第2話 敗走の将、能弁たり
たちまち、店員と俺との間に奇妙な間ができあがる。お互いに相手の顔を見つめたまま。言葉を発することはない。
よく見れば、顔立ちはよく整って大人しい印象を与える。美人だな、と俺はそんな場違いなことを考えながら――
「あ、あの、すみっせんったー!」
周りのことなど一切気にせずに大声で叫んだ。そして、経験がないほどの勢いで頭を下げ、そのまま何も持たずに店を飛び出す。ああ、恥ずかしい。穴があったら入りたい。それが、墓穴だとなおよし。
急ぎ過ぎて、自動ドアさえももどかしい。中途半端に開いたところで、隙間に身体をねじ込むことにした。くそ、こういう時に二重構造は……忌々しげに目の前のドアを押し開ける。
「お、出てきた――って、何、そんな血相変えてるんだ、お前?」
店を出てすぐに友人の集団を見つけて、俺は足を止めた。心臓がはち切れんばかりに躍動しているのは、きっと走ったせいだけではない。顔中、ありえないくらいに熱を放っているのも。
「どうしたの? 何かあった?」
「おっと、浩介。よもや虚無を買ってきた、だのとは言わないな?」
「い、いや、それが実はな――」
乱れ切った呼吸を必死に整えながら、俺は手短に今あった出来事を説明する。
「あの日、私はさる高尚な本を求めて、とある書店を訪れたのです」
「たかが十八禁本だろうに。そんな壮大な物語に仕立てあげなくてよろしい」
「まあ待て、修。きっと怖気づいたのが恥ずかしいんだろうて、のう、浩介どの?」
「周五郎、それ今度は何のキャラに影響を受けた? もしかして最近貸してくれたあの漫画の――」
「だぁーっ、もうわかった。手短に話すとだな、店員に高校生だってことがバレた!」
すると、少しの間があった後に――
「あっはっはっ!」
大爆笑が起こった。ここがお笑いコンテストの会場だったら、軽く優勝しているくらいに。その騒がしさたるや、いくらかいた周りの人々が迷惑そうにこちらに目を向けてくるほど。
俺はただ恥辱を噛み締めて、その喧騒が止むのをじっと待つ。一体何がそんなに面白いんだか。やや冷めた気分に浸りながら。そのおかげか、段々と気分が落ち着いてきた。まだ、胸はドキドキしたままだけど。……もしかしたら、恋かもしれない。
「おい、もういいだろ?」
連中の大笑いが収まってきた頃を見計らって、意識して感情を込めずに呼びかけた。
「はーっ、はーっ。いやぁ、悪い悪い。にしても、お前、どんなヘマやったんだよ?」
「そうだぞ。お前さんの容姿は高校生には見えないというのに。これが周五郎だったら、話は別だがな」
「はいはい、どうせ僕は童顔ですよーっだ!」
「俺に言われてもな。でも、店員のやつ『キミ、高校生ですよね』って、ものっそい冷静に指摘してきたんだぞ」
その時の衝撃たるや、思い出したくない。しかも相手が女だから、もうヤバかった。……性的な意味ではなくて。とにかく、心臓が止まるかと思った!
「でもどうしてバレたんだろうな」
「カマかけたんじゃあるまいか?」
くいっと修は眼鏡を上げた。
「さっすが、博士殿は言うことが違いますなぁ」
「いやぁ、そんな感じじゃなかったぞ? はっきりわかってるみたいだった」
こいつらはその場にいなかったから、わからないだろうが。あれは鋭い眼光だった。
しかし、思い返してみればかなりの美人だった。物静かそうな感じのする切れ長の目、長い黒髪はなんとなく書店にぴったりで。恐ろしいまでの無表情が全てを台無しにしていたけれど。
「あれだろ、どうせ童貞っぽさを隠せなかったんだろ?」
くそ、こいつ自分が彼女持ちだからって……。
「どどど、童貞ちゃ――やけどな……いやでも、あの時の俺はすごかった。剣の達人じみたオーラ出してたから」
「こーちゃんはまず関西の人に謝ろうね。あと、全国の剣士の皆様にも」
「そもそも
三者三様、それらしい反応をみせやがって。中学校からの付き合いともなると、誰も自分の素を隠そうともしない。まあ、俺もそうだけど。
「でもさ、こーちゃん。失敗なのは変わりないよね?」
「おっ、周五郎良いこと言うじゃんか。じゃあ告白な」
「待て待て。ちゃんと俺はやったぞ。バレなかったら買えてた!」
「しかし、それを信じられる証拠はないのも事実」
なんだ、なんだ、この流れは。こいつらを友達だと思ってたのは、どうやら俺だけらしい。こちとら、死ぬかと思うほどの経験をしたというのに、それを労いもせず!
「……だいたいさ、好きな奴なんていねーぞ?」
怒りを堪えながら、反論する。
「じゃあ五組の
「いや、俺知らねーんだけど……」
「えっ、かなり噂になってるのに?」
「でも僕も知らないよ」
「二次元に夢中じゃないか、お前」
俺たち三人の声はぴたりと揃った――
*
翌日は登校日だった。この詰襟もずいぶんと久しぶりだ。部活でもやってれば別なんだろうけど。弓道は自分があまりにも下手くそすぎて、冬休みが終わる頃に辞めた。
新しいクラスはどんなだろう。ぱっと見た感じ、友達誰一人いなかったんだけど……。さすがに元同じクラスのやつはいたが。そもそも理系多すぎだと思う、俺の友人。はあ、俺もそうすりゃよかったか。しかし、アフター・ザ・フェスティバルってやつだ。
新学期早々、そんな風に落ち込みながら教室に入った。人見知り、というわけではないけれど。それでも俺は、新しい人間関係をストレスなく素早く構築できるタイプじゃない。さて、前の席のやつになんと話しかけたものか。
「おっ! お前が根津? 俺、
幸いにして、その彼はかなりフレンドリーな人間らしい。俺が席に着くなり、早速話しかけてきてくれた。短く刈り揃えられた髪の毛、前髪がよく決まっている。その笑顔は眩しい。
「おう、よろしくな、沼川」
「卓でいいぜ?」
「じゃあ、卓。俺も浩介でいい」
「そっか」
うんうん、中々爽やかな男じゃあないか。タイプ的には我が友きってのリア充――
「何組?」
「俺は三。浩介は?」
「八組だ」
「へー、じゃあ――」
彼は何人か俺の元クラスメイトの名前を挙げた。どれも話したことのある程度の関係だが、知ってはいたので「わかる、わかる」と適当な相槌を打った。
「もしかして、卓ってサッカー部か?」
それがさっきの連中の共通点だった。
「おう、ゴールキーパーやってる。浩介は?」
「帰宅部だ。えっと、ハウスキーパーをやってる」
「合わせなくていいから……」
俺の渾身のボケはお気に召さなかったらしい。残念だ。我ながら、よく思いついたものだと思ったが。実際のところは自宅警備員がせいぜい。ホームガードマン? よくわからんけども。
「しかし、お前羨ましいなぁ。あの
また
しかし、俺の隣の女は
すっげえ、鈴が重なってる! 音だけ聞いたら、凄いやかましそう。音だけに! みたいな。どうもすみませんでした。
「そう言われてもよく知らないんだよなぁ。順位表で一回見たことあるから、苗字の漢字だけは覚えてるんだけど……」
「いすずのことを知らないって、お前モグリかよ!」
「土の中は嫌いです!」
「モグラじゃない! お前、ボケるの好きなのか?」
「ええ、まあ、嫌いじゃないわね」
最後のおネエ言葉は無視された。悲しいわね、悲しい、
「いいか、いすずみ――って、話をしたら何とやら、だな。来たぞ、あいつがいすずだ!」
教室が騒がしくなると同時に、卓は前方に目を向けた。そして、軽く顎をしゃくってくる。
見ると、ちょうど一人の女子が教室に入ってきたところだった。まず目についたのは腰元くらいの長さまでありそうな黒髪。セーラー服を校則通りに着こなして、足の運びは穏やかで姿勢はどこまでも美しい。身長は、女子の平均くらいだろうか。
その横顔を見た時に、俺はどこかで見た感じがした。いや、同じ学年なのだから廊下とか、それこそ集会とかで見かけたことがあって不思議はない。
しかしそういうことではなくて――
やがて角を曲がってこちらに顔を向けた時に、一気に記憶が蘇った。
それは、それこそ、昨日の書店員の女だった――
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