第82話 不意打ち

 夏休みだけあって、映画館はとても混んでいた。チケットはおろか、飲み物を買うのも一苦労。

 中に入って席に着くころには、もはやヘロヘロになっていた。ふかふかな椅子に、思いっきり背中を預ける。


「はぁ、やっと一息つけた」

「ふふっ、おつかれさまです、根津君」

「深町もな」


 何がないやり取りを交わして、俺は飲み物を一口。キンキンに冷えたアイスティーが、ゴゾーロップに染み渡る。身体の火照りがいくらかマシになった気がする。

 冷房が効いているとはいえ、どうにも暑くて仕方がなかった。並んでる時とか、地獄地獄。


 今回見る映画に割り当てられた上映室はかなり広いもの。俺の記憶が間違いじゃなければ、多分このシネコン一の大きさを誇っているはず。

 公開日がごく最近だから、というだけでなく、やはり多くの集客を見込んでいるからか。なにせ、超人気作家の小説を原作とした作品だからな。


「にしても、ホント奇遇だよなぁ。深町も、この作家が好きだったとは」

「ええ、そうですね。中学生の頃に、朝読書の本探してたら親から勧められて。根津君は、どういうきっかけだったんです?」

「俺? ああ、五十鈴のやつに紹介されてさ」

「五十鈴、さん……」


 それこそ、文芸部一同で街に繰り出した時のことだ。あいつのマイペースっぷりに、散々振り回された。

 自己主張が少ないくせに、変に芯が通っているところがある。つぐつぐ難儀な奴だ。


「まあでも最初のきっかけ程度、だけどな。あとは、姉貴に貸してもらったりして」

「そうなんですね……」


 どうにも、深町は先ほどから歯切れが悪い。その表情もちょっと険しいところがあった。


 話題の選択を誤ったか、と思うが、そもそもこの話を振ってきたのは向こうからだ。コミュニケーションって、難しい。


 困惑しながらも、俺は深町の様子には気づかないふりを決め込むことにした。

 そう思ったんだが。


「…………あの根津君、実は聞きたいことがあって」


 意を決したように、深町はきりっとした表情で、目を合わせてきた。


「唐突だな。俺に答えられることなら構わないけど」


 並々ならぬクラスメイトの迫力に気圧されながら決まり文句を口にする。相手によっては、『ぐーぐるせんせーに聞け』と返すところである。主に身内。


 深町は硬い顔つきのまま、小さく息を吸い込んだ。


「昨日のことなんですけど、五十鈴さんとどこに遊びに行ったんですか」

「遊びって……普通に病院だぞ」


 おかしなことを言うもんだ。情報源は察しがつくけども。

 小憎たらしい犯人の顔を浮かべつつ、俺は軽く返した。


 その後にファミレス行って、部室にも寄るというおまけはついている。そっちは、遊びといえば遊びか。


 俺の答えに、深町はぎこちなく首を傾げた。その頭上には、見事なクエスチョンマークが浮かんでいそうだ。


「病院? えっと、それはどういう」

「けが人や病人を治療してくれる施設だろ」

「いえ、それは知ってます。どうして二人で病院に」


 ボケが流されなかったのはずいぶん久しぶりな気がする。やはり、深町は心優しい人間だ。心の中で涙した。


「瑠璃から聞いてないか? 五十鈴のおばあさんが今入院しててさ。それであいつがうちに居候中で、その関係で見舞いに」

「にゅ、入院⁉ う、ううん、い、居候って……一緒に暮らしてるんですか!」

「まあ居候って、そういうもんだからな」

「あわわ、聞いてないですよ! 瑠璃……あの子ったら、なんでこんな大事なこと」


 深町の顔が一気に赤くなった。よほど恥ずかしいらしく、見開いた瞳はかなり潤んでいる。

 けれど、噛み締めた唇からは確かな怒りが伝わってきた。一瞬妹の安否が心配になったが、まあどうでもいいか。


 俺も、あの子ったら、という気分は同じだ。いらんことべらべらと吹き込みやがって、あのロクデナシめ。

 帰ったらぶちのめす。久々にゲームでボコボコにしよう。周五郎に、不可抗力で鍛えた腕の見せ所がきた。


「あの、本当にすみませんでした。変なこと訊いたりして……」

「少しも気にしてないから大丈夫だ。というか、黒幕は別にというか」

「で、でもぉ」


 声を詰まらせて、深町はちょっとだけ俯いた。視線の泳ぎっぷりと、手の落ち着かなさがすごい。これぞ、ザ・動揺といった風。


 いくらなんでも気にし過ぎだと思う。どうにも、深町翠さんは物腰が丁寧すぎる。俺の周りにいる人間の中では一、二を争うほど。

 というか、だいたいの人間が癖が強すぎるのか。交友関係、見直さなきゃかもなぁ、これは。


 と、際限がないくせにまったく意味のない思考の扉を開きかけた。が、すぐに閉じる。スクリーンに流れる映像からして、集中すべきことは別にある。


「なんか、かなりテンパってるところあれだけど。そろそろ始まるみたいだぞ」


 館内の照明が落ちて薄暗くなったのは、果たして彼女にとってよいことだったのだろうか。

 事実としては、消え入りそうな声で「……はい」と返事が聞こえてきただけである……というと、謎の文豪感が出そうな気がする。


 依然として、部誌をどうするか問題は頭の片隅にこびりついているわけだ。




        ※




 町中心部にある、観光名所としても名高い巨大な公園。それだけでなく、いちおうらしい。とある中学からの友人曰く。

 とにかく俺にとっては縁遠い場所だ。なのに、今日はその憩いの場に潜入することになった。まったく、何の間違いか。


「しっかしこのくそ暑いなか、子どもさまは元気だねぇ」

「ふふっ、根津君、お年寄りみたい。でも冷たくて気持ちよさそうですよ」


 日陰にあるベンチに、深町と並んで座る。

 目の前には、巨大な噴水。軽い水遊びができそうなスペースで、子ども連中がはしゃぎ回っていた。騒ぐ声と水温がどこか心地よい。


 日陰と噴水、その合わせ技のおかげでここは結構涼しい。だいたい、そうでもなければこの気温の中外にいるのはただの危険行為。

 実際、ここまでの道中はうだるように暑かった。地下街の出口からという短い道のりだったけれども。


「本当によかったのか。公園でのんびりなんて」

「はい、その来てみたかったというか……根津君は嫌でしたか?」

「そんなことないさ。思ってたよりも心地いい」


 今までずっと屋内にいたからか、この開放感がなんとも愛おしい。洋食屋も駅ビルも、うんざりするほど混んでいたから。

 気疲れしたのは、向こうも一緒だったかもしれない。当てもなく地下歩行空間を歩いていたところ、不意にこの公園に誘われた。


「ですよね。マイナスイオンっていうんでしたっけ、こういうの」

「だったか? 聞き覚えはあるけど、うろ覚えだわ」


 くすりと微笑みながら、深町は右手に持つカップに口を付ける。近くにある人気の屋台で買った何とかっていう飲み物だ。

 俺はと言えば、公園内の自販機で買った缶コーヒー。今月の小遣いがピンチだったとかでは断じてない。絶対に。


「そろそろ学校始まるなぁ。深町は宿題終わったか?」

「はい、毎日コツコツとやってましたから」

「なんとなく深町らしいな」

「あたしらしい?」


 深町はキョトンとした顔で首を傾げた。若干眉間に皺が寄っている。


「ああ。真面目な印象あるから、深町は。少しはバカ妹も見習ってほしいよ。あいつ、そろそろ溜まりに溜まった宿題に涙目になるころだ」

「……そう言えば瑠璃、昨日そんなこと言ってたなぁ」


 妹の直属の先輩は斜め上方向を見ながら苦笑する。あまり迷惑かけてないといいが。兄として、余計な心配が浮かんだ。


「根津君はどうなんですか、宿題」

「おう。夏休みはいる前にあらかた片付けた。後で苦労するのは目に見えてるから。ただ……」

「何か厄介なものでも残してるんです?」

「宿題じゃないんだけど、部誌の原稿がさ。結局、あんまり進んでない。文芸部で文化祭に出すやつなんだけど」

「ああ、それですか。そういえば、あたしまだ成尾先輩に勧誘の返事をしていませんでした」

「そんなこともあったけか。別に気にしなくていいと思うぞ。どうせいつものノリだから、あの人も忘れてそう気すら……」


 最近は、文芸部もかなりバタバタしていたし。主に、五十鈴関連で。ただでさえ、おそらくただの思い付きだろうから。


 しかし、生真面目なこの女子はそうは思えなかったらしい。相変わらず小難しい顔をしたまま。


「だいたいさ、弓道部との両立は厳しいだろ。深町がどれだけ――」

「どうしました、根津君。いきなり黙り込んだりして」

「いや、なんでもない」


 言いながら、俺は深町が弓を引いている姿を見たことがないことに気が付いた。だというのに、その言葉を続けるのはおかしい。

 それは、かつて同じ部に所属していたからこその感覚。知った風な口を利くのは相手にとても失礼だというもの。


 彼女だけじゃない。かつての仲間たちが射る姿を、俺はろくに思い浮かべられなかった。あの頃、他人の射を見るなんて殆どしていない。

 辞めた後はなおさら。あの場所を訪れようなんて、微塵にも思わなかった。いや、しようとしなかった。


 とにかく、兼部についてあれこれ言う資格は俺にはない。これもまた余計な配慮かもしれないけど。

 はぁ。余計な葛藤を生み出した元凶が憎らしい。どうしてあの人は、こんな軽はずみなことしたかね。


「…………たまには道場に顔出してみっかなぁ」


 そんな結論に至ったのは、先ほど感じた罪悪感のせいかもしれない。あるいは、単に深町の道場での姿を思い起こそうとしたからか。

 なんにせよ、これは気の迷いからくる独り言のようなもので――


「本当ですか! それ、とってもいい考えだと思います」


 当然のように、深町にはばっちり聞かれていた。

 まあすぐ隣に座っているわけだし、仕方ない。でも、一応顔を背けたつもりだったんだけどなぁ。


 しかし、相手はよほど驚きだったのか。その顔はパーッと輝き、無意識のうちかぐっと距離を詰めてまできた。


「深町、ちょっと大げさすぎないか」

「あっ! す、すみません、あたしったらつい嬉しくって」

「ただ見学するぐらいだけだってのに……いや、まあいいんだけどさ」


 微かな気まずさを覚えながら座り直す。向こうの方も合わせて距離を取る。


 そういえば以前、弓道部に戻ってこないのか、深町に訊かれたことがあったっけ。こちらのことを気にかけてくれるようだけど、思い当たる節は特には……。女子弓道部員とは、輪をかけて交流なかったわけで。


「見学と言えば、ちょうどこのくらいの時期でしたよね。五十鈴さんが来たのも」

「……五十鈴? そんなことあったか」

「覚えてないんですか⁉ 男子の方、あれだけ盛り上がっていたのに」

「俺休んでた……とかじゃないよなぁ」


 自分で言うのは恥ずかしいが、同期の中で一番熱心だった自負はある。辞めるまで、毎日欠かさず道場に通っていた。誰よりも早くきて、最後まで残る。あの頃の俺は、弓道の魅力に取りつかれていた。

 まあ、今じゃすっかり見る影もないが。道具類は押し入れにしまい込んだまま、きっと埃を被ってる。ヘタすりゃ蜘蛛の巣すら。


 とまあ、弓道具のことは思い出せても、五十鈴さんのことは全く初耳な気しかしないわけで。


「それこそまさに部誌の取材ですよ。弓道について聞きたいって。最終的には、当時の女子うちの主将が対応してたみたいですけど」

「……部誌、ねぇ」


 しみじみと呟いて少し考えてみる。


 深町が嘘を言う理由なんかない。あいつが見学に来たのは本当だろう。

 覚えていないのは、黙々と弓を引いていたから。その時期は、たぶん新人戦にでも向けて気を張っていたに違いない、と過去の自分に推理を立てる。


 そんな曖昧な過去の自分なんてどうでもいい。とりあえず、その時の奴の話だ。部誌の取材で弓道部を、か。俄然、あの女が何を書いたか気になってきた。


 中野さんから借りた去年の部誌は、通学用のバックにしまいっぱなし。バタバタしていたせいで、全く読むタイミングを失っていた。

 

「何か思い出せました?」

「……いいや、全然」

「きっとすごい集中してたからですよ。根津君、射場に立ってる時、いつもすごい迫力だったから。なんとなく近寄りがたいというか……殺気?」

「そんな物騒な感じだったのか、俺……」

「いえ、とっても真剣って感じで、あたしはその――」


 言いかけて、はっとなる深町。すると、どこかぎこちなさげに視線を動かす。俯いて、やや唇を噛むようにして。


 途中で切られると、どうしても気になるというのが人情というもの。とりあえず、口は挟まずに待ってみることに。


「やっぱりなんでもないです」

「なんだよ、気になるな」

「……根津君が今一番気にしてるのは、五十鈴さんのことじゃないんですか?」


 先ほどまで考えていたことを言い当てられて、正直かなりドキっとした。実際には、あいつ自体じゃないからニアミスだけど。

 それでも衝撃を受けたのは、深町の意地の悪い表情のせい。なんとなく、らしくなくてちょっと不意打ち気味だった。


「違う、違う。あいつの部誌だって。弓道がに関することだって聞いて、ちょっと興味が湧いたというか」

「でも結局それ、五十鈴さんのことですよね」


 ……確かに。納得してしまうと、途端に否定の言葉が出てこなくなる。

 いやそもそも。俺は何で、深町の指摘を素直に受け止めなかったんだろう。改めて考えると、別に誤魔化すようなことでもないのに。

 咎められてるように感じたから。でもそれは、俺の感じ方次第なわけだし。


 心の動揺を何とか鎮めようとしながら、深町の顔をじっと見つめる。なんとなく、目が逸らしづらい……。


 キャッキャ、ジリジリ、ザワザワ、ペタペタ――周囲の音がやけにはっきりと聞こえてくる。開放感はとうに消え、よくわからない緊張が――


「冗談です、冗談」


 終止符を打ったのは、相手の方だった。こちらの心情などまるで知らないような涼しげな表情。


「深町でも変な冗談言うんだな」

「そりゃまあ……たまには?」

「なぜに疑問形……」


 ホッとしながら言葉を返す。それでもまだ、先ほどまでの緊迫感は小さな欠片として胸に残ってる。


「どこかゆっくりできる場所、行きましょうか。さっきの道場見学の話もしなきゃだし」


 ニコッと笑って、深町は立ち上がる。その右手のカップはいつの間にやら空になっていた。

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