第35話 華やかな日曜日

 自転車を市営の駐輪場に置いて歩き出す。この街はこの四月――新年度に替わった瞬間から本気を出した。都心部にある駅周辺の放置自転車の撤去を徹底。その煽りを食らった、というと聞こえは悪いが、俺はちゃんとルールを守ることにした。カードゲームのアニメに教えられたことの一つだ。


 交差点の人ごみに紛れて、歩車分離式の信号が青に変わるのを待つ。せっかくの休日に、どうしてこんな人ががたくさん集まるところに出向かないといけないのか。集団から少し離れたところで、厭世的な気分を感じていた。

 いやわかってる。風吹けば桶屋が儲かる。あの日エロ本を買いに行こうだなんて、言いださなければ、確かに平穏はこの手にあったはずなのだ。因果関係が希薄過ぎて、他人に話したところで不思議そうな顔をされるだけだろうけども。


 そのまま百貨店に侵入して、店内を突っ切るようにして待ち合わせ場所へ。これは果たして不法侵入に当たるのだろうか。あの幼げな法学部系女子に、一つ講義をお願いしたいところだ。


 しかし、いつも思うが、ほんと俺はこの空間に似つかわしくないと思う。生まれてからずっとこの街に住んでいるけど、この華やかな場所に自分はひどく隔絶されている気分になる。こうして歩いているだけで、なんとなく落ち着かない。学校と並んで、できれば来たくない場所の一つだ。……と言いながら、月初めに姉妹すみるりに誘われ映画を観に来たが。どうして大型連休を満喫しようとするかね、あいつらは。


「おはよーさん、若人!」


 ぼんやりと、明るい光に包まれる南口の入口周辺をうろついていると、聞き覚えのある声が耳に届いた。見ると、たくさんの通行人の中によく見知った顔を一つだけ見つけた。


「……おはようございます。って、もう一時になりますよ?」


 近くのオブジェに取り付けられている大きな壁時計に俺は目をやった。正確には十分前。ちょっと早かったかな、と少しだけやるせなさを覚える。


 この人がとんでもないことを言い放ったのは、一昨日のこと。とんとん拍子で、今日こうして部員全員で街に繰り出すことが決まった。

 しかし、制服姿ではない美紅先輩を見るのは初めてだな。ジーンズにシャツというラフかつシンプルな格好。しかし、なんとなくこの人らしさが滲み出ている。


「おっ、どうした、どうした? あたしに見惚れちゃったかい?」

「目を開けたまま寝られるって器用ですね、先輩」

「はっはっは、言うね~、こーすけ君」

 ガシっと俺たちは固い握手を交わした。


「で、他のみんなは?」

「見ての通り。君が最初」

「正直意外でした。美紅先輩が一番乗りなのは。てっきり――」

「しずかっちの方がらしいって?」

 悪戯っぽい笑みを、部長は浮かべる。

「まあ、あの、はい」

「今更言いにくそうにされてもなー。みくちゃん、傷つきましたよー」


 わざとらしく不満げな顔を見せるが、俺は無視を決め込むことにした。そこはかとなく、面倒くさい匂いが漂っている。

 俺のその反応に、なおのこと表情を変えたものの、結局彼女の顔は涼しげなものに戻った。正面に視線が戻る前に、さっと俺の全身をチェックしたのがわかる。


「というかだね、こーすけ君。その格好は……」

「何か問題でも? 一応一張羅のつもりなんですけど」

 俺は少しだけ眉間に皺を寄せた。

「――いや、そうだね。人の服装にケチ付けるほどナンセンスなことはないもんね」

 この先輩には珍しく、どこか引き攣った笑みで会話を閉じた。


 やがて、待ち合わせの時間――午後一時が近づいてくる。その五分前に、一年生ズが現れた。一緒に来たらしい。よほど仲がいいこって。しかしこいつら、俺に対して一瞬ぎょっとしたような顔を見せたが。いったいなんだというんだろう。

 分針とぴたりと十二の位置で重なった時、もう一人の三年生が姿を見せた。なるほど、この人はこういうタイプか。これでも、らしいといえばらしい。そして例にもれず、俺のことを不思議そうに眺める。


 待ち合わせ時刻は過ぎたが、文芸部員は全員揃ったわけではない。残念なことに、俺と同学年のやつが遅れている。しかし、旧知の先輩方に気にした様子はない。一言だけ『みおっち、遅いね』とだけ口にして、今はまた適当な雑談が始まっている。


 そして――


「すみません。迷っちゃって……」

「いいよ、いいよ~。むしろ十分遅れは早い方だもん、みおっちにしては」

「地下鉄からくるとわかりづらいもんね~」


 それは果たしてフォローになっているのか、俺には甚だ疑問だった。しかし、それ以上に俺には気になることがあった。


「なんで制服?」


 休日にもかかわらず、彼女はなぜかいつものセーラー服を着ていた。他の四人は思い思いの私服姿を決め込んでいるというのに。


「ふつう駅前に遊びに出る時って、おしゃれするもんだろ」

「ジャージ姿のあなたには言われたくないんだけど?」

「なんだと! これはな、我が家に代々伝わる――」

「似た者同士、ってやつですね!」

「のぞみちゃん、それはちょっと違うと思うけど……」


 いまいち腑に落ちないものの、とにかく全員が集まったわけで。いよいよ、面倒くさい半日が幕を開けるのだった――





        *





 駅から一番近いところにある大型書店はそれなりの賑わいを見せていた。中に入るなり、本や独特のにおいが鼻腔をくすぐる。

 前を行く五十鈴は躊躇いなくどんどん進んでいく。勝手がわからない俺としては、ついていくしかない。ひたすらに制服姿の同級生を追っていく。


 上に向かうエスカレータの手すりにぼんやりと身体を預けながら、俺は一つ欠伸をした。目の前の女はすくっと姿勢よく立っている。

 表面的に見れば、完全無欠な優等生といえるだろう。実際、五十鈴は専らそういう風な評判だ。しかし、その内面はといえば、色々と抜けていることが多い。先の遅刻の件といい。


 あの後、俺たちはバラバラに建物を出た。てっきりみんな一緒に行動するもんだと思っていたが。あのお気楽部長はテキパキと、俺たちを三つのペアにわけた。個人的には、美紅先輩と三田村という正反対な二人がどうしているかが、すっごい気になる。

 二時間後に、なんとかっていう喫茶店で待ち合わせ。聞いたことのない名前かつ耳慣れない横文字だったせいで、忘れてしまった。しかし、五十鈴がよく知っているらしいから問題はないだろう。たまに文芸部みんなで訪れるらしいよ。


 二階に足を踏み入れても、彼女の進撃は止むことはない。俺がいることなど忘れているように、足早にどこかに向かっていく。

 ちらりと、店内奥に某有名カフェチェーンが展開されているのが見えた。あそこでコーヒーを飲んで、ぼんやりと一時間を過ごしたい。もちろん、そんなことを副部長殿には口が裂けても申し出ることはできないが。


「ここよ」


 彼女が足を止めたのは、最奥のスペースだった。ちらほらと、家族連れが徘徊している。ニコニコして、楽しげな雰囲気だ。所謂、一家だんらんとでも言うのだろう。ふと、しばらく音信不通の両親のことが気になった。


「よく来るのか?」

「うん」

「意外と子どもっぽいところあるんだな」

「この店に、って意味よ?」

 彼女の目つきが鋭くなって、俺は堪らず肩を竦めた。


 そのまま二人並んで、テキパキと書棚に目を通していく。気になったタイトルがあればパラパラと目を賭してみた。後はスマホで評判を見てみたり。しかし、どうにもやる気は出ない。

 五十鈴は念入りに確認している。その横顔は真剣そのものだ。しかしそれでいて、どこか上気しているようにも見える。よほど本が好きならしい。


「これなんかどうかしら?」


 彼女が見せてきたのは、一冊の絵本だった。そして、よどみなくあらすじを教えてくれる。その声はいつもよりも数倍弾んでいる。

 俺はそれを受け取って、少しゆっくり目にページを捲ってみた。起承転結がしっかりしていて、読了後の爽快感も悪くない。その目の付け所には、思わずハッとさせられた。


「――ふうん。なかなか面白そうじゃん」

「キミもそう思う? じゃあこれ、候補一冊目ね。ふふ、順調だわ」

 

 そういうと、彼女は嬉しそうに笑った。そのまま鞄から可愛らしいメモ帳を取り出すと、せかせかとタイトルを書きこんでいく。

 こいつのここまで楽しそうな姿を俺は初めて見た。部室での五十鈴といえば、いつもと変わらない表情で誰かの話を聞いてるか、本を読んでいるか。それは教室での姿の延長上の者でしかなかった。でも、今目の前のこの少女は心底、この活動を楽しんでいるように見えた。


「根津君はどれかいいの見つけた?」

 五十鈴はキラキラと輝く視線をぶつけてきた。

「いや、そうだな……」


 ちょっと気圧されるようにして、平積みの本に目を通す。色々と見てきたはずなのに、俺はすぐには答えが出なかった。


「まだ見つかんないわ」

「そう。何かあったら遠慮なく言ってね」

 柔らかな笑みを残して、彼女は再び正面を向く。


 本当はいくつかあったはずなのに、やはりそれは口を出なかった。彼女が選んだあの一冊の方が素晴らしいと思ってしまったからだ。その顔が曇る気がして、水を差したくなくて、俺はうやむやにしてしまった。

 俺もまた再び、本棚に目をやる。さっきとはその気分ががらりと変わっていた。いつも不愛想なこの少女をここまで変貌させる何かがここには――本にはある、のだろう。それを俺も見つけてみたいと思った。きっとそれこそが、読み聞かせに相応しい本なのだろう。


 童心に帰る――子ども時代も、別に読書が好きだったわけではないが。気が付けば、俺はページを捲るのに夢中になっていたのだった――

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