それぞれが、できることを

「……この状況で逃げるのは少し難しいか」


 全力で走って逃げても相手の方が馬に乗っているぶん速い。逃げるならどうにかして馬を手に入れなければならないが、それも難しいだろう。天幕の中で耐えることも思いついたけれど、火を放たれている以上、長居は出来ない。難しい顔つきで黙り込んだルークを、イスマイーラは苦い表情で見下ろした。ふと、何かを言おうとして、開きかけた唇を閉ざした。

沸き起こった想いを消すように、イスマイーラは顔を天幕の外へ向けた。


「私が行きます」


「また一人で行く気か?」


 イスマイーラから喉元に剣を突きつけられるような視線を浴びた。首筋から鳥肌が立つのを感じながら、ルークも負けじとイスマイーラを睨む。


「もう、お前一人だけに負担を強いるようなことはしたくない」


 第一皇子イダーフの命令に背いてまで時間を与えてくれたイスマイーラを、都合のいい手駒のように扱いたくはなかった。


「今度こそ一緒に戦う」


 イスマイーラの眉が、僅かにしかめられた。


「……無いのでしょう?」


 覚悟を問いかけるような眼差しへ、ルークは静かに首を振る。


「最初にお前と離れ離れになった時に、スフグリムを殺した。お前の言う人を殺める覚悟はもう、とっくに経験してきているんだ」


 イスマイーラが何とも言えない表情を浮かべた。刃に命を賭けて殺し合う場で人を傷つけたことが無いのと、あるのとでは心理的に大きな違いが出る。心根次第で戦い方も変わってしまう。人を殺した事のない者は他者を殺める際に躊躇ちゅうちょをする。相手を傷つける事への罪悪と恐怖が行動を制限するからだ。しかし人を殺した事のある者は、ある程度それを抑えることが出来る。剣を抜き放った段階で覚悟を決めているからだ。だから、殺し合いの場で取るべき行動に躊躇ためらいが無い。

それを、スフグリムと戦った時に身をもって知った。


「俺も戦う」


「残されたウィゼル達はどうするのです?」


「こっちのことは気にしないでおくれ」


 割って入ったのは、アリーだった。


「お嬢ちゃん二人くらいは守れるよ。なんたって、五年前の経験者だからね」


 アリーは奥から引っ張り出してきた使い古しの弓矢を手に、不敵に笑ってみせた。


「私もいます」


 ずっと黙ったまま二人を眺めていたアズライトが、微かに笑んだ。アリーが眉をひそめた。


「……あんた、丸腰じゃないかい?」


 アリーに重ねるように、ルークも訊ねた。


魔法クオリア無しで、どこまでやれる?」


「原始的な方法でなら、一度に五人は相手にできます。ですがこの場合は魔法クオリアを使った方が良いのでは」


「それは止めてくれ。魔法クオリアは不意を突くには丁度良いかもしれないが、使った後が面倒なんだ」


(それに、ウィゼルの怪我のこともある)


 ウィゼルに視線をやると、凍り付いた表情のまま全員を眺めていた。呼吸をしているのかどうかすら危うい顔が、僅かに歪む。


(……動揺するな。闇雲に飛び出して、追い払える相手じゃない)


 ルークは気持ちを落ち着かせようと腹に力を込め、言った。


「誰も彼も、お前一人が守らなければいけないほど無力じゃない。だから、それぞれが出来る事をしよう。それで良いな、イスマイーラ」


イスマイーラが、あきらめたように溜息を吐いた。




当サイトに掲載されている写真、イラスト、文章の著作権は早瀬史啓に帰属します。無断での複製・製造・使用を全面的に禁止します。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る