第109話 1日目
ステージ横の小部屋で、前のクラスの発表が終わるのをじっと待つ。流行りのアップテンポの曲が大音量で流れている。
「なんか緊張してきたな……」
「裕太ってそういうのとは無縁だと思ってた」
「なんだ、それ。もしかして俺がバカって言いたい――」
「うっさいわよ、そこのバカ連中」
ヒートアップしかけた裕太を、ドスの効いた声で若瀬が制した。見事に俺まで巻き添えにされた。
もしかすると、あいつも少し緊張しているのかもしれない。小部屋の中の空気は微かにピリついている。リハのときはもう少し緩んだ雰囲気だったが、さすがに本番ともなると誰もかれもが真剣にその時を待っているようだ。
「まあ今更じたばたしたって仕方ないだろ。なるようになるさ」
「根津って、変に度胸あるよな」
「褒めても何も出ないぞ」
「へいへい」
裕太が呆れたように首を振った。そして、つばの広い黒のハットを被り直す。
俺たちのチームの衣装は黒を基調にしてスタイリッシュな感じに仕上がっている。ステレオタイプなマフィアがモチーフなのだとか。
実際、目の前にいるこの男には何とも言えない迫力があった。
「さ、行くわよ」
若瀬の声でぞろぞろと二年二組の面々が移動を開始する。
舞台袖についたころには、前のクラスの舞台はクライマックスを迎えていた。クラスの全員が特設の花道に集まって決めポーズを取っている。
盛大に上がる歓声。終わりを告げるブザーの音。熱狂冷めやらぬ中、花道にいた生徒たちが散り散りに捌けていく。
「続いては二年二組の――」
事前提出した前口上が読み上げられて、いよいよ俺たちの出番がやってきた。我々男子チームがまず先陣を切ることになってる。
「行くぞ!」
リーダーの声に俺たちは一気にステージ上へと飛び出した。
無我夢中だった。
舞台の上は思ったよりも暑くて眩しくて、何も考える余裕はなくて、必死に練習通りに身体を動かした。自分の中では、今までで一番キレがよかったと思う。
曲が終わり、さすがに達成感が湧く。あっという間だった。この二分という時間に、どれだけの手間を割いたのだろう。でも悪い感じはしなかった。
次の曲の間奏が始まるのを聞いて、再び舞台袖へと戻る。小さく息を整えながら、周りの仲間もみんなやり切った顔の中に疲れを感じさせていた。
――すれ違いざまに、あいつを見た。
いつもと変わらない無表情で、ステージの中央へと駆けていく。いつものイメージには反する可愛らしい衣装に身を包んで。
女子チームのテーマは、ありきたりだがアイドルだった。ちらっと見えたその姿は、そのテーマに負けていないと思うのは、やはり少し陳腐かもしれない。
「お疲れー」
「よかったよ」
「俺らも頑張るぜ」
トリを務めるグループと軽く言葉を交わしながら、仲間と一緒に幕の裏に隠れた。そして、そっと壇上を見守る。
俺でも聞いたことのある有名なアイドルソングに合わせて、女子チームがダンスを披露している。激しくはないが、可愛らしさに溢れた振り付け。でも、意外と難易度は高そうだ。
俺はその中の一人から目を離せないでいた。こちらからでは後姿しか見えない。時折ターンも混じるがそれは一瞬のこと。それでも、その輝きは周りとは違って見えた……身長が高いから物理的に目立つというのはともかくとして。
それにしてもよく動く。ちょっと感心する。ああいうのは得意なのか、とソフトボールを練習したときのことを思い出してちょっと苦笑してしまう。
最後のポーズもばっちり決まって、二年二組のアイドルたちが明るく元気に戻ってくる。さすがのあいつも、それっぽく振舞っていた。表情はよく見えなかったが。
「お疲れさん。よかったよ」
近くを通りがかったタイミングで声をかけた。大きく息をして、さすがに心底疲れた様子だ。
「あ、根津君。ありがとう。かっこよかった」
「……は?」
「美桜、こっちー」
「うん」
呼ばれるままに、五十鈴は声の方へ向かっていく。
なんでそんな言葉を真顔で放てるんだか。それはきっと、ダンス終了後特有の変なテンションのせいだろうと結論付けて聞かなかったことにした……かった。
俺の方も素直に褒めるべきだったのか。離れたところでクラスメイトと談笑する姿を一瞥することしかできなかった。
かわいかった――短いはずなのに、どこまでも気が重たくなる言葉だった。
とにもかくにも、我が二年二組の発表は無事に終了したのである。
※
「ちょっとー、コーヒー遅いよ!」
「あ、さっき出したろうが!」
「ごめーん、あたしが間違った」
阿鼻叫喚。ううん、なんとも素晴らしい四字熟語なんだ。あるいは、地獄絵図。
ステージ発表もすっかり終わって、今は学内向けに模擬店が開かれている。
メイド喫茶は大盛況だった、と評せるだろう。しかし裏を返せば、働き手としては死ぬほど忙しいことを意味して――
「あれー、全然あったまってない」
「見せてみ。レンジの設定が変わってるな」
「あ、ホントだ」
「ねえ、クッキーもう無いんだけど明日の分出していい?」
「しょうがない。あとで買い出しにいけばいいから」
「ありがとー、みどりん!」
――バリン。嫌な予感に、俺は電子レンジから視線を外す。
「ギャー、すみませんすみません!」
「なんかトラブってるね。根津、見に行って!」
調理班の仲間に命じられるままに、俺はホールへと向かった。なんでこう次から次にトラブルが……まあしょうがないか。
行ってみると、予想通り誰かがカップを落としてしまったらしい。不幸なことにそれは中身入りだったらしい。褐色の液体が小さな水溜りを作っている。そして、近くにはメイドさん。
「ごめんなさい、アタシ……」
「いや、気にすんなって。怪我とかしてないか」
「うん、それは大丈夫」
「とりあえず拭くもの持ってきてくれ――そこ、割れたもの素手で触らない!」
騒然とする中、俺は厨房へ新聞紙を取りに行く。細かい破片は後で掃除機をかけるとして、手ごろなものぐらいは処理しておかなければ。
現場に戻りハンカチを手袋代わりに、大中の欠片を集めていく。粉々になっていなかったのは幸いだ。
「根津くーん、電子レンジが壊れた!」
「何したんだ」
「なにもしてないよー」
絶対そんなことないだろと思いつつ、その場をホールスタッフに任せて厨房に戻った。
そんな慌ただしい時間は、およそ二時間ほど続いたのだった。
「ありがとーございましたー」
ホールの方から元気のいい声を聞いて、ようやく最後の客が去ったことを悟った。一日目、終了。しかし、学内でこれだけなんだから明日は――
「根津殿、こちらを」
「おお、前田……ありがとう」
ようやく腰を落ち着けて戦々恐々としているところ、目の前にコーヒーカップが置かれた。中身はロイヤルミルクティー。甘さたっぷりで、全身に染みわたる。
「ああ、うまい。前田は天才だ」
「そんなことはありません。しかし、大変でしたな」
「そうだな。もう一生分働いた気がする」
「それは大げさでは」
調理班二人だけの男子ということもあり、俺は彼と堅い友情を結んでいた。はっはっは、と笑い合う姿なんてもはや数年来の友人ぐらいしっくりくる。
「ねえ、ミドリン。調理室との移動、結構大変じゃない」
「そうだよね。今日だけでこれだもんね。明日はもっと廊下もにぎわうだろうからなぁ……浩介君はどう思う?」
「いや、もう全面的に翠の言う通りだと思う。いちいち調理室まで行ってる暇ないぞ、これ」
「クーラーボックス、小型の冷蔵庫……ちょっと矢島先生に相談してみないと」
翠はどこまでも真面目だなぁ、と心底感服した。俺はもう何も考えたくない。調理作業と謎のトラブル処理でもうクタクタだ。
それでも、容赦なく明日はやってくる。何も準備しなければ、今日以上に忙殺されるばかり。しかも二日目はクラス全員で店を回すので、手慣れた俺たち以上に苦労が尽きないだろう。
とりあえず片づけからか。前田の手を借りつつ重い腰を上げた。
そこへ、天敵が現れた。
「根津、ちょっといい?」
厨房側の扉が開いて、廊下から若瀬が顔を突き出してきた。制服姿ということはもう着替えは済ませたらしい。こいつもまた、今日の接客係だった。
「……嫌な予感しかしないんだけど」
「あはは、今日のところはこれ以上アンタを働かせるつもりはないから安心してよ」
「その言い方だと、明日がヤバそうなんだが……」
「そんなことないわよー」
「おい、こっち見ろ。お願いだから、目を合わせてくれ。ねえ、沙穂ちゃん!」
「気持ち悪い呼び方しないで」
俺もそう思う。昔はよくそんな風に呼べたものだと、幼い自分を尊敬した。
何の用だろう。気にしつつも、言われるがままに廊下に出る。調理班の面々に少し抜けるのを断ってから。
そこにいたのは――
「じゃ、ごゆっくりー」
「は? お前、何言って――」
すかさず若瀬が、入れ替わるようにして調理ブースへと戻る。
訳も分からず取り残されて、俺は待っていた人物と向かい合った。
「ええと、その、何の用だ」
「用ってほどの用はないのだけれど……沙穂さんがちゃんと褒めてもらいなさいって」
「……は?」
またあほらしい返事をしてしまった。しかし、状況が少しも飲み込めないのだから仕方ない。
褒める……か。改めて、五十鈴のことを眺める。
丈の長い黒のワンピース。その上に白いエプロン。頭にフリル付きカチューシャ。どこへ出しても恥ずかしくないメイドさんがそこにいた。
ちらりと視界の端で見てはいたが、こうして目の当たりにするのは初めてだった。
メイドさんはただじっと見つめてくる。何かを訴えかけるように。どことなく、その顔は赤い。
「……何か言って」
「いや、ええと。そもそも呼び出された側なんだが」
「そうだけど。でも――やっぱり、変?」
メイド五十鈴は恥ずかしそうにもじもじと身じろぐ。あれだけそつなく接客作業をこなしていただろうが、と心の中でツッコミを入れる。
若瀬の奴、いったいどういうつもりで……現実逃避気味に背後の扉を気にする。
まあしかし、その思惑はどうであれ、ちゃんと言うべきことは言うべきだ。
「可愛いよ。すっごく可愛い。さっきのアイドル衣装も最高だった!」
もうやけくそ気味である。疲労困憊で全く頭が回っていない。そういうことにしておこう。いや、そうなんです。
あまりにも直接的過ぎたらしい。五十鈴はあからさまにびっくりしていた。ビクッと一瞬身体が跳ねたかと思えば、激しく瞬きを繰り返す。そして、顔の赤みが一気に全体へと伝わって――
「わ、わた、わたしきがえてくるっ!」
盛大に動揺していた。あそこまで慌てふためくのを初めて見た。そんな風になるんだな、あいつも。
あそこまで狼狽えられると、逆に冷静になる。とりあえず、有効な一手だとしっかり覚えておこう。
「いやぁ、ほんと可愛いよね、美桜」
「お前はホント……」
声がして振り返ると、今一番会いたい人物がいた。悪びれもせずに、にやにやしている。
「あたしなりの幼馴染に対する親切なんだけど? 聞いたわよ、明日のこと」
「……喋ったのか、あいつ」
「まあ成り行きで。あたしが推理をぶつけたらゲロったわ」
「嫌だわ、ゲロだなんて。若瀬さんたらはしたない」
「照れ隠しにふざけるのはおやめなさいな」
俺の足を軽く踏んづけてから、若瀬が教室の方へと向かっていく。とんでもない暴力女だ。友成が可哀そうだ。
まあ少しは感謝してやろう。その余計なお世話に。五十鈴のあんな姿を見ることができたのだから。
そんなことを考えつつ、俺は調理ブースへと戻るのだった。
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