黒ともいえず、白ともいえず

 日が傾き、砂漠全体が夕焼けの朱に染まった頃。ハリルは人目を避けるように自身の天幕の影に座り込んだ。慣れた手つきで火を起こし、こぶし大の乾酪を麻袋から取り出すと、それを切り分けて木串に刺した。串は三つ。まんべんなく火に当たるように地面に刺すと、暫くしてから乾酪の乳臭い匂いが辺りに漂いはじめた。やがて香りに誘われるように現れた影を一瞥すると、それらへ静かに声をかけた。


「で、どうでした」


 ジアとバラクは周りに人がいないのを確認すると、焚き火の前に腰を下ろした。二人は炙られている乾酪を静かに眺め、やがて、ジアが先に切りだした。


「ユベールとイスマイーラの間には繋がりがある」


 ジアが天幕で二人が交わした内容を話すと、ハリルとバラクの表情がみるみるうちに強張っていった。


「話しぶりからするに、ユベールはアル・リド王国の間者とみて間違いなさそうですね。ある程度予想はしていましたけど」


「だが、イスマイーラの真意が分からない」


「自分達を棄てた国が憎い。だから、敵に協力する。はっきりと行動で示しているじゃないですか」


「いや、そうでもない。この話には続きがあってな、イスマイーラとユベールの密談の後、俺はイスマイーラに会った。そこであいつから、ナルセの丘に続く細い道のことを聞いたんだ。ユベールに話したものと、まったく同一のことをな。それからあと二カ所ほど、王国軍を待ち伏せできる場所を教えてもらった」


 ハリルとバラクが顔を見合わせた。


「……なにかの意図を感じるんですが」


「誘導、でしょうか」


 何に対してとは言わなかった。言わなくても、この場にいた全員が察するほど明確だったからだ。


「目的は主戦場の指定でしょう。話しぶりからすれば敵も俺達もいずれは鉢合わせすることになります。幸い、偵察支援隊やつらに増援が無いようですし、叩こうと思えば俺達だけでも楽に叩ける。イスマイーラは、先にイブリースを潰せといっているのかも」


 ハリルは胡乱な眼差しをジアに向けた。


「良い意味に捉えすぎちゃいませんか」


「あんたは悪い意味で捉えすぎてるように思うが」


 ジアの言う通りだった。しかし、ハリルには良い風に捉えることは、どうしても出来ないでいた。


「ユベールは迂回する道か、俺達についてくる選択しかないんですよ。仮にもし、ユベールがクヴェールまで戻るのだとしたら、これほど増援を頼むのに良い機会は無いでしょう」


 王国軍はイブリースだけではない。その遥か後方から何千何万もの兵士達が軍団を連ねてこちらへ向かってきている。ユベール達が引き返すことで後方からやってきた軍団との距離が縮まれば、助力を乞う事だって容易くなる。


「敵が増えたら困りますし……締め上げますか」


 しかし、とジアは食い下がった。


「待ってくれ、俺もあいつからこの事を聞くまではハリルと同じようなことを思っていた。でも、さっきあいつと話をした時には、まったく悪意めいたものを感じなかった。むしろ誠意のようなものすら感じられた」


「見せかける事も出来ます」


「殿下は、イスマイーラを信用している」


 イスマイーラを疑うということは、ルークをも疑うということだ。友であり、主であるルークを疑うのか。信じられないという顔つきのジアに、当然という眼差しを向けた。


「そりゃあ殿下とイスマイーラは一緒にいる期間が長いわけですし、その間に築いた信頼関係を思えば疑いたくないでしょうよ。でも、俺たちは違います。イスマイーラに肩入れしていないからこそ、殿下には見えていないところが見えている。そもそもイスマイーラは疑うような行動ばかり取っています。ジアの言うように、水脈潰しの補完的な作戦として俺達に提案しているのなら初めに俺達に話があっていいはずです。なのにそれが無い。心にやましい事がある証拠です」


「それが一方的な見方だというんだ。何故俺にも他に道がある事を教えたのか。全くの悪意であれば俺達には教えない」


 とはいえ、イスマイーラの言動が矛盾しているのは覆しようもないのだが。険悪な顔つきで睨みあう二人に、バラクが割って入った。


「もう少し彼を泳がせてみませんか。このままではまだ黒とも、白ともいえない。それよりも、射落とした敵の結縄キープの解読が出来ましたよ。面白いモノが出てきました」


「面白いモノ?」


「なんでも、本隊から褒美が届くそうです。っていう名前の。それはまだかという催促でした」


「奴隷……まさか隷属階級の人らのことじゃありませんよね?」


 ほんの一瞬だけ、下卑た発想が脳裏をかすめたらしい。ハリルの凶相には殺意めいたものが滲んでいた。


「そんな面で睨まないでくれませんか……貴方の顔、控えめに言って怖すぎるんです」


「胸糞が悪くなりそうな話だったのでつい。それで?」


 バラクの恐怖に強張った顔に浮かんだのは、明らかな困惑だった。


「それがどうにも褒美は人、ではないみたいなんです。結縄キープにあったのはを表す単語でした。それに関係しているのかもう一つ。妙な噂を南の連中からも聞きまして」


「噂?」


「アル・リド王国の首都近郊の遺跡から、妙なものが出土したとか。どうにもうちの国にあるものと同じような類のものらしく、それを此度こたびの戦争で使うかもしれないと」


「出土したという話は、確かなんですか」


 バラクが頷くと、ハリルは少し考えるように腕を組んだ。


「……エル・ヴィエーラの遺産遺跡保護協会が関与したという話は?」


「アル・リド王国側から申請があったようです。一年ほど前に、協会の者と思わしき連中がオアシスの道を通っていったという証言もあります。伝え聞く限りでは、協会としても貴重な発見らしく。鉄女神マルドゥークと同じく、新たな脅威になり得るだろうと話していたとか」


 鉄女神マルドゥークと比類する新たな脅威とはこれいかに。


「次々と頭の痛い……」


「問題は、それを催促できる位置にということです」


 奴隷というものがどういうものであるにしろ、カムールに運び込まれているのは事実。ハリルは目の前が遠ざかってゆくような錯覚を覚えていた。もし、古代の遺産が使われるのであれば、この戦争の様相は一変する。ちまちまと小手先の小細工を弄して時間稼ぎをするよりも、もっと直截的かつ終局的なことが出来てしまう。それくらいのことを楽にしてしまえる力が、古代の遺産にはあるのだから。


(しかし現状において、対抗できる手段が無い。古代兵器が出てくれば、俺達はお手上げだ)


 アル・カマル皇国に今も眠り続けている鉄女神マルドゥークが目覚めてくれたら、どんな兵器がやってきても平気なのかもしれないが。


「なにもかも、最悪じゃあないですか」


「ええ、最悪です。最悪になりつつある」


 バラクの静かな声が、自分達への余命宣告のように聞こえた。




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