毒よりも効率の良いやり方

 話し合いが済むと、ルークはボラクのそばに座り込んだ。

 うずくまっているボラクに背を預けると、その身体から薬草の匂いがした。誰かが手当てをしてくれたらしかった。り傷だらけの首元をぼんやりとみていると、ボラクが甘えるように鼻面を寄せてくる。軽く揉んでやると、心地よさそうに目をつむった。


「まだ起きていましたか」


 藍色の闇の中で、はっきりとした黒い影が近づいてきた。その影は長い髪をわずらわしそうに払うと、ルークの前に座り込んだ。鉱石光サナのうすぼんやりとした光が、アズライトの無機質な身体を照らした。


「イスハークを追いかけていた敵は全て片付けられていました。ウィゼル、アリー共に無事、硝子谷へ向かっています」


 ルークはそれを聞いて、ほっとするような溜息を吐いた。


「無事ならそれでいい。次はお前だな。明日の朝、お前も硝子谷へ向かって欲しい」


「ウィゼルの護衛でしょうか?」


「いや、アズライトにも逃げて欲しい。いまならウィゼルやアリー達に追いつけるだろうから、今後は彼女らを頼れ」


 アリーなら快く受け入れてくれるはずだ。イスハークの人々にだって顔も名前も知られているのだから、まず拒否されることはない。


「不服そうだな」


「共に居るつもりでしたので。ルークはどうするつもりですか」


「明日の朝俺達も出立する。二手に分かれてオアシスの水源を潰しに行くことになってな。ここから北のサハル街道と、このイマームだ。水脈を潰されてしまえばいくら敵が強くてもカムールの砂漠は越えられまい」


 もしかしたら、王国軍は引き返すかもしれない。そう思うと、暗くなりがちなルークの心に、希望の光が差しているような気さえする。しかし、アズライトの表情はかんばしいものではなかった。少し考えるような素振りをして、ルークの傍に置いてあった鉱石光サナを皿ごと寄せ、砂の上にカッシートの文字を描きはじめた。


「水脈を潰すのなら、毒よりも効率の良い方法があります」


 そういって、文字を見るように促した。砂の上に描かれていた文字に眉根を寄せる。


 ”オアシスに含まれる壊変性因子マナの濃さを変えましょう。”


 信じられないような面持ちでアズライトをまじまじと見上げた。


「死の病を、蔓延させるのか……?」


「人は高濃度の壊変性因子マナに堪えられるようには造られていません。有効的な攻撃手段かと思います」


 考えつかなかったわけではなかった。むしろ思いついていたからこそ、あえて選択肢から外していた。


 壊変性因子マナは世界を形作るものの一つだ。大地にも、水にも、風にも、ありとあらゆるものに混ざりこんでいる。もしそれを海水から塩を作るように、限りなく濃度を濃くすることが出来たら―――――それを閃いた瞬間、はらの底が冷えるような想いを抱いた。死病の元マナを使えば、確かに多くの人を殺すことが出来るからだ。病ではなく、異物に対する拒絶反応というで。


「貴方は敵の命まで憐れむつもりですか」


「憐れんではない」


 はずだ。だが、恐怖はある。


「あまりにも人が死に過ぎる」


「甘すぎる。もし私が敵なら、補給路から物資を補給できなくなれば周辺の避難民を襲って物資を奪うでしょう。それが出来なければ貴方がたと交戦してでも奪い取ります。それでも間に合わないのなら、その辺に生えている草花を食べ、腹を満たすでしょう。水場が無ければ騎乗している馬や駱駝の乳や尿を飲み、のどを潤すでしょう。剣が折れ、弓矢が使えなくなれば、倒した敵から武器を奪って戦います――――貴方は迷い過ぎている。敵は敵です。倒すことに迷いを抱いてはいけない」


「迷っていない」


「いいえ迷っています。迷っているから、覚悟も出来ないのです」


 図星だった。命令一つで多くの命が失われることを考えると体中の毛が逆立って、腕がぞわぞわとする。いまも薄明りの下で両の手が小刻みに震えていた。


「覚悟なら、とっくにしている」


 アズライトを見るのが辛くて、鉱石光サナの届かない暗闇へと目を逸らした。闇の向こうに小山のような影が沢山あった。彼らを眺めた時、すっと、体の芯が冷えてゆく感覚があった。


(覚悟したのに、何かを命じるのが恐ろしい)


 この場にいる全員の命が自分の両肩に乗っていると思うと、たまらない気持ちになる。


「……ここに書き記したのは、あくまでも提案です」


 絶対ではないとでもいうように、アズライトは再び文字を見るよう促した。


 ”通常、自然の中に含まれる壊変性因子マナは一定しています。大幅に増えることも無ければ、少なくなることもない。それはEtherイーサのせいです。”


Etherイーサとは、なんだ?」


 ”因子マナもの。”


 ルークは眉根を寄せた。


 ”壊変性因子マナは、物質と結びつきやすいのです。だから水にも、大地にも、風にも、世界の全てに混ざり合う事が出来た。人の体にも入り込み、病をもたらした。死の病にかかるのは、取り込んだ壊変性因子マナを身体の中で消化吸収、排出できないせいです。そうであるなら、何らかの形で体の中に入る量を減らせばいい。その考えの下で作られたのが人工物質Etherイーサ。私が竜を殺した時に使った兵器と同じもの。”


 アズライトが前に話してくれた芽吹くものホルシードの最期。全ての動植物達が芽吹くものホルシードの力となり、一斉にアズライト達に襲い掛かってきた。あの恐ろしい支配の力を、アズライトはMCマナ・キャンセラーという兵器で使えなくした。


 ”古代人達はEtherイーサを世界全体に流しました。空の彼方、はるか上空の強い風の力を使って。”


 ルークは眉根を寄せた。


壊変性因子マナを取り除いたのなら、とっくに魔法クオリアも死の病も無くなっているはずだが」


「確かにEtherイーサさえ流してしまえば、壊変性因子マナを根幹から排除出来るようになります。病も根絶されていたでしょう。けれど、古代人たちはそうしなかった」


「何故だ」


「この星の元々の生態系に狂いが生じてしまうからです。前にも言ったでしょう、この星の生き物たちは、この星の環境に合わせて今の姿を保っている。壊変性因子マナが無くなれば生きていられない者達ばかりなのです。なので、人間は壊変性因子マナの活動だけを抑えるよう、Etherイーサを極力薄めて噴霧したのです。昔からずっと。この現代まで」


 アズライトが空を見上げたのと同じように、ルークもまた、空を見上げた。塗りこめたような暗闇の中で、銀砂のような星々が瞬いている時々、黒々とした雲の影がゆっくりと流れてゆくのが見えた。アズライトはきつい目つきでルークを睨んだ。


「私なら、オアシスに溶け込んでいるEtherイーサを操作して壊変性因子マナを増やすことが出来る。そうすれば、遥かに早く、多くの敵を倒すことが出来るでしょう」


「それを、俺に命じろというか」


 その通りだと、アズライトは頷いた。答えに窮するように、ルークはぐっと唾を飲み込んだ。


「考える時間が欲しい」


「こちらを発つ前に、決断を」


 そう言ってアズライトは立ち上がると、またどこかへ去って行ってしまった。


(多くの者が病に罹れば、サルマンも軍を引き上げざるを得なくなるだろう。だが、その分だけ病に罹る者が増える)


 もしかしたら病を乗り越えて魔族になってしまう者も現れるかもしれない。そうなったら、サルマンはどう動くだろう。いいや、もっと言えば戦争を終えて戻ってきたカムールの民達は、どうなるのだろう。


 戦争よりも遥かに多くの苦しみが生まれてしまうのではないか?


 頭ではアズライトの言っていることは分かる。死病が蔓延したとなれば、戦争をしているどころではなくなる。なし崩し的に両国は休戦し、早急に問題の解決にとりかかるだろう。このカムールへ学者を送り、壊変性因子マナについて調べ、必要とあれば互いの知識を共有し、手を結ぶこともあるかもしれない。そうなれば、アル・リド王国との同盟も夢ではなくなる。魅力的な提案。幾人もの人々の命が失われるだけで、アル・カマル皇国の平和は維持される。その為にはたった一言、アズライトに命じればいい。


 と。たった一言だけで、平和のために沢山の命が次々と消えてくれるだろう。


 不意に、短いながら過ごしたカムールの生活が思い起こされた。そこに住まうハリルやアリー、キーアやラビたち。多くの名の知れない人々の顔。思い浮かべるだけで、胸の奥からこみ上げてくるものがあった。鈍い痛みだ。奥底から湧き上がってくる重苦しい痛みに、ぎゅっと目を閉じる。瞼を透かして光が見えた。朝日だった。軽く頭を振ると、ゆっくりと起き上がった。薄藍の闇の向こうでは、すでに人影が動き出していた。駱駝に荷を背負わせたり、ある者は干した肉を噛みながら闇の向こうに厳しい目を向けている。


「眠れなかったようですね」


 気付かぬうちに傍に来ていたのだろう。アズライトが隣で佇んでいた。


「誰のせいだと思っているんだ」


 アズライトの口元が薄く笑みを刻んだ。金色の瞳は、まるで何かを期待するような輝きが浮かんでいる。


「それで?」


 促すような訊ねかけに、ゆっくりと首を振った。


壊変性因子マナを使うのは、最後の手段だ」


「それでは遅い。水脈潰しと同じ時期にやらなければ効果はありません。敵はすぐそばまで迫っているのですよ」


「分かってる」


「分かっていません」


「わかってる。お前のいう事が一番良いのも、俺達が血を流さずにいられる最善の方法なのかもしれないのも。でも、それでも無駄に人を苦しめたくない」


「戦争である以上、多くが苦しみます」


「俺はそこまでしたくない」


「平和的な解決を望んでいるのなら、時期が遅すぎます」


 かすかに息を吸い、吐き捨てた。


「わかってる。それでも、したくないんだ」


 顔を背けたルークに、アズライトは口を引き結んだ。

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