好みの問題
飛び立ってしまっ
ルークは大きな溜息を吐くと、アリーから貰った痛み止めの薬草を
(
天井を睨んだルークの前に、ハリルがひょっこりと顔を出した。
「ちゃんと薬は飲んでいるようですね。久し振りに一緒に食べませんか?」
真っ赤な果実に、豆と大麦と香辛料を加えて一緒に煮込んだレンティマと、焼きたてのケバブとピタを持ってきたハリルが、にへらと笑う。
「こんなことしていていいのか、隊長だろう?」
「追跡に向かわせた奴らが戻ってきていませんから、下手に動けないんですよ。それに、これからは休憩が云々とか言っていられなくなりますからこんな時くらいしか休めないでしょう。なので、他の連中にも手が空いた者から休ませているんです」
そう言いながら、ハリルは部屋の隅に置かれていた
「そういえばさっき、
ルークの向かい側にどっかりと腰を下ろすと、ハリルはラダを淹れ始めた。
「城へ、ちょっとな」
「イダーフ様関係でしょうかね?」
「そんなところだ」
「大丈夫なんですか?」
器用さのかけらもない混ぜ方をしながら、ハリルはラダを手際よく作っていく。北カムールでもラダの作り方は同じらしく、材料は茶葉と山羊の乳と、ひとつまみの塩。それにカシアという樹皮を乾燥させて粉にした香辛料をほんの少しだけ入れて香りを出す。塩をどっさりと入れるアリーとはえらい違いだ。ハリルから出来立てのラダを受け取ると、さっそく口をつけた。舌の上に残った苦みが、山羊の乳のほんのりとした甘みで洗い流される。
「文を受け取るのはダルウィーシュだ。あいつはイダーフの息がかかっているから、余程のことが無ければ心配はない」
「じゃあ、もう一羽は?」
ハリルが目を細めた。ルークは気難しい表情で皿に盛られた干しデーツを頬張った。
「たぶん、イダーフあふぇふぁろう」
「随分と会わない間に行儀が悪くなりましたねぇ」
昔は物を頬張りながら喋る人じゃあなかったのに。随分な変わりようだと、ハリルが呆れたように笑った。
「城から離れてしまえばそんなものだ。もっとも、元から行儀作法を厳しく守るほど出来た人間でもなかったがな」
行儀作法と無縁の生活は気楽だと、ルークは頬を緩めた。そんなルークへ、ハリルがどこか満足そうにうなづいた。
「なんだか良い
「そんなにか?」
「少なくとも、文句だけは顔に沢山書いてありましたねぇ」
空になったラダを注ぎ足し、レンティマにピタを添えて、盆ごとルークへ渡した。
「お言いつけ通り肉は入ってませんし、毒見も済ませてあります」
「そんなことしなくても」
「周りの目があります。あぁそれから、塩も少なめにしてありますので、食べやすいかと」
「そりゃあ、ありがたい」
ほっとしたように胸をなで下ろしたルークに、ハリルが苦笑いを浮かべた。
「南カムールじゃあ、北カムールと違って香辛料よりも岩塩がよく採れますから、料理の多くが塩味に傾くのは仕方ないってのも分かるんですけどね。それにしてもアリーって人の舌はどうかしてますよ。よく我慢できましたね、あんなしょっぱいの」
「食べたのか?」
「俺が毒見をしましたから」
料理をするアリーの横からハリルが文句を言うところをまざまざと想像してしまい、ルークはたまらず噴き出してしまった。
「あんまり煩くしてやるな。アリーにも世話になったんだから」
「分かってますけど、あれだけ塩を入れられたら誰でも口をはさみたくなるってもんですよ。北カムールじゃあ、あそこまでがっつり塩なんて入れませんよ。入れるなら、カシアでしょう?」
「相変わらず、食にはうるさいな」
「食は命です」
「そんなんじゃあ、行軍の最中なんか大変だったんじゃないのか。隣同士の癖に味付けが大きく違うのはカムールくらいなものだ。北と南で料理の味付けについて争い合うのを仲裁するのは御免だからな」
「そういう殿下こそ、大丈夫だったんですか」
薄味過ぎるレンティマを味わいながら、ルークはぼやくように呟いた。
「ここに来るまではイスマイーラが食事を作ってくれたからさほど……いや、たまに塩辛い時があったが気になるほどじゃあなかった。まあイスマイーラも、アリーと同郷だしな。しょっぱかったのも今なら頷ける」
「へぇ、随分はっきりとした喋り方だから、俺はてっきり皇都の人間だとばかり」
びっくりしたような面持ちのハリルが、残っていたケバブに齧りついた。
「じゃあ、あの女の子たちも?」
「いいや、ウィゼルはエル・ヴィエーラ出身だし、アズライトは……」
言うべきか否か。一瞬ためらってから、首を振った。
「分からない。元は旅人らしいんだが、記憶喪失でな」
ハリルの目が、一瞬、警戒するように細くなった。
「今は話せないが信頼は出来る。サルマンの間者ではないのは確かだ」
「詳しい話は、いずれしてくれるんですよね?」
「いずれ話す。絶対にだ、約束する」
恐らくは疑問で一杯になった頭を鎮めようとしているのだろう。ハリルは暫く無言でケバブを頬張りながら難しい表情で頷いたり首を傾げたりしている。やがて、半分以上を食べ終わると、漸く心の中で折り合いをつけたように溜息を吐いた。表情には、明るさが戻っていた。
「ところで、どっちがお気に入りなんです?」
「北と南の味付けか。好みは北カムールだな。塩辛くもなく、薄くもない。丁度いい具合の塩味に、これまたきつすぎない香辛料が効いているのが良い。南カムールは香辛料をほとんど使わない代わりに味付けはしっかりとしているんだが、流石に毎日はちょっとな……」
必然的に北カムール料理を推すのは自明。しかし、ハリルはそうではないと首を振った。
「味付けじゃなくて、女性の好みですよ。意中の子、いないんですか?」
「いないし、そういう感情も無い」
「本当に? 綺麗どころを二人もはべらせて何もなさらないのが俺にはちょっと信じられないんですけどね。だって、殿下はもうすぐ十五でしょう。元服を二年後に控えているってのに未だに恋も女も知らないってのはいかがなものでしょうかねえ。恋愛くらいは好きにさせるってのがイダーフ様のお考えなのかもしれませんけど、俺や他の領主や貴族から見たらちょっとその、遅すぎるかなと……」
浮ついた話の一つくらいは、あったほうがよいのでは。何事かを期待するような口ぶりのハリルに、ルークは目を泳がせた。
「それは父上のせいでそういう気にならないっていうか……」
ハリルが、あぁという顔つきで唸った。
「ああ、あの時はたしか、カダーシュ様を身篭ったまま城から逃げた
そう言って、ハリルはにこやかに繰り返した。で、どっちなんですか、気になる子。答えるまでは絶対に引かないという圧力に、閉口するしかなかった。
「堅物そうなお目付け役のせいで口説けなくても、ちょっとくらい気になることとか……おありだったんじゃないんですか?」
好奇に満ち満ちた輝きで彩られた顔面にルークはこっそりと溜息を吐いた。黙っていればいいものを、ハリルはしつこいくらいに続ける。
「意中の人がいるのなら想いを伝えるのは今の内です。いま伝えなかったら、後悔しても遅いかもしれません」
俺はどうだったかなぁ。あ、十二くらいの時に幼馴染に告白したんだったかなという大きな独り言を、ルークは聞き流そうとした。
「ちなみに、はじめての相手も幼馴染でした」
「聞いてない!」
怪我の手当てをしていた時のウィゼルの背中を思い出してしまったルークは、さっと顔を赤らめた。ウィゼルの白い背中はすべらかで、無駄な肉付も無く引き締まっていた。かとおもえば、腕の間から一瞬だけ見えた胸は、ほどよく豊かで――――慌てたように頭を振ったルークに、ハリルは更なる追い打ちをかけてきた。
「お二人とも正反対な性格をしていそうですけど、容姿はどちらも良いですね。例えるなら野に咲く花と、硝子細工でしょうか。けど、俺から見たらもう少し線が太い方が良いと思うんですよね……ああでも、殿下も細いからつり合いが取れているのかな」
出産なんかを考えると、産後の肥立ちが重要になってくるんで、太っていた方が良いんですけどねえと呟くハリルを、ルークは半眼でみつめていた。
(親切なのか下品なのか分からない説教を受けている気がするのはなぜだろう。というか、ハリルはこういう奴だっただろうか……)
一歩間違えればどこまでも卑猥な話に持ってゆけるような口振りで話してしまう彼にも、五年の間に内心の変化があったのか。いいや、無いはずがないか。内乱後の混乱に、隣国との戦争。アクタルの死と、一人で背負わざるを得なくなってしまった兵たちの命。一人では背負いきれない沢山の重みがハリルの双肩にのしかかっているのだとしたら、茶化すような話をしなければやっていられないのかもしれない。両国の戦争と、未だに続いているだろう城内の派閥問題、そして自身の今後について頭を悩ませているいまの自分のように。
ハリルの心境が理解できるような気がして、ルークは僅かに顔を曇らせた。しかし、そんなルークの心情を知ってか知らずか、ハリルは喜々として言うものだ。
「そういやあ俺、殿下の好みって聞いた事が無いんですよねぇ」
にっこり。その笑顔にルークは友としての心配を、どこぞへ放り投げた。
「酒でも飲んだか」
「飲めるわけがないでしょう、こんな状況で」
とすると、ハリルのこれは素なのか。ルークは、がっくりと項垂れた。
「彼女達と俺はそういう関係じゃあない。というか、彼女はそういう風に俺を見ていないと思う」
「彼女。彼女って、どっちの彼女ですか」
「こういう状況でよくそんなことが言えるな?」
「こういう状況だからこそですよ。で、どっちなんですか」
「そういうのは俺の前だけにしてくれ。アズライトは兎も角、ウィゼルに聞かれたらたまったもんじゃない」
絶対にろくなことにはならないからと念を押すと、ハリルがにやりとした。
「ひょっとして、気になってる子ってウィゼルって子ですか。なら善は急げだ。個人的な気持ちというやつを、俺が聞き出してきましょう」
それとなくね。にこりとするハリルへ、ルークが絶望したように吐き捨てた。
「お前がそんな奴だったとは知らなかった」
「俺も知りませんでした。殿下が分かり易くて気の強い子が好みだったなんて。まぁ、殿下も気が強いから、大人しい子じゃあ物足りないのかもしれませんけど」
「喧嘩をしたいのか」
「軽口です、いつもの。なにか問題でも?」
笑みを引っ込めて真剣に問いかけるハリルに、ルークはめまいを覚えた。あぁ、そういえば、こいつはこういう奴だったと。
ハリルは皇族にも貴族にも平等に軽口を放ち、場を構わずひっかきまわすことがある。見方を違えれば短所でしかないそれは、ハリルの長所でもある。絶望でしかない状況であるほど彼は軽口を放つのだ。萎縮し、恐怖に染まりきった周囲の心を和ませるために自ら道化を装う。そんな彼の言動で救われた者は多いだろう。そして彼が何の理由もなく馬鹿げた話をする男ではないということも、ルークはよく知っていた。
「でもね、殿下……気付いてらした?」
あぁやはりだと、ルークから表情が消えた。
「彼女達を取り巻く不穏な空気です。というか、ほとんど俺の責任でもあり、戦争という環境のせいでもあるのですがね」
「……他人の顔色を読むのは得意だ。気付きたくもなかった」
なんだ、やっぱり気付いてらしたかとハリルが薄く笑い、すぐに笑みを消した。
「うちのやつら、穏やかそうに見えて実は大分殺気立ってるんです。そんな中に子猫を混ぜ込むのはいくらなんでも危ないでしょう。いまはイスハークの皆さんがいらっしゃるから大事にはなりませんけど、今後彼女らが殿下に同道するのなら、いずれ悪いことになる」
来るべき時が来たのだと、ルークは思った。いつか切り出さねばならないとは頭では分かっていた事なのに、無意識のうちに考えないようにしていた。それを自覚して、ルークは
(別れが惜しいのか)
これまでの人生の中で何度も別れを経験してきたはずなのに、情でも移ったのだろうか。内心の変化に微かな戸惑いを感じながら、同意するように頷いた。
「心配しなくても、最初からそのつもりだ」
「分かってらっしゃるのなら、俺からはもう何も言いません」
そう言って、ハリルは小さな溜息を吐いた。そして心の中で囁いた。
(けれども殿下、貴方は肝心なところを見逃しておいでだ)
ハリルは想像する少女の姿を思い浮かべて、同情した。
(戦争や政争で知略を駆使するのはお得意なんですけど、肝心の男女の機微には鈍いんですよね、殿下って)
一目見れば分かる好意をルークは気が付いていない。あの少女ですらも自覚し始めているかもしれないというのに。前途多難な少女へ、ハリルは苦笑いを深くした。
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