知る者と知らぬ者
五年前の皇主盟約の
その中で決められたものの一つが、戦時における後方支援のやり方だった。
戦場で必要となる武器や、兵士の足となる騎馬の追加。前線で戦う兵士達の食料、戦傷兵の救援や、情報の伝達は戦時下ではなくてはならないもので、これらのいずれかが一つでも欠けてしまえば前線で戦っている部隊は立ち行かなくなってしまう。
カムールの
「拠点を長く維持し続けることで敵から狙われやすくなるのであれば、乾季や雨季を待たず、常に移動したらどうか」
最初に提案したのは、南カムール領主アクタルだった。驚くべきことに、この提案に北カムール領主のニザルが控えめな同意を示した。遊牧と交易を生業とする
「移動時の連絡手段に
「これに加えてアル・カマル皇国軍がカムールの
「それは何故か」
アクタルからの厳しい視線を、ニザルは冷静に受け止めた。
「単純な話だ。皇国軍が控えている硝子谷はザハグリムなどと近い。それに加えて道のりは平坦で一度に運搬出来る物資の量も多いとなれば自明だろうよ。それに、間に第三者を挟まぬ方が、軍と
この言葉によって、アル・カマル皇国軍は自軍の陣から支援を得るという方策に決まった。もし例外があるとすれば、
ゆえに、そのことを夫であるウラスから聞いていたサラームは、気が付いてしまった。戦線から遠く離れた北カムールまで馬でやってきて、物資の支援を頼み込む彼らは、アル・カマル皇国軍の兵士ではないと。
タウルはその取り決めを知らなかった。皇主盟約が結ばれるより二十年も昔にアル・カマル皇国の民ではなくなってしまっていたからだ。
サラームは老いた頭で必死に考えた。イスハーク氏族長の妻として、なにがイスハークの為になるのかを。夫を裏切らぬために抵抗して命を散らすか。あるいは夫君からの叱責を覚悟して、敵に物資を分け与えるか。
タウルが、痺れを切らしたように溜息を吐いた。
「やめだ、やめ。面倒臭い」
どすんと、何かが倒れる音がした。
「兵士ではない者を無暗に殺すなと、あれほど言っただろう!?」
「不審がられてるのに演技なんかやってられるか」
タウルは、サラームの表情を読み、疑われているのを察してしまったらしい。
「協力なんて仰げるわけがない」
タウルがつまらなそうな声色で命令を発した。
「奪え」
重い物が倒れた音に、天幕の中にいた誰もが時を止めたかのように静止した。重苦しい空気の中で、イスマイーラが低い声で呟いた。
「我が軍に、イブリースという名の偵察支援隊は、ありません」
イスマイーラの言葉が、ルークの中にゆっくりと浸透する。
「サラームさんは……」
アリーが呟いた。救いを求めるような眼差しを向けられたイスマイーラが、言い辛そうに俯く。言葉にしなくても、天幕の外から漏れ聞こえてくる
「……出来るだけ壁から離れて、中央にうずくまっていてください」
イスマイーラが言い終わるや否や、悲鳴が耳を
「坊やに腹を据えておけって言った癖して。まず腹を据えなきゃならなかったのは、あたしらのほうだったね……」
出入り口に垂れ下がった布が勢いよくめくられた。イスマイーラは躊躇なく抜刀し、飛び出してきた影へ剣を突きこんだ。まろびいでたのは、覆面の男。腹に曲剣を突き立てられたまま、棒立ちしていた。剣を引き抜かれると、糸が切れたように倒れ伏した。イスマイーラは刃についた血糊をぬぐいもせずに押し入ってきたもう一人を斬りふせた。待ち伏せされていた事にも気づかず、肩口から胸までを切り裂かれて、もう一人の男も仰向けに倒れた。イスマイーラはそれらを天幕の外へ蹴りだすと、ちらりと外を伺った。
赤い光が天幕の内側に洩れてきた。風に乗って焦げ臭い匂いが漂っている。争い合う音は途絶える事なく続いているようだった。怒鳴り声も、悲鳴も、
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