第26話 部員を集めろ! ミッション2
次第に人は減り始めている。それは新入生もそうだし、上級生もそう。まあそうか。放課後を知らせるチャイムが鳴ってから結構経つ。腕時計に目を落とすと、十七時がかなり近づいていた。
勧誘の方法は二つあった。一つは先ほどから俺たちがトライしているキャッチ――所謂声掛けだ。もう一つは、呼びかけで人を募る。こちらは余程部の魅力がないと難しい。
それこそ、弓道部とか好例だ。先ほど大きな旗を、戦国武将よろしく振り回してた。その下にはカイトと見覚えのある様なないような女子部員が。いざ、御旗の下へ! みたいな大声を出していた……胴着姿で。ちょっと恥ずかしかった。
そして人を捕まえれば彼らは消えていきます。自分たちの巣に帰っていくのです。おそらく太古の昔、狩猟生活をしていた頃の記憶がそのDNAに刻み込まれているのでしょう。
――とにかく、俺たちがまだここにいるということはすなわち収穫は、零ということになる。えへへ、キャッチって難しいね。なんてはにかんだところで、隣の女は少し眉根を寄せるだけ。
「美紅先輩の方はどうなんだろう。……五十鈴はどう思う?」
慌てて俺は言葉をくっつけた。そうでもしないと返ってくる言葉は『さあ』だけだろうから。事実に関心があるのではなく、ただ雑談がしたいのだ、俺は。暇をつぶすには、やはりそれに限る。
「うまくいってるんじゃないかしら。あの人、口達者だから。たまにわけわかんないこと言うけど」
すると意味ありげに、彼女はこちらを見てくる。
「確かになぁ。頭のネジ、何本かぶっ飛んでる」
「……それをキミが言うんだ」
五十鈴はかすかに目を丸くした。その漆黒の瞳の奥に、呆れの色が見えた気がする。俺もずいぶんとこいつについての理解が深まった、ということかもしれない。
それは別として、おそらく五十鈴の見立ては当たっていると俺も思う。あの人は話好きな性格だ。今までのやり取りや、昨日の一年生への対応を見てそれは間違いないだろう。ぐいぐいくるのを苦手とする人もいるだろうけど、おおよそ彼女は受け入れられるのでは、というのが俺の見立てだ。
そこに多少の願望が込められているのは、認めましょう。美紅先輩なら成功しているはず。していて欲しい。そうでないと、おおよそ大変なことになる。
だってこっちの成果はからっぽだからね。よくいうあれです、無を取得した的な。哲学をしたいわけではなく、それはれっきとした事実。
五十鈴キャッチ作戦はあまりうまくいかず。男子はこいつに声をかけられるとたちまち身を固くして、ろくすっぽ話を聞かず。女子はといえば、今度はこの女がうまく場を繋げない。つくづく不器用な奴だな、と思う。彼女をクールビューティだとか評する奴もいるが、あれは完全に間違いだ。
「次やったら戻るか」
「……根津君、代わって」
「いや、十分手本は見せただろ?」
「そうじゃなくて。――だって、私向いてない」
彼女の声はか細かった。
俺は慌てて奴の方を見た。流石にこの鋼鉄の女も参ってはいたらしい。明らかにその顔は元気がなさそうだ。それが露骨に表情に出るほど、今こいつは弱っている。
まあ、その気持ちはよくわかる。見知らぬ人に話しかけるって相当エネルギーを使う。去年の今時期は毎日めちゃくちゃ疲れていたのを覚えている。
愛想笑い、よそ行きの声、丁寧な口調、神経を凝らして虚像の自分を作る。勧誘とは、さらにそういうものだ。疲労度は段違い。俺自身それは十分体験済みだから理解できる。
それでも――
「部員はお前だ。文芸部の魅力を伝えられるのは、お前しかいないだろ」
「それはわかってはいるけど……」
「じゃあこうしよう。俺が話しかけるから、お前が後を引き継げばいい」
その言葉はすっと口から出て行った。
今しがたその大変さは確認したはずなのに、俺は進んでそれを
まあ単にクラスメイトの手助けをしようと思っただけなんだが。幸いにして、メンタルダメージを食らってもすぐ回復するように、根津浩介の身体はできている。
五十鈴は小さく頷いた。少しはやる気になったらしく、ひとまずはその表情は元通り。澄ました奇麗な顔がそこにはあった。
俺たちはじっと得物を待つ。罠に動物がかかるのを待つ狩人の如し。しかし、しばらく一年生は近くをほとんど通過していない。あったとしても、すでにほかの部活のやつに囲われている。
だが――
「こんにちは! 今ちょっと時間あるかな?」
努めて明るい声を出しながら、一人の女生徒に近づいていく。色の白いほっそりとした女の子。ドキッとしたように一瞬身体を震わせた。それでも、伏し目がちに俺たちのことを見てくれる。
どこか怯えているようにも見える。まあ上級生にいきなり声をかけられたら、大抵のやつはこういう風になるだろう。おずおずと首を縦に振ったのを見て、俺は話を続ける。
「文芸部なんだけど、よかったらちょっとだけ話聞いてくれないかな?」
一年生はまたしても黙ったまま頷いた。そうとうな恥ずかしがり屋なのか、口を開くのが鬱陶しいと思っているのか。強張った表情からは判断がつかない。
なんだか押し付けがましい気がして、少し気が引けるものの、俺は五十鈴に目配せをした。この後のことはこいつの方が適任だ。
文芸部副部長は、己が属する部活について簡単な紹介をする。堅苦しいものじゃないよ、とか。基本的にはだらだらしてることの方が多いよ、とか。書くの専門でも、読むの専門でも、広義の本に纏わる活動ならどんなことでもしていいよ、と。ゆっくりと、聞きやすい声色で言葉を紡ぐ。
そして、五十鈴美桜はにっこりとほほ笑んだ。
「――あなたは本、好き?」
「ええと、どちらかと言えば好き、かも……」
ためらいがちに一年生は答えた。
「私は大好き。現実とは違う自分になれる気がするから。文字を追っている時は、幸せな気分になれるの」
そう語る五十鈴の目はとても奇麗だった。思わず俺は息を呑んでしまう。
「ねえ、時間があるなら部室に来ない?」
「あの、わたし……ご、ごめんなさいっ!」
いい雰囲気だと思ったんだけど、後輩Aは顔を真っ赤にすると、走り去ってしまった。ばたばたと階段を駆け下りる音が虚しく聞こえてくる。
俺と同級生Iはその姿をぼんやりと見送る。ううん、性急すぎたのかもしれない。よくわからない場所に連れ込まれるということで、危険を察知したとか……。
「行っちゃった……何がダメだったんだろう?」
その声は残念そうに廊下に響く。
「タイミングとか? ――まあうまく話せてたと思うぞ」
返事はなかったが、五十鈴がほんの僅かだけ嬉しそうにしたのを俺は見逃さなかった。少しだけその口元が和らいだ。……と思ったが、気のせいかもしれない。その鉄仮面を眺めている内に、見間違い感が増してきた。恥ずかしい、穴があったら、入りたい。おおっ、川柳が完成した!
見事に逃げられてしまったが、こいつはうまくやれていたと思う。何か踏ん切りがついたように、スッキリした表情をしてたし、言葉もスラスラと口を出ていた。改めて思ったが、意外といい声質してると思うこの女。優しいお姉さん系。うちの姉と入れ替えたいくらい。奴は喧しい。怒るとキンキンする。
「じゃ、戻るか」
「うん」
約束通り、俺たちは部室に戻ることに。結果だけ見れば失敗と言えるだろうが、明日が少しだけ楽しみになる終わり方でもあった。
俺たちはゆっくりと踵を返して、そのまま階段の方へ歩いていく。
「あ、お兄ちゃん!」
するとその時、後ろから懐かしい声がした。そしてばたばたこちらに駆け寄ってくる足音が聞こえてくる。数時間ぶり感動の兄妹の再会。えんだぁー的なアレを頭の中に流して、その方を向こうとするが――
いきなり、ケツに衝撃が走った。うっ、という声を漏らして堪らず俺は床に四つん這いになる。左手は尻に添えるだけ。
「ちょっと、瑠璃! あんた、いきなり何してんの!?」
「そうだよ! ……あ、あの大丈夫ですか、お兄さん?」
続けざまに若者の声がする。
臀部を擦りながら俺は立ち上がった。見ると、膝蹴りの姿勢をとったままの妹(どや顔)と文本(あぜん顔)、柴垣(心配顔)の一年生三人娘がいるではないか。五十鈴もまた目を白黒させている。
「大丈夫だ、ケツが二つに割れた」
「もともとです、それは」
「古くない、あんたの兄貴」
「よく言われる」
いきなり冷ややかな視線を食らった! 上級生としての威厳は、今の膝蹴りで木っ端みじんに砕け散ったらしい。何たることだ……!
「瑠璃よ。そりゃないぜ。ここは、『お兄様~、キャッキャウフフ~』みたいな感じで抱きしめるシチュエーションだぜ」
「うんそうだね。後ろから、首絞めればよかったね」
おかしいな、こんなにバイオレンスだったかな、根津家の次女って?
「……ホントにいるんだ、こんな人」
「瑠璃の兄貴って、なかなか気持ち悪いね」
「根津君はしすこんなの?」
おぉ、ここは地獄か何かか? 安易に友成たちといる時のノリを出すべきではないらしいということを、俺は深く学んだ。
とりあえず、お口チャック。しばらく口を開くことはやめておく。なので、とりあえず居た堪れないものを見るような目つきを辞めてもらえませんかね……?
「あの、五十鈴さん!」
「な、なにかしら、ええと――」
「文本ですっ!」
それくらい覚えてやれよ、と心の中でツッコミを入れる。
「これから部室に遊びに行っていいですか?」
思いがけぬ一言に驚きながらも、今度こそ五十鈴が表情を変えるのを、俺は見逃さなかった――
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