第23話 新参者たち

 教室前方にあるスピーカーから、チャイムの音が聞こえてくる。矢島先生はいつもホームルームを高速で終わらせる。おそらく、この二年二組が学年で最も早いといっても過言ではないだろう。

 今週は掃除当番はなかった。うちのクラスの担当区域は自教室とその辺にある野生の教室二つ分。つまり、三か所しかないから、必然的に二週に一度しか回ってこない、という寸法だった。二五六班と一三四班という謎の分け方。最初のロングホームルームのくじ引きで決まった……らしいよ。


「浩介、帰るか?」 

「悪いな、今日も用事だ」

 机を下げながら、友人の声に軽く応じる。

「また図書当番とか言うんじゃないだろうな?」

 卓は怪訝そうに目を細めた。


 文芸部の手伝いをしているのは、秘密にしていた。そんな誰かれ構わず話すような事ではないし。カイトみたく、変な風に取られるのがいいオチだろう。


『なあ若瀬、話があるんだけど』

『なによ、根津。友達の彼女に手を出す気なの? ひくわー』

 未来の柏浦夫人は嫌な顔を少しも隠そうとはしなかった。


 昨日の朝のホームルーム前のこと。例の噂について、唯一話せるクラスメイトの女子に確認することにした。奴曰く、そんなことはないらしい。新学期初日こそ、少しは話題になったが、すっかり下火になっているとのこと。


『五十鈴さんって、ほら、ミステリアスな感じじゃない? だから、逆にあんまり盛り上がらないのよ。情報少なすぎて。そもそも、相手がアンタっていうのもさー』

『ああ、大物すぎるってことね』

『……ホント、幸せな脳みそしてるわね』

 しっし、と彼女は手を払う仕草をした。


 とりあえずは、全く変な話が広まって無いようで安心した。余計な弁解に走り回る必要はないということ。若瀬が言うのだから間違いない。こいつは、学年でもかなり顔が利く方だから。コミュ力の塊、それっぽい言い方をするならスクールカースト最上位勢だ。

 それでも弓道部で盛り上がっていたのは、俺が少し前まで所属していたからだろう。なんか自分が部活の人気者みたいで嫌だなぁ。まあそんなものはただの自惚れだけれど。


「とにかく、君は一人寂しく部活に向かってくれたまえ」

「なんでそんなに偉そうなんだか……はあ、わーったよ、じゃ、また明日な」

 軽く手を上げると、彼は教室を出て行った。


 さて、俺も急がないと。目的地はもちろん文芸部室。さっさと二人入れて、早く解放されたいもんだ。……そうしたところで、まだ二つほど弱みが残っている気がするが後で考えることにします。先送りって、素敵だよね~。


 廊下に出ると、反対側の壁にどこか居心地の悪そうに並んでいる三人組の女子を見つけた。一応足元を確認すると、靴に一年生の証である青いラインが刻まれている。そもそもそんなことしなくても、そのうちの一人はとても見覚えのある顔なんだが。


「よっ、我が可愛い妹よ。待たせ――」

「友達の前でそういう変なことを言わないでくれますか!」

 きつく睨まれたので、俺は慌てて言葉をしまい込んだ。


 そんな微笑ましい兄妹のやりとりに、彼女の左右にいた少女たちは軽く頬を緩めた。どこか緊張している風に見えたが、それは少しは和らいだらしい。

 髪の長いおっとりとした雰囲気の子と、ショートヘアの活動的な雰囲気の子。二人とも対照的だが、うちの妹よりは大人びて見えた。……改めて、瑠璃って制服姿のアンバランスさが酷いのぉ。


 改めて、その二人組に向きなおす。背中をしゃんと伸ばしながら、気さくな笑みを浮かべることは忘れない。


「初めまして。瑠璃の兄の浩介です」

「ええと、柴垣奏音しがきかのんと言います」

「アタシは文本望海ふみもとのぞみです!」

「二人とも、文芸部に興味あるの?」

「あ、いえ。瑠璃ちゃんに誘われて……」

「それでまだ見に行ってなかったから、ちょっと覗いてみようかなって」

 

 文本の方ははきはきと喋る子だった。その勝気そうな雰囲気は、それだけ見れば、文化系の部活をやるようには見えない。バレーとか、バスケとかに向いてそう。身長も高いし。望海だけに、望み薄……なんて言葉を吐こうと思ったが、妹の手によってブラッドフェスティバルが開催されるのでやめた。

 対して、柴垣は見た目通り控えめな性格っぽい。妹よりは背が高いが、それでも小柄な体格だ。なかなかどうして、文学少女って感じはする。まだ彼女の方が入ってくれそう。


 ――まあ、全ては見た目からこっちが勝手に推測しているわけで。決して、そんなことを口にするつもりはなかった。それがどれだけ無礼な行為か、というのはよく知っている。


「昨日もたぶん行こうとしてくれたんだよね。――すみませんでした。完全に図書委員の仕事、忘れててさぁ……」


 瑠璃には昨晩こってりと絞られた。しかし、あいつも悪いと思う。暇みて行く、みたいなこと言ってたくせに、週明け早々そうするとは思わないじゃない。

 ということで、今日はちゃんと事前に約束をしていたのだ。卓を早く部活に行かせたのもそのため。


「大丈夫です。瑠璃からも聞いてます。まだ見たい部活はあったので、そっち行っちゃいました!」

「バド部に行ったんだよ。面白そうだった」

「うん、なかなかいい雰囲気だったよねー」


 盛り上がる女子三人衆に、やや嫌な予感を覚えつつも、俺は彼女たちを引き連れて部室へと向かうことに。五十鈴の姿はどこにも見当たらなかったら、放っておくことにした。





        *





 狭い部屋の中は、これでもか、と言わんばかりに盛り上がっていた。太古より、女三人寄れば姦しいとはよく言ったもの。女子たちのやかま――耳当たりの好い素敵な声が、わたしの耳にすんなりと入ってきています。


 一つのソファに三人座るのは無理があったのか。窓側のところに先輩方、その正面に文本と柴垣。一人仲間外れなのはうちの次女、という感じでテーブルを囲んでいる。その上には七つの湯飲みがそれぞれ置かれ、適当なお茶請けも用意されていた。


 五十鈴の隣に座りながら、俺はぼんやりとその会話を聞いていた。居心地の悪さは今も拭えていない。俺は文芸部じゃないし、それにこうも女の子が多いと、意識するな、という方が無理がある。なんとなく、こうなることは予想がついていた。


「でも、できるかなぁ……」

「大丈夫だって。なんとかなるもんよ、案外。あたしも不安だったけど、みんなそこは初めてだから」

「それにわたしたちがちゃんとサポートするからね」


 主に部活動の内容を説明しているのは、三年生のお二方だった。俺のクラスメイトは基本的には口を閉じて、時折相槌を打つだけ。声に出したり、頷いたり。愛想笑いの一つくらい浮かべた方が良いと思うけど、いつものクールな顔は全く崩れていない。

 

 先週の金曜日は、結局菓子食べて茶飲んで適当に話して終わった。だから、それは俺もまた未知の内容だった。

 文芸部の最大のイベントといえば、文化祭に出す部誌らしい。各部員が一人最低一本は、短編作品寄稿するんだとか。過去のもののいくつかが、卓上に載っている。


 俺は適当な一つに手に付けた。どうやら、去年のものらしかった。表紙はこの学校の校舎が描かれている。なかなか上手いじゃないか。


「何書いてもいいんですか?」

「もちろん! ただし著作権法は守ろーね。既存の作品のコピペとか、ダメぜったい!」

「美紅ちゃん、わざわざ言わなくてもそんなことする人いないと思うよ……」

「案外、こーすけくんとかそういうことしそうじゃん」

「……いや、そもそも俺はいつから部員になったんすか?」

「我々は誰の原稿でもいつでも募集中です!」

「意外とね、ページ埋めるの大変なのよ」


 そんなふざけたやり取りに少しだけ笑いが起きた。ここまでのところ、非常にいい雰囲気と言える。話によれば、この二人未だにどの部活に入ろうか悩んでいるらしかった。とりあえずは、選択肢として候補に入れてもらえそうだ。

 中学時代、文本の方はテニス部で、柴垣は吹奏楽部――なんと瑠璃とはその頃からの友達だとか。どちらもそれを続ける気はあまりないんだって。


 ちなみに瑠璃はあんまり乗り気じゃないみたいだ。基本的に話を聞いているだけ。流石、俺の妹。文学的素養は零、ということだろう。それにしては、大人しすぎる気もするが。


 そんな新入生を見ながら、俺もつい去年のことに思いを馳せる。初めから弓道をやろうと思ってたから、初日に見学行ってノータイムで入部した。現状の結果からすれば、もっといろいろと見て回ってもよかったのかな、とも思う。


 そんなことを考えながら、ぺらぺらとページを捲っていると――


「先輩方は去年何を?」

「あたしはね、書評。本の紹介記事をいくつか」

「わたしは無難に恋愛小説を」


 それのどこが無難なんだろうか。ちょうど静香先輩のに行き当たったから、ざっと目を通してみた。初恋がテーマらしいそれは、とにかく平易な文章で書かれているので、内容は頭に入ってきやすい。


「五十鈴先輩は?」

 文本の目が遠慮しがちに俺の隣に向いた。

「部活もの」


 そう言うと、奴の手がいきなりこちらに伸びてきた。力を入れていなかったから、冊子は簡単に俺の手から離れる。突然のことに虚空を掴みながら、納得いかない顔で五十鈴の方を睨む。

 そのまま彼女は、去年の作品集を右のソファに座る二人に突き付けた。ん、とどこか不愛想な感じに。その表面的な態度は、とても友好的とはいえない。


 五十鈴のいきなりの行動に、二人も多少面食らったようだった。それでも、文本が困惑しながらもおずおずと部誌に手を伸ばす。そのまま中を開いて共に読み始めた。

 すると、余るのは我が妹なわけで。正面に顔を戻すと、見事にあいつと目が合った。たちまち、彼女は席を立って友人たちの後ろに移動する。そのまま二人の手元を覗き込んだ。


「おい、五十鈴。お前もう少し優しくにできねえのかよ?」

「痛かった?」

「……いや俺にじゃなくてだな」


 小さな声で、言葉を交わす。どうやら、あいつの方に自覚はないらしい。五十鈴美桜のいつもの感じというのは、同級生の立場から見れば、凛として落ち着きがあって、とポジティブに受け取れる。

 しかし、下級生だとどうだろう。高校に入って間もないわけだし、色々と余裕がない時期だ。二年生は彼女だけだし、それがとっつきにくいとなるとどうにもねぇ。と、つい余計な心配をしてしまう。


 見ると、一年生三人衆は楽しげに部員たちの作品に目を通しているようだった。ここですっと決まってくれれば――

 そうなったらそうなったで、俺は明日からここに来る必要はないのか。なんとなく、それは少しだけ虚しく思えてしまうのだった。

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