第52話 動き出す物語
「はい、というわけで。申立期間は明日までだから気を付けてね~」
間延びした矢島先生の声を聞いていると、本当に眠くなる。七時間授業の後だからなおさらだ。話半分にしか聞いてなかったから、いったい何を申し立てするのか、全くわからなかった。購買部のメニュー改善運動でも起こせばいいのだろうか。俺自身そんなに利用したことはないが、周りはみんな文句を言っている。
しかしこの後、委員会まであるとは。極めつけは料理当番。しんどいなぁ。……今日はお惣菜を買っていきましょう。堂々と欠伸をしながら、そんなことを考える。
「何か連絡事項のある人はいるかしらぁ?」
気が付けば、生徒からの発言を受け付けるコーナー、がやってきていた。……聴取率がよくないラジオ番組の一コーナーみたいなタイトルだな。自分自身、至極センスがないと思った。
こういう時間に手が挙がることはめったにない。少なくとも、ここ最近は形だけのものになっている。ホームルームが早く終わるという点ではいうことはないが。
しかし、今日はそういうわけにはいかなかった。誰かが手を挙げたわけではない。教室内には、相変わらず沈黙が広がっている。
俺は気まずさを感じながらも、おずおずと手を挙げた。するとすぐに、担任兼部活と委員会の顧問と目が合った。彼女はにっこりとほほ笑むと「はい、根津君」と優しく指名してくれた。
俺はそそくさと立ち上がった。手元で小さな紙を開く。メモのつもりだ。つもりというのは、それは白紙だった。なんとなく形から入りたい年頃なのだ。
それを俯き加減に見ながらも、クラス中の視線がぐっと集まるのを肌で感じた。俺はゆっくりと顔を上げた。遠くの方で、男子連中がニヤニヤしているのが見えた。
「ええと、図書委員からです。以前から周知している読み聞かせボランティアの件ですが、今日が締め切りとなっています。まだ参加したい方がいれば、このあと俺か五十鈴に一言ください」
昨日図書委員会のグループチャットにそうした内容が回ってきた。
誰からも反応がないことを確認してから、俺は席に座った。矢島先生がもう一度同じ言葉を口にする。前の席の人間が、ちょっとだけ振り返ってきた。
「なんだ、あんた図書委員だったの」
奴は少し驚いたような顔をしていた。
「知らなかったのかよ」
「きょーみないからねー、あんたのことなんか。でも意外だわ。しかも真面目に仕事してるとか。もしかし点数稼ぎ?」
揶揄うようなに彼女は笑った。
「どういう意味だ?」
ぐっと眉を顰めると、若瀬はひょうきんな顔をしてみせた。そして「こわい、こわい」とおちょくるように
点数稼ぎっていったいどういう意味だろうか。委員会活動をやっていると推薦に有利とかは聞くが。進路についてはろくに考えたことがないのでよくわからなかった。
「さて~、それじゃあ終わりましょ」
担任の言葉により号令係が終わりの儀式を行って、帰りのホームルームが終わった。そして放課後がやってくる。俺はさっさと机を下げた。
「じゃあな、若瀬、青葉」
「じゃねー」
「また明日、根津君」
話し込む二人のわきを俺はすっと通り抜けた。颯爽と教室を出て行く。すぐにでも図書室に向かいたいところだが、一応ボランティア志願者を待つ必要がある。鞄を廊下に置いて、適当なところにボーっと突っ立ってみた。……まあ、誰も来ないと思うが。
教室清掃が始まるまで待てばいいか。ぼんやりと、前方の入口から中の様子を窺う。まだうじゃうじゃと生徒たちが残っているようだった。
「おっ、図書委員の根津君じゃん」
かすかな眠気に身体を委ねていると、男子が三人一緒に教室から出てきた。
「うるせーな、バトミントン部の押元くん。――そういや、お前はボランティアやんのか? 五十鈴に対していいポイント稼ぎになんぞ」
「そうしたいのは山々だけどな。残念ながら、その日は練習試合だ。サボるわけにはいかねーさ」
「動機があまりにも不純すぎんだろ……」
卓が苦々しく言うと、晴樹も渋い顔をした。
そのまま少しだけ言葉を交わすと、連中はさっさとどこかへ行ってしまった。友人を一人残していくなんて薄情な奴らめ、その後ろ姿に舌打ちを入れておいた。
やがて、教室内の掃除が始まったようだ。ずいぶんと同級生たちの数も減っている。
「あら。こんなところにいたの、根津君。待っててくれたの?」
移動しようかなと思っていたら、今度は五十鈴が現れた。俺の姿を認識すると、その大きな瞳が丸みを帯びた。
「馬鹿言え。どうしてお前なんかを待つ必要があるんだ。――ボランティアについて言い出してくる奴がいないかを待ってたんだ」
「……初めからそのつもりで言ったんだけど」
五十鈴はくすりともせずに言い放った。
俺は見事に墓穴を掘ってしまったらしい。うんざりして顔を歪めながら目を逸らした。わかりづらい言い方をしやがって、と少しだけ悪態をつく。
結局、志願者は現れなかった。こいつの方も同様らしい。まあわかっていたことではあるけども。そもそもやる気がある奴なら、さっさと申し出ているはず。
特段落ち込みもせず、図書室に向かおうとしたが――
「待って、根津君、五十鈴さん!」
踵を返したところで、後ろから女子の声が聞こえてきた。少しばかり驚きながらも、その方を振り返ると、掃除用ブラシを手にしたクラスメイトが立っていた。弓道部の深町翠だ。
「何か用、深町さん?」
「うん。あの読み聞かせの話だけど。わたしもやってみたいんです!」
高らかに宣言した彼女の顔を、俺は信じられないような思いでまじまじと見つめていた。
*
テーブルに座っている他五人のうち、見知らぬ顔は二つだけ。しかし、その一人は図書委員だというから、全く初めて見るのはただ一人だけだった。
簡単な自己紹介も済んで、俺は一人頭を抱えていた。どうしてこんなに知り合いが多いんだ。やりやすいような、やりにくいような。俺はその元凶である人物を睨んだ。彼女は遠いカウンター席で、他の役員たちと楽しそうに会話をしている。相変わらず、人当たりのいい委員長モードらしい。
現在、班ごとの活動時間。我々イベント担当は、前回と同じく図書室を根城にしている。この間と違うのは、一つの机に全員が集まっているわけではないこと。今回は読み聞かせグループ毎に顔合わせをすることになっている。
各チームは六人ずつ。先週の木曜日に決めたイベント班同士のペアに、ボランティア(なんと十人も集まった)と手伝い要員として他の班員が加わった。その割り振りは先ほど委員長がパパっと決めた。
その俺のチームはといえば、図書委員は俺、五十鈴、そして高松という一年生の男子。ボランティアは快活そうな二年生女子の河瀬。そして――瑠璃と深町……意図的なものを感じざるを得ない。
「根津君、どこ見てるの?」
強い意志を込めて三井先輩を睨んでいたら、横から声を掛けられた。特に気にせずに、ゆっくりと視線を戻す。五十鈴は澄ました表情をしていた。
「見えないものを見ようとしてた」
「……それでこの後なんですけど」
見事にスルーされた。
「みんなには読み聞かせで使う本を読んでもらおうと思って」
そう言うと彼女はテーブル中央に視線をやった。
そこには四冊の薄めの本が詰まれている。これが俺たちのチームで使う本だった。矢島先生が用意したものだ。顧問らしい仕事をたまにはするということらしい。
「俺はもう読んだぜ?」
「知ってる。私とキミは別の仕事。――ということで、お願いします」
五十鈴はぺこりと頭を下げた。それで他の四人はそれぞれ適当な本を選び取ろうとするが――
「そもそもさ、なんで六人なんだ? 四冊しかないなら、四人でいいじゃないか」
「午前の部と午後の部があるからよ。知らなかったの?」
「ああ!」
「なんで誇らしげなのかしら」
「……あたしはばっちり知ってたんだけど。馬鹿なの、お兄ちゃん?」
瑠璃もそしてあの五十鈴さえも、呆れきった顔をしていた。
他のメンバーの顔にも驚いたところはないから、どうやら知らなかったのは俺一人らしい。おかしいなぁ、ちゃんと話を聞いてたと思うんだけど……昔の俺がかなり恨めしい。
しかし、二部構成だとしても、なかなか話が合わない気がした。せめて八人じゃないか。今のままだと、どちらの回にも出席しなければならない人間が二人必要だと思うんだが。
「私とキミ」
それを訊くと、五十鈴は自らと俺を交互に指さした。
……まあなんとなくそんな気はしていたが。つくづくイベント班というのは損な役回りにしか思えなくなる今日この頃。俺は殊勝な顔を作って、鼻から長く息を吐きだした。
読み聞かせ用の本が四人に行き渡ると、俺と五十鈴は図書室を出た。何をするかはわからない。ただついてくるよう言われた。
図書室前の少し広くなっている廊下の隅で立ち止まる。他のイベント班のメンバーがそこらにいるのが見えた。
「で、何をするんだ?」
すると彼女はポケットからスマホを取り出した。
「アポイントメント」
「約束って意味の単語だな。五十鈴ちゃんは賢いねぇ」
「今すぐ戻って妹さんとお話ししてもいいのよ?」
五十鈴はすかさず体の向きを変えた。
「冗談だってば、いちいち本気にするなって――で、どことアポを取り付けるって」
「それはもちろん小学校よ」
そして彼女は簡単に説明をし始めた。月末に行われる読み聞かせについて、担当の先生と打ち合わせをする必要があるらしい。その日付を今日確定させるとのこと。
「そういうのってさ、教員同士でやり取りした方がスムーズじゃね?」
「私に言われても困るわ。毎年、このやり方でやってるし」
経験者の頭からは、疑問に持つという習慣が失われているようだった。
「とにかく。じゃ、よろしくね、根津君」
「……は? なんで俺が?」
「だってその、なんだか気が重いというか……」
こいつの辞書にも緊張と言う文字があるんだな、と俺は少し意外に思った。
「いや、俺だって嫌なんだけど」
見知らぬ大人と会話する。しかも電話でだなんて……相当心理的ハードルが高いと思う。
五十鈴は渋い顔をした。腕を組んで、じっと俺の顔を見つめてくる。瞳で何かを訴えかけているようだった。
「せめてじゃんけんだ」
「がっかりね。エッチな本を買おうとするくら――」
「ば、ばかっ! 声が大きい!」
廊下にいる数人の視線が集まる。それがこいつの声の大きさのせいか。それとも俺が大げさに反応し過ぎたせいか。どちらに原因があるかはわからなかった。
しかし、注目されていることは事実で、俺は周囲に愛想笑いを振りまいた。幸いにして、俺たちの会話の内容は聞かれていないらしい。……遠くにいる美紅先輩が意味ありげな笑みを浮かべたのは気になったが。
「お前、最近よく脅してくるな」
「だからそういうつもりじゃないのよ。大胆で勇気あるのかな、と思っていたんだけど」
「ああ言えばこう言うだな。……わかったよ、電話すればいいんだろ?」
「うん。お願いします」
そして彼女は電話番号と、担当の先生の名前を教えてくれた。
俺たちが訪問する小学校は、この高校からすぐ近くにある。つまりは俺と瑠璃、そして姉貴も昔通っていた。それでも、彼女が口にした名前に聞き覚えはなかった。
当たり前か。卒業したのは、もう五年も前だし、そもそもにして担任の先生の名前すらも怪しい。自分の薄情さに苦笑いしながら、俺はスマホに番号を打ち込んでいく。少しずつ緊張感が高まっていく。
「もしもし――」
間もなく電話が繋がって、俺は相手先を確かめ自分の名前を名乗る。すると、すぐに向こうは担当の先生を呼び出してくれた。思いの外、感じ良く対応してもらって、ちょっと気持ちが落ち着いてきた。
その後、話し合いをして、打ち合わせは月曜日の放課後に行うことになった。終わってしまえば、あれだけ気が引けていたのが不思議なほど、何事もなく終わった。
「ありがとう」
「どういたしまして。――ほかにやることは?」
「ない。戻りましょ」
さっと首を振ると、五十鈴は踵を返した。俺も後に続く。さっきまでいたテーブルでは、他のメンバーたちが読書に耽っている。深町と一瞬目があった気がしたが、次の瞬間には顔を逸らされた。
いよいよ形を成しつつある読み聞かせに対して、俺は不安を覚えると同時に、ちょっとだけ楽しみに思うのだった。
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