第112話 そして花火は打ち上がる
空っぽだった二年二組の教室はすっかり元の姿を取り戻していた。しかし席順は無秩序なまま。誰もが思い思いの場所に座っている。
端的に言えば、昼休みと同じだ。この後に控えるメインイベント前の、軽食の時間なのである。
というわけで、俺もいつものメンツと食事をとっているわけだが。
「さ、根津よ。取り調べの時間と行こうか?」
押元君は大層厳めしい雰囲気だった。元々、体格はごついし顔は怖いわでそれっぽく見える。
「はて、何の話かな。まるで心当たりがないんだが」
「とぼけるな! 五十鈴さんとの件だ!」
ばしんと、押元刑事は力強く机を叩いた。その音に教室は静まり返り、クラス中の視線が一気にこちらに集まる。なんてことをしてくれたんだ、全く。
まあそれも一瞬のこと。すぐに何事もなかったかのように、教室に賑わいが戻る。ある種の奇行として処理されたようだ。学祭中だし、これぐらいは許容範囲ということらしい。
「裕太、どうどう」
「止めてくれるな、卓! いや、お前だって本当は気になってるはずだ!」
「だから声大きいよ、押元君……」
「そうだぜ。いったい何があったって言うんだ」
「だ~か~ら、五十鈴さんとの件だ!」
見事に会話がループした。さすがに再び机を叩くなんてことはなかったが。気心の知れた卓君が見事に止めてくれた。
とりあえず、こうした尋問を受けることになるのは想定通り。五十鈴と一緒にいたら、ばっちりこいつらと遭遇したから。その場は、ノリと勢いで何とか乗り切ったわけだが。
「で、どうしてお前は五十鈴さんと学祭回ってたんだよ」
「誘ったからな」
「……ま、まさかオーケーを貰ったと?」
「そりゃ、そうじゃなかったら一緒に行動しないだろ」
「……いや、わからん。お前が無理やり、弱みに付け込んで、とか」
絶対に明らかにするつもりはないが、弱みがあるのは俺の方だ。もはや、遥か昔のことにも思うが。
「裕太よー、羨ましいのはわかるけどそれは難癖だって。浩介はそんな奴じゃないじゃん」
「卓お前、もしかして俺のこと」
「やめろ、気色悪い。せっかく味方してやってるのに」
「悲しい、友達だと思ってくれてなかったのな」
「紛らわしい言い方をするな!」
理不尽に怒られた、悲しい。いつも思うが、卓は俺に手厳しい。せっかく、このクラスで初めてできた友達なのに。いや、だからこそ、か。
ともかく、今の卓の言葉に思うところがあったらしい。裕太の表情が少しだけ申し訳なさそうなものへと変わる。
「いや、そうだな。さすがに今のは言い過ぎだった。悪いな、根津」
「お、おう。ちなみに俺は少しも気にしてないからな。謝り損だぜ」
「それはそれとして、本当のところはどうなんだ。……つ、付き合ってるのか?」
迷いがないな、押元裕太。さすがに面と向かってそこまで聞かれると困る。なんなら、それは今俺が一番難儀している問題でもあるわけで。
ふと見ると、件の彼女は若瀬を含めた女子連中と談笑中のご様子。
花火を好きな人と見れなければ化石――裏を返せば、なんとしてでも好きな人と過ごすべきなのだろう。それこそ、これをきっかけに付き合ったカップルは何組か存在する。風のうわさで聞いた。
でもなぁ、五十鈴すでにもう今日は楽しかったって言ってた。それはつまり、この後のことは勘案してないということではなかろうか。
直接聞こうにも、なかなか言い出せなかった。やはり部室が最大にして最後のチャンスだったか。クラスに戻ってからは、忙しすぎてそれどころではなかった。
どうしようかと黙り込んで悩む。友人たちからすれば、クリティカルなところを突かれての黙秘と取られるかもしれない。
「裕太、聞きすぎ」
実際、卓がフォローに回ってくれた。半目で睨んで、聞きたがりの友人を制している。
「そうそう。デリケートな問題なんだから」
「お前らはなんでそこまで落ち着いてるんだよ! もしかしたら、根津彼女いるんだぞ。それも五十鈴さん!」
「いや、別にいいことじゃないか。俺たち高校生だぜ?」
「うん。僕だって彼女いるし」
さらっとしたカミングアウトに、一瞬にしてその場の空気が固まった。
マジか。それは意外だ。自分のことを棚上げして驚く。いや、卓に彼女がいるって話なら納得できる。押元は論外として。
へぇ、晴樹にも彼女がねぇ。言われてみれば、そこまで不思議ではない気もする。
「――なのに、ノリノリでメイド服着てたのか」
「浩介君、出るとこ出るよ?」
「今度は裁判かよ……」
なぜこうも犯罪者的な扱いを受けるのだろう。本格的に凄腕の弁護士でも探すか。
そんな意味のないことを考えていると、突然スマホが震えた。
会話もひと段落したところだし、構わず確認する。相手は……五十鈴だった。
『花火見るよね? 一緒に』
これ以上ないくらいのタイミングで、今一番欲しい言葉がやってきた。
多少、自分の甲斐性の無さも気になるが、二つ返事でメッセージを送る。
ちらりと、もう一度五十鈴の方を見る。一瞬、目が合った。これは間違いなく断言できる。
そして、その後ろにいた若瀬とも。こっちはニヤリと、かなり含みのある感じに。
……あいつが余計なことでも言ったのだろうか。だとしたら、でも今回に限ってはいい仕事だ。久しぶりに幼馴染のことを見直した。いや、実際のところ学祭に関してよく働いていたとは思う。なんだかんだ、いいやつなのである。
「浮かれてるな」
「浮かれてますね」
「浮かれてんのか……」
とまあ、見事に友人たちにはバレバレなわけだった。
※
体育館でのイベントが終わり、全校生徒が学年順にグラウンドへ移動していく。いよいよフィナーレを迎えるわけだ。
これが去年なら、何が悲しくて男連中と花火を見ないといけないのだと、大いに嘆き苦しんでいた。
しかし、今年は――
「ちょっと肌寒いわね」
五十鈴は、はーっと息を吹きかけて両手をこすり合わせた。
もう十月も真ん中まで来ているから、この時間帯はかなり気温が下がっている。
グラウンドのあまり人のいなさそうなところを選んで、二人で花火が始まるのを待っていた。ただ、考えるのはみんな同じ。結局、周りには同じような二人組の姿は多い。もはや割り切るしかないだろう。
それでも、賑やかさからは遠いところにあった。単純に花火を待つというワクワク感とは、違う緊張が辺りには漂っていた。
しかし、これはあれだろうか。上着のひとつでもかけてやる例のやつ。しかし残念なことに、持ち合わせはなかった。最終手段としては学ランだが……うーん、どうなんだ。この寒空でワイシャツ姿は、傍から見ると雰囲気が台無しな気はする。
葛藤しているところ、五十鈴がピタリと身体を近づけてきた。その熱が微かに伝わってくる。
「あったかい」
「……そうだな」
上目遣いで、ほっとしたように五十鈴は言った。
なるほど、これが正解だったか。花火を見る約束といい、向こうにリードされっぱなしで立場がない。おかしいな、どこからか完全に攻守が入れ替わっている気がする。
ちらりと、横目で五十鈴の様子を窺う。空を見上げて、花火が打ちあがるのを待っていた。凛とした横顔は、もうすっかり見慣れてしまった。
初めて会ったときの彼女はクールでかなり大人びて見えて。二度目に会ったときはどこまでも落ち着いて隙が無くて。
ただあの失態を黙っていてもらえればよかった。本当にそれだけのことだったのに、巻き込まれてこんなところまで来てしまった。
違うか。自分から首を突っ込んだんだ。いつの間にか、この五十鈴美桜という女の子にひたすら心が惹かれていた。
きっかけはわからない。いつからかも覚えていない。
たぶん積み重ね、なんだろう。彼女と過ごす中で、その素顔が魅力的だったのだ。意外と運動が苦手で、変なところで抜けていて、頑張り屋で、好きなことに夢中で、可愛げがあって――想いはどんどん胸の内から溢れ出てくる。
「あのさ」
声をかけると、ゆっくりと五十鈴がこちらを向いた。上半身をやや捩じるようにして、しっかり正面から捉えるように。
この暗闇の中でもはっきりとその顔は見えた。少し上気して、瞳が微かに揺れている。どこかふわふわと幻想的な雰囲気だ。細やかな息遣いまで伝わってくるほど。
言葉を続けようと口を開きかけたとき、突然夜空が明るく光った。鮮やかな閃光が黒の下地を駆け巡る。
――ドーン。遅れてひとつ大きな爆発音。パチパチと控えめに破裂音が続く。
それでも、俺も五十鈴もその方向には目もくれない。少なくとも、俺には彼女以外のことなど全てどうでもよくなっていた。
「好きだ」
何も用意していなかったと言えば嘘になる。あれこれと、この瞬間のことを考えていた。想定局面は数多くあった。
でも無駄だった。今こうして面と向かって、前もって考えていたあらゆることが全て陳腐に感じてしまった。結果として、口を出たのはそれこそありきたりな三文字だった。
先ほどの一発を皮切りに、どんどん花火は打ち上がる。近くからは感嘆の息が漏れる。遠くからは盛大な歓声が聞こえる。
にもかかわらず、俺たちの時間は止まっていた。
彼女の全身から目が離せない。全ての生理的反応がゆっくりはっきりと目に映る。五十鈴の方も先ほどからまばたきひとつせずに見上げてくるばかりだ。
「……私も、好きです。あなたのことが。根津浩介君のことが」
その言葉に驚きを覚える間もなく、視界いっぱいを五十鈴の顔に奪われた。
唇に柔らかいモノが触れる――
「花火見よ。ほら、綺麗」
つれなく言うその顔が赤く見えたのは、夜空の赤い光のせいなのか。
きっとそうだ。だって、もれなく同じように俺の顔も真っ赤になっているのだから。
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