闇に燈火を

「カダーシュ様、ご無事ですか!」


 そうだった。溜息をつきたくなる。なんてことをしてしまったのだろう。

ついさっきダルウィーシュを追いかけて騒ぎを起こしたばかりだったじゃないか。その場に居合わせた兵士に、僕はなんて叫んだ?

捕まえろと叫んでいなかったか?

でも、兵士は僕の要求に答えなかった。

なのに今更来るのか。今更白々しく僕の無事を確認するのか。

ああ、僕は彼らになんて言えばいいんだ?


「それ以上近づけば殿下を殺します!」


 言い淀むカダーシュの首元に、ダルウィーシュの短剣が伸びた。そして、一瞬だけカダーシュに悔いるような眼差しを向けた。


「ダルウィーシュ、それは、だめだ」


 ダルウィーシュの瞳は、やってきた喧騒に注がれていた。

 殿下を離せ。剣を離せ。おい、死体があるぞ。いや、この有様は一体なんだ。神官の身柄をこちらに。何も知らない彼らが、何もかもを知っている彼へ剣を向けた。まるで、ダルウィーシュが全て悪いような顔つきで責め立てる。それがいたたまれなくて、カダーシュはダルウィーシュへ囁いた。


「お願いですダルウィーシュ、剣を離してください。大人しく投降すれば皇族に剣を向けた罪くらいは減ぜられます。いえ、貴方達の勇気に免じて、僕が貴方達に罪がかぶらぬように守ります。だから僕の言う通りにしてください。でなければ今ここで殺されます」


 皇子に剣を向ければ叛意ありとして裁かれる。それが分かっているからこそ剣を捨てろと言うのに、ダルウィーシュは苦く微笑むばかり。


「そのお気持ちだけ、有難く」


 その言葉に含まれる感情に目を見張った瞬間、カダーシュの体はダルウィーシュの腕から離れていた。やがて、ダルウィーシュは短剣を自らの胸に当て、切っ先を胸に埋めようとふりかぶる。そこへ踏み込んできた一人の兵士がダルウィーシュの腕を短剣ごと斬り飛ばした。


「彼を医術師の元へ運べ!」


 くずおれるダルウィーシュへ殺到する兵士に、カダーシュは何度も叫んだ。彼を殺すなと。




 事件の後、カダーシュは南の離宮で蟄居ちっきょを言い渡された。

とはいえ、蟄居ちっきょという割に外出も出来るし、命じればある程度の事はなんでもできる。けれどもそれは条件付きだ。外出の際は従者と兵士がカダーシュの身の回りに付き添うことになるし、居室にいたとしても常に一人以上の従者と兵士が傍にいる。

長椅子でうつむいているカダーシュを、美の神が彫琢ちょうたくしたかのような美形が睨んでいた。ルシュディアークの一件について独自に調べたいというカダーシュの要望を飲んだもう一人。かつて神童と呼ばれた男が溜息をついた。


「ダルウィーシュが捕らえられたと聞いた時には、肝を冷やしましたよ」


「ダルウィーシュだけが悪いわけじゃないんです」


 カダーシュには、ダルウィーシュがとった行動の全てがわかっていた。

遺体を盗んだのは、遺体が流民の子供のものだから皇族の眠る墳墓に入れたくなかったからだ。カダーシュを人質に取ったのも、カダーシュとシーリーンにとがが及ぶのを恐れたためで、自ら死のうとしたのは周囲を騙し続けてきた自分自身を制裁するため。ダルウィーシュの機転で、カダーシュもシーリーンも注意を受けただけで済んだ。

けれども、事情を知る者と知らない者との間にあるものは、事実に対する感情という名の深い谷。前提とする情報を知らない者が大勢いる今、ダルウィーシュは皇子を殺そうとした罪人に仕立て上げられようとしている。


「ダルウィーシュは自ら望んであんなことをした訳ではないんです。ねえ、ダルウィーシュを許してあげることは出来ませんか。元はと言えば、僕が向こう見ずに行動してしまったせいなんです。彼は悪くない。悪いのは僕と、ダルウィーシュに命令をしたイダーフの義兄上だ」


 どうか、牢にいるダルウィーシュに、弁明の機会を与えてやって欲しい。そうすがり付くカダーシュの手を、ジャーファルは丁寧に払った。


「なりません。彼を牢から出せば、殿下の巻き添えを食らったという理由で解放されたシーリーン様にも咎が及ぶでしょう。もっと言えば、彼女の父君であるファイサル将軍にも咎が及ぶ。有事である今、ファイサル将軍に不祥事をがあっては困るのです」


「では、ダルウィーシュの行った行動は、あの場においては正解だったと!?」


 そんなのは間違っている。怒りに燃えたカダーシュを、ジャーファルは静かに見下ろした。


「地下に隠した他人の遺体とそれを隠した理由を、殿下は二人に説明させるおつもりですか」


「僕が説明します。ルシュディアークの義兄上の身に起こったことと、彼らがイダーフの義兄上に頼まれて遺体を隠したということも。皇子である僕が全部説明します」


「それを、誰に言うのです?」


 ジャーファルの問いかけに針のような鋭さが混じる。声色は穏やかなのに、酷く責められている気がして、カダーシュは一瞬言葉に詰まった。


「……まずイダーフの義兄上にお話します。ダルウィーシュから聞いた話の真偽を確かめてから、もう一度法廷を開きます。そこでルシュディアークの義兄上が有罪であるとのたまった奴らに本当のことを突きつけてやるんです。そして義兄上の罪を取り消してもらいます。返上されてしまった皇籍も戻してもらいます。それから―――」


 今は国境か、隣国に入ったかは分からないけれど、ルシュディアークの義兄上がまだ生きているのなら、彼をこの国に連れ戻さなければ。そう言いたいのに、冷静で冷酷な自分が囁きかける。


 ”ルシュディアークの罪は消えても、ダルウィーシュとシーリーンの罪は消えない”と。


「その後、ダルウィーシュとシーリーン様のお立場はどうなされます」


「僕が、彼らが悪い立場に追いやられないように周りを説得を……」


 説得をして、頷いてくれる味方はいるのか?

 それだけの力が、僕にあるのか。

 

「僕は、僕……には」


 二人の義兄達のような、人に与える力が無い。

 イダーフのように、人を従わせる力が無い。

 ルシュディアークのように、人を守る力が無い。

 カダーシュの瞳から、力が消えた。


僭越せんえつながら、ダルウィーシュはイダーフ様の命令を忠実に為した臣下です。そしてシーリーン様は、ルシュディアーク様との縁談が破棄された後も、故郷に戻っても良いお話が得られぬと知ったイダーフ様ので神官の地位を与えらたのです。お二人とも、イダーフ様に守られてその立場にいる。それを貴方が壊しては彼らの立つ瀬がないではありませんか」


「……ではどうしろというのです。本当のことを黙っていろと言うのですか」


「その方が良いこともあるかと」


 やっと、ルシュディアークが無実である可能性を見つけたのに。

 カダーシュの、握りしめた拳の上に、一粒の雫が落ちた。


「もうよい、その辺にしておけ、ジャーファルよ」


 耳に響く優しい声色に、カダーシュは顔を上げた。

 

「そろそろ気は済んだか、カダーシュ」


 あやすような声色を、カダーシュは睨んだ。





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