さが余計に増した気がした。
廊下には、一日の退屈な業務から解放された最上級生が意外と多い。だから、どうしても少し気後れしてしまう。一年しか違わないはずなのに、周りにいる人はみな大人びて見えた。
一年みっちり過ごした校舎にもかかわらず、どうにも心細かった。柄にもなくやや緊張しているのは、部活を辞めた負い目もあるのかもしれない。先輩にエンカウントしたくないみたいな。そして、隣にいるのは同じ学年なのに決して味方ではない少女。
自分はいったい何をしているんだろうか。早足で進みながら、そんな疑問がふと脳裏を過る。七時間授業の放課後、普段ならばまっすぐに家に帰るはずなのに。こんなやらなくていいことに、なにか夢中になっている。
五十鈴に弱みを握られているから、というのは建前に過ぎなくて。クラスではこいつだけが知る俺の三つの秘密なんてものは、冷静に考えれば大したことのないはず。それは気づいていたのに、あえて見ないふりをしてきた。この五十鈴美桜という得体のしれない女が、人間的に気になって仕方がないのだ。
ざわつく廊下も端まで来ると、一気にその喧騒を小さくした。図書室は開いているらしかったが、清掃中という文字が看板に書かれている。いつも通り俺たちはその手前で身体の向きを変えた。
ガチャリ――部室の扉は難なく開いた。
「うむ。お前たちか。ということは、お静が最後だな」
神妙な面持ちをした美紅先輩の姿が真っ先に目に入ってきた。なんと、ちゃんと背筋を伸ばしてソファに座っているではないか。そうしていると、やり手のきゃりあうーまん的なあともすふぃあを感じる。
「お静……?」
「バカ。お前、せっかく美紅先輩がそれっぽくやってんだから水差すなって」
「こーすけくーん? 小声で気を遣ってるみたいだけど、ばっちり聞こえてるからねー」
副部長から冷ややかな目を向けられ、この時ばかりはいつもの美紅先輩に戻っていた。どことなく、ばつが悪そうな感じがする。
それでも軍曹は、眉をぴくぴくさせながら、ぱきぽきと指を鳴らそうとした。しかし、悲しいかな。空気を撫でる音しか聞こえない。つまり無音だ。
「さて、それでは行こうか。お静には部室で待つよう連絡しておくから」
何事もなかったように部長は立ち上がると、テーブルにあったビラの山を抱えた。そのままこちらに歩み寄り、そのうちのいくつかを五十鈴に渡す。
そして――
「お前にはこれだ。えくすきゃりばー」
俺が受け取ったのは、壁に立てかけてあった木製のボロい看板だった。しかも結構重量がある。武器になるという点では、この人の言うことは間違いではない。こちらはあくまでもこれは鈍器だが。そして、神とか精霊と言った類の加護はない。せいぜい、看板職人の心意気くらい。
俺と五十鈴は荷物を部屋の中に置くと、堂々たる様子で風を切って歩く成尾軍曹の後に続く。いよいよ、戦いの幕が開けるのです――! ホント重いなこの鈍器……。
*
今、目の前を眼鏡をかけた地味めの男子生徒が通過しようとしている。やぼったい髪型、少し猫背気味。やや早足で、周りのものには目もくれず。
(今度こそ……!)
壁にもたれてその姿を観察していた俺は、意を決してその男に歩み寄ることに。警戒心を解くために、愛想笑いを装備しながら。
ここは薫風高校四階、南階段前の廊下。ほぼ端から端まで、コスプレ姿の二三年生が陣取っている。俺たちのような制服姿は文化系くらいなものだ。
とても騒々しい。そう言えば、去年もこんなことがあった、とぼんやりと思い出した。一目散に弓道場に向かってたから、あんまり覚えてはないけども。
俺と五十鈴は集団の外れにいた。少しだけ、他の部活のやつとの距離は取ってある。この新入生勧誘アーチからこぼれた者を狙う作戦だ。……裏事情として、何人か知ってる顔を見つけたから、目立ちたくないだけなのだが。
成尾軍曹は北階段の辺りにいるはずだ。中央階段に手を回さなかったのは『競争率激しいし、堂々とあそこを使う子は文芸部に入るタイプじゃない』と美紅先輩が真面目顔に言ってたから。……人手不足とは言わないで。
俺は猫背後輩の前に立ち塞がった。木製看板は、駐車場で入口のバーよろしく、人の動きを止めるにはぴったりだった。
顔を上げると、少し鋭い目でこちらを睨んでくる。それでも怯むわけにはいかない。始めたからにはやり遂げる。相棒は黙っていることが得意分野なわけだし。
「こんにちは、文芸部です!」
本当は俺は違うが。しかし、隣の女はそうなのだから嘘は言っていない。奴は無言で俺の右側にすっと立っている。その瞳はまっすぐに彼に向けられている。かすかに口角が上がっているようだが、残念ながら微笑みと前はいかない。
靴の色で学年が判別できる、というのは非常に便利だ。勘違いで話しかけずに済む。それでも、他の連中はたまにそういうトラブルを起こしていたが。
躊躇いなく俺は勧誘の文句を続ける。さっき考え付いた安っぽい言い回しだ。
「我々と一緒に楽しい創作活動を――」
「すみません、自分、将棋部なんで」
すげなく言うと、彼はすっと頭を下げた。そして俺たちを横を涼しい顔で通り抜ける。淀みない足取りで、やがてその姿は完全に消える。
将棋部なんてあったのね。初耳だ。また一つ賢くなってしまった。しかし、さすが部活動が盛んな高校。色々な部活があるのねぇ。
なんて、どこかのお母様風な感想を抱きつつ持ち場に戻る。五十鈴はただひょこひょことついてくるだけ。なんだ、こいつ。ゲームのパーティメンバーみたいなやつだな。小学生の頃、それをどう撒けるかマップ上で試行錯誤したのを思い出す。
それにしても、またこのパターンか。この上級生が疎らなエリアまで、一年生だけで来る、というのは理由があるということだ。さっきのように、すでに部活に入っているか、初めから興味がないか。
入学式があって明日で二週間になるわけだから、もうどの部活に入ろうか決めている人は意外と多い。ここまで五人ほど話しかけたものの、ほとんどそのパターンだった。
対して、部活に興味がない生徒はそんなにいない。元々薫風はその部活所属率の高さは有名で、相応に結果も出している。だから、それを目的にする志望者がたくさんいた。もちろん、俺や瑠璃のように家から近いから、という理由で選ぶ者もいたりするから。一概にはなんともいえないけど。
ふと、どれくらいの生徒が途中で退部するのか気になった。俺のように、一年しないうちに部活を辞める生徒もいるはずだ。その数値は明らかにはなっていない。俺の周りでそういう奴もあまり見ない。
そうした連中に手を伸ばすのはアリな気がする。こうも一年生の反応が悪いと……いや、そっちもそっちで大変か。俺は単に飽きているだけなのだ。始まって、まだ十分くらいしかしないのに。
「次、お前、声かけろよ」
「……わたし?」
どこかその声は拍子抜けしている。
「ああ。そもそも俺は文芸部じゃない。――私の言葉には何の意味も載らない。それはとても空虚なものだ、みたいな」
「なにそれ?」
「平成の文豪コースケ・ネヅ『愛おしき青春の日々』より抜粋」
「キミも小説書くんだ……」
その言葉はとても意外そうな雰囲気を持っていた。真に受けたのか、ボケを流したのかよくわからない。ちょっとその表情を窺っても、無表情で首を傾げられただけ。
「とにかく、ちょっと練習してみっか」
いい暇潰しにはなるだろうと、そんな提案をしてみる。
「どうすればいいの?」
「まずは挨拶からだ。『古事記』にも書いてある」
「書いてない――挨拶……こんにちは」
五十鈴は慇懃無礼に俺に向かって頭を下げた。
「おう、こんにちは。その後は自分の身分を明かせばいい。FBIとかCIAとか」
「私、文芸部の五十鈴美桜って言います」
その口調はかなりたどたどしい。
「ああ知ってる。俺は武者小路三十五だ」
「偉大な作家をミックスするのはやめてくれる?」
「細かいことは気にするな。――さあ後は、太宰君に文学部の魅力を語るんだ!」
「名前代わってるし、文芸部だし。魅力、魅力……」
小さく言葉を繰り返すと、彼女はそのまま黙り込んでしまった。自分の紡ぎ出す言葉をじっくりと考える心づもりらしい。
その姿を見て、バレないように小さくため息をつく。そして「成尾軍曹、こちらはダメですっ!」と、北階段に向けて強く念じるのだった――
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