第7話 午前授業の日は意外とやることがない

 チャイムの音が放課後の幕開けを告げる。ほぼ同時に、矢島先生は号令係を呼んだ。それでようやく、二年二組たちの生徒たちは、今日のプログラムから解放されるわけである。教室清掃がある班を除き。一班はご愁傷様だ。私は四班なので関係ナッシング。


「おい、帰ろうぜ?」

 着席せずに、俺は卓に声をかけた。

「悪いけど、バリバリ部活だ」

「バリバリ部? マジックテープを一生懸命はがす?」

「いちいちボケをいれないと話せねーのか、お前は……」

「悪かったって。――そっか、大変だなぁ」

 呆れ切った友人の顔に、堪まらず俺は肩をすくめた。

「まあな。でも新入生の見学とかあるし、気合入れねーと」

 ゴールキーパー殿はぐっと拳を握ってみせた。


「そんなもんかねぇ」

「いいよな。部活ない奴は気楽で」

「失礼な! こっちもこれから活動だ。きた――」

「帰宅、って言うのはなしだぞ?」

 真顔で俺の言論を弾圧してくる卓さん。憲法違反だ。


「それじゃあな」

「おう。頑張れよ、ばりば――」

「サッカー」


 机を後ろに追いやると、彼は颯爽と教室を出て行った。全く最後まで冷たい奴め。その後ろ姿を睨んだが、すぐに扉の向こう側へと消えた。


 さて、できたばかりの友人には振られてしまったが、あてはほかにもある。スマホを取り出して、『愛すべきバカたち』というグループに向けてメッセージを送った。『どっか行こうぜ?』と。今は十一時。直帰するのは馬鹿らしい。昼食べに行って流れで遊びに、というのが望ましい流れだ。


 返事を待ちながら、さっと周囲に視線を這わせる。校則ではスマホの使用は禁止されてるらしい。らしいというのは、俺が実際にその文言を確認していないから。誰が見るんだ、あんなやつ。とにかく、教師のことを警戒……するわけではなかった。


(五十鈴はもう帰ったのか?)


 求める姿はどこにもない。掃除当番じゃないのか? サッカー部に絡んだせいで、その姿を完全に見失ってしまった。先に対処しておけばよかったか。でも二時間目の後、すぐホームルームだったから機会はなかった。


 清掃活動に勤しむ面々を見てある事実に俺は気が付いた。若瀬がいるということは、今週の担当は六班じゃねーか! ……矢島先生が言ってたような気もするし。そうでな気もする。


 しかし困ったなぁ。あいつには確認しなければならないことが山ほど――いや、思いつく限りで二つはあるのに。


 なぜ俺に図書委員になるように命じたのか。そして、例の秘密を持ち出して脅してきた真意だ。あんなのがこれからも続くとなると、もうだめだぁ、おしまいだぁ状態になってしまうし。


 ま、明日でもいいか。学校が終わった今、その件は別に急を要すことは無いだろう。それより今はどこであいつらと昼飯を――


 その時、ポケットの中のスマホが震えた。


『塾』ガリ勉の修。

『部活』漫研の周五郎。

『デート』彼女持ちの友成。


 J・B・Dってやつだな。


 ……まあわかってたことだけどね。俺以外みんな忙しいから。ろくに休みは合わない。昨日四人で集まれたのは、とても久しぶりのことだった。そう、奇蹟! でも、奇蹟は二度は起こらないんだって。――あれ、なんか違う気もする。奇蹟に関する言葉って色々あるからよくわからん。


 とにかく結論として、俺は一人で帰らないといけないわけだ。知り合いはほかにもいるが、こいつらほど親しいわけではない。

 しかし、昼飯、どうしたものか……一人でどこか食べに行くのもなぁ。こうなると、大人しく家に帰るしかない。すると、絶対に面倒くさい事態になる。


 ――はあ。朝来た時と同じように、どこか憂鬱な気持ちを感じながら、俺は一人で帰路に就くことにした。まったく新学期早々、幸先が悪い。





        *





 その日の午後。俺は幸福な満腹感を覚えながら、体育館にいた。……なんとうちの高校の。しめておよそ四時間ぶりくらいだろうか。


 現在、後方に設置された最後列のパイプ椅子の一つを占拠している。腕組みをして、難しい顔をしながら。周りにいるのはいい格好した大人たち。


 前方には真新しい制服に身を包んだ若人たちが群れをなしていた。なんだかキラキラしたオーラが見える。彼らには輝かしいスクールライフが待っていることだろう……たぶん。その未来に幸あれ、と一応祝っておいた。


 俺にとっては、二年連続二度目の入学式に出場――甲子園のこれみたいだな、これ。まあ、去年とは違って今回は保護者枠――二十一世紀枠みたいだな、これ。そして、着ている制服はよく身体になじんでいる――スタンドにいる生徒みたいだな、これ。


 なぜ、こんなことになってしまったのか。こうなることがわかっていたから、誰かと寄り道したかったのに。やっぱり一人で街に繰り出すべきだったか。先ほどから同じような問いが、ずっと頭をぐるぐるとめぐっている。気分は哲学者だった。


 さて、俺の身になにが起きたかだけど。――突然だが、我が根津家の家族構成を説明しよう! 父と母。姉、俺、妹。以上、五人家族……なのだが。


『瑠璃も高校生になることだし、父さんたち外国で暮らそうと思う』


 その時の心情といったら、何言ってるんだ、こいつら状態である。以前から放任主義のきらいがあったが、ことここにきて、それが極まったらしい。

 ということで、子どもたちに反論の余地はなく、両親は海外へと旅立っていった。愛に満ちた第二の人生を送るんだって。……まあ、実際は父親が海外の支社に飛ばされた、ということらしいけど。ほんと何やってんだ、あの人……。


 それでこの春から、姉と俺と妹の三人暮らしが始まった。新しくマンションを借りて。しかし、大学生のあの女、自分の通学に便利な場所を選びやがった。そのせいで、俺と妹はとばっちりを受けた、というわけである。

 元々住んでいたところから一番近いため、二人ともこの高校を選んだというのに。詐欺ですよ、詐欺! 消費者センターに訴えてやる、と息巻いたが、姉には鼻で笑われた。


 そして、話を少しずつ元に戻していくが、今日はうちの高校の入学式。当然、妹もそれに参加する義務がある。


『お帰り、お兄ちゃん。やっぱり、瑠璃のために帰ってきてくれたんだね!』

『ああ、俺はシスコンだからな』

『ママに電話しよーっと』

『冗談だ、冗談。姉貴のほうが好きだ』

『……きもちわる』

 それは瑠璃の素の反応だった。


 こんな感じで、帰宅すると見慣れたセーラー服を着た妹が待ち構えていたのだ。いつも思うが、この娘は年不相応に幼いから制服とのアンバランスさが異常だ。それは姉にも言えることだが。あいつ、二十歳超えてるのに未だに年齢確認されるんだって、ぷぷっ。


 ――刹那、なぜか背筋に怖気が走った。俺は思わず姿勢を正す。


 と、とにかく、その後は一緒に昼飯を食べながら、何とか誤解をといた。あ、ちなみにメニューは宅配ピザでした。貴重な出前の日だったのに、俺に選択権はなかった。シースーがよかったなぁ。


『で、一緒に来てくれるんだよね?』

『姉貴は?』

『だから、どうしても外せない大学の授業があるんだって。朝言ったでしょ!』

『嘘つけ、いっつもサボってんじゃねーか!』

『あ、あたしに言わないでよ……』

 少し涙を浮かべるのはズルいと思う。


 別に高校の入学式への保護者同伴は義務付けられているわけではない。任意だ。実際、俺の時は誰も来なかった。しかし、妹はどうしても誰かについてきて欲しいらしい。


 最終的には泣き落としにかかり、俺は渋々ここに出向いたわけだった。制服姿なのは、相応しい洋服が他になかったのと、妹への些細な嫌がらせ……現時点で一番ダメージを食らっているのは俺だけど。

 入場口で止められるは、周りの親たちからは好奇の入り混じった目で見られるは、ろくなことがない。幸い、知り合いに遭遇していないことだけはよかった。


 ふとステージを見ると、見覚えのあるおっさんがいた。今日はよく会うなぁ、ホント。運命感じちゃいます、わたし……みたいな。何言ってんだ、俺。


 至極退屈だった。俺にできるのはこうして過去を後悔したり、周りに一人ツッコミをいれたりするだけ。どこまでも寂しい奴だと思う、自分でも。


 あとどれくらいで終わるんだろう――欠伸を自重することなく、眠気に浸る。腕組みをしたまま、目を閉じると、夢の世界への扉がすぐ間近にあるようだった。

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