第54話 課外活動には副産物が多い

 お疲れさまでしたー、形だけの言葉が奇麗になった教室に虚しく響く。すぐに管理者の教師を中心にした輪が、ばらばらに解けた。

 ここは一階にある地学教室、今は放課後。教室清掃が終わって、俺たちは自由を得たわけだった。


「お前も鞄持ってきたらよかったのに。部活はないんだろ?」

 卓が廊下に置いたバッグを持ち上げながら話しかけてきた。

 

 他の班員たちもみんなそうしている。俺だけだった、鞄を教室におきっぱにしているのは。クラスメイトにこんなにも合理主義者が多いなんて、初めて知った。


 確かに今日は部活はない。さらにいうと、図書当番も。しかし委員としての仕事はある。それも小学校訪問。非常に面倒くさい。

 だが、それを言ったところで何の面白みもないわけで。俺はとりあえず、人を小馬鹿にするような感じに笑ってみた。


「人気の少ない校舎を歩くのも風情がある、そうは思わないかい?」

「……頭でも打ったか?」

「脳筋なすーくんには一生わからないでしょうなぁ」

「誰がすーくんかっ! ユータじゃあるまいし、脳筋はやめろ」

 ミスターゴールキーパーは不愉快そうに鼻をならす。


 確かに、卓に脳筋というのはすぎた称号かもしれない。部活ガチ勢ながら、彼の成績はそこまで悪くなかった。平均よりちょっと上くらい。文と武をしっかり両立する道を進んでいる。


 さて、話題に上った押元裕太君だが、まずバトミントン部の成績は上々。というか、薫風高校のエースらしいよ? その見た目もなかなかにごつい。

 そして、テストの結果はといえば……全科目赤点スレスレという離れ業を披露してくれた。おかしいな、結構勉強に付き合ったはずなのに。

 ということで、彼こそが脳筋という結論に至った。俺は素直に、卓に謝罪した。


 そんな中身のない会話をして、友人と別れた。彼はきっと今日もグラウンドで土塗れになるのでしょう。サッカー部って常時土煙を巻き起こしている印象がある。後は超身体能力による人間離れした技の応酬とか。


 教室前まで戻ってくると、二人の女子が待ち構えていた。いや、俺を待っていたとは限らないか。いけない、いけない、自意識過剰。私はそんな人間ではない……と思いたいのです。

 そうこれは偶然。なにも放課後廊下でたむろするのは珍しいことではない。俺の数少ない知り合いの女子二人が、偶然に廊下で話し込んでいるだけなのだ。……近づいていったら、両者ともにこちらに顔を向けてきたが。


「根津君、掃除終わったんですね」


 声をかけてきたのは深町だった。もう一人のクラスメイト――五十鈴は黙ってこちらを見ているだけ。

 先週の木曜日のことを思うと、少しだけ気まずい。しかし、それは杞憂だったらしい。向こうは全く気にしていないようだ。その顔に暗いところは少しもない。


「その反応を見るに、やっぱり俺のことを待っていたのか……。どうして戻ってくるとわかった?」

「え、ええと、ちょっと怒ってます?」


 俺は意識して低い声を出した。うまく言ったらしく、深町は少し気圧されたような顔をした。もちろん、怒っているわけはない。何とかエージェントを気取ってるだけ。

 すぐにネタバラシにかかろうとしたが――


「違うわ。ただの

 俺より先に、もう一方の女子が口を挟んでくる。

「ごっこあそび?」

「うん。何かのキャラクターになりきるの。よくうちの先輩も似たような事やってる」

「へぇ、そうなんですか」

 納得したらしく、弓道部の少女は目を見開いた。


 そうやって冷静に分析されると、俺としては立場がない。ひたすらに恥ずかしい。今なら顔から火が出せる。そのまま世界を丸ごと燃やし尽くしたい気分だった。

 そんな気まずさに顔を歪めながら目を逸らす。この五十鈴美桜という冷静沈着な女子の怖さを、改めて思い知った。基本的にこいつとは相性が悪い、それを最近ひしひしと感じている。


「鞄です」

 すっかり元の笑顔に戻った深町が、教室前に放置されているくたびれたスクールバッグを指さす。

「ああそういうこと。でもよくわかったな」

「五十鈴さんがこれだって」

「いつも見てるから」

「状況が状況なら、軽いホラーだぜ、それ」

 くたびれた気持ちで、俺は長年の相棒を担ぎ上げた。


 そのまま三人で玄関に向かっていく。待ち合わせ場所は校門だ。

 こんなことになるなら、初めから鞄持っていけばよかったな。早く行きすぎると待たされると思って、あえて遠回りしたのに。


「そうだ。深町、結果どうだった?」

 無言のまま歩くのも何なので、適当な話題を切り出した。

「……五位でした」

 彼女は少し残念そうに笑う。

「決中には残ったんですけど……」

「イヅメ?」

 唇を小さく動かして、文芸部女子は首を傾げた。


「あっ、五十鈴さんはわかんないですよね。わかりやすくいうと、ええとサドンデス方式っていうのかな。普通は一回に四本打ってその当たり外れを競いますよね。射詰は一本ずつ射うって、外れた人が抜けてくんです」

「ふうん。大変そう」

 その口調は平坦すぎて、本当にそう感じているとは思えなかった。


「結構神経使うからな、あれ。俺は苦手だった」

「でも根津君。十本連続で当ててたことありましたよね?」

「へえ、それはすごい」

「そんなこともあったな。――というか、五十鈴。さっきから棒読み止めろ」

 冗談めかした風に窘めると、彼女はそっぽを向いてしまった。


 階段を下りきって、靴脱ぎ場までやってきた。ガラス戸越しに、瑠璃が校門そばに立っているのが見えた。他の二人の姿もそこにある。どうやら俺たちが最後らしい。ちょっと急ぐように、玄関を出る。


「ちょっと、お兄ちゃん! 遅い!」

 近づいていくと、早速妹に怒られた。

「なんで俺だけ怒られるんだよ……」

「五十鈴さんはしっかりしてるし、翠先輩もちゃんとしてるし、ダメなのはお兄ちゃんだけだよ」

「お前の語彙力がないのはよくわかった……」

「なによ、それ」


 いきなりアホな兄妹喧嘩を披露したせいで、周りの人間に嘲笑されてしまうのだった。





        *





 校舎を出ると、だだっ広いグラウンドが目に入った。サッカーゴールもバックネットも、片隅の遊具も、どれもが懐かしく感じた。最後に来たのは、瑠璃の運動会の時だから、五年前か。

 そんな中、子どもたちが楽しそうに野球をしている。少年野球チームではない。みんな、服装はバラバラ。女の子の姿もちらほらと混じっているのが、少し意外だった。


「ふー、疲れた、疲れた」

 少し低い女性の声がして、俺は後ろを振り向いた。

「ハルミは何もしてないじゃない」

「むっ、そういうこという? 相変わらず、みおはてきびしーな」

 不服そうに河瀬が唇を尖らせるのが目に入った。


 打ち合わせは意外と早く終わった。日はまだ高い。だが俺は、かなりくたびれていた。このまま横になりたいくらいに。五十鈴の奴、俺にばっかり話をさせやがった。

 ずっと緊張していた反動か、弓道部コンビもなぜか話に花を咲かせている。俺は再び顔を正面に戻した。余韻に浸るように、少年少女の活発な姿をぼんやりと眺める。すると、隣に男子生徒が立った。


「いいよな、野球。楽しそー」

「根津先輩、昔野球をやってたとかですか?」

 高松がボールを投げる仕草をした。


「まあ小学校の頃に。親父が野球好きだったから」

「じゃあ今度の球技大会はソフトボール?」

「ああ。高松は?」

「僕はバレーです」


 今度はトスを上げる仕草をする。こいつはもしかしたらなかなか運動好きなのかもしれない。そう思って部活を聞いたら、サッカーと教えてくれた。……サッカー?


「じゃあ卓――沼川卓を知ってる?」

「はい。この間、根津先輩のことを教えてもらいました。頭おかしい奴だって言ってましたよ」

「それ人の紹介に使う言葉じゃないな……」

 明日文句を言おう、そう強く脳に刻み込んだ。


 まあそれはいいとして。


 俺はもう一度五十鈴たちの方に振り向いた。女子連中は未だ楽しそうにお喋りしている。


「五十鈴。今日は解散でいいな?」

「うん。――みんな、お疲れ様」

 その言葉でバラバラと俺たちは頭を下げ合う。


「じゃ、僕は部活あるんで」


 颯爽と高松が一人歩き出す。この小学校と薫風高校は非常に近い。徒歩で十分もかからない距離だ。俺たちは高校からそのまま歩いてきた。


 校門を抜けると、彼はそのまま駆け出して行った……元気な奴め。鞄を持ってなかったのは、初めからそうするつもりだったのかもしれない。


「高松君はきびきびしてるなぁ。……誰かさんとは違って」

 今度は妹君がニヤニヤしながら近寄ってきた。

「お前、今日はやけに攻撃的だな。嫌なことでもあったか?」

「そんな子どもじゃあるまいし、八つ当たりなんかしないってば」

「見た目は子どもなのにな」

「うっさい!」

 くすくすという笑い声が聞こえてきて、俺はげんなりした顔で肩を竦めた。


「瑠璃は根津君と本当に仲いいんだね」

「えっ、そうですか? そんなことないと思いますけど」

「そんなことあるよ。わたしは兄弟いないから羨ましいなぁ」

「あっ、じゃあこれプレゼントします」

 グイっと押しのけられた。

「おいっ、兄貴を物扱いするんじゃねえ」

 睨んだが、妹はイーっと舌を見せつけてくるだけ。


 全く何なんだ、こいつは。兄に対する風当たりが強すぎると思う。……そして、なぜ深町は顔を赤くしてしどろもどろになっているんだろう。わからない、人生わからないことが多すぎる。ああ、この世は無情だ。


「と、ところで! 二人は兄弟いるんですか?」

「うちはろくでもない兄貴が一人。だから瑠璃ちゃんの気持ちは少しはわかる」

 嬉しそうにする瑠璃を見ながら、それは余計な一言だと、恨みがましく河瀬の顔を見る。


「わたしは…………弟と妹が」

「あれ、そうなんだ。アンタてっきり、一人っ子だと思ってた」

「あ、それ、なんとなくわかります」

 すかさず同調する深町の顔からはすっかり赤みが引いていた。


 俺も五十鈴に弟妹きょうだいがいるのを意外に思った。この女、どこまでもマイペースだからな。いついかなる場所でも、自分らしさを発揮している。

 しかし、どこか答えにくそうにしたのは気のせいだろうか。その顔が一瞬強張った気がしたが、今見たところで、いつもの鉄仮面を被っているだけだ。


「ってか、俺たちも帰ろーぜ。いつまでもこんなところにいちゃ、いつ不審者として通報されてもおかしくない」

「そんなにこの世の中は世知辛くないと思うけれど。一人を除いて、不審者っぽくないし」

「……それは五十鈴さん、俺のことを言ってます?」


 彼女は何も言わず、気の毒そうに目を逸らした。その反応は俺の心を深く抉った。いつもはそんなに感情を顔に出さないくせに、こういう時ばっかり……。


 わざとらしく咳払いをしてから、俺は五十鈴の顔から目を逸らす。


「と、とにかく。深町とバカは部活だろ? ――ところで、河瀬は?」

 誰かに睨まれた気がするが気にしない。

「うちもテニスの練習あるわ」

「あっ、河瀬さん、テニス部なんですね。軟式ですか?」

「ううん、硬式」

「ほら、そういうわけだし」


 話が深くなりそうなところを無理矢理割り込んだ。それでようやく、ぞろぞろと動き出す。


 しかし小学校の敷地を出たところで、すぐに立ち止まった。正確に言えば、五十鈴が足を止めたので、俺たちもつられたのだ。

 彼女はなぜか高校とは反対の方角に一歩踏み出した。


「私、ここで」

「バス停もこっちじゃんか」

「これからバイト」

 彼女が指で示したのは、忌々しい本屋の方角だった。


「そういえばそんな設定あったな。すっかり忘れてたわ」

「設定って……キミ、二回ほど来たことあるわよね? その時買ったのが――」

「ああ、そうそう。瑠璃に頼まれた少女漫画! ばらすなよ、恥ずかしいじゃないかぁ」

「……白々しい」

「なんか言ったか?」

 五十鈴はさっと首を左右に振った。


 危ない、危ない。今例の事実が露呈するのは、学校生活の終わりを意味する。妹、クラスメイト、同学年の他のクラスの女子。ヤベーラインナップ。オーバーキルだ、こんなもん。

 誰も俺のことを気にしない所を見ると、火消しには成功したらしい。しかし油断も隙もないな。そもそも、新歓手伝ったんだから、あの事実をなかったことにしてくれるんじゃ……。これは一度、五十鈴大納言としっかり話し合う必要がございますなぁ。


「へー、五十鈴さんバイトしてるんですね。本屋さん、ですか?」

 こくりと頷く五十鈴。

「そうなの。ほら、あっちに小さい方の本屋あるじゃん。そこ。去年からずっとだよね?」

 またしても、五十鈴はこくり。


 首振り人形か、こいつ? その小動物っぽい物静かな仕草は、なんとなく三田村のことを思い出す。


「それじゃあ。今度の練習日に」


 ちょこんと頭を下げて、五十鈴は踵を返した。そのままつかつかと一人歩き出す。その歩き姿はちょっと風格があった。彼女は一切振り向くことなく、すぐに曲がり角を折れていく。


「何見惚れてんのさ、お兄ちゃん」

「見送ってたんだ、一応、部活仲間だしな」

「ふうん」

 瑠璃はジト目で睨んできた。


 気が付くと、他の二人もこちらを見ていた。深町はどこか顔を強張らせ、河瀬は何かニヤニヤと。とりあえずよくない想像を働かせているのを、微かに感じ取った。


「俺たちも行こうぜ。あんまり遅れすぎて先輩にどやされても知らねーぞ」

 そんな三人を無視するようにして、俺は歩き出した。

「……あたしはともかく、翠先輩は最上級生だよ」


 瑠璃の指摘で振り向くと、深町が微妙な表情をしていた。目が合うとすぐにほほ笑み返されたが、それはやはり不自然さが残っていた。

 ……そうか。高体連が終われば引退――少なくとも弓道部はそうだ。うちの高校では国体に出ることはあまりしないし。


 先輩が去っていく。去年は入部したての一年生だから実感はあまりなかった。でも今回は――


 次々と先輩方の顔が浮かんだが、もうあの弓道場にいることはないと思うと、なんだか不思議な気分になった。だが、俺には関係のないことだ。

 気にせず歩き出す。しかし、その謎の感情は暫く胸にくすぶったままだった。

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