幕間話その5 得意なこと

 三階中央掲示板にはそれなりの人だかりができていた。そんなにみんな、自分の順位が気になるもんかねぇ……。あるいは、他人の、とか? 関係ないが、バトル漫画の番付表みたいなやつって燃えるよね。

 そんな集団の存在もあって、いつにもましてこの昼休みの廊下は賑やかだった。喧騒にやや気が遠くなりながら、連れに続いてその最後方に並ぶ。


「おっ! 美桜ちゃん、はっけ~ん」

「相変わらず目ざといな、お前は……」

 呆れながらも俺も、一番大きな張り紙に目を向ける。


 頂上には文系総合順位の文字。目の前の連中のせいで、その紙の全てが見えるわけではない。それでも、上から追っていくと、すぐに押元が指摘した名前を発見した。

 

「うわっ、二位! やっぱ凄いんだなあ、五十鈴さん」

「授業で何回も褒められてたもんな。俺たちとは住んでる世界が違うって奴だな」

「いやー、やっぱ最高に素敵だぜ、美桜ちゃん!」


 などと、一番のイスズマニアが奇声を上げると――


「うっさいわね、あんたたち。同じクラスとして、恥ずかしいんだけど?」

「若瀬……そして、美桜ちゃん!」


 集団の前方から、三人組の女子が現れた。そして「あの、みなもいるんだけどー」と、残る一人が控えめに抗議をする。

 憧れの女性を目の前にしているからか、押元裕太君はかなり興奮しているご様子。鼻息を荒くして、目を見開いて……対照的に、女性陣の表情は険しい。


「根津、こいつをなんとかしなさい、今すぐに」

「だってよ、卓」

「どうして俺なんだよ……ったく、落ち着け、ユータ。見ろ、みんな引いてんぞ?」

「――はっ! おお、悪い、悪い」


 旧友に窘められて、ようやく落ち着きを見せる残念系イケメン。初めこそ、その怖そうな見た目通り内面も厳つい奴だと思っていた。だが、それは間違いだった。気のいい爽やかなアホ――それが俺の中での、今のこいつの印象だ。


 クラスメイトの形だけの謝罪に、若瀬は仏頂面を崩さない。腕組みを止めて、片方の手を腰に当てた。そして大げさにため息を一つ。


「美桜も大変ね、こんなやつにつきまとわれて。そろそろはっきりと断った方がいいわよ?」

「私は何度もお断りしているのだけれど……」

「うわっ、それってバリバリのストーカーだね! 押元君って、そんな人だったんだ!」

 ニコニコ笑顔で追撃に出る青葉さんが一番怖いと思いました。


 慌てた様子で暫定五十鈴ストーカー殿は、俺たちの方を振り返ってくる。どうやら俺たちに援護を求めるつもりらしい。

 俺は腕を組んだ。そして、押元から視線を外す。同じような感じで呆れている二人と、ばっちりと目が合う。そして、示し合わしたかのように力なく首を振りあった。


「おい、なんだよ、その反応!?」

「いやだって……なあ?」

 彼と一番付き合いが長い卓が、真っ先に回避行動をとった。

「自覚がないのは、さすがにヤバいぜ? 最寄りの警察署教えようか」

「浩介君、それはさすがに言い過ぎだよ! 押元君は、純粋なあまりただやり方を間違っただけなんだ」

「……それ、フォローになってないからな?」

 我がグループのもう一人の常識人が渋い表情で言い捨てた。


「ここに味方はいないのかよ!」


 そのまま膝から崩れ落ちる押元。こいつはここが廊下――それもすぐ近くに大勢の人間がいるってことを忘れているのか? まあ、面白いので放っておこう。


「それで? どうしてあんたはここにいんのよ。こんなの見に来るキャラじゃないでしょ」

「こいつら……いや、押元に強引に連れてこられたからな。――美桜ちゃんの勇姿を見ようって」


 俺はニヤニヤしながら、小馬鹿にするように言ってみた。しかし、奴の表情はあまり変わらない。強いていえば、その形のいい鼻がぴくりと動いただけ。


「そう」

「……えげつないほどの塩対応だな」

「じゃあ他に何といえば?」

「そうだな、『図が高いわ、愚民ども』とか『私の実力、思い知ったか』とか、色々あんだろ」

「バカの言うことは無視していいわ、美桜。普通に『二位凄いでしょ!』と、自慢しとけばいいのよ」

「さほ、それは違うと思うなー。『どんなもんだい』って、胸を張るとかいいと思う!」


 当事者の五十鈴は、俺たちのどのアドバイスもぴんときていないらしい。ただ呆然とした様子で、黙っているだけ。心なしか、まばたきの回数が多い気がする。


「ともかくだ。ああして晒され――掲示されるってのは立派なことだぞ。五十鈴ちゃん、すごいすごい」 

「うわっ、嫌味な言い方。だいたいあんただってそこに名前あるくせに。……ああ、そうか。悔しいんだ?」

 全く見当違いのことを口にしながら、若瀬はにやりと笑う。

 

「ん、どういうこと――あっ、浩介君、七位だ」

「……お前って、意外と勉強できるよな」

「意外と、っていうのは余計じゃないかな、卓君?」

「ははっ、悪い悪い」

 謝罪の言葉は風船のように軽かった。

 

「そうなのよねー。こいつ、中学の頃から勉強だけはできるのよねー」

「だけってなんだよ」

「あら。じゃああんた、他に何のとりえがあるっていうの?」


 昔馴染みから投げかけられた問いに、俺は少し怯んだ。とりえ、特技、得意なこと……自分自身に問いかけてみるものの、思いつくくことはない。我ながら悲しい。というか、勉強自体もそこまで誇れるべきことでもないし。目の前に文系兄さまがいるわけで。


「……さあ?」

「料理は?」

 

 予想外なことを言いだしたのは、これまた予想外なことに五十鈴だった。思わず驚いて、その顔を見る。往々にして、この女が冗談を口にすることはあまりない。今回も、そんな様子はないようだった。


「なぜそんなことを……」

「お弁当、いつも自分で作ってくるじゃない、根津君」

「あれは仕方なく、他にできる奴がいないから。妹は朝弱いし、姉貴はそれに加えて料理の腕は壊滅的だ。下手すると、死人が出る」

「えっ! 菫ちゃんって、料理ダメなんだ? なんか、意外。ザ・大和撫子って感じなのに」

 まあ俺も三人で暮らし始めてから知ったことだからな、大和なんとかというのはノーコメント。


「ってかお前、姉ちゃんもいるんだな。初めて知った」

 いつの間にか復活した押元が割り込んできた。

「そりゃ別に自慢するようなことでもないし。んなこといいから、そろそろ戻ろうぜ。お前さっき、英語の予習終わってないとかって言ってたじゃんか」

「……はっ! 忘れていた。美桜ちゃん、悪いけど俺はこれで」

「そういうとこだぞ、ユータ……」


 卓の放ったため息交じりの一言は、全く彼には届いてないようだった。そのまままっすぐに教室に向かって歩き出す。

 それにしても、特技料理、かぁ。俺は思いの外、家庭的な男らしい……って、そんなわけないじゃねえか。何か他に誇れることを探しておこう。そう思いながら、俺は押元を追いかけた。




        *




 リビングに入った時、ずっと抱いていた予感は確信に変わった。キッチンからは物音が聞こえてくる。そこにいるのが誰か。先ほど見た玄関を思い出し、俺は全てを諦める。

 帰宅した瞬間から、異臭が漂っていた。その時点でその正体は不明。警戒しながら中を進むにつれ、その発生源がこの部屋だと判明。一気に絶望が襲い掛かってきた。


「おい、なにしてんだ?」


 キッチンで楽しそうに何かをしている、根津菫さんに声をかけた。 集中していたのか、俺が入ってきたのには、今の今まで気づかなかったらしい。


「あっ、浩介君。ダメでしょ、帰ってきたらまず、ただいま」

「……ただいま」

「おかえり」


 話は終わった、と言わんばかりに彼女は調理……いや、作業に戻る。奴が身に着けているのは、るりのエプロン。体格があまり変わらないのはこういう時に都合がいいんだろう。

 じゃなくって。


「だから何してんだって」

「ああ、お祝いしようと思って」

「お祝い……何の?」

 まず今日は誰の誕生日でもない。


「さっきね、瑠璃ちゃんから連絡来て。この間のテスト、十番以内だったよーって」

「へー、あいつ、ちゃんと勉強についてけてんだ」

 我が妹ながら大したものだ。兄としては鼻高々。

「浩介君もよかったんでしょう?」

「いや、掲示すらされなかった」


 謎の決めつけに、俺はなんとなくとぼけてみた。中学時代ならいざ知らず。今更いちいちテストのことを姉には報告する気にはならない。むしろ、尋ねられると鬱陶しいすらある。

 姉貴は再び作業の手を止めると、こちらに顔を向けてきた。満面の笑みが浮かんでいる。その理由はすぐにわかった。


「ふふ、誤魔化しちゃって。瑠璃ちゃんが教えてくれたよ、あなたも一桁だって」

「瑠璃が? なんでまた」

「五十鈴さんに聞いたみたい。あれだよね、浩介君を文芸部に誘ってくれた子でしょう?」


 全く何なんだ、その奇妙なネットワークは……。俺はげんなりした気分になって眉を顰めた。瑠璃の奴、そんなこと五十鈴に訊いてどうするつもりだったんだか。

 いや、今はそんなことより、目の前で繰り広げられているこの惨状をどうすべきか。このままいくと、まず明日、学校を休む羽目になる。


「とりあえず、事情はわかった。姉貴は結局何をしてるんだ? 黒魔術か?」

 ただ三度同じ言葉を繰り返すのも芸がないので、少し付け加えてみる。

「クロマジュツ?」

「……あんたの作ってるものが、とてもこの世のものとは思えないって意味だよ!」

 この期に及んで、まだとぼけようとする姉にさすがに口調が強くなった。


「うぅ、ひどい。お姉ちゃん、頑張ったのに……」

「いや、その、泣くことないじゃねーか」

「だって、浩介君が……」

「わかった、今のは確かに俺が悪かった。ごめんなさい、菫お姉ちゃん」


 明らかに泣き真似だとはわかっていたが、これはいわゆるお約束。定型句を口にすると、姉貴はすぐに笑顔を取り戻した。この女、大学生になってもまだ面倒くさいところがある。


「でも、そこまで変かな、これ。色合い鮮やかなカレーだと思ったんだけど……」

「カ、カレー、ね」


 俺は完全に顔が引きつっていた。鍋の中に見えるのは紫色の水っぽい物体。ぷかぷかと巨大な塊が浮かんでいるが、あれはいったい何だろう。人参か、ジャガイモか、それとも肉か……。

 とりあえず、大至急全インド人に謝るべきだと思う。例え、日本のカレーの直接の起源でないとしても。やはり、カレーといえばインド。インドといえばカレー。俺にとってはそんなイメージ。


「あのさ、続きは俺、やるよ」

「ダメよ。いっつも、あなたや瑠璃ちゃんに料理のことは任せっぱなしじゃない。だから、たまにはわたしが――」

「その気持ちだけで十分だよ。もう、他に何もいらない。ありがとう、姉貴」


 そして速やかにキッチンから出て行ってくれ。そんな思いを込めながら、俺は強引に姉の手を握った。両手で包み込むようにして。

 これは効果があったらしい。歯っと息をのむと、どこか照れた様子を奴は見せた。そのまま俺はダメコックを聖域から追放する。優しく丁寧にが功を奏したのか、すんなり上手くいった。


 姉貴が部屋を出て行ったあと、俺は改めて火にかけられた物体Xと向き合う。果たしてこれをどうしたものか。全くプランは浮かばない。


 ひとまず、俺は味見をしてみることに。そうだ、見た目だけがおかしいのかもしれない。世の中にはグロテスクな見た目をしながらも、その味は至高なものは多い。これもそのパターンかも。

 そんな淡い希望を、俺はゆっくりと食器棚から小皿を取り出した。そして俺は、さらさらした紫色の液体をお玉で掬い皿にあける。

 一つぐっとつばを飲み込んでから、俺はおずおずと皿の縁に口を付けた。


「ごはぁっ!?」 


 兵器、兵器です! これは化学兵器! 甘ったるさの中に、酸味、そしてスパイスの風味が追いかけてくる。なんだかトロピカルな雰囲気すらあるぞ、これ。

 だからといって捨てるわけにはいかない。とりあえず、水で薄めるか。……いや、それで何とかなるものなのか。


 俺は姉貴に何を入れたかを訊きに行くことを決めた。そして思う、なぜ普通に作らないのか、と。カレーの作り方はばっちりルー箱の裏にあるというのに……。


 しかし、出禁にしたはずなのに、どうしてこんな悲劇が……メシマズは矯正すべきなのだろう。特にこの女の場合は。先のことを思うと、かなり頭が痛くなってきた。

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