信ずるに値する対価を

 バラクが指名したのは、ジアだった。

 彼は三十過ぎの寡黙かもくな大男で、滅多なことでは感情を露にしない人物だった。ジアはバラクから事情を説明されると、重々しく頷いた。彼もまた、イスマイーラにはひっかかりを覚えていたのだった。


「緒戦に砂上戦闘の得意な者達が多かったのも、イブリースの放ったサクルにカムール式の結縄キープが結わえられていたという報告があったのもひっかかっていたが……それ以上に気になることがあった」


「というと?」


「イブリースの連中の剣の振り方と、イスマイーラの剣の振り方が似ている気した」


「似ている?」


「というより、俺には同一のものに見えた」


 偶然にしては出来過ぎていた。


「イスマイーラもイブリースの連中も、必ず左足から踏み込んでいた。剣の扱い方も少し特殊でな。俺達は剣を叩き切るようにして振るうが、あいつらのは違う。撫でるようにして斬るんだ。まるで剣舞でも踊っているように流麗に」


 二度しかなかった戦闘の合間に、よくもそこまで見ていたものだとバラクは目を丸くした。


「偶然では?」


「足運びまで似るはずがないだろう」


 ジアが思案するような顔つきを浮かべた。


「大抵の剣術は師から教わるだろう。剣の振り方、足の運び方。身体のさばき方から呼吸の仕方に心根の持ち方まで。教える者の全てを身に宿す。だからこそ教わる方にが移ることがある。その癖が他の師から教わった他人と同じであることは滅多に無い。しかもイスマイーラとイブリースの連中がいた場所はこの国と、アル・リドだ。いいか他国だぞ、他国。北カムールの辺境で子供達を集めて剣術を教えるのとはわけが違う」


「国をまたぐほどの実力のある師から教えを請うたということも」


「そんな大剣士がいれば、俺だって噂くらいは耳にしている。お前はどうだ。そこまでの大剣士がこの国を訪れたという噂を耳にしたことがあったか?」


 バラクは難しい顔つきで首を振った。


「離れた地域のくせに同じ剣術を使っていたのが、俺には気になって仕方がない」


「しかしイスマイーラはシリルです。アル・リド王国にいた時期がある。その時にやつらイブリースと同じ師に教えられたのかも」


「繋がりがあればだが……いや、もしかしたら奴らも、シリルなのかもしれん」


 あり得ないという顔つきを浮かべたのは、バラクの方だった。


「だって、シリルはアル・リド王国では卑賤ひせんの民で、犬畜生以下の扱いを受けているんですよ。兵士になんかなれるわけが……」


「とにかく、イスマイーラとユベール達を探ってみよう。もしかしたら、何か分かるかもしれん」


 ジアは互いに決して口外しないという誓いを立て、イスマイーラのいる天幕へ近付いていった。近づくと、何事かを話し合っている最中だったようで、中からひそひそと囁くような声が聞こえていた。周りに誰もいないことを確かめると、天幕の影に身をひそめて中の会話に耳を傾けた。


「まず、こちらを読んでください」


 中にはユベールと二人の男、そしてイスマイーラしかいないらしく、それ以外の気配はなかった。息を詰めるような気配の中で、何者かが何かを渡す音がする。


「それの処分は貴方に任せます。返答だけお聞かせ願えれば、俺が渡りをつけましょう」


「……分かりました」


 ユベールの言葉にイスマイーラが応じた。穏やかなユベールとは対照的に、イスマイーラの声は固い。


「お尋ねの水場についてですが、先頃お伝えしたように、イマームとサハル街道は使用できないと考えてください。それ以外のムト、ジャバードは水脈潰しが使われていません。損害を避けるならば、そちらを迂回うかいされた方が宜しいかと思います」


「遠回りになりますね。ムトとジャバード以外に道はないのですか」


「二つだけ。一つはクヴェールの砂岩屈から北東へ進んだところに小さな川が流れている所があります。周りは切り岩山で囲まれていますから、移動しているところを発見される可能性は低いでしょう」


「来た道を戻ることになるのですか。それは面倒だ」


「近道ならありますが、 駱駝らくだを連れていない貴方がたでは少々厳しいかと。このサハル街道の東に砂丘があるのですが、そこを横切って硝子谷まで行く道があります。しかし、そこには水場がありません。周囲の砂は厚く、時折強く風が吹くせいで砂吹雪となる。岩のような遮蔽物が無いので、砂吹雪が通り過ぎるまで休むことも出来ないでしょう」


「それでは遭難者が出てしまいますね。それで、もう一つは」


「我々の後をついてゆく。もちろん発見される危険性が高いですが、良い案内になるでしょう」


 ユベールが、含むような笑い声をあげた。


「一番安全かつ、大胆な方法ですね。しかしながら確かな方法だ。毒を投じたオアシスも、場所さえ分かれば避ける事が出来る」


「しかし、サルマン王子たちが難儀をするかもしれません。先発隊の規模は五千だとか。毒を撒いたオアシスを避け、五千もの人間と馬の喉を潤すには不足が出る」


 馬ではなく、駱駝らくだを連れてくればよかったのではないのかと言いたげなイスマイーラに、ユベールは静かに告げた。


「確かに足りないでしょう。サルマン殿下が率いる先発隊の多くは馬です。渇きに強い駱駝らくだよりも繊細で、十分な休養と水場を多く必要とする。しかし、カムールさえ越えたらその問題は無くなる。硝子谷からアル・カマル皇国までは緑が多く、大河ナムティラクがある。我々の問題は、はじめて我々の利点となる」


 戦において優位性を示すのは、騎馬の――――平原では、駱駝らくだは馬の足にかなわない。


「正直予想外でしたよ。自分達の水場に毒を撒くなんて方法を他ならぬ遊牧民ベドウィンの貴方がたが取ったのは。カムールは広大な土地ですが牧地にするには場所が限られている。貴重であるはずの場所を自ら穢すなんて、普通に考えたらしませんよ」


「……カムールの遊牧民ベドウィンにとっては相手を攻めるための常套手段だったようです。五年ほど前まで北と南で争い合っていましたから」 


「へぇ、それはまた何故です?」


 興味深そうに訊ねるユベールへ、イスマイーラはシリルの一件が発端で領主同士が不仲に陥ったことが原因であることを説明した。すると、ユベールは愉快そうな声で、「なるほど」と呟いた。


は揃っているんですね」


 、とは言わない。それは誰しもが考え得ることだ。カムール騎兵達の弱みでもあるそれに、ジアは眉をひそめた。


なのか)


 不和をもたらし、内部からの崩壊を誘う。結束力に乏しいカムールの騎兵達はルシュディアークという存在によって瓦解寸前のところを踏みとどまっているようなものだ。そこを突かれては、騎兵としての存在意義を失いかねない。そればかりか五年前の内乱が再び繰り返されるかもしれない。五年前の惨状を思い出しかけたジアを、ユベールの声が現実へ引き戻した。


「貴方がたについてはタウルから散々聞かせてもらいましたよ。よく、亡命出来ましたね。シリルの氏族長からの支援があったとか聞きましたが……もしかしてそちらの筋でしたか?」


「いいえ。氏族長筋であるのなら、私はこの場にいる事すら許されないでしょう」


「氏族長筋はあの塀の中から出てこれない取り決めがあるんですか。へぇ、知らなかった。ああ、責めている訳ではなくて。私はシリルではありませんので。でも、よくおやりになられましたね。一体どんな知古を頼れば卑賤ひせんの扱いから脱せられたのか……」


 イスマイーラが気を害したように溜息を洩らした。


「話は終わりでしょうか」


「最後になりますが、貴方の意志を確かめるために手土産を頂きたい。そうすれば俺も貴方も、安心して背中を任せられる」


「手土産?」


 イスマイーラの気配が緊張していた。ピリピリとする空気の中で、ユベールの声だけが柔らかかった。


「貴方と共に居た第二皇子。身柄を俺達に渡してください。付き添う許可を貰っている貴方ならば、連れ出すことくらい楽ですよね」


「北カムール領主の子息との交流がありますから、勝手に連れ出せば騎兵れんちゅうが動きます」


「サルマン王子との話し合いの席を設けるという口上でなら、上手く連れ出せるでしょう。元々は同盟を組むために我々の所に来る予定だったのでしょう?」


「生憎、戦争で反故ほごになりましたが」


「だったら良い機会だと思いませんか。貴方の同胞がこちらにも大勢いますが、彼らの貴方に対する感情は決して良いものではありません。あのまま国にい続けるしかなかった彼らにとっては、逃げた貴方もこの国と皇族も同じ。憎い敵なんです。もし、貴方が手土産をもってこちらに来てくださるのなら、彼らの怒りも少しは収まるでしょうし、もしかしたら信頼してくれるかもしれません」


 それに、お互いに遺恨なく付き合いたいじゃないですかと、ユベールは笑いを滲ませる。けれどイスマイーラは黙ったままだった。その沈黙の長さは、イスマイーラの迷いを表しているようだった。澱のような濁った空気が震えたのは、ずいぶん経ってからのこと。


「それだけで済むのなら」


 イスマイーラの冷ややかな声を耳にしながら、ジアは束の間、その場から動く事が出来なかった。





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