選ばれなかった者達 1

「茶番の理由をお聞かせください、イダーフの義兄上。どうしてルシュディアークの義兄上を助けちゃ駄目なんですか!」


 証拠も証言もそろっている。あとは法廷を開いて、皆に証明するだけでルシュディアークは再び城に戻って来られるようになる。シーリーンやダルウィーシュの立場を考えろと言われたけれど、彼らの罪を減じるようにはからえば、思うほど悪いことにはならないはずなのに。

どうして誰も彼もが否定するのか。


「ルシュディアークの義兄上が犠牲になれば全てが丸く収まるなんて、そんな理不尽があっていいはずがない。義兄上、もう一度、ルシュディアークの義兄上のために法廷を開いてください。そこでダルウィーシュとシーリーンに本当のことを話してもらいましょう。そして、ルシュディアークの義兄上が生きていることも―――!」


「そなたの意向は汲めん。諦めよ」


「どうしてですか、あにうえ!」


「ならぬものは、ならん。そういうことだ」


 さっと、怒気がカダーシュの顔を彩った。


「本当は鉄女神マルドゥークと意を交わせられないからルシュディアークの義兄上のことをねたんでいるんでしょう!」


 イダーフに鉄女神マルドゥークと意を交わす力が無いと聞いた時、カダーシュは、苦い気持ちでいっぱいになった。イダーフは第一皇子だ。皇主カリフになるために生まれ、これまでずっとそのためだけに生きてきたのに、国家の象徴ちからでもある鉄女神マルドゥークに選ばれなかったなんて。これほどの屈辱があるだろうか。存在意義を失いかねないほどの衝撃だったに違いないのに、


「いいや、まったく」


 なんて涼しげな顔つきで否定するイダーフが不思議でならなかった。

イダーフは思案するように腕を組むと、そばにいたジャーファルと従者を振り返った。


「少し、カダーシュと二人で話がしたい。席を外してもらえるか」


 二人は少しだけ驚いた表情をすると、深く礼をしてから部屋を出て行った。二人だけになった部屋の中、イダーフは部屋の隅に置かれていた椅子をとると、そこへ腰かけ、息を吐いた。


「その程度であやつを追い出すわけがあるか。事の仔細をダルウィーシュとジャーファルから聞いていたはずだが……納得できなかったようだな」


「出来るわけがないでしょう」


 睨むカダーシュに、イダーフは薄く微笑んだ。


「そなたは、私が鉄女神マルドゥークと意を交わす力がないことをねたんだからルシュディアークを城から追い出したと思っているだろうが、それは違う。あれに対してねたみなどない。ああいや、まあ、子供の頃は少しばかりねたんだこともあったが、時が過ぎれば忘れ去る程度のことだ。それよりも肉親としての情の方が勝っただけのこと。それがなければとっくにルシュディアークを殺していたろうよ……どうした、女に頬を張られたような顔をして。そんなに意外か?」


「肉親の情があったからルシュディアークの義兄上を追い出したなんて滅茶苦茶もいいところです」


「……そなたはルシュディアークと一緒にいたせいか、言うこともあれにそっくりだな。まあよい。素直に訊ねてくれた礼として、そなたの問いかけに答えてやろう」


 そう言って、表情を改めた。


「あれはな、この城にいてはならんのだ」


「何故ですか。第二皇位継承者で、僕たちの家族で、鉄女神マルドゥークと意を交わせる神子であるルシュディアークの義兄上を手放す方が危険ではないのですか」


 手放したとしても、目の届く範囲内にはいてもらう。そのほうが、何かがあった時にルシュディアークを守ることができる。なのにそれすら手放し、遠くへ行く自由を与えてしまったイダーフの考えが分からず、カダーシュは眉をひそめた。


「城にいるのが危険なら、地方の領主にかくまってもらえばよかったでしょう」


「既にやったわ。アル・リド王国へだがな」


 椅子から立ち上がると、イダーフは窓の外を睨み、嘆息した。


「もとを言えば、母上の先祖はアル・リド王国に居たのだ。その母上の先祖をこの国へ戻したのが、アル・リド王国国王ガリエヌスの弟、ロスタムだ。戻ってきた先祖に貴族としての位と領地を与え、当時の皇主そふは父に母上を嫁がせた」


「アル・リド王国側は全てを知っているのですね」


 イダーフは首を横に振った。


「いや、事情を知るのはロスタムだけだ。まあ、知っていたとしてもガリエヌスとサルマンではその程度の真実で動くまいよ。まして、我が国では皇主ちち緘口令かんこうれいを敷いていた」


「実際にどう動くかなど分からないのに、よく言いきれますね。もしかしたら、ルシュディアークの義兄上を人質にとっているかもわからないのに」


「捕らえられていた方がよいのだ」


 そのほうが都合がよいとイダーフは言い切った。


「ルシュディアークをアル・リド王国へ向かわせたのは、同盟のためであるのは聞いたであろう。殺す以外は人質として如何様いかようにも使って構わんと文をしたためた。そなたには単一の理由しかないと感じただろうがそうでもない」


「表向きの理由は同盟。裏の理由はルシュディアークの義兄上をかくまうため。二つの理由があったのでしょう」


 ああ、と、イダーフは頷いた。


「ガリエヌスとサルマンはルシュディアークの秘密を知らんから、その文の通りに受け取るであろう。いや、秘密を知っていたとしても理解をせんか。あれは元々、先史の文明が残した兵器について懐疑的な見方をしていてな。あっても使えんなら不要と考える性質なのだ。鉄女神マルドゥークが目の前に現れて辺り一面焼け野原にせぬ限り信じぬ。ゆえに、アル・リド王国はある程度、我が国にとってはだったのだ。同盟を組むのも、ルシュディアークをかくまうのもな」


 そういったとたん、大きな溜息をついた。


「戦争という予想外の方向に転がってしまったのは悲劇でしかなかったが、エル・ヴィエーラ聖王国に対するよりはまだだ」


 エル・ヴィエーラ聖王国は、先史の文明に詳しく、それを研究する専門の学術組織がある。鉄女神マルドゥークを擁するアル・カマル皇国にとっては、危険すぎる国だった。


「ときにカダーシュよ、イブティサームがエル・ヴィエーラ聖王国の使者と親しくしていたのは話に聞いていたな?」


「はい。税を定める者達がイブティサームの命令で税をごまかし、ごまかした分の税と我が国で出土した遺物をイブティサームがマルズィエフに渡し、それを今度はエル・ヴィエーラ聖王国に流していたことでしょう」


「そこまで調べたか」


 ルシュディアークの箱の中に入っていた紙に書かれていたことが本当に正しいかどうか、あとで調べようと思っていたが、イダーフの返答は、紙に書かれていたことが正しいことを証明してくれていた。カダーシュは抱えていた銀の箱に視線を落とすと、続けた。


「ここからは僕の推測ですが、マルズィエフがイブティサームに遺産遺跡保護協会のことを話したのでしょう。はじめは、取引先として金払いがよいなんていう軽い理由だったのだと思います。そこでマルズィエフはルーシィという人物と出会い、イブティサームに紹介をした。そしてルーシィは、イブティサームの求めに応じて鉄女神マルドゥークと縁の深い義兄上達に近づいた。そう考えれば、イブティサームが義兄上達のことを知ってしまったのも納得がゆくように思うのです」


「実際そうだったのだろうな。でなければイブティサームとルーシィが繋がる道理が無い」


「義兄上、マルズィエフを捕まえましょう。彼はきっかけを作った罪人です」


 途端に、イダーフは顔を曇らせた。


「一歩遅かったようだ。大分だいぶ前にマルズィエフの屋敷で騒動があってな、奴はそれから雲隠れをしている。今はどこぞにかくまわれているか、エル・ヴィエーラ聖王国にでも逃げ出したか」


「追っ手は」


「向けている。じきに連絡が来るであろうが、それよりもルーシィから話を聞いたほうがよさそうでもあるな」


「ならば、ルーシィを捕らえましょう。遺産遺跡保護協会はエル・ヴィエーラ聖王国の傘下に収まっているとはいえ、あれはただの学者の集まり。国家である僕たちが懸念するような相手ではありません。可能なら過去に我が国にしてのけた強引な調査を糾弾きゅうだんしてエル・ヴィエーラ聖王国からの謝罪を受けてもいいところかと」


「ルーシィが捕らえるのも悪い話ではないが、まあ、人ではないゆえ、それは無理だ」


「は?」


 人ではない、というのは、どういうことか。


「あれは人ではないのだ。正しくは我が国の前身、カッシート連合王国のいわばだ。そなたも聞いたことがあろう。神の色を分け与えられた人形の話を」


 遥かな昔のこの国で造られた、戦争用の人形。決して人では持ちえない青を持つ髪と、金の瞳の人の形をした


「それが、エル・ヴィエーラ聖王国には数体おってな。ルーシィはその中の一体だ」


 静かに語るイダーフの顔は、恐怖で強張っていた。


「初めにイブティサームから紹介されたとき、臆面もなく私に正体を晒してきた。何かの冗談かと思った。しかも私に好意的とくれば、もはやあやつの挙動は不気味としか言いようがない」


 参ってしまったように頭を抱えたイダーフを、カダーシュは呆然ぼうぜんと見つめた。


「最初にやつは、私へこう言った。遺産遺跡保護協会の者として鉄女神マルドゥークを引き渡してほしいと。あやつの本分は遺産遺跡保護協会だ。当たり前のことなのだろうが私にはあれの話す言葉の端々に、個人的に鉄女神マルドゥークが欲しいのだという本音が読み取れてしかたがなかった」


「神のごとき力ですから、欲をかけば欲しがるのも道理かと」


「人形に野心など無い」


 あるとすれば目的しかないとイダーフは言う。


「その目的とやらが気になってたまらぬのだ」


 嫌な予感がすると、腕をさするイダーフの顔は、青白かった。


「先史が辿った歴史を知れば、その目的などろくなものではなかろう。私の杞憂きゆうかもしれぬ。しかしな、ルーシィに会うたびに嫌な予感が付きまとって離れぬ。ゆえに、アル・リド王国のロスタムに文をやったのだ」


「それで、ルシュディアークの義兄上には構うなと……」


 イダーフは頷いた。


「戦争になってしまったが、それでもここにいるよりは良い。ルシュディアークがここにいれば、遠からずルーシィと接触するだろうからな。私は、その時が一番怖いと思っている」


 単なる思い過ごしだと笑われるかもしれない。しかし、嫌な予感がしてならないのだと、イダーフは唇を噛んだ。


「ゆえにな、あれは助けぬ方が良いのだ」



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