疑わしき来訪者

 水脈潰しを投じながら北上し、サハル街道に差し掛かった頃。その報告を耳にしたルークは、眉根を寄せた。


「はぐれた避難民?」


 ええ。と、イスマイーラが神妙な顔つきで頷いた。


「水脈潰しを投じたオアシスの水を飲んでしまったらしく、先頃こちらに運ばれてきました」


 その言葉を聞いた瞬間、後悔があった。何の罪も、関係もない人を巻き添えにした。敵に害を与えるつもりで投じた毒薬が。全く予想していなかったわけではないのに、やらなければよかったと俯いた。


「お会いになられますか」


 慮るような優しい声に頷いた。

 避難民が運び込まれたという天幕を覗きにいくと、中に一人の男が横たわっていた。その周りを、二人の男が心配そうに眺めている。痩せこけて骸骨のような顔をした男がルークに気付くと、深々と会釈をした。


「ユベールと申します。先頃は仲間の為に薬までいただいて。有難うございます」


 二十七、八くらいの男だった。きちんと食べているのか疑わしくなるほど細い体躯ではあるけれど、袖から見え隠れする腕にはしっかりとした筋肉がのっている。その腕には、真新しい瘡蓋かさぶたがいくつもついていた。


「気分はどうだ」


 ルークはユベールの正面に腰を下ろすと、真ん中で寝息を立てている男の顔を覗き込んだ。血色は良く、肌艶の状態も良い。まるで寝ているだけのように見える。


「薬のお陰でよく眠っています」


「……俺達はあと二日はこの辺に逗留とうりゅうするから、その間だけでもゆっくりと休んで欲しい」


 ユベールは恭しく頭を下げると、口元を綻ばせた。


「実は国境から逃げ続けて、少し疲れていたところなのです。こうしてきちんとした屋根のある場所で休めるのは嬉しい」


「国境ということは、南カムールか?」


 ユベールは居住まいを正すと、真剣な面持ちで頷いた。


「あの辺りに住んでおりましたが、王国軍の襲撃に遭い、氏族は散り散りに。俺達だけでもなんとか逃げ延びてきたは良いものの、肝心の家族とは連絡もつかずで」


「それは心配だな。集まる場所などは事前に決まっていなかったのか」


 ユベールは肩を落として頷いた。


「万一があれば、アクタル様と共に硝子谷へと命じられたのみですから」


「ならば回復した後で硝子谷へ向うといい。安全な道は、後で伝えよう。いまは休め」



 その一件をバラクから聞き終えたハリルは、おかしな表情で首を傾げた。


「その話、本当ですか?」


「ええ、一言一句間違いなく」


 ふーむと腕を組み、昼食代わりの干し肉を口に放り込んだ。無言で噛みながら脳裏に話を反芻はんすうさせる。


 


 三十に近い壮健な男が、硝子谷へ向かうのか。皇主盟約において戦える若い者は武器をもって各領主の下へ集えと命じられている筈なのに。アクタルの死を知っているルークが、ユベールへ何も言わなかったのも気になった。しきりに首をかしげるハリルに、バラクが緊張した面持ちで続けた。


「サハル街道の南側で数人の人影が砂丘の向こうから見えました。一応様子を探っているところですが、いまのところ不審な動きはありません」


「そいつについては継続して見張っといてください」


 バラクが冴えない表情を浮かべた。


「……なんだか、妙だと思いませんか?」


「ひっかかり過ぎて困ってます。何から突っ込めばいいんでしょうね」


「殿下には相談した方が宜しいのでは。万一ということもありますし」


「もちろんお話はしておきますが、詳しい事は疑いが確定してからにしましょう。余計な混乱させたくありませんし、殿下が混乱したらこっちまでが来ます」


 バラクが怪訝な顔つきで顔を覗き込んできた。


「……殿下と喧嘩でもしました?」


「いいえ。それより一つ内密で確認して欲しい事があるんです。イスマイーラに貸したサクルが何処へ向かって、何時戻ってきたかを調べてください。あと、出来たら戻ってきた方角、足に結わえられているキープの種類も」


 バラクが何かを言いたげにして、やがて口を閉ざし、頷いた。


「分かり次第報告します」


「早めにお願いしますよ。出来れば今日の夕方には報告してもらえると助かります」


 バラクが眠そうな目を大きくひん剥いた途端、片頬を歪めた。


「もう少し伸ばしてもらえませんか。今日の今日はちょっと。俺にも仕事があるんですが」


「そんな嫌な顔をしないでくださいよ。そうだ、特別にぶした乾酪を御馳走しますよ。牛の乳で作ったとっておきのやつ。エル・ヴィエーラ産の高級品ですよ、これ。どうです、良い夜食じゃないですか」


 げっそりとした顔つきのバラクに、


「ちなみに強制です。良かったですね、バラクさん」


 にっこりと言い放つ。バラクが心底うんざりした表情を浮かべた。


「嫌な食事会ですね」


「大きめに取り分けてあげますから、それで一つ」


 手を打とうというと、バラクは諦めたように頷いた。


「それから、イスマイーラに監視をつけておいてください。ああ、血気盛んなソマさんみたいな人は駄目です。なるべく冷静で、腹芸の得意な奴が良い」


「……貴方が直接見るだけで良さそうな気がしますが」


「腹芸は殿下に見破られるくらい下手なんですよ、俺。それに、俺自身が彼を冷静にみられる自信が無い。監視するなら中立的な立場のほうが、偏見も無いでしょう。余計な先入観は目を曇らせますからね。冷静そうで、バラクさんが信頼できる人を彼につけてください。そうそう、あくまでも自然に。監視してるなんて感じさせないような、腹芸に秀でた人をね」


 やや疲れたような溜息をつくと、バラクは胡乱気な眼差しを向け、囁くように訊ねた。


「……やっぱり、殿下と喧嘩したでしょ」


「していません。今も昔も仲良しですよ」

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