獅子の尾

 自らが発した言葉によって何が引き起こされるのかを自覚していながら、ルークは硬直したように動けないでいた。機会を逸した訳ではない。むしろ、ルークの発した言葉は効力を発揮した。アルルに怪我は無いし、騎兵達もアルルへの攻撃を中断している。予想通りの状況が眼前に広がっている。しかし、予想外が一つ。ルークは目尻まなじりをつり上げた。


(なぜ、お前がここにいる?)


 問い訊ねられるような状況でないことが、ルークの心を波立たせた。それをウィゼルは憐れむように見下ろし、口を開いた。言葉が発せられることは無かった。静かな哄笑が聞こえたからだった。


「……妙な巡りあわせもあるものだな?」


 タウルの濁った眼がルークへ注がれる。瞳には、憎悪の光が灯っていた。巡りあわせとは何のことか。ルークが首を傾げると、タウルは嫌悪に顔を歪ませた。


「知らないふりをしているのか、本当に知らないのか。いや、そもそも本当にアル・カマル皇国の第二皇子なのか――――は、愚問か。疑問に対する解は出ているか」


 独り言のようにぶつぶつと呟き、やがて納得したようにルークへ剣の切っ先を向けたまま、空を仰いだ。その表情には、憎悪が消え去っている。気味の悪いほどの無表情が張り付いていた。


「なるほど、本当に天は俺に味方をしてくれたらしい。撤回しようファラン。神とはいるものだな!」


 さっと、タウルの顔に憎悪が満ちる。怨嗟に満ちた叫び声をあげた。槍使いの男が、タウルが動くよりも早く斬り込んだ。槍で円を描いてタウルの剣を弾きあげ、更に一歩前に踏み込む。穂先はタウルの喉元を捉えている。白銀の光のような穂先を、タウルは何を考えるでもなく大きく左側に飛び退って避けた。それを追いかけるように、槍使いの男は槍の柄を並行に振り回す。

いま、タウルの手に剣は無い。槍で剣を弾き落とされていた。タウルは大きく後ろへ飛び退ると、左腕を高々と挙げた。それを、一気に振り下ろす。合図だった。夜陰から棒のような影が三つ、ルークと槍使いの男の頭上に降り注いだ。二つは槍使いの男に弾かれ足元へ。もう一つはルークの傍に突き立った。矢の命中を確認する間もなく、タウルが指笛を鳴らす。槍使いの男が追いすがるようにして駆け出すと、タウルは、ぱっと指を離して足早に闇の向こうへ駆け去ってしまった。その後姿を、二人の騎兵が追いかける。盛大に舞う土埃に咳き込むルークへ、ウィゼルの固い声が向けられた。


「自分で名乗りを上げるなんて、正気なの?」


ウィゼルの、怒りとも哀しみともつかない感情で彩られた顔面があった。


「こうでもしないと、止まってくれない」


 やり方が強引であるのは分かっている。そして、やり方を間違えているのも理解している。しかし、それでも止めたかった。たとえ自らが発した言葉が、間違っているのだとしても。アルルを失う事に比べれば、何ほどのことでもない。それについては全くのところ、ルークには後悔すらしていない。むしろ適切な判断であったとすら思っている。しかし、理性よりも感情を優先させてしまった事に関しては、大いに後悔していた。


(名乗るのなら、もう少し言葉を選ぶべきだった)


 騎兵達へてきぱきと指示を出している槍使いの男の背中を眺めながら、ルークは苦々しく口元を引き結んだ。

彼らから漏れ聞こえてくる話によれば、タウル達は撤退を始めているらしい。強面の騎兵が残党狩りとタウル達への追跡を行うか否かと訊ねている。槍使いの男は追跡に二人あてがい、残った人員で残党狩りと怪我人の救護を行うよう伝えた。自らは氏族長へ事情の説明を行うという旨を告げると、兵士達は聞き終わらない内に駆け出した。


「皇子が怪我をしているのに、挨拶もしないなんて。マルズィエフとはえらい違いね」


 聞きようによっては嫌味と捉えられそうな言葉を、槍使いの男は軽く笑って流した。


「殿下はそういう甘えやおもねりを嫌う方ですからね。でも、こんな無茶をする方では無かったはずです。良かったですね、敵の規模が小さくて」


「お前なら、応えてくれると思ったんだ、ハリル」


 槍使いの男が、苦い表情を浮かべた。


「……文鳥の一つでも寄こしてくれたら良かったんです。殿下がここを訪れるべくもないはずだった。違います?」


「そういう冗長なことをしていられる余裕なんてなかったんだ。よく、無事でいた」


「ええ、ええ、イスハークの財産と竜を利用して戦況を混乱させてくれたおかげで被害の拡大は防げました。その点は評価します。むしろ兵も居ないのによく頑張りました。ですが、その後はどうするおつもりでした?」


 ルークの思惑を読んだ上での問いかけは、明確にとがめる色が含まれている。実際、危険な賭けだった。もし、タウル達が伏兵を仕込んでいたら、全滅するのはこちらだったかもしれない。奇跡的にルークの読みが当たり、なおかつハリル達が傍にいたからこそタウル達の退却という結果を導き出せた。これが一つ違っていたら、別の結果になっていたに違いない。ハリルの怒りは、もっともだった。


「……お前達が近くにいてくれて、本当に良かったと思う」


「ええ、本当に。それから満身創痍まんしんそういで地べたに這いつくばってまで俺のことを心配してくださって、どうもありがとうございます。でも殿下、俺はそんな状態で心配されても全く嬉しくもなんともないんです」


「それは、こまったな……」


 不意に、ハリルの姿が霞んだ。頭がふわふわとして、まるでまどろむ前の感覚のような。足の痛みだけが、どうにかルークの意識を繋いでいたというのに、どういう訳か痛みの感覚も鈍くなってきた。

ハリルの呆れたような眼差しと、泣きそうなウィゼルの顔をぼんやりと眺めながら、ルークはまどろむように目を閉じた。




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