もう一度会えるのなら、私はここにいる。
「かような夜にご苦労様なことです」
シーリーンが影へ囁いた。手元の
「スフグリムのアサドと申します。急の呼びかけに応じていただき感謝いたします。ええと」
「
一瞬だけウィゼルに視線をやり、祭祀場の隅にある小部屋を指した。
「いえ、事情は彼女からあらかた伺っております。夜分ではありますが、こちらへ」
「俺は罪の告解に来たわけではありませんが」
「ええ、存じております。ですが、いまはどうか」
小部屋に入ったシーリーンは、二人に椅子へ座るように促した。アサドがウィゼルの対面に座り、シーリーンとウィゼルが隣り合う形で座る。緊張した面持ちのシーリーンが何かを言いかけるのを、アサドが制止した。
「告解の文句は結構。死の穢れを背負うスフグリムだ。神殿なんて聖域に足を踏み入れるだけでも心が痛むってのに、聖句なんか浴びたら溶けちまう」
ほんの少しだけ、シーリーンの硬い表情が崩れた。
「聖句を唱えられると死ぬと言い伝えられている魔族ではないでしょうに」
「さて、魔族を殺しすぎて自分でも知らない間に魔族になっているのかもしれねえぜって、そういう事じゃなくてだな」
洒落が過ぎたかと頭を掻き、
「あまり時間が残されておりませんので、単刀直入に言わせてもらいます。そいつを返してもらえませんか」
ウィゼルを厳しい眼差しで見つめた。
アサドの視線が痛かった。手前も黙ってねえでなんとか言えという無言の圧力を感じる。神殿から出たいと言いたいのはウィゼルも同じだったけれど、
「ごめん、アサド」
「出来かねます」
ウィゼルとシーリーンの声が重なった。アサドが、眉をひそめた。
「あのな、お前さんが戻らなかったらアルルはどうするんだよ。カミラや俺に預けられても困るんだぞ」
「アルルは無事なのね。カミラのところにいるのね!?」
「お前さんが自分で預けたんだろうが」
「それは、その」
「自分が何をしているか分かっているのか。夕刻になって店に戻ってみりゃあ、カミラが血相を変えて俺を店の裏に呼んでくるんだからなんだと思ってみりゃあ、お前さんがアルルを預けたまんま神殿に行って、それっきり帰ってこねえなんて言いやがる。とどめに神殿からの使いがやってきて、ウィゼルは暫く預かるなんて言いやがるもんだから何事かと思ってすっ飛んで迎えに来ればこれだ。どういうわけか説明しやがれ」
「説明できない」
アサドが脱力したように突っ伏した。
「なんだ、そりゃ」
「言うなって、頼まれてるからよ」
疑いの目が、シーリーンに向いた。
「西守は法の下であれば
とはいえ、と、アサドはため息を吐いた。
「俺はそういうのが嫌いな口でしてね。対話で解決できるのなら、対話で解決したいんですよ」
「ええ、分かっています。神殿祭祀を司る神殿側としても、西守とは事を構えたくありません」
参ってしまったようにシーリーンはため息を吐いた。暫く手をもみながら俯いていると、やがてふと、顔を上げて言った。
「仕方がありません。アサド様にはこれから話すことを聞かなかったことにしていただけたらと思うのですが」
「そりゃあ、お前さんの話し次第だ」
「ちょっと待って。この事は言わないって言って無かった?」
ウィゼルの慌てた声に、シーリーンは硬い表情で頷いた。
「ええ。ですが、このままではややこしいことになりましょう」
アサドが怖い顔で頷いた。シーリーンは目を細めると、ウィゼルを神殿に招いた経緯を手短に話しはじめた。最初は疑るような顔つきを浮かべていたアサドだったが、イダーフとエル・ヴィエーラ聖王国の遺産遺跡保護協会の名が出ると、アサドの表情が一変した。
「経緯は分かった。でもなんでウィゼルなんだ?」
「私は、ルークの代わりみたいなの」
「代わり?」
代わりになるくらいの何がこいつにあるのだろうかという赤裸々な本音が現れたような顔つきで、アサドは腕を組んだ。
「お前さん、坊主の代わりを務められるくらいの高貴な生まれだっけか?」
「高貴な生まれだったら、
ウィゼルの一番古い記憶は、兄と共に
(でも、私には
父や母の記憶がない。
何処の国で、何をして暮らしていたのかもわからない。
分からないまま兄と二人っきりで生きてきた。
その兄もウィゼルが十六を迎え、アルルを従えるようになった頃に姿を消した。遺産遺跡保護協会に行くという言葉だけを残して。兄を追ってエル・ヴィエーラ聖王国の首都にある遺産遺跡保護協会の本部へ赴き、兄の足取りを追った。追いかけてゆくうちにアル・カマル皇国へたどり着いたのはつい数年前のことだ。そして今日、シルビアとともにいる兄を見つけた。
「兄さんなら、私の出自について何か知ってるのかもしれないけど」
会って話も出来ないのなら、結局分からないままだ。
「兎に角、私をここに呼んだのが兄さんなら、当面の間は安全なのだと思う」
「それに坊主だってここに来るかもしれないし……ってか」
「なっ!」
思わぬ言葉に、顔が熱くなる。
「お前さんの考えなんざお見通しなんだよ」
そういって、アサドが苦笑した。
「坊主のことを心配しているのは分かるが、首を突っ込むのもほどほどにしておけ。というか、突っ込みすぎだ。もう少し距離を取らねえと、お前さんの命があぶねえ。そうなっちまうのは誰も望んでねえんだぞ」
「それは、分かっているけど」
気になって仕方がないのだ。ルークが無事に王城に帰ってくるのか。
もう一度会って、言ってやりたい言葉なんていくらでもある。
そう、もう一度。
もう一度。
気が付くと、シーリーンが複雑そうな表情でこちらをみつめていた。心の内を察したんだ。そう思ったとたん、また、ちくりと胸が痛んだ。何か後ろめたいことをしているような気がして俯いた。いや、気がするんじゃない。本当に後ろめたかった。さっきはルークとは何もないなんて言っておきながら、ルークを待っている。そんな思いに駆られるのは、何かがあった証拠なんだというのに。恐る恐る顔を上げると、シーリーンはウィゼルからアサドへ顔を向けていた。
「イダーフ様の真意は分かりかねますが、事が終わるまでは彼女をお返しすることは出来ません」
「ターリクに直談判しても、貴女の意見は変わりがないと」
「ターリク様でも、イダーフ様の計画に口を挟むことは出来ません」
アサドの眉が上がった。胡散臭げに言葉を待っている。
「イダーフ様とターリク様は、繋がっておられますから」
「そういうことかよ」
悔しげに膝を叩いた。
「彼女ついては、私が責任をもって守ります」
「責任ったって、お前さんただの神官だろうに」
微かに苛立ったアサドに、シーリーンは首を振った。
「私の父はファイサル。アル・カマル皇国軍将軍であり、此度のアル・リド王国との緒戦にて指揮を執る者。その娘たる私が、何の責任も取れぬと申されますか」
「神官は解脱した奴がなるもんだ。元が大将軍の娘だったとしても、責任とれるほどの関係性は神の名のもとに切られてるだろうが」
「さて、分かりませんよ?」
表情を消したシーリーンに、アサドは大きくため息を吐いた。部屋の外を伺うと、更にもう一つ溜息をついた。その様子が気になってウィゼルも外を伺うと、三人の兵士が神像の下で佇んでいるのが見えた。
「強引に連れ帰るってことも出来ねえってか。見張りまで出すとは随分じゃねえか」
「私は何も。ここにはアサド様が思うよりもイダーフ様と繋がりのある者が多く居るということだけにございます」
ウィゼルとアサド以外の、この場にいる全ての者がイダーフの派閥に属する者であることをはっきりと言いさした。鼻白むアサドにシーリーンは落ち着かせるような声色でつづけた。
「イダーフ様はもとより、遺産遺跡保護協会側からもウィゼル様の命の保証は承っております。殿下がお戻りになられたとしても、不要だからと命まで切り捨てることはなさらないでしょう」
「ほう、どこまでそれを信用していいもんかね」
「我が国の現状を鑑みれば自ずとお分かりになられるかと。我が国はアル・リドという大国に剣を突きつけられ、後ろには強大な力を持ったエル・ヴィエーラ聖王国に睨まれている状態。そのような中で自ら後ろの大獅子に噛まれるような愚行は犯しません」
「……あのな、俺は不安なんだよ。こいつの兄貴にはちょっとした面識がある。もしウィゼルと会うことがあれば、よろしくしてやって欲しいともいわれてるんでな」
視線はシーリーンからウィゼルに注がれていた。
「彼女の家族があること、彼女を思う者が多く居ることは存じております」
「存じてらっしゃるのなら、彼女を解放してほしいという俺の気持ちもわかるでしょう?」
「分かります。ですが、できかねます」
「私も、戻らないわ」
はっきりと言い切ったウィゼルの言葉に、アサドはもう一度ため息を吐いた。
「分かったよ。分かった。手前の好きにすりゃいい。知らねえよもう」
「ごめん、アサド」
アサドの幾度目かの溜息は、闇の中に溶け消えた。
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