第47話 謎の交流

 放課後の教室の中には三つのグループができていた。俺たち仲良し四人組、若瀬一派、あとそれとは別の女子グループ――俺に今まで経験がないだけで、居残り勉強は意外とトレンドなのかもしれない。三集団は固まっているわけではなく、それぞれ別の場所に陣取っていた。俺たちは廊下側後方の一角を占拠している。

 人気の少ない教室は、いつもいる場所とはとても違うように見えた。寂しいとかではなくて、なんだかはっとするような、少し新鮮な気持ちが俺の胸に沸いた。


 女子たちがそれぞれに盛り上がる声を聞きながら、俺たちも自習の準備を始めようとしていた。四つの机をくっつけて、巨大な四角形を作る。


「で、なにやる?」

 席に座って、俺は友人たちの顔をぐるりと見渡した。

「古典」

「英語」

「数学」

 順に、押元、卓、晴樹。


「……見事にバラバラだな」

 英語志望者がかぶりを振った。

「逆に息ぴったりとも言えるぜ。ズッ友ってやつだ」

「すさまじくキモイこと言ってんな、根津」

 晴樹も黙ったまま白い目を向けてきた。


 なにはともあれ。俺は鞄から生物基礎セットを取り出す。パラパラと教科書を捲った。テスト範囲がまだ確定してないのは、いかがなものか。中学の時からの感想だが、なにもテストギリギリまで授業を勧めなくてもいいと思う。手段と目的が逆になっているというやつだろう……一回使ってみたかっただけ。


 そのままだれかれともなく、俺たちは手を動かしていく。騒がしい女子連中とは裏腹に、どこまでも無言。勉強が目的なわけだから、それは正しいことだ。でも俺はちょっとむず痒さを覚えていた。

 初めのテーマは細胞。しかし読み始めてすぐに挫折した。わかりにくい。聞き覚えのない単語が躍っている。俺は眉間に皺を寄せて、ノートを開いた。だがこれもすぐやめた。ワークをやろう。そう思って、薄い冊子に手を伸ばす。


「……お前、落ち着きねえな」


 そんなサイクルを何度か回していたら声を掛けられた。顔を上げると正面に座る卓が微妙な顔でこちらを見ていた。


「もしかして、ずっと見てたのか? まさか、お前、俺のこ――」

「すぐ目の前でバタバタやられたら、誰だって気になるだろ!」

「卓、うるせーぞ!」


 当然俺たちは年頃の男子高校生。ヒートアップするには十分なきっかけだった。元から気心の知れた仲だった(と勝手に思ってるだけだが)二人は、ギャーギャーと騒ぎ始める。

 しかし、うるさいとまではいかなかった。軽いノリで言葉の応酬をしているだけだった。女子たちの話し声と同じくらいに気になるほどではない。


「また始まった」

「どうする、俺らもやっとくか? 口喧嘩」

「……頷くわけないよね」


 呆れたように首を横に振ると、晴樹は視線をプリントに落とした。テスト対策プリント。どこぞのクールビューティのおかげで、もうすでに俺は二周してあるものだ。


 ばつの悪い顔をしながら、俺もまた自らの作業に戻る。スポーツマンたちはまだなにやら言い合っている。……なんなの、こいつら?

 そろそろ仲裁に入ろうと思ったところ――


「ね、根津君! ちょっといいですか?」

 カットインしてくる女子が一人。

「ああ。ええと――」


 目を向けると、たれ目でかわいらしい感じの女子がいた。その幼げな顔立ちに似合わず、意外と背が高い。髪の長さは肩にかかるくらいで、前髪はきっちりと分け目が付いている。その右部分に髪留めがついていた。

 それは昼休みにばっちりと顔があった人物……だと思う。僅か三時間くらい前の出来事にも関わらず、その記憶は朧気だった。しかし問題なのは――


「……なんでしょう?」

 乾いた笑みを浮かべながら、慌てて言葉をつづけた。名前がわからない。

「ええと、教えてもらいたいところがありまして」


 名無しの少女はとても言いにくそうにしていた。もじもじとして伏し目がち。目が合ったのは一瞬だけ。すぐに頬を赤らめて、またその視線はどこかに行ってしまった。


 またそれか。いつから俺は教師になったのか。まあ、嫌な思いがするわけでもなし。笑顔を心掛けて、俺は立ち上がった。


「もちろん構わないさ」

「モテモテだな、根津」

「そんなんじゃねーから」

 冷やかしてきたい押元をきっと睨んだ。

「おお、こわいこわい」

 彼は肩を竦めて鼻を一つ鳴らした。


 無言のままに、クラスメイトの案内を受ける。頭の中では何とか彼女の名前を思い出そうとして必死だった。

 彼女は若瀬たちとは別のグループだった。だから俺が呼ばれたのだと、納得した。ふと見ると、向こうでは五十鈴がちょうど若瀬と話しているところだった。何かを教えているようだ。

 そこにいたのは四人の女子。その顔に覚えがあったりなかったり。目が合って、どちらともなく会釈をした。


「ええとね、ここなんですけど……」

 差し出されたのは、英語のワークだった。


 受け取って、ちらりと目を通す。――仮定法の内容だ。先日、姉貴に教わった部分だから、スムーズに説明できた。あの女の気まぐれ教室も偶には役に立つもんだ、と俺は少しだけ感謝した。


「なるほど。やっぱり頭いいですね、根津君!」

 相手の目はキラキラと輝いていた。なんだかちょっと恥ずかしい。

「そんなことない。たまたま姉貴にこの間見てもらったとこで……」

「訊いてよかったじゃん、みどり

 その場にいた一人が、その女子に話しかけた。


 惜しいな。俺が知りたいのは名前じゃない。そっちは全く以て聞き覚えがなかった。名前が浮かぶのなんて、五十鈴と若瀬、それと青葉くらいだ。

 とりあえず、問題が解決したようなのでその場を離れることに。タイミングよく、ミドリさんが英語のワークを閉じた。表紙には名前が書いてある。深町ふかまち――それで、弓道部で一緒だったことを思い出した。無論、その時に何か言葉を交わした覚えはないが。


「じゃあ深町、またなにかあったら聞いてくれ」

「はい、ありがとうございました」

 まるで旧知の仲だったように軽く言葉をかけて、俺は男子連中の待つ場所に戻っていく。


「楽しかったか?」

「そう思うか?」

 質問に質問で返したら、卓は露骨に不機嫌そうな顔をした。

「まあいいや。――さて、次は俺の番だ」

 そして、にやりと笑うと彼もまた質問事項を持ち込んでくるのだった――





        *





「深町先輩?」

 その名前を告げた時、瑠璃は一瞬不思議な表情を浮かべた。

「やっぱわかんねえか。入部して、二カ月になるかってとこだもんな」

 妹の反応を確認してから、俺はテーブルを拭く作業を再開した。


 姉貴は今日もバイトだった。やっぱりうちの高校含め、テストが近い高校は多いらしい。他校に知り合いはいないから、実際どうなのかはわからないが。

 なので、こいつと二人で夕食をとった。別に珍しいことではない。食事当番は俺だったから、酢豚をメインディッシュに据えてやった。

 今はのんびりと二人で後片付け。またしても瑠璃に皿洗いを押し付けることに成功した。


 居残り勉強が終わったのは、下校時間である六時ちょっと前だった。五十鈴や若瀬のやつ、俺に念押ししてきたくせに、結局話しかけてくることはなかった。押元はとても残念そうにしていたが。自分から行けばいいのに、あのイケメンはどうにもその中身に難があると思う。


 ともかく。代わりにというとおかしいが、一番質問してきたのは深町だった。それで気になって、雑談代わりに瑠璃に尋ねてみることにした。弓道部、それに女子とあっては、こいつが知っててもおかしくない。


「……みどり先輩でしょ。知ってるよ。結構仲良いもん」

「へぇ。どんな奴だ?」

 自分でも馬鹿な質問だとは思った。

「どんな奴って……お兄ちゃん、同じクラスでしょ。だいたい、部活一緒だったのに」

「男子はともかく、女子のことなんか覚えてられないって。何人いると思う?」


 瑠璃は押し黙った。一理あると思ったのかもしれない。今の一年生の数は知らないが、二年目は男女合わせて三十名ほどいるはずだ。あの狭い道場の窮屈さを思い出した。


「ええと、明るくて、優しくて、可愛くて――」

「なるほど、よくわかった。ありがとう」

 それらはとても参考になる情報だった。

「なんなのよ、いったい!」

 不機嫌そうな声が聞こえてくると同時に、水の流れる音が止んだ。


「というか、どうしてみどり先輩の話を?」

「なんとなくだよ。放課後勉強してたら、結構話したから」

「へー……ってか、五十鈴先輩としてたんじゃないの?」

「なぜお前がそれを――いや、いい。どうせ、文本だな」

 苦々しい顔で、俺は腰に手を当てた。


 にやにやしながら、瑠璃がこちらにやってきた。ポンポンとタオルで手を拭いている。俺を小馬鹿にしているのは、明白だった。


「昼休み、さほちゃんと一緒に部室行ったんだってねぇ」

「そこまで知ってんのか。情報だだ洩れだな。お兄ちゃん、びっくり!」

 俺はおちょくるように肩を竦めた。


「のぞもそうだけど、詩音ちゃんとも仲良しだから。妙なことしたら、すぐあたし、そしてお姉ちゃんに伝わると思った方がいいよ?」

「なんだその言い方。俺くらい優等生な奴も今時――」

「はいはい、つまらないギャグありがとー」


 瑠璃が投げつけてきたタオルは見事に俺の顔面にヒットした。ゆったりとした動作で取り除くと、リビングを出て行く彼女の後ろ姿が目に入った。

 

 あいつもずいぶんと暴力的になったもんだ。テーブルの上に丸めた台拭きと、タオルをひとまとめにする。それらを持って立ち上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る