幕間話その6 騒然、図書室

 中間テスト、という一大イベントは終わった。学生たちはすっかり元の日常を取り戻す。だが、俺は依然として厄介な行事を抱えたままだった。

 読み聞かせの会――それに向けて少しずつ動き始めている。一昨日の月曜日には、実施会場の小学校を訪問をした。来週からは練習が始まることになっている。

 裏を返せば、それまでは暇。もとい、先の闘いの傷を癒す憩いの期間でもある。なので、俺は早く帰って家でのんびりしようと思っていた。


「今日図書当番よ」

 だから、それは悪魔のような一言だった。


 五十鈴の奴、帰りのホームルームが終わるなり、真っ先に俺のところに来やがった。あいつの中で、俺はそんなにも信用ならない人物らしい。


「じゃあ覚えてたのね」


 傷ついた、そう抗議すると、微塵も表情を変えずに彼女は言い返してきた。俺は言葉を失った。忘れていたのは事実だ。こいつに言われなければ、思い出すことは無かっただろう。


 ということで、俺は今、掃除が終わったばかりの図書室にいる。委員用の緑のエプロンを身に着けて、カウンターの粗末な椅子に腰かけながら。一つ思うのは、このエプロンには何の意味があるのだろう。そもそも、エプロンの存在意義とは……ぐるぐると、意味のない問が頭の中を巡っていく。

 とりあえず、パソコンの電源を入れた。管理者用のパスワードを入力して、貸出返却システムが起動するのを待つ。


 テーブルの邪魔にならない位置に、持ち出してきた雑誌類を積み上げた。その一番上のものを手に取ってぺらぺらと捲っていく。


「根津君、それは?」

 隣に座る五十鈴が顔だけこちらに向けてきた。

「見てわかるだろ。部誌だ、部誌。今日のアイテム」

「部室寄ってくるっていうのは、そのことだったのね」


 納得したように頷くと、五十鈴は顔を正面に向けた。背筋をピンと伸ばして、両手をキーボードの上に置く。話はもう終わったということか。


 ボケをスルーされた俺は、少しの間、彼女の方に顔を向けたままにした。その果てに、もう一度繰り返そうと思ったが、止めた。この冷たい反応はいつものこと。むしろ、まだ優しい部類ともいえる。


「二人とも、お疲れさま~。今日もよろしくね」


 沈黙はあまり長く続かなかった。すぐに、奥にある司書室から中野さんが出てきた。胸元に、しっかりと名札が付いている。


 立ち上がった五十鈴に遅れる形で、俺も席を立つ。そして、軽く頭を下げる。そんなのいいのに、と司書のお姉さんは返した。ここまでが、業務前の決まりきったやり取り。

 そして、中野司書がいったん扉の外に出て、札をひっくり返すと、薫風高校の図書館は開館となるわけだった。


 しかし――


「あら、根津君。それ……」

 彼女の目はカウンターに突如できたに向けられている。

「やっぱ持ってきちゃまずかったですか?」

 

 事実、少しだけ持ってくるか悩んだ。結局は、前回の待ち時間の多さに堪えかねて、むしろ多めに持ち出してきたくらいなんだけど。


「いいえ、そういうことじゃなくってね。奥の部屋にもあるよって」


 ちらりと、中野さんは後ろを振り返る。そこは司書室、そして書庫にもなっている。……なるほど、その発想は全くなかった。つまりは無駄な労力だったわけか。ちょっとだけ、なんとも言えない気分になった。


「五十鈴。部室寄る前に、教えてくれよ」

「だってキミ、用件を教えてくれなかったじゃない」

 俺の理不尽な抗議に、クラスメイトは真っ当な答えを返してきた。



 また一人カウンターの前を生徒が通過する。ショートヘアの女子。そのまま奥の閲覧スペースの方へ消えていく。足元を見るに、三年生だ。指定中靴のラインの色でわかる。

 業務開始から数十分。拘束時間はあと二時間ばかり。今のところは退屈な時間が続いてる。さっきのように、利用者はちらほらとやってくる。でも、来館者全員が本を借りていくわけじゃない。


 意識を僅かばかり周囲に向けつつ、再び手元の冊子に目を落とす。こうして部誌や、読み聞かせ用の本、五十鈴に紹介された小説と、最近著しく読書量が増えている。ちょっと前の俺じゃ、考えられなかったことだ。


 そんな風にのんびりとした時間を過ごしていたら――


「お、いたいた。本当だったんだな、お前が図書委員やってるっての」


 聞き覚えのある少し低い男の声が聞こえてきた。ページを捲る手を止めて、面倒くささを感じながらゆっくりと顔を上げる。

 そこにいたのは、やはり友成。そしてその後ろで、修と周五郎がニヤニヤと笑っていた。


「なんだよ、いったい」

 身を乗り出して、小声で奴らの相手をする。

「もちろん、本を読みに来たのさ。ここは図書室だろ」

「うそくせー。そんなキャラかよ」

「こーちゃんの方こそ、図書委員なんてやる性格じゃないじゃん」

 周五郎が痛いところをついてきた。そっちはスルー。


「根津君、友達?」

「いや、知らないやつだ。ほれ、さっさとあっち行った」

「さっきまで普通に話してたではないか。相変わらず、難儀な奴だな」

「知ってるか? 図書室は本を読む場所で、なおかつ静かにしないといけない場所だ」


 しっしと、奴ら三人に向かって強く手を払った。しかし、それでも連中はすぐには動き出さない。


「つれないねぇ、せっかくこうして会いに来てやったというのに」

「頼んでねーだろ。だいたい、よく今日が俺の当番の日だって知ってたな」

「ああ。沙穂が教えてくれたからな。で、沙穂は――」

 そこでゆっくりと友成は五十鈴の方を見る。

「五十鈴……さんに教えてもらったんだと」

「そうなのか?」

 俺もまた、隣に座る女子に顔を向けた。


「うん。若瀬さんと青葉さんから、放課後遊びに行かないかって誘われて、その時に伝えた」

「意外と仲いいんだな、お前ら――ってか、バスケ部は今日休みなんだ」

 再び長身の友人に視線を戻す。

「ああ。顧問の用事だ」


 だからって、修たちを引き連れてこんなところに来なくていいのに。というか、二人は部活いいんだろうか。気にはなったが、これ以上喋る気にはなれなかった。

 とりあえず再び椅子に座り直して、部誌に目を向ける。俺の方に、これ以上連中に用はない。さっさと立ち去って欲しいというオーラを出しながら文字を読むふりをする。


「しかし、意外と真面目にやってるみたいだな。そして、板についてるぞ」

「うるせーよ」

「ね。そのエプロンなんか特に似合ってるし……プププ」

「せめて俺がいないとこで笑おうか、周五郎君」

「五十鈴とも仲良くやってるみたいだしな」

「んなことねーよ!」


 つい少し強めに言い返してしまった。そしてすぐに、空気がぐっと静まり返るのを感じる。少し離れたところにいた生徒たちが、迷惑そうに俺たちの方を見ているのがわかった。


「ちょっと、あなたたち。うるさいわよ。周りの迷惑でしょう」

 すかさず、中野さんが現れた。どこか怒ったような表情をして。

「いや、あのこいつらが――」

「すみません。ちょっと盛り上がってしまって。もう少し場所を考えるべきでした」


 俺を制して、謝罪したのは友成だった。こういう時、こいつは非常に立ち回りがうまい。すぐに自分の非を認めて、真摯さを装て反省の言葉を次々に紡いでいく。 

 中野さんの表情が段々と穏やかなものへと変わっていく。最後には、にこやかな笑みすら見せていた。


「うんうん。素直ないい子たちね。次からは気を付けてね」

「はい。じゃあな、浩介」


 すぐに解放されて、三バカたちは図書室を出て行く。あいつら、本を読みに来たとか言ってたのに。まあ、そうでないことは最初からわかっていた。


 ようやく図書室に平穏が戻り、俺は少しだけほっとしたが――


「さて、根津君。図書委員のあなたが率先して騒ぐなんてどういうことかしらね」


 怒りは収まったわけではなく、矛先が変わっただけのようだ。しかも笑顔なのが、妙に恐ろしい。俺は瞬時に頭を働かせて、必死に謝罪の言葉を探していく。


「……ええと、今回は申し訳――」

「反省文、よろしくね」


 中野さんはにこやかに言い放つと、そのまま司書室の方へと戻っていく。俺はただ呆然とその背中を見送ることしかできなかった。


 一つ大きくため息をついてから、俺はパソコンに向かいなおす。長らく操作していなかったせいで画面は真っ暗。でもマウスを動かす気にはなれなかった。


「くそ、なんだって俺だけこんな目に……」

「仕方ないわ。大声を出してたのは、根津君だもの」


 五十鈴美桜さんは、容赦なく事実を突きつけてくる。そしてそのまま顔を正面に戻した。何事もなかったように、カウンターのわきに置いた手帳に何かを書きこんでいく。……この女、さっきからそんな作業をしているのだった。何を書いているのかは不明。


 反省文なるものの存在は気になったが、俺も部誌を再び読み始めることに。しかし、頭の中では、あいつらにいったいどんな仕返しをしようかを考えながら。

 そして、ある出来事を思い出した。これならいけるかも――


「なあ、五十鈴。お前、あいつらに見覚えないか」

「ううん、まったく。同じクラスじゃないでしょ?」

 こちらを少しも見ずに、彼女はしらっと答えてきた。


 ……おかしいな。あいつらだって、あの店でこの女がいる時にエロ本を買ったはずなのに。その事実をうまく利用しようと思ったのに、いきなり頓挫したぞ。


「ホントのホントに覚えはないか?」

 再度聞くと、その顔がこちらを向いた。

「うん。……あっ、一人は若瀬さんの彼氏だよね」

「そうだな」

 求めていた答えではなかったので、俺はとてもがっかりした。


「あの三人とも、付き合い長いの?」

「ああ。中学からかな。一人だけ、小学校も一緒だったけど」

「ふうん。そうなの」


 ちょっとだけ、五十鈴が意外そうな顔をした。そして同時に、彼女が地元を出てきていることを思い出した。何か想うところがあったのかもしれない。わざわざ向こうから聞いてきたくらいだし。


 結局、その後はお互いに無口のまま。穏やかな雰囲気を感じながら、俺は三度部誌のページを手繰っていく。少しだけ退屈な思いを秘めながら。


「あのすいません。貸出、いいですか?」


 ようやく、本を抱えた生徒がやってきた。五十鈴は動く素振りを見せないため、俺が貸出処理を行うことに。

 彼女から本を受け取って、ピッピッとバーコードを読み込んでいく。これだけは、少しだけ楽しい。だが、こんな時間はすぐに終わり、またしても虚無の時間がやってくる。


 そんな風にして、俺の二回目のカウンター当番の時間は、緩やかに流れていくのだった。

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