第24話 無口な少女
あの喧騒はどこへやら。あの三人が去ってすぐの部室は、祭の後のような寂しさで溢れていた。かろうじて、廊下で聞こえていた少女たちの話し声も次第に遠ざかっていく。
しばらく入口に立ち尽くしていた美紅先輩は、突然歩き出すと、勢いよくソファに飛び込んだ。さっきまで紫垣たちがいたところに。そしてぱらぱらと上靴を脱ぐ。
「はてさて、みんな、入ってくれるかな~」
「美紅ちゃん、顔がにやけてる」
「しずかっちだって~」
先輩たちは手応えを感じているみたい。端から見ていた俺も、それなりに上手くいっていたように見えた。瑠璃はともかく、あの二人はとても楽しげだった。
だが――
「……仮にあいつらが入ってきて、お前は上手くやってけんのか?」
余計なお世話だと思いながらも、俺はあいつにそんな言葉を浴びせていた。誰もいないソファに自らをずらしながら。なんでこんなことをしたのか、自分にもいまいちわかっていなかった。
「……どういう意味?」
「ほとんど喋ってなかったからな、お前」
結局、この三十分というそれなりの時間を、この女は最低限の口数で乗りきった。自分から発した言葉はほとんど無し。
一年生たちの方も気を遣ったのか、段々とこいつには話しかけなくなっていた。嫌っているとかではなく、腰が引けてるという感じ。部長と会計とは違い、その人柄がなかなか掴みづらいせいかも。現に俺だって、未だにこの女のことはようわからん。
「まあまあ。みおっちは人見知りするから」
「去年も初めてここに来た時、ずっと黙ってたもんねぇ」
「……ちょっと先輩方、そんなことは」
副部長殿は反論を試みているらしいが、あまり言葉に勢いはない。
「じゃあどうして今日は、いつもより輪にかけて大人しかったのかな~? 緊張してたの、バレバレだよ? この間の金曜日もそうだったっけなぁ」
美紅先輩は愛くるしいものでも見るように。にこにこしている。
「私は人見知りじゃありません。少しだけ、人との距離感が測るのが苦手、というか……」
「それを世間一般では、人見知り、というんじゃないか?」
「……根津君まで」
恨めしそうに、五十鈴はこちらを睨んできた。
それで彼女以外の三人の笑い声がこだまする。完全無欠の冷酷少女だと思っていたが、やはり人の血は通っているらしい。どこか微笑ましく思いながら、俺は茶を啜った。すっかりぬるくなって、渋みが増していた。思わず顔を歪める。
この分だと、もう少しで一つくらい五十鈴のボロが出てきそうだな。それとこの新歓活動で二つ分。あと一つ何かあれば、完全に自由が手に入る。少しだけ希望が湧いてきた。だからもう少し、ここに顔を出してみようかな、という気分になる。まだ新入部員が揃ったわけではないし。
「しっかし、こーすけくんの言うことにも一理はあるな~。今のままだと、次の部長がみおっちなわけだけど、ちょっと心配になってくるね~」
「どうして二年生はこいつだけなんですか?」
「何人かは遊びに来てくれたんだけどね」
「入ってくれそうだったんだけど、ほら、その辺って割と紙一重みたいなところあるからさ~」
からからと明るく語りながら、美紅先輩は湯飲みを持ち上げた。しかし中身が空だったのか、一瞬顔を曇らせると「しずかっち、お茶」と熟年夫婦の夫ばりのセリフを吐いた。
静香先輩が全員の湯飲みを回収しながら席を立つ。そのまま、窓辺のケトルの辺りで作業をし始めた。とても手慣れた仕草である。
「……私、そんなにダメでした?」
「物静かなのは悪いことじゃないけど、果たしてあの子たちがどう思ったかだね~。勝手にビビられても、いやじゃん?」
「まあ、それとなく瑠璃に聞いときますよ」
「そういえば妹さんもあんまり喋って無かったね」
静香先輩が戻ってくる。
「家ではうるさいくらいなんですけどね」
「内弁慶ってやつでしょ。みおっちも本当はもっと口数多いよ~」
「そうなんですか?」
美紅先輩に言われても、それはとても想像がつかなかった。俺の中の五十鈴美桜はずっと本を読んでいる大人しい奴。凛とした雰囲気で、あんまり人を寄せ付けない。
こいつとの数少ないやり取りを思い返す。話をしていて、何度かぶっきらぼうだなと思ったことがある。最低限の言葉しか交わそうとしないし。
初めは話すのを面倒に思っているとか、クールなんだなと思っていたが。文芸部室での雰囲気を見る限り、それが彼女の全てではないらしい。
「とにかく! また明日から頑張ればいいよ。期待してるからね、みおっち!」
「こらっ、そんなプレッシャーかけないの」
少し困った顔をしながら、同級生の頭を静香先輩が軽く叩いた。
やっぱりいいコンビだな、この二人、ふと、五十鈴を見ると彼女も少しだけ口元を緩めている。同学年がいなくて、寂しくないんだろうか。その姿を見て、そんな余計なことが思い浮かぶ。
「――っちぃいっ!」
誤魔化すように湯飲みに口を付けたら、とても熱い液体が口の中に流入してきましたとさ!
*
食後、リビングにて一家団らんのひと時を過ごしていた。三人、大きなテレビの前に陣取って。少なくとも、見た目の上では和やか。三人の手にはそれぞれゲーム機のコントローラーが握られている。
「――てめえ、大ジャンプしてる時に雷を落とすんじゃねえっ!」
「きゃー、おねえちゃん。おにいちゃん、こわいよぉ」
「よしよし、瑠璃ちゃん。大丈夫よー、お姉ちゃんがついてるからねー」
「……あんた、巻き添えくらってるのになんでそんなに嬉しそうなの?」
小さくなった赤帽子の髭のおっさんを哀れみながら、俺は一つため息をつく。ものの見事にこれで最下位転落だろうよ。うちの妹は本当に容赦ないぜ、全く。順位表示に違和感を覚えつつ、おっさんを走らせる。
珍しく、姉貴は今日家にいたので、こうしてみんなでゲームをして遊ぶことにした。大人気レースゲーム!
俺と瑠璃はそれなりにゲーマーだ。しかし、根津家の長女は違う。ほとんどしない。だから、下手くそだ。最下位と思ったら、下に一人いたのはそれが理由。
「昼間、どうだった?」
ステージが切り替わったタイミングで、俺は話を切り出した。
「何の話?」
「あ、お弁当? 美味しかったよ、ありがとー」
「いや、姉貴には話しかけてないから」
「む、じゃあちゃんと相手をはっきりさせてほしいな!」
床に足を崩して座っている姉の頬が膨らんだのが見えた。
弁当の件は、こののほほんとしたすみれちゃんが朝起きてくるなり『わたしもたまにはお弁当がいいなぁ』とか抜かしてきたのだ。なんでも俺たちが羨ましくなったらしい。……なんだそりゃ?
まあひとまずは口に合ったのは何よりだ。なおざりに作ったものの、やはり、まずかったりしたら申し訳ない。
しかし、俺が話したいのはそういうことではなくて――
「文芸部での話。あの二人、なんか言ってたか?」
「楽しかったって」
「入りそう?」
「さあ、どうだろう。でものぞの方ははかなり興味あるみたいだった」
「のぞ?」
「文本望海! もう忘れたのな……」
「まあ、浩介君だから。仕方ないよ」
しまいには姉貴にまで呆れられてしまった。
今回はちゃんと覚えようと思ったから、二人のことはしっかり記憶に残っている。文本の方ははきはきしたスポーツ少女の方だ。てっきり、高校でも身体を動かす部活の方が良いと思ったんだが。だから、彼女が興味を持っているのは少し意外だった。
正直な話、もう一人の方――柴垣の方が脈ありだと思ったんだけどなぁ。吹奏楽部って文化系――そう呼んだら、昔誰かにキレられたのを思い出す。とにかく、大人しそうな子だったから、文芸部らしいといえばらしい。
一度、ゲームの方に意識を向ける。アイテムボックスはまたも外れを引いた。一位を独走する瑠璃を倒すには、ピンポイントで狙ってくれる甲羅が良いのに。今持ってるのはバナナの皮だ。これでどうしろって、言うんだ……。使えないカードを引いてしまった、カードアニメの主人公の気分だった。
「お前はどーすんだよ」
「お兄ちゃんがいるなら入ったげてもいいよ」
「じゃあ脈無し、っと」
「ねえねえ二人とも。何の話? 文芸部って、確か木ノ内さんと成尾さんがいる部活だよね?」
ちらりと姉貴の画面を見ると、キノコ頭が逆走していた。
虎視眈々と逆転する機会を狙いつつ、手短に彼女に事情を説明した。やがて返ってきた感想は、瑠璃のものと大差ない。「めんどくさがりなのに、珍しいね~」って。不審がってはいたが、それ以上突っ込んでくることはなかった。
その頃には三ゲーム目も決着。あのドSな妹との差はあまり埋まっていない。やっぱり、あの雷が効いたわ、マジで。
そして、ラストゲームを迎える。
「そうだ、もう一ついいか?」
「ダメ」
「五十鈴のこと、どう思った?」
「無視するなら、初めから聞かないでよ……――五十鈴さんって、あのすごくきれいな人?」
「ああ。ロボットみたいに無表情だった奴」
「浩介君、そういうこと言うのは失礼よ」
姉貴の声がした気がするが、聞こえなかったフリをした。
「うーん、そうだなぁ……」
やはり相手が先輩とあって、少しだけ瑠璃は言い淀んでいる。
「別にはっきり言っていいぜ。不気味だったとか、怖かった、とか」
「いや、そこまでじゃ……。ただ、厳しそうだなーって」
「のぞが言ってたのか?」
「のぞ言うな。――まああたしも、カノンも同意したけど。あんまり話さなかったから、気難しい人なのかなって」
気難しい、か。確かにそういう見方もできる。弓道部にもあんまり感情を出さない人がいたっけ。初めは、俺たち新入生を鬱陶しがってるとも思ったが、やがて違うとわかった。
五十鈴自体、新入生を歓迎するつもりはあるみたいだし、そんなに不安に思う必要はないのだろう。第一、こんなのは杞憂。俺が考える必要のないことで――
「そういえばさ、文芸部は放課後の勧誘活動はやらないの?」
明日の活動の時には五十鈴をもっと喋らせてみよう。それは、文芸部の未来を憂いてというよりは、単なる個人的興味と楽しみから思うのだった――
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