鳥の影

 異変に気付いたのは、遺跡から更に南の草原を移動していた時のことだった。

先導していたイスマイーラが、急に、ボラクの頭の向きを変えた。

大河ナムティラクは北東の山々からザハグリムを通り過ぎ、更に西のへガル湾に沿っている。アル・リド王国へ向かうには、大河ナムティラクから離れて砂漠の方へ向かわなければいけないのに、何故かイスマイーラはボラクを大河の方へ向けていた。


「そっちは都市方面だろう。道が違うぞ」


 そうイスマイーラへ声をかけ、ルークは慌てながらイスマイーラを追う。

目の前に広がるのは、何の変哲もない穏やかな平原が広がっている。青い空の彼方には、鳥のような影が二つ見えた。


「ボラクは耳が良く、警戒心の強い生き物だという事は御存じか」


「野兎のように警戒心が強いので、一度逃げ出すと捕まえるのに苦労するのは知っているが。それがどうした」


 彼方をみつめていたイスマイーラの顔が曇った。


「追いついて来たようです」


 イスマイーラが何を言いたいのか、分かってしまった。


「……早過ぎる」


 城から抜け出して半日も経っていない。夜陰やいんに乗じて城を抜け出した自分達を見つけるのはあらかじめ見張っていなければできない。

それとも―――が告げ口をしたか。


「まさか、ダルウィーシュが」


「それは冗談ですか、本気ですか?」


「本気だ。でなければ誰が一両日中に俺達へ追手を差し向けられる」


「そんな事をすればダルウィーシュの命も無事では済まないでしょう。あれでも西守の一人。どんな者であるかは、此度こたびの計画を練ったイダーフ様が一番よくご存知のはずです。それに元々、西守も殿下の派閥も一枚岩ではありませんから、我々の動きを察知した何者かがターリクへ告げ口をしたのかもしれません……もっとも、今は犯人捜しをする余裕がありませんが」


 ボラクが警告の鳴き声を響かせ、更に速度を上げて走り始めた。


「私があれを足止めしている間にお逃げください。先にある青の街の街道で落ち合いましょう。もし一両日中に私が帰らなかったら、街道のどこかに目印一つ記し、街の何処かで待っていてください」


「一人で戦う気か?」


「戦える者が私一人しかおりません。血を見た経験が無い貴方には無謀むぼうが過ぎる。であるならば、貴方だけは黙って逃げた方が宜しいかと」


「俺が足手まといだとでもいうのか。俺だって剣くらいは扱える。剣の上手いイダーフにだって、三本の内一本位はとれるんだぞ!」


「技量の問題ではないのです!」


「ならば何故だ! 俺では駄目だという理由を言ってみせろ。大体、お前一人で戦うには分が悪すぎる。いくら戦いに精通している兵士だからって」


「その兵士が逃げろと言うのです。せめて護衛にもう一人居たら良かったのですが」


 視界の端に現れた黒い影を認めた瞬間、耳がおかしくなってしまいそうな凄まじい音がした。それが、イスマイーラが勢いよく抜刀した音であると理解したときには、影は既に目の前に降り立っていた。

 

 ほのかな赤い光をまとった影。イスマイーラの抜刀すら見えなかったルークが唯一目に出来たのは、空から降ってきた影の背中に刻まれた紋章。

藍色の外套がいとうに銀糸で刺繍ししゅうされた、天秤をくわえたルフ鳥。それはまさしく、魔族狩り専門の特務部隊の象徴しるし


「ばかな」


 おもわず呻いた。うめくしかなかった。

 それを見てしまった後では。


「ルフの天秤だと……!」


 西守が抱えるがやって来た。


(となると、こいつ、スフグリムか)


 スフグリムとは、ルフの天秤に所属する者達の総称だ。その由来は、魔王ワーリスと戦った神の使いに端を発しているという。されど同じ名を持つスフグリムと、ルフの天秤に属する彼らの行いは、神話にある神の使いとは善行と悪行ほどかけ離れていた。片や神に従う者、片や魔族を討滅する者。

どちらが事をしているかなど、知れていた。


「走れ!」


 イスマイーラの鋭い叫びと、スフグリムがルークの方を振り向いたのは同時だった。男と目が合う。口髭を蓄えた壮年の男のようだった。けれど、その顔には生気が一切無い。真っ白な死人しびとのような面構えでルークを一瞥すると、にやりとした。刹那、男の腹に銀色の光が横切った。イスマイーラの剣だった。男はイスマイーラの剣を受け止めきれず、奇妙な声を上げて草原の上に転がり落ちた。その様を、ルークは遠く流れていく景色の中でみつめていた。




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