第114話 そして俺はエロ本を買いに行く

 味噌汁の味もばっちり決まったところで、俺はキッチンを出た。虚しさ満載の闘いへ赴くために。


 扉をノックして返事も待たずに中へ入る。この頃は自分のことを精密なロボットのように感じていた。だって、毎日同じことを繰り返しているんだもの。


「……なんだこれは」


 毎日同じ――なんて思った矢先、普段とは違う状況に思わず声が出た。ふっちゃけ面倒が増えるだけなので、いつも通りの方が嬉しいのに。


 二段ベッド、その下で寝ているのは二人だった。身体を向かい合わせに、すうすうと寝顔は幸せそう。窮屈なのに、よくやるものだと感心する。まるで仲良し姉妹だ。

 本当の姉とは決してこんなことしないのにな……リビングで夢見る根津家長女のことを思うと、ちょっとかわいそうな気持ちになる。


『最近、瑠璃を取られた気がするの!』


 なんていうよくわからない苦情をぶつけられたっけ。確かに、最近瑠璃と美桜は前よりも仲睦まじい感じがする。このままいくと、美桜お姉ちゃんなんて言いそうな勢気配があるほど。

 そんな状況で、もし菫姉がここにいればきっと大泣きして家出する。そして、完全に姉としての威厳は失わるのだ。


「みおるり~、起きろ~」


 とりあえず、このことは胸の奥底にしまっておくことにして呼びかけてみる。しかしあれだ。『すみるり』よりもしっくりくる。これもまた内緒だ。


 しかし、呼びかけだけで起きるくらいなら可愛いもんだ。そんなの苦労のうちに入らない。

 結局は実力行使に出るしかないのだ。身内には厳しく、恋人には……ちょっと甘く。デコピンの強度の問題の話。


「ん……おはよ、こうすけくん」


 額を押さえながら、美桜がゆっくりと上半身を起こした。しかし、まだまだ寝惚け眼。でも状態としては、うちの姉妹に比べればかなりマシだ。


 流れ作業で妹を叩き起こす。まだまだ眠気たっぷりの女子二人が、ベッドの上にちょこんと並ぶ。どこまでも牧歌的な風景だ。


 リビングに戻り大ボスを倒す。ただ今朝ばかりはいつもよりも優しくしてやった。ホント知らぬが仏とはよく言ったものだと思う。


 こんな風に、俺と美桜の関係が変わっても根津家の朝はほとんど変わらない。まあそれでいい。好きな人を起こすのに幸せを感じるから。あのボケボケの姿はとても可愛らしいから。


 でも、一つだけ変わったことがあった。俺は自転車通学を止めた。そろそろ雪が降るからというのは、もっともらしい対外的な理由で――


「行ってきます」


 二人揃って家を出る。スタートもゴールも同じなのだ。一緒に登校するのを躊躇う理由はもはやなかった。


 朝の陽光の中、艶のある黒髪が輝きながら宙を踊っている。横目で愛しい人の姿を確認をして、至極心が落ち着いた。


「なぁ、どうして今日は瑠璃と一緒に寝てたんだ」


「え? そうなの?」


「……き、気づいてなかったのか。起きた段階で、少なくともお前ら一緒のベッドにいただろ」


「ああ、そういえばそうだったかも?」


 言いながらも、美桜は全く覚えがなさそうだった。素知らぬ顔で首を傾げている。

 どれだけ頭回ってなかったんだよ。あの状況に何の疑問を持たなかったとは恐れ入った。きっと瑠璃の方もそうなんだろう。


 真相は夜中に目が覚めた瑠璃が寝ぼけて美桜のベッドに潜り込んだ、というところか。たぶん永遠に明らかになることはないが。


「なんにせよ、瑠璃とうまくやってるようでよかったよ。ホント、謎の姉妹感あるわ」


「うーん、でも年齢一つしか変わらないから、私の意識的には後輩感覚なのだけれど。それに、どちらかと言えば、菫さんに『お姉ちゃん』を感じているかな。憧れだったのよ、お姉ちゃん。しかも菫さんはかなり理想的だし」


「それぜひとも本人に言ってやってくれ。姉としての自信、喪ってるみたいだから」


「よくわからないけど、わかったわ」 


 美桜が真面目な顔をして頷く頃にはバス停についた。こうしたたわいもない雑談でさえ心が躍ってしまう。

 もっともバスの混雑具合に、すぐうんざりしてしまうのだが。

 これに慣れるにはどうやらまだ時間が必要みたいだ。でもたぶん、卒業するころには当たり前のように受け入れてるに違いない。

 根拠のない自信と共に、俺は一歩を踏み出した。




        ※




 活動日ではないので、部室にいるのはフルメンバーではない。より正確に言うと、現役部員は俺しかいなかった。


「意外と大変なんすねぇ」


「うわ、他人事感! こりゃ人選を間違ったかね」


「たぶんね、先代――先々代も同じこと思ったと思うな」


 呆れかえる美紅先輩に静香先輩が容赦のない一言を浴びせる。先の学校祭を以て、お二人は晴れて引退。受験生としては完全体になったわけだ。

 今日はお忙しい合間を縫って、不肖私めのにやってきてくれたのである。


「未だに自分では納得いってないんですけど。どうして、美――五十鈴じゃないんですか」


「ほら、神輿となんとかは軽い方がいいっていうじゃない?」


 あはは、と軽快に笑い飛ばしてくる前部長。隣りで苦い顔で首を振る前会計。引退したとはいえ、どこまでもいつも通りなお二人。


 そう、二人とももうその役職にが付いてしまうのだ。となるとそこには、意志を継いだ部員がいるわけで。

 まさか俺が部長に任命されてしまった。副部長である美桜を差し置いて。

 絶対間違っていると思うが、美紅先輩は頑なだった。それに副部長ですら、強く賛同していた。


 そりゃ、学年で言えば二年だ。部のトップになるというのは、他の部であってもおかしくはない。

 だが、実態は一年生と代わらない。したり顔で勧誘活動なんかしておきながら、俺はまだこの部に所属して半年だ。半人前だ。一年の流れだってろくにわかってない。


 なんて色々な反論を試みたにも関わらず、結果として俺は文芸部の長になってしまった。最後には部会において投票まで行われて。

 こうなったからには、真面目に役割を全うしないと――だからこうして、活動日じゃなくても引き継ぎ作業に精を出している。

 ……やや、先輩たちの受験のことに気が引けながら。


「あと、今更言い直す必要ないから。照れちゃって、もう」


「そういうんじゃないですから。公私はしっかり区別しないと。曲がりなりにも責任ある立場に就いてしまったので」


「重く捉え過ぎだってば。まあその姿を見ると、任せてよかったって思えるけどね」


「うんうん。美桜ちゃんと合わさって、完全無欠って感じ!」


 とまあ、さっき美紅先輩が言ったことはあながち冗談でもない。俺に期待されてるのはお飾り的な役割。実務面では美桜がトップなのだ。なんか割と、文芸部ってそういう伝統らしい。


 静香先輩の用意した資料を見ながら、文芸部の活動を俯瞰していく。ちょくちょく、部長としての心得的なことを美紅先輩が交えてくる。

 入ったばかりのときのことを思い出す。先輩たちは依然と変わらず優しくて、どこまでも偉大だった。

 こんな時間もあと少しで終わってしまう――そう思うと、少しだけもの悲しくなってしまう。口に出したら、絶対美紅先輩に揶揄われるだろうが。


「よし、今日はこんなところにしよっか」


「ふーっ、つっかれたー。ありがとうございました、美紅先輩、静香先輩」


「いえいえ。時間、大丈夫? 美桜ちゃん迎えに行くんでしょ?」


「ええ、はい。全然余裕です」


「いいなー、ラブラブしちゃって。あたしも素敵な彼氏欲し―」


「その前に受験でしょ」


「……やめて、しずかっち。いきなり現実に戻さないで」


 あれだけ頼りになりそうだったのに、美紅先輩からはもうその雰囲気は跡形もなく消え失せているのだった。


 その後、先輩たちと一緒に学校を出た。校門を出てすぐのところで別れて、美桜のバイト先を目指す。

 今日から美桜はバイトに復帰した。やはり本屋での仕事は楽しいようで、放課後なんか珍しく上機嫌だった。


 店に入ると、レジのところに待ち人の姿を確認できた。髪を結んでお仕事モード。ちょうど接客中で、こちらに気づいた風ではない。

 ふいに、悪戯心が湧く。気分はあの春の危険なミッションに臨んだときに戻っていた。あのとき果たせなかったことを今こそ――


 買う予定だった漫画と小説を手に取ってから、雑誌のコーナーへと急ぐ。あの日と違って、今日は制服姿だ。直接的なものを選ぶ勇気はさすがになかった。

 だから、未成年でも買えるもので比較的表紙が過激なものを探す。言うなれば、ジェネリックエロ本だ。


 カモフラージュに姉の好きな雑誌とテキトーな週刊誌でサンドイッチしてレジへと向かう。そこにはもちろん、美桜がいた。


「――お預かりします」


 にこやかに至極他人行儀に、店員さんは商品を受け取った。慣れた様子で、バーコードを読み取っていく。

 しかし、ほどなくしてとある一冊を前にフリーズする。


「どうしました?」


「……えっち」


 美桜はすっかり素に戻っていた。肌色面積が多い表紙をちらちら見ながら、次第に顔が赤くなっていく。


「別に成人向けじゃないぜ?」


「だとしても、彼女として見過ごせません」


 毅然とした態度で、美桜はジェネリックエロ本をわきによけた。

 またしても、俺は失敗してしまったわけだ。あの時とは違って、ちゃんと客としての行動は完遂できたけれども。


「全く何のつもりよ」


「いや、思い出を再現しようと思って。俺たちの馴れ初めじゃん」


「本当に願い下げだわ、そんなろくでもない馴れ初めは……」


 レジ作業をしながら、小さく言葉を交わす。割と美桜ちゃんはご立腹らしい。これはあとで、ちゃんとご機嫌取りをしなければ。


「浩介君はこういう娘が好みなのね。ふーん」


「いや、一番過激なの選んだだけだから。だいたい俺は美桜一筋だ」


「……うるさいわよ、バカ」


 こいつにしては、珍しく直情的な罵り方だと思う。それだけ気恥ずかしかったのだろう。賞品の入った袋を突き出す手ですらもう真っ赤だ。

 それは俺だって同じだ。勢い任せにとんでもないことを言ったと、後から照れくささがやってきた。相手の顔を見ないままに、袋を受け取った。


 店の外で待っていると、ほどなくしてシフトを終えた美桜が出てきた。ゆっくりとバス停に向かって歩いていく。


「『エロ本を買おうとしたら恋人ができた』ってのはどう思う?」


「……なにそれ」


「今から来年の部誌の内容を考えておこうと思ってな」


「いいんじゃない。赤っ恥をかきたければ」


 ツンとした表情で、美桜は前を向いたまま答えた。まあ予想通りの反応だ。特に気にすることもない。


 さすがに部誌に載せるつもりはない。完全なフィクションと割り切ればまた別なんだろうけど。

 でも間違いなく現実の話だった。あのとき、紆余曲折の果てエロ本を買おうとしなければ、俺はこうして隣りの女の子と一緒に歩いてはいないだろう。

 そんなことを、待っている間に思った。人生って何が起こるかわからない。その不思議さを感じて、今のかけがえのなさを痛感する。横目で窺う彼女の姿に、改めて幸せを噛みしめる。


「ねえさっきの話だけれど」


 バスを待つ間、ポツリと美桜が話を蒸し返す。


「『えっちな本を買いに来たのはずっと気になっていたあの人でした』でどうかしら?」


「……は? ちょっと待って、それってどういう意味だ? いや、冗談だよな」


「ふふっ、さてどうなんでしょう?」


 顔をくしゃくしゃにして、美桜が無邪気に笑う。からかうように身体を折り曲げたりなんかして。等身大の彼女がそこにいる。


 その言葉の真意も気になることだが、とりあえず今の俺にはある事実だけで十分だ。

 俺は初めからこの女の子に心を奪われていた。そのことに、今ようやく思い至った。いや、認めたくないだけでずっと気づいていた。


「なあ美桜。今晩何食べたい?」


「浩介君の好きな物」


「なんだよ、それ」


 答えになってねーよ、と笑い飛ばす。

 美桜も合わせて笑ってくれる。

 とりあえず、今日は腕によりをかけようと強く思う。この大好きな人を笑顔にするために。

 そうした日々が続いていくことに、ひたすらに歓喜を覚えるのだった――

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エロ本を買おうとしたら、店員が学年一のクール美人だった件 かきつばた @tubakikakitubata

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