第89話 気の芽生え

 ジャラジャラジャラ。

 ああ、この音。久しぶりに聞くのに、ものすごいしっくりくる。心が洗われるようなメロディー、こういうのを――


「フクオンっていうのかねぇ」

「……なんだ、いきなり。ついに、完全に頭がおかしくなったか」

「違わいっ! このぱいをかき混ぜる音、聞き心地がいいなぁってさ。そのフクオンじゃい、フクオン」


 正面に座る友成を強く睨みつける。

 久方ぶりのだというのに、なんたる言い草だ。これまた、洒落た感じに山を積みやがって。


 不機嫌な表情を作っていると、右隣りから大きなため息が聞こえてきた。


「もっともらしいこと言っているところ悪いが、それは福音フクインだ。そもそも、音を指すことでもなし」

「……マジで?」

「ああ。とても文芸部――表現を司る活動に携わっている者の発言とは思えんな」


 そんながっかりされても困るというか……まあ、自分の無知っぷりは若干恥ずかしいけど。まさか読みから間違ってたとは。


 しかし、こいつらとももう長い付き合い。体裁を繕ったところで、今更どうしようもない。

 ということで、ここはただ黙って牌を積み込む作業に戻る。何事もなかったように、さも平然と。


「修、お前の言うことももっともだけど、文芸部ってそこまでブンゲー活動してないみたいだぞ」

「何を言うか。だいたい、お前が俺らの何を知っているというんだ」

「花火大会で遊んでた、とか」


 その時のことが持ち出されるとは夢にも思ってなかった。

 おかげで、つい動揺が表面に出てしまった。意に反した身体のびくつきがテーブルを揺らして、麻雀マットの上によくない影響を与える。


「え、なになに? こーちゃん、それどゆこと? 詳細希望!」


 俺が口を出す前に、周五郎に先手を取られてしまった。目を輝かせて、奴はぐっと身を乗り出してくる。

 こいつ、人畜無害そうな見た目して意外とゴシップ好きだったな。この面子で、一番厄介だ。


「詳細も何も、ただ部の活動の一環として花火大会に行った。ただそれだけだ。以上、話は終わり。解散!」

「解散って、今から始めるところじゃん。絶対それだけじゃないよね、ともちゃん。知っていることを全部言っちゃいなよ!」

「ん、そうだな。――こいつ、五十鈴美桜と一緒に回ってたんだぜ。後もうひとり、弓道部の深町って女子もいたな」

「なんだよ、それ! ハーレムじゃんか!」

「そんなんじゃねえから。鼻息を荒らげるのはやめような」


 その興奮具合は、我が友人ながら恐ろしい。具体的には、せっかく積み上がった四つの山が崩れるんじゃないかと不安になる。


 だが、こんな一言で周五郎が止まるわけもなく。話の続きを聞きたそうにうずうずしっぱなしだ。

 友成め、ほんと余計なことしかしないんだから。当の本人と言えば、涼しい笑顔を向けてくるだけ。それがまたなんとも腹立たしい。


「いいか、周五郎。そんなことよりも、その花火大会に友成もいたことが問題じゃないか?」

「……というと?」

「つまり、こいつこそ諸悪の根源! 憎むべきリア充! 若瀬とイチャコラデートしてたわけだ!」


 机を叩きたかったが、それは控えておいた。代わりに、勢いよく立ち上がっておく。


 けれど、俺の予想に反して部屋の中は静まり返ったままだ。

 仲間たちから向けられるのは冷ややかな視線。


「なんだ、別にそんなこと」

「そ、そんなことってな」

「ともちゃんと若瀬さんのラブラブっぷりは今に始まったことでしょ」

「どこかの誰かさんと違って隠れて付き合ってるわけじゃねーしな」


 周五郎の関心を買えないどころか、友成にもダメージを与えられないとは……。

 まあ確かに、このイジリはかれこれ二、三年前から繰り返している。たかがデートくらいじゃ、何の意外性もない、か。


 風向きの悪さを感じつつ、俺は力なく腰を下ろした。

 流れを変えうるとすれば、右隣りの男だが。


「深町って、弓道部副主将の深町翠のことか」

「おっ、知ってんのか、修。やっぱ剣道部と弓道部でそれなりに交流があるんだな」

「いやそんなことはない。ただ仲間内で盛り上がっただけだ。胴着姿選手権とやらで、な」


 連中、とんでもないことやってやがんな。しかし、修もそういう話に興味があるんだな……一瞬意外に思ったが、実際のところはただ傍観してただけだろう。名前を憶えていたのは、記憶力の良さが変な方向に出ただけ。

 まさか、こいつすら場をかき乱してくるとは。思わず頭を抱えてしまう。


「ほー、そんな素敵な選手権がなぁ。確かに深町ちゃん、めっちゃかわいかったからな。五十鈴ちゃんとも甲乙つけがたい」

「おいおい、こーちゃん。どういうことかな。久々にキレちまった、表出なよ?」

「……唐突にキャラ変するな、周五郎」


 残念なことに、いくら凄まれたところで全く恐ろしさはない。童顔なのもそうだが、さすがに古臭すぎる。


 この話の流れは面倒くさい。

 ダメ元で、俺はテーブル片隅のサイコロに手を伸ばした。


「よし、じゃあ始め――」

「まあ待て。結局、お前はどっち狙いなんだ?」

「……なんだよ、どっちって。役の話か? そりゃ毎局、やくま――」

「そうじゃねえよ、五十鈴ちゃんと深町ちゃん。沙穂もそれなりぃに気にしてた」

「おお、切り込むねぇ、ともちゃん! さあさあ、答えはいかに!?」


 こいつら、今日何しに集まったと思ってんだか。一向に始まらないぞ、麻雀。結構、楽しみにしていたのになぁ。


 会場を俺の家にしなくてよかったとつくづく感じる。五十鈴と一緒に暮らしているなんて知られたらどうなることか。


「もちろん、五十鈴女史の方だろう。なにせ文芸部に入るくらいだ」

「確かに、こーちゃん活動に熱心だもんねぇ。僕らとの付き合いを減らすぐらいには」

「もともと前から減少傾向だったろうが……」

「いやいや、深町ちゃんの可能性もあるだろ。なにせ同じ部活、もしかしたらこいつずっと前から」

「えっ、そうなの、こーちゃん!? それはとんでもない裏切りだよ!」

「俺たち、なにか手を組んでいたか……?」


 全く収拾がつく気配がない。ただ時間だけが虚しく流れていく。誰ともなく、好き勝手にありもしない妄想を述べやがって……。


「わかった、わかった。そんなに気になるんなら、いくらでも話してやらあ! ――もちろん、この麻雀の勝敗にかけて、な!」


 なんともまあ我ながら分の悪い賭けを挑んだと思う。


 でも、こうするほか手段はなかった。ヒートアップしたこいつらを鎮めるには、わかりやすい人参をぶら下げるくらいしかない。


 そんなこんなで、絶対に負けられない闘いが開幕したのである。




        ※




 帰りに寄ったスーパーの袋を下げたまま、真っ先にリビングへと向かう。


「ただいまー……って、お前ひとりか」


 五十鈴が膝を抱えるようにしてソファに座っていた。その視線はテレビにくぎ付けだった。何かの音はここまで聞こえてくる。

 またなんとも珍しい光景だ。こいつはたいていスマホを弄っているというのに。


 しかし、そこまで気にすることでもなく、冷蔵庫への収納作業を開始する。


「おかえりなさい。うん。菫さんはバイト。瑠璃さんは……」


 不自然な言い方に、再び五十鈴に視線を戻した。


「なんかあったのか」

「ええと、その……なんでもない」

「口止めでもされてんのか?」


 図星だったらしく、五十鈴は露骨に目を逸らした。

 あからさますぎる態度に、俺はふとさっきの熱戦のことを思い出す。その最中、友成が変なことを言っていた。正確に言うと、若瀬、なのだが。


『沙穂がさ、美桜ちゃん最近表情柔らかくなった、って』


 あのときはそんなことないだろ、とすぐ否定した。

 が、今こうして本人を目の当たりにすると、少しは確かにと思う。最近の五十鈴は全くの無表情というわけじゃない。


 でもそれは、本人が元からそうだと思っていた。よく観察しなければ、その感情がわかりにくい。そういうクールな女子。

 だが、若瀬の言葉からすると、その考え方は揺らぐ。


「見つめられても言えないものは言えない」

「……やっぱり口止めされてんのな。まあ大方宿題終わってなくて引きこもってるってところだと思うが」


 玄関にある妹の靴が在宅の証拠。そのうえで、何か隠すようなことといえば、まあそれくらい。最終日の今日も宿題してたら、俺から皮肉のひとつやふたつぶつけられると思ってるんだろう。

 その割にはおとといのときには、それをわざとらしい言い訳に使っていたのに。最近の瑠璃ちゃんはよくわからん。


「ついでに言っとくけど、見つめてたわけじゃないから」

「……え? うん、わかった」


 ぎこちない返事を不思議に感じながら、作業を再開する。どうもなんかいつにもまして居心地が悪い。

 麻雀開始前に、友成たちが好き勝手なことを言っていたせいだ。これでもし俺が負けていたら今頃どうなっていたことやら。

 思い付きで口にしたから、負けたときのことなんて何一つ考えていなかった。そもそも、あまり考えようにしてきた問題でもあったし。


 静かな部屋の中に、がさごそと耳障りな音だけが響く。

 五十鈴の方はすっかり何かを観るのを止めたらしい。耳を澄ませてみても、テレビの音は少しも聞こえてこない。


 邪魔してしまったのだろうか。さすがにちょっとだけ気になる。


「五十鈴は何してたんだ?」

「映画観てた」

「なんてやつ?」


 告げられたタイトルは全く聞き覚えのないものだった。

 仕方なく、曖昧に相槌を返した。


「うるさくして悪かったな、すぐ終わるから」

「ううん、別に。思ったより面白くなかったし」

「そうなのか。手厳しいな」


 言葉を額面通りに受け取るなら、逆にタイミングがよかったことになるが。

 言葉の裏を読むのはなかなか難しい。それは五十鈴相手だとなおさらで。


「夕飯、何か希望あるか?」

「根津君の作ってくれるものなら何でもいいわ」

「気を遣ってくれてるみたいだけど、なんでもいい、は困るんだよなぁ」


 同居人の言葉に顔をしかめながら、冷蔵庫の扉を完全に閉めた。

 予定していた通りの材料を抱えてキッチンになだれ込む。メニューの案はあったけど、所詮は惰性で考えたもの。誰かの希望があるならそっちの方が作り甲斐があったりする。


「激辛麻婆豆腐、なんてどうだ?」

「いいと思う」


 五十鈴の横顔を見ながら、献立を提案してみた。

 肯定的な言葉が返ってきたが、さすがにこれに裏がないことはわかる。喜んでいるときこいつの反応は一番わかりやすい。


 今までだと、辛い物を作るのは少し気が引けていた。姉貴も瑠璃もそこまで、辛い物が好きじゃない。

 でも、五十鈴は意外にも辛い物好きだった。普段は甘ったるいものを好んでいるくせに、もしかするとバランスを取っているのかも……なんのバランスなんだか。


 ともかく、二対二なら分けて作るのもいいかなと思えるのだ。その点で言えば、五十鈴は非常に心強い味方だ。

 ……そんなこと、こんな状況になるまで思いもしなかったけど。


 賛同も得られたところで、速やかに調理を始めていく。まず米を炊くところから、か。


「何か手伝いましょうか?」

「いいって。居候様はゆっくりしてなって」

「トゲのある言い方」

「他意はねえよ。美桜ちゃんは怒りっぽいねぇ」


 わざとらしく冷やかしてみると、五十鈴はさっとこちらに顔を向けてきた。

 軽く目を細めて、少し頬を膨らませて。見るからに不機嫌そうである。が、地味にこの表情、俺にはツボだった。


「からかって悪かったって」

「……本当に悪いと思ってる?」

「もちろん」

「じゃあ何が悪かったの?」


 だからからかったのが……言おうとして、すぐに言葉をしまった。

 これじゃあ無限ループだ。こういう言葉遊びを、こいつが好むとは思えない。


 五十鈴の顔を見ながら少し考え込む。果たして何が気に障ったのか。すぐには思いつかないけど、そこまで深刻じゃないだろう。

 訊きかたはどこか挑発的だった。


「まあいいけれど、。オーガイと遊んでくる」


 ぴしゃりと言って、五十鈴は立ち上がった。そのまま優雅な足取りでリビングを出ていく。


 なんだ、あいつ。特有な気まぐれに苦笑しながら、違和感に気づいたのはだいぶ後になってからだった。

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