第53話 煩わしさとむず痒さ
「というわけで、今日のところはここまでね。根津君、何か補足はある?」
五十鈴の顔がいきなりこちらを向いた。
「……なんだよ、突然」
「キミも一応イベント班なわけだし。もしかしたら、何か伝え忘れてることがあるかなって」
「言葉の端々にとげとげしさを感じるんだが?」
「気のせい。他意はない」
しらっとした表情で彼女は首を振った。
釈然とはしなかったが、それ以上気にしないことにした。しかし、そうは言われても、特に思いつくことはなかった。さすがに話半分に聞いてたわけではないが、不思議なことに彼女の話の内容はあんまり残っていない。いやぁ、びっくり。
それでもぐっと記憶を探る。読み聞かせの会の概略。それぞれの本の担当。あと、来週の月曜日に小学校に六人で訪問すること――それくらいか、こいつが話したの。面白みのない表情で、淀みなく喋ってた。お知らせロボットだと思った。
ずっと考え込んでいたら、五十鈴美桜は不思議そうにのぞき込んできた。残念だが、期待されたところで、特に補足することはないように思われた。
「ないんじゃないか。五十鈴ちゃんの説明は完璧だった。えらい、えらい」
ぱちぱちと大げさに拍手してやった。奴はちょっとむすっとする。
「そこ、うるさいですよー」
すると、たちまち委員長の言葉が飛んできた。完璧に作られた声。よそよそしい優しさがそこにはあった。口角も自然と上がっている。でも俺は、その目が全く笑っていないことに気が付いた。引き攣った笑みを浮かべながら、頭を下げる。
そんな俺の姿を見て、少しは五十鈴も気持ちが納まったらしい。鼻で笑うと、その顔をようやく正面に戻した。
「では終わりにしましょう。ボランティアの皆さんは帰ってもらって大丈夫」
「お疲れさまでしたー」
ということで俺たちの会議は終わった。ついでに俺も帰りたいところだが、委員はこの後全体での終了の儀式が待っている。それまで完全に手持無沙汰。
高松は仕事があるかもと言って、自らのいるべき場所に戻っていった。彼が何班なのか、聞いたけど忘れてしまった。図書室を出て行ったから、広報班なのかもしれない。彼らは今日もパソコンルームで話し合いをしているみたいだ。
残ったボランティアの三人はといえば、そそくさと後片付けをしていた。瑠璃と深町は部活の先輩後輩だからか、仲良く話している。残る河瀬はと言えば――
「どうだった、みお、テストは?」
「まあまあかな」
「うっ、学年トップクラスのアンタが言うと嫌味にしか聞こえないねー」
楽しそうに俺の相方の図書委員と談笑していた。二人は前からの知り合いだったらしい。心なしか、五十鈴の方も穏やかな表情だ。
友達、かな。当たり前のことなのに、意外に思ってしまうのは失礼な話だな。ぼんやりと二人の姿を視界の端に捉えながら、自省する。
五十鈴美桜は決して孤独な人間ではない。部活での姿を、放課後勉強している姿を、見てそれは良くわかった。しかしこんなに仲の良さそうな知り合いがいるとは……まだまだ知らないことばかりだな――って、これはついこの間も思った気がする。ザ・無限ループ!
そんなふざけた自問自答にも飽きて、大きな欠伸をしたら――
「あの、根津君。この間の話なんですけど」
深町とばっちり目が合った。
「なんだったっけ?」
とぼけてはみたが、どんな話題なのか、想像はついていた。
「明後日の大会の……」
「来るよね、応援!」
畳みかけてきたのは、他でもない我が妹。
……やっぱりそうなったか。意図的に避けてたわけではないが、テストが終わったあの日以来、深町とはあまり話していない。個別にメッセージが送られてくることもなかったから、すっかりその話は無くなった……ことにしていた。カイトが連絡してくるせいで、完全に大会のことが頭から消えていたわけではなかった。
俺は思わず腕を組んで、ふーっと息を吐いた。できればしたくない話題だ。あいつといい、この子といい、どうして部活を辞めた俺に弓道の大会話を持ち掛けてくるんだ。なんとなく、その狙いは透けて見えるが、はっきりいえば余計なお世話だと思う。
俺の複雑な心情を、少なくとも瑠璃はわかっていると思ったのに。俺は深町の隣に座る妹に、視線を移した。そこに悪びれた風はない。
こいつが家で積極的に部活の話をすることはない。せいぜい、姉貴が軽く尋ねてからの世間話程度。それも当たり障りのないことだけだ。
どうしようか。答えあぐねて、弓道部の二人組から顔を逸らした。その先には、五十鈴たちの姿があった。いつの間にか話を止めて、二人ともこちらの方を見ている。
その姿を見て、ちょうど一週間前交わした会話を思い出す。あの時と似たような杞憂を、今もこいつはしているのだろうか。その表情の乏しい感情からは、何も読み取れない。
だが、俺は決心を固めた。改めて、深町の方に顔を戻した。とても不安そうな表情。その瞳はユラユラと揺れている。
「そうやって誘ってもらえるのは、ありがたいんだけど。俺もう、嫌いなんだ」
「えっ――」
深町は消え入りそうなか細い悲鳴を漏らした。
「弓道のこと。正直、見るのも嫌だ。だから部活を辞めた。みんなには飽きたから、って言ったけどさ」
目の前の弓道部女子たちが息を呑んだのが、はっきりとわかった。
――だが、それすらも嘘だ。本当は逃げただけだ。夢中になったはずなのに、何より好きだったはずなのに。結局、投げ出すことを選んだ。俺自身、それはよくわかっている。
人の弓道をしている姿を見ると、嫉妬のような黒い感情が覚えるようになったのは、果たしていつからのことだったか。もう覚えてはいない。しかし、それをはっきりと意識した時、終わりがやってきた。もういいやと思った。
「お前やカイトが俺のことを気にかけてくれてるのはわかってる。でもこの件については、もう答えが出てるから。それは絶対に覆らない。何度誘われても、弓道に対する熱は蘇らない」
深町の目を見て、俺ははっきりと告げた。無意識のうちに、語気が強くなっていた。そんな風になってしまった自分に、なによりも苛立ちを覚えていた。
深町は気まずそうな顔をして目を伏せた。返すべき言葉を探しているのか、唇をちょっと噛んで逡巡している様子だ。やがて、不安そうにおずおずと顔を上げてきた。
「ごめんなさい。わたし、根津君の気持ち、全く考えてなかった」
辛そうな顔を見て、俺はすぐさま先ほどの発言を後悔した。
「いや、深町は悪くないよ。未だに俺がうまく割り切れてないだけだって。――とにかく、応援には行かないけど、頑張れよ。いい結果、期待してるからさ」
それは嘘のない言葉だ。部活から離れて、ようやくそう思えるようになった。他人の活躍に心がギスギスしなくなった。
深町にもそれが伝わったのか。ようやく彼女の顔にも笑顔が戻った。それは少し弱々しいものだったが。少しだけ心が痛んだ。
「うん、ありがとうございます、根津君」
「翠先輩、そろそろ練習いきます?」
ずっと黙っていた、妹が口を開いた。
「うん、そうだね、瑠璃。――それじゃ三人とも、お先に失礼します」
二人は静かに席を立った。そのまま入口に向かって歩いていく後ろ姿を、俺は気まずい想いでじっと見続けていた。的前に立つ彼女たちの姿を、俺は上手く想像できないでいた。
*
「根津、あんたさっき揉めてなかった?」
委員会が終わってすぐ、三井先輩が帰る人並みに逆らってこちらのテーブルまでやってきた。文芸部員が集まるテーブル。ボランティアだから早く帰っていいはずの文本はまだ残っている。
しかし、この人、こんなぞんざいな口調だったっけ。この間あった時よりも、もっと地が出ている気がする。まあ別にいいんだが。
「いきなりですね、三井先輩。いえ、あややパイセ――やっぱり三井先輩」
さっと鞄から辞書を取り出してきたのを見て、俺は慌てて言葉を引っ込めた。向こうはかなり砕けた感じだったからいけると思ったんだが。やっぱりちょっと怖い。
「大した問題じゃないですよ。なぁ、五十鈴ちゃん?」
「……二度とちゃん付けしないでもらえる?」
彼女の顔はどこまでも真面目そのものだった。
「こっちは大問題みたいだねぇ、こーすけ君」
美紅先輩が揶揄うように笑いながら、俺の肩を叩いてくる。
「……また、ややこしいのが。静香、この子黙らせてもらえる?」
「かしこまりました~。さあ、みくちゃ~ん。静かにしてようねぇ~」
理知的な先輩は、賑やかしな同級生の腕を取って、引っ張っていこうとする。
「静香だけにって――すみません、ごめんなさい、そんな怖い顔しないでってば」
普段大人しい人間ほど恐ろしいというのは、この文芸部で学んだことである。
ちょっと離れた席に二人が座ったことを確認して、再び三井委員長の顔が俺の方に向いた。挑むような目で見下ろしてくる。
「とにかく別に揉めてないですから。話してただけです」
「ふうん、そう言う。ま、それでもいいわ。で、根津、何があったの?」
「めちゃくちゃ高圧的ですね、あやや先輩」
他の文芸部の面々も興味はあるらしく、じっとこちらに視線を向けてくる。訳を知っているはずの五十鈴すらも、同じ反応だ。居心地の悪さを感じながら、俺は至極簡単に説明することに決めた。
「よくある話ですよ。あいつ――話してた女子と、俺は去年まで同じ部活だったんです」
「弓道部だったっけ、あんた」
「よくご存じで」
ちらっと五十鈴を睨んだ。情報源はこいつだろう。どこまでも涼しい顔をしていたが。まあでも覚えてる方も覚えてる方だと思う。
「部活に残った奴と辞めた奴って、色々あるじゃないですか。そんなよくある話の一つですよ。――って、すみません、先輩の前では失言でした」
言いながら、この人も文芸部を去った身だということに思い至った。
「余計な気遣わなくていいから、別に。そもそもあたし、休部だし」
「それホント!? じゃあいつ復帰すんの?」
嬉しそうに声を弾ませて、部長が駆け寄ってきた。
「……受験が終わったら」
気まずそうにあやや先輩は答えた。
「あのいつ終わるんですか、大学受験って」
「大丈夫か、お前?」
高校生の発言には思えなかった。
「望海ちゃん、この間進路集会あったじゃない……」
同学年の三田村も、呆れている。
「綾香ちゃんの第一志望って、国立大だよね。じゃあ終わるの二月じゃない」
「えぇー、それってもう退部と同じじゃん、あややー」
「そうともいうかもしれないわね」
三年生たちが楽しそうにしているのを、俺はぼんやりと眺めていた。すっかり話題は移ってしまったようだ。一年生二人も進路の話をしていた。いや、三田村が一方的に説明しているだけに見えた。
同学年同士がそんな風に仲良くしている姿を見て、ちょっと想うところがあった。弓道部時代はどうだっただろうか。それなりの付き合いはあったが、結局退部のことは誰にも相談しなかった。今もやり取りがあるカイトのことを考えれば、そうしていたら何かが変わっていた――でもそれは意味のない考えだ。
「根津君、一つ訊いてもいい?」
物思いに耽っていたら、今の部活仲間がぐっと顔を近づけてきていた。
「どうぞ」
「結局、何があって部活を辞めたの?」
こいつは気を遣うという言葉はないのだろうか。よくそんな訊き辛そうなことを、容赦なく訊いてこれるな。思わず俺は、相手の顔を信じられない想いでまじまじと見つめてしまった。
「聞いてなかったのか? 嫌いになったからだよ」
「…………本当に?」
一心に俺の顔を覗き込んでくるその瞳には、強い力が籠っていた。そんなこと絶対にないはずなのに、嘘だとばれているような気を抱かせる。何かを見透かされているような錯覚すら起こる。
結局、俺の方から目を逸らすしかなかった。そのままずっと見つめていると、動揺が顔に表れそうだった。
「何があったとしても、お前には関係ない話だろ」
ぶっきらぼうに答えながら、自分でも苦しいなと思っていた。
「……それもそうね」
それは五十鈴にしては、やけに軽い声色だった。気になってそっと覗き見ると、気の抜けたような顔をしているのが目に入った。
なんでこいつは、疑ってきたのだろうか。そんな解けそうもない謎に行き当たって、俺は顔を正面に戻す。文芸部部長とその休部部員がじゃれ合っているのが目に入った。
「この二人、ホント仲いいよな」
「そんなんじゃないから! 静香も何嬉しそうにしてるのよ!」
その呟きは、隣の同級生に向けたものだったが、ばっちりと聞かれていた。先輩は強く否定したが、そこにまんざらでもない様子が隠れているのに、俺は気が付いた。
そんな姿を見ていると、あやや先輩の部活を去った理由が改めて気になった。勉強のためだけなんだろうか。
俺がそんな風に思うのと同じように、五十鈴も感じたのかもしれない。そうだとしたら、きっかけはどこにあったんだ? 思い返してみても、弓道部についてこいつに話した覚えはない。元部活の仲間と接触するのも避けてきた。そもそもにして、俺はこいつとそんなに親しくない。
だから気づくはずがない――それが俺の結論だった。
再び五十鈴の顔を見てみたものの、能面の表情は何も物語ってはいなかった。気疲れを感じて、俺はぐっと背もたれに身体を預けた。
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